かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
飛鳥京跡苑池 現地説明会

あのときの現地説明会にはたくさんの人がつめかけて(もちろんワタクシも)、明日香村じゅうが騒然としているように感じられたものだ。
その後、奈良県立橿原考古学研究所では調査を進め、今回は5回目。
2月6日、現地説明会へ行った。
すでに、4次にわたる調査で、下記のことがわかっている(当日配布資料より)。
◆苑池は、渡堤(わたりづつみ)で仕切られた南北2つの池からなる
◆北池からは水路が北に向かってのび、先端部分で西へ曲がる
◆南池の規模は、南北約55m、東西約60m、深さ1m
◆南池の底には石が平らに敷きつめられ、池の中には島や石造物が設置されていた
◆北池の深さは3mで、南池より深い
◆水路から、苑池の機能や性格を示す木簡が出土
↓これまでの調査区の合成写真(左)と、史跡・名勝指定範囲、今回の調査区。
[現場資料と当日配布資料から(クリックで拡大)]


今回の調査目的は、よくわかっていない北池の規模と形態を確認することと、東側に施設があったかどうか、など。
調査地全景の航空写真(配布資料より)

調査地の場所と、宮域との位置関係(左は北東から、右は北西から)
[配布資料(左)と現場資料より]

この日は、飛鳥板葺宮伝承地が受付会場。そこで説明を聞いてから発掘現場へ移動するという流れになっていた。

ワタクシは橿原神宮前から歩いて行ったので、受付場所へ行く前に発掘現場に出くわした。
受付は後回しにして先に見たいなあと思ったが、そんなこととても口に出せない。でも、ちょっとだけ立ち止まってじいっと見つめていたと思う。
すると、「先に見られますか」と声をかけてくださったのだ。
「わ、いいんですかぁ」
ほとんど見学者のいない現場でゆっくりと見せていただくことができて、ラッキーだった♪
北池(西から)

北東から見る。奥が北池。その向こうの左手に南池が広がる。彼方の小高い森は甘樫丘

砂利敷き


雨落溝(あまおちみぞ)と考えられるので、この東側には何らかの施設があったらしい。

北東のコーナーが出たことから、北池の大きさもほぼ明らかになった。
南北46~54m、東西33~36m、南北に長いかたちのようだ。
このあたりの小字名は「出水(でみず)」。
地名が表すように、地下水がわき出す場所で、それをうまく利用して庭園はつくられたのだろうという説明があった。
西にむかってなだらかに低くなっている地形。
わき水をため、またそれを流したりというような構造になっていたとみられる。
土木技術の高さがしのぼれるというもの。
ようやく、受付を済ませた第1団が入場。
やはり現説はこの熱気がなくちゃね。

南池のほうへも回ってみた。

今回の発掘調査は、「史跡・名勝飛鳥京跡苑池の保存整備活用事業」の一環。
やがて史跡公園になるという。
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コメント
メグさん
おはようございます。
明日香村へ行きたいなあと思っていたら、現説でしょ。どちらが目的なのかわからないのですが、とりあえず行ってみようって。
せっかく、おんだ祭の日だったのに、やはりちょっと残念だったかも。わざわざこのためには行かないと思うので。
三輪のまちは、たしか恵比寿神社のお祭りだったのでは。ちょこっと頭をかすめたのですが、行けませんでした。
メグさんのように機動力がないので、広範囲は無理ですね。
大神神社の御田植祭、またご紹介くださいね。
URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/02/10 07:53 | edit
やはり行かれてたんですね (^-^)
私も お昼からでしたが行きました。
(その前に 大神神社の お田植え祭をみにいきました )
かぎろひさんの姿を無意識に探しておりましたのよ (#^.^#)
八釣の方へも足をのばされたんですね
蝋梅が咲いて いい雰囲気ですよね
ただ この日は 遠くはかすんでみえなかったのが残念でしたね
明日香は本当に いい所ですね
今回の発掘現場に立って見回すと
本当に 飛鳥京のあった頃を彷彿させてくれるような景色が
今も残っている事に 感謝ですよね~~
URL | メグ #79D/WHSg | 2011/02/09 23:26 | edit
たーちゃんさん
こんばんは。
コメントありがとうございます。
明日香村へ行きたいなあと思っていたところ、ちょうど現説の案内をいただいたので、うれしく行ってきました。
ゆっくり見せていただけて、楽しかったですよ。
苑池公園化はまだ土地の買収段階のようで、だいぶかかりそうですね。
URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/02/08 22:26 | edit
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