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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

山尾家住宅 

5月15日、「今井町並み散歩」で。

称念寺の障壁画を見学後、賑わいを楽しみながら重文の家々を見て回った

今井町ではいちばん北の「北尊坊通り」にある「山尾家住宅」。



なぜか、誰も入ろうとしないで素通り。
重文ではなく県指定文化財で、ここだけ入館料(400円)が必要なせいかな?

「失礼しま~す」
身体を折るようにして玄関をくぐる。
し~んと静かな家の中は、先ほどから見てきた重文の家とは雰囲気がまるでちがう。
重文の家屋は、たしかに文化財的価値の高さはわかったが、生活のにおいはなかったのだ。

見学者は次々にどかどかと踏み入って、無遠慮に眺め回す、ま、いわば、博物館的な存在だったと思う。

だが、山尾家は違っていた。
入ったとたん、そこに日々の暮らしが感じられた。
「えっ、上がらせてもらっていいんですか」という感じ。
子どもの頃に、親戚のお家を訪ねたことを思い出すような懐かしさもある。


山尾家の屋号は「新堂屋」。幕末に町年寄を務めた大商家だという。
地下には石の蔵があって金庫として使われていたとのこと。
竹筒を通して、地下の壺の中にどんどんお金を流し込んでいたそうな。
地下は湿気も多くお金にカビがつくそうで、時にはお金の虫干しをした、とか。

こんな歌が伝わっている。
今井新堂屋 大金持ちや 金の虫干し玄関まで
今井新堂屋 大金持ちや 金の光で灯がともる


蔵の1つが「今井まち衆博物館」として公開されている。



明治天皇が称念寺に泊まられた際、勅使の三条実美(さねとみ)と桂小五郎(木戸孝允)は山尾家に投宿、ゆかりの豪華な品々をはじめ、江戸から昭和初期までの民具なども並べられていた。




朝から夢中で動いていたワタクシ、山尾家の静かさの中でやっと我に返った。と、何だか疲れたような…^^;

そういや、朝一番で家を出てから、橿原考古学研究所附属博物館を見て、今井町まで歩いて、興味のおもむくままにあちこちウロウロ。食べようと思っていた茶粥が売り切れで昼食にもありつけていないことを思い出した。そのとたんどっと疲労感を覚えて、もうアカン、ちょっとゆっくりした~い。

幸い、山尾家ではお抹茶をいただくことができた(500円)。

案内されたのは、なんと上段の間。冗談ではありませぬゾ。



通行止って書いてあるでしょう。お茶をいただくと通れるんですよねicon22
手前が山の間、向かって右が鳥の間。左は桂小五郎が泊まられた松の間。


お茶は松の間で。



1人きりで、こんなお部屋で、静かにお茶をいただく、ぜいたく…

やっと疲れもとれてきたような気がして、お部屋を眺めると、これが何とも豪華!

襖絵は狩野派の手によるもの。二条城の襖絵と共通しているという。




欄間など細部の意匠も凝った造り




桂小五郎直筆の書



「人在春風忘喜愠」か。
「人春風在りて喜愠を忘る」?

愠(うん)は調べてみると、憤りや恨みの意味。
山尾家で春風のようなあたたかいおもてなしを受けて、ちっぽけな喜怒哀楽の感情など忘れてしまうなあ。ああなんて穏やかでのびのびした気分であることよ。

あ、これはかぎろひ流解釈につき、間違っていたらごめんなさい。


ワタクシは、この部屋と、この静かさと、放っておかれることが、それだけで最大級の“おもてなし”と感じいって、ひとときをゆったり過ごさせていただいた。

寝転がりたい気持ちを抑えながら(笑)くつろいでいると、外から声が聞こえてきた。
「さぁさぁ、もうすぐ茶行列が通りますよぉ」

あ、あ、見なくちゃ。
あわてて、外へ飛び出したのであった。

この後は→こちら



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明治天皇が称念寺で、桂小五郎らが山尾家で宿泊した翌未明、明治10年(1877)2月12日、大事件の一報が入る。西郷隆盛が九州で反乱を起こした西南戦争の始まりであった。

あわてて、京都御所へ引き揚げられたという。
急なことで馬の用意ができず、特急人力車を走らせたのだと、以前、称念寺の先代住職、故今井博道師に教えてもらった。

このわずか3か月余り後(明治10年5月26日)、桂小五郎は京都で亡くなっていることを、先ほど調べていて知った。
今井町へ来た頃は満身創痍だったようで、歯痛、胸痛、偏頭痛、精神的にも病んでいたという説もある。

