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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

堂ノ後古墳 

「三輪そうめん山本」本社(桜井市箸中)に、纏向遺跡の発掘調査展示コーナーがあるのをご存じですか。



入ってすぐ、販売フロアの一画



ちょっとだけやん、と侮ってはいけませんよ。
実物の出土品などが展示され、桜井市埋蔵文化財センターがきっちり管理されています。
いわば、桜井市埋蔵文化財センターの出張展示コーナー。

三輪そうめん山本は、箸墓古墳のすぐ西にあります(展示写真に加筆)。




社屋新築の際の発掘調査でもいろいろなものが出土しました。
長らくそれを展示されていたのですが、先日(9月9日)お訪ねすると、「堂ノ後(どうのうしろ)古墳」に変わっていました。

纏向遺跡第164次調査=堂の後古墳の調査



堂の後古墳はホケノ山古墳(3世紀中頃)の西側にあり、一時はホケノ山古墳より古い!? 日本最古か!? と騒がれたこともありましたが、その後の調査(出土土器など)で、5世紀後半と落ち着いているようです。


↓堂ノ後古墳(展示写真から)




↓ワタクシも今年1月に撮っていました(ホケノ山古墳から)。右に箸墓、左手は国津神社。ずっと向こうの中央、小さな三角は耳成山ですね。その後ろが金剛・葛城(2011年1月29日撮影)。



このあたりは、何度歩いてもワクワクするエリアですねbikkuri-01
おっと、国津神社の興味深いお話もまだでした。そのうちにレポートお届けしまーす。


↓展示されている出土物






鶏形が目を引きますね。アップにしてみましょう。




↓出土状況(展示写真から)




纏向あたりへ行かれたら立ち寄られてはいかがでしょうか。

←おそうめんをいただくこともできますよ。

※三輪そうめん山本
〒633-0072 奈良県桜井市箸中880 
営業時間:9:00~17:00 tel.0744-43-6661 fax.0744-43-6666
http://www.miwayama.co.jp/



大きな地図で見る


そうそう、10月から、そうめん延ばし体験が本社で始まります。
始まってからまた取材させていただく予定です。

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Posted on 2011/09/14 Wed. 19:45 [edit]

category: 発掘情報・古墳

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コメント

 

円亀山人さん
こんばんは
ちょっと手が出ませんよね。
どんな本なのか、今度、図書館ででも探してみます。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/09/16 21:02 | edit

 

59800円ですか! 高っ!
初版は何部出したのでしょうか?(定価はもっと安かったかも)、
今や研究者ならともかく、素人には手が出ないですね。
昔、職場に全国の大字、小字まで載っている分厚い本が、それも
分冊で常設していました。職業柄、どうしても必要なものでしたが、
目ん玉が飛び出るような値段でしたよ。

URL | 円亀山人 #79D/WHSg | 2011/09/16 14:29 | edit

 

円亀山人さん
こんにちは
『大和国条里復原図』の情報ありがとうございます。
アマゾンにあったのですが、59800円の値段がついていました。古本のみで、どうやら値段が上がっているように思われます。
欲しいのですが、すぐには買えない(汗)
リンネさんは、これを持ってはるのですね。すごい!!

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/09/16 11:54 | edit

 

リンネさん、かぎろひさん、
出典が「大和の小字地図」なのかどうかは不明ですが、確かに
大和のような古代からの伝承や言い伝えが大切な地域の小字は
大切にしなければと思います。それが一目でわかる地図があれ
ば、どんなに便利で研究などに役立つことか。
私の引用の前段には次のように書かれていました。
「大和国条里復原図によると、堂ノ後古墳は地名(字名)「堂ノ後」に
あります。「堂ノ後」は飛び地がありますが、西側のJRの線路近く
まで広がっています。また堂ノ後古墳墳丘の北西隅三分の一だけが
地名(字名)「長八」となっていて、「長八」はここ以外には記されて
いません。これからすると、堂ノ後古墳の主被葬者は安寧天皇であっ
て、北西の一角がナガハシ(長階局)に居た糸井媛(安寧妃)の合葬であ
ると考えられます」
なお、資料として次の書名が示されていました。
橿原考古学研究所『大和国条里復原図』(昭和55年)

URL | 円亀山人 #79D/WHSg | 2011/09/16 10:33 | edit

 

■リンネさん
おはようございます。
小字名は、ますます重要になってきますね。
大和の小字地図って、あるんですか。
ほしくなりました。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/09/16 07:12 | edit

 

■円亀山人さん
おはようございます。
ホンマツタエのご紹介をありがとうございました。
頭がついていきませんが…^^;
>シギツヒコタマデミ(安寧天皇) → デミ → デモ → ドモ 
 → ドウモ → ドウゴ → 堂ノ後古墳
ふーむ、なるほど、おもしろい!!

