09 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

家持が詠んだ玉箒 


昨日、電車の中で『野に遊び 人に学ぶ』(猪股靜彌著)を読みながら、高野山麓へ。

南海難波駅から高野線に乗って50分、橋本駅着。
ここからは、2両編成のこんなかわいい電車に乗り換える。

再び、本を開いて、驚いたface08
いきなり、九度山(ワタクシの最寄り駅、橋本から3つ目)の文字が目に入ってきたのだ!
(今そのページを開けようとしてもなかなか見つからない。ほんとに不思議。)

大伴家持が新年に詠んだ歌
初春の 初子の今日の 玉箒(たまばはき) 手に取るからに ゆらく玉の緒(巻20-4493)

「正倉院」には、家持の詠んだ玉箒が現存するのだという。
猪股靜彌氏は書く。
天平宝字二年、正月初子の祝宴に用いられた唐鋤と玉箒が正倉院に現存し、一方、その祝宴に列した大伴家持の詠んだ歌ごえが『万葉集』に残り、彼のよろこびの息遣いを聞くことができる。何と何と、わが民族の文化の伝統は、永遠でかくも美しいのであろうか。

続けて、家持が手に取った玉箒はコウヤボウキ(小低木)で作られており、高野山の民家や九度山町では、昔からこの植物で箒を作った、とある。

うっ、知らないゾ~^^;
なぜ、コウヤボウキで箒が作られるようになったか、その伝説も紹介されている。

弘法大師が草創するまでは、高野山には鬼の子が住んでいた。
農民たちは、竹箒で鬼の子を丹生川に掃き捨てた。
ところが、鬼の子はまた山に帰る。
村人は竹箒を捨てて、替わりにコウヤボウキで作った箒で庭を掃くと鬼は山に帰ってこなかった。

猪股氏は、この話を40年前に、九度山町のかいほりしんじ翁に聞いたと書いている。

ふうん、知らなかった~。

父の書棚を見ていると『九度山町史(資料編)』が目についた。
本編にはもしかしたら、コウヤボウキのことが書かれているのかもしれないが、見つからなくて残念。

関連記事
スポンサーサイト

Posted on 2010/01/23 Sat. 13:45 [edit]

category: 読書

TB: --    CM: 0

23

コメント

Comment
list

コメントの投稿

Secret

Comment
form