こういうことを知ってから、もう一度「人在春風忘喜愠」を見ると、また違った味わいがある。
山尾家での歓待は、桂にとって、よほど気持ちの休まる思いがしたのではないだろうか。

またそれだけに、その直後に聞いた西郷隆盛反乱の一報が、どれだけの衝撃を与えたか、想像にあまりある。

※桂小五郎は死の間際(明治10年5月6日)まで日記をつけている(『木戸孝允日記』)。“記事が詳密で感情の起伏が表明されている”と『国史大辞典』にある。機会があれば読んでみたいと思う。

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Posted on 2011/05/31 Tue. 10:27 [edit]

category: 橿原市

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コメント

 

なむさいじょうさん
おはようございます。
明治天皇が称念寺で宿泊されたことは、大きな石碑が立っているのでわかるのですが、木戸孝允のことは山尾家へ行かないとわからないかも。
それに、今回ちょっと調べてみても、明治天皇が今井町に泊まられたことさえ歴史的には書かれていません(T_T)
京都へ行かれたことがわかる程度。
今井町で西南戦争の第一報を聞くなんて、ドラマになりそうなんですけど。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/06/01 06:58 | edit

 

円亀山人さん
おはようございます。
ご丁寧にありがとうございました。
メールも拝受しております。
今度、今井町へ行ったら、地元の方にもお聞きしてみます。
この前、以前、お世話になっていたお店を訪ねたら、お休みだったのです。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/06/01 06:45 | edit

 

こんばんは!
へぇ~、木戸孝允が今井町に来ていたんですね。
初耳です。
たしか45歳という若さで亡くなった。
幕末がマイブームだったころ(今もプチブームですが)、山口市にある木戸神社に行きました。
祭神はもちろん木戸孝允公。
文武両道の神様になってます。
今井町に行ったら、山尾家に行かねば!!

URL | なむさいじょう #79D/WHSg | 2011/06/01 00:07 | edit

 

メールチェック、ありがとうございました。
お手数かけますが、どうぞ、よろしく。
金毘羅さんゆかりのお店、もう閉店したのかも
知れませんね。ごく普通の今井町らしいたたずまいの
民家でした。残念です。

URL | 円亀山人 #79D/WHSg | 2011/05/31 22:08 | edit

 

円亀山人さま
こんばんは
申しわけありません。
先ほどヤフーメールをチェックして知りました。
ありがとうございます。
明日、お二人の方にお送りさせていただきます。
「讃岐うどん」のお店、探したのですが、見つけられませんでした。
もう一筋北の通りも歩いたのですが。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/05/31 21:45 | edit

 

この家、上がったことのあるような、だが少し違うような。
なにしろ今井町の旧家ってみな似通っているので・・・。
「讃岐うどん」を提供していたお家もこんな感じで、立派な
打掛けを座敷に飾っていました。残念ながら名前を失念。
もう一筋北の通りだったかも?
ところで、昨日、「かぎろひの大和路」誌を友人に送って下さい
とのメールを入れたのですが、届いているでしょうか?
ヤフーの方です。

URL | 円亀山人 #79D/WHSg | 2011/05/31 21:12 | edit

 

らん♪ちゃん
こんばんは。
ひそかに書いた追記まで読んでくださってありがとうございます。
歯痛には私も苦笑しました…(-_-)
先ほど、記事にちょっと付け足しましたが、死の間際まで克明な日記を書いていたようなので、読んでみたくなりました。
今井町に宿泊したことも書いてあるのかなあ。
木戸孝允年表などを見ても全く出てこないので、もしかしたらこのあたりの記述はないのかもしれません。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/05/31 21:12 | edit

 

こんばんわ!
>竹筒を通して、地下の壺の中にどんどんお金を流し込んでいたそうな。
な・な・なんて!!
そんな・・・ビックリな時代です^_^;
>人在春風忘喜愠
人の温かさに触れた小五郎さん、つかの間の安らぎを
この家ですごしたんでしょうか?
・・歯痛・・・に思わず微笑んでしまいましたけど・・
そういえばつい最近、そんな方がいらっしゃったような(^^)v

URL | らん♪ #79D/WHSg | 2011/05/31 17:27 | edit

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