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/09/16 07:10 | edit

 

おはようございます。
小字地図を見ていて、堂ノ後古墳丘の北西隅三分の一だけが小字の「長八」になっておりまして「長八」って何だろう?と思っていました。
>北西の一角がナガハシ(長階局)に居た糸井媛
(安寧妃)の合葬であると考えられる。 (ナガハシ→「長八」に変化)。
なるほど
円亀山人さん ありがとうございます。
 

URL | リンネ #79D/WHSg | 2011/09/16 04:53 | edit

 

初期の天皇墓に関して、色々と検索していると面白い記事がみつかり
ました。「記紀」には書かれていないが「秀真伝(ホツマツタエ)」
に書かれている所見です。
●引っ越説(畝傍山は引っ越した)=三輪山が畝火山であった
 これに伴って、初代神武~4代徳懿天皇の墓は三輪山山麓の
 ホケノ山古墳付近から畝傍山周辺に。
 5代孝昭、6代孝安天皇の墓はホケノ山古墳付近から御所市に。
 7代孝霊天皇の墓はホケノ山古墳から王寺町に。
 8代孝元天皇の墓は纒向石塚古墳から橿原市に。それぞれ移転した
 というのです。
●塚名や地名の発音(変化)がカギのひとつ
 ホケノ山古墳のすぐ近くに「茶ノ木塚」と「堂ノ後古墳(長八塚)」
 があるが、ホツマ伝の安寧天皇の治世に語源らしい記述個所がある
 そうです。大半を略して書くと、
 「シギツヒコタマデミ(安寧天皇) → 堂ノ後古墳」となり、
「堂ノ後古墳」という名称は、国津神社の裏手という立地関係からで
はなくて、 被葬者を安寧天皇として次のような変化が考えられる。
シギツヒコタマデミ(安寧天皇) → デミ → デモ → ドモ 
 → ドウモ → ドウゴ → 堂ノ後古墳
堂ノ後古墳墳丘の北西隅三分の一だけが地名(字名)「長八」となって
いて、「長八」はここ以外には記されていない。堂ノ後古墳の主被葬
者は安寧天皇で、北西の一角がナガハシ(長階局)に居た糸井媛
(安寧妃)の合葬であると考えられる。 (ナガハシ→「長八」に変化)。
以上、どこまでが真実が不明ですが・・・。 
 
 

URL | 円亀山人 #79D/WHSg | 2011/09/15 21:11 | edit

 

白雪さん
こんばんは。
地名、字名のリンネ頼み、なんですよ。
以後、お見知りおきを!
おもむき深い字名がどんどん失われていくのはほんとに残念です。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/09/15 20:45 | edit

 

リンネさんありがとう御座いました。
字名なのは理解していたのですが、何か大きなお堂があっての字名になりますので、そこのところが知りたかったのですが、的を得たご回答をいただきK女史に成り代わりまして御礼申し上げます。重ねてありがとう御座いました。
余談ですが字名が失われるのは歴史にとって大きな損失ですね。
はたと気がつきました!これはかぎろひ様のブログでした。
よくリンネさんに振ってくださいました。お手柄で~す。
国津神社のレポート心待ちにしています。

URL | 白雪 #79D/WHSg | 2011/09/15 12:40 | edit

 

リンネさん
こんにちは。
さすが、リンネさん!!
ありがとうございました。
(白雪さん、だそうですよ。ご参考に!)
古墳の名前って、小字名で付けることが多いですよね。
国津神社が巻向川沿いに、対面するように2つ(箸中と芝)あり、それが神話とそっくりなので驚きました、という話なのですが…
芝のほうは知らなかったものですから。
古老にいろいろ教えていただきました。
早く整理しておかないと忘れそう^^;

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/09/15 11:34 | edit

 

おはようございます。
大変興味ある記事ありがとうございます。
早速、行かれたのですね。そうめん山本さん
>リンネさんの領域でしょうか。
国津神社の境内には、旧神宮寺の大日堂があったらしいので「堂」は大日堂のことかな?
堂ノ後古墳はやっぱり小字の「堂ノ後」から命名されたのでしょう。
また、箸中には堂ノ南、堂ノ前や石神などの小字がありました。
◎国津神社の興味あるお話にも興味津々!!
国津は葛、九頭、龍神とも関係があり水辺に祀られている神社が多いです。
箸中の国津神社も巻向川沿いですね。
レポート首を長くしてお待ちしています。

URL | リンネ #79D/WHSg | 2011/09/15 08:55 | edit

 

なむさいじょうさん
おはようございます。
昨日、巻向方面へ行きましたら、稲穂が少し黄色みを帯びていました。
これから、散策にいいシーズンですね。
鶏形、ほんとですね。
現代人が勝手にそう名づけているだけで、もしかしたらイタチだったりして…

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/09/15 07:11 | edit

 

白雪さん
おはようございます。
こちらこそ、おふざけの返信でたいへん失礼しました。
名は体を表すと言いますから「お堂」があったのかもしれませんね。
リンネさんの領域でしょうか。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/09/15 07:06 | edit

 

こんばんは!
> あるのをご存じですか。
ご存知なかったです。
三輪そうめん山本
食事ができるんですね。
このあたりの散策も兼ねて、訪ねたいです。
柿の葉寿司が付くのが奈良らしいですね。
鶏形の埴輪はとさかがなくて、かわいらしい耳のようなものがあるのでイタチのようにも見えますけど。。。。作った人に聞いてみないと分かりませんね。(笑)

URL | なむさいじょう #79D/WHSg | 2011/09/14 23:40 | edit

 

分け解らない質問ですみません。「堂の後古墳」とありましたので、ここで言う「堂」とは何かそのような大きなお堂があったのだろうかと思った次第です。
ややこしいことですみません。

URL | 白雪 #79D/WHSg | 2011/09/14 23:31 | edit

 

白雪さん
こんばんは
>堂とは?
どうもよくわかりませぬ。
どうしても気になります?
どうしましょ。
どうもすいません<(_ _)>

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2011/09/14 22:37 | edit

 

こんばんは。
堂とは?

URL | 白雪 #79D/WHSg | 2011/09/14 21:49 | edit

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