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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

修行僧の道 

9月21日(木)に実施する「かぎろひ歴史探訪」は天理駅から上街道(上ツ道)を歩くのですが、タイトルを「修行僧の道」としていることについて、なぜなのかわかりません、という質問がありました。

以前、「かぎろひの大和路」でも何度か取り上げていますし、歴史探訪でも1度、このブログでも書いていますので、参考にします。

かつて、奈良の「隔夜寺」(新薬師寺の北)と、長谷寺門前にあった「隔夜堂」との間を一日がかりで歩く修行僧がいました。奈良の隔夜寺を出発した僧は初瀬まで歩き、ひと晩こもって、翌朝また奈良へと歩いたとか。千日修行だったと言いますから、気の遠くなるような話ですね。

このような修行は大正時代の初め頃まで続いたそうですが、その痕跡を今回歩くコースでしのぶことができるのです。

奈良ー初瀬の中間地点が朝日寺(朝日山円通寺)で、「奈良初瀬の半ばなるかな朝日寺」と詠まれたとか。
朝日寺は明治8年(1875)廃絶しましたが、現在はその跡に「朝日観音堂」が建っています。

230913朝日観音堂


この裏にある聖観音石仏も、天文23年(1554)に隔夜僧覚円が刻んだとわかるようです。

230913聖観音石仏


心ひかれるお顔で、「かぎろひの大和路」の表紙に登場いただいたことがあります。

2309かぎろひ


また、これよりもう少し天理駅寄りにある浄国寺には、隔夜僧の一千三百日結願の碑が建っています。

230913浄国寺2

「奈良長谷寺各夜一千三百日結願、山城相楽 沙門順」という天文5年(1536)の銘があるようです。


浄国寺の山門は、明治に廃絶したあの内山永久寺のものだとか。

230913浄国寺山門


内側から

230913浄国寺山門2


珍しい駕籠は

230913駕籠

以前のブログに永久寺山主の用いた駕籠なども興味津々。と書いてありました(笑)⇒

旧かぎろい誌を引っ張り出したら、昭和58年(1985)の号に、隔夜僧について書かれた記事を見つけました。筆者は梶正巳先生。

2309生活と風習と

これによると、隔夜僧は奈良ー初瀬だけではなく、河内の叡福寺の隔夜堂もめぐっていたようです。
装束は、
白いキャハンに白い衣を身につけ、その上に黒衣をまとい、ハスの花笠をかぶって、胸に鉦をさげ、それをたたきながら歩いたという。

と書かれています。

また、「隔夜」という言葉の初見の文献は、『太平記』だそうです。『多門院日記』には「ナラ、ハセの隔夜する法師」のことが書かれているという文章もありました。

そうして、
私はふと隔夜聖のような人々が、本当の日本の歴史を伝えていったのではないかと考える。忘れ去られようとする語り伝えの文化をもっと大事にしなければならない気がする。
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Posted on 2023/09/16 Sat. 14:24 [edit]

category: かぎろひ歴史探訪

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