かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
池田源太先生の思い出
『古文化随考』について触れたので(⇒★)、著者の池田源太先生について、ワタクシの知る範囲のことを記しておきたい。
池田源太先生⇒★
奈良の出版社に勤めていた頃(かれこれ40年前)、源太先生は月刊誌に「古文化ノート」をシリーズ掲載されていた。
池田先生って、他にもいらっしゃったので(末則先生とか)、いつもフルネームか源太先生とお呼びしていたように思う。
コナベ古墳そばのご自宅に原稿をいただきに上がったこともあるが、ほとんどは先生ご自身が編集室まで足を運ばれた。それも、締切日きっかりその日。それより早かったことも遅かったこともない。ワタクシ先生のファンだったので、今日は来られる日やなと毎月楽しみにしていた。
ひょうひょうとした姿が思い出される。
調べてみると、先生は明治32年(1899)のお生まれだから、あの頃、80歳を過ぎていたようだ。
誠実で穏やかな雰囲気がお顔にも挙措にも漂っていた。
初めてお会いしたとき、ワタクシの名前を聞いて「九州系ですね」とおっしゃったのも記憶に残っている。
突然、社を辞めようとしたとき、それを知った源太先生は喫茶店に誘ってくださった。
先生は、辞める理由など聞かずに、「次の勤務先が決まっていないのなら、知り合いに社長さんが何人もいるから、頼むことはできる」とおっしゃってくださったのだった。いつも物静かで学究的な源太先生が心配してくれていることに驚き、感謝感激したのはいうまでもない。
確かに、路頭に迷う身ではあったが、丁重にお断りすることに。
というのも、近い将来、奈良で雑誌を発行したいという夢をもっていたので、ここで会社に入ってしまうと、動けなくなるでしょ。先生も理解してくださったのだった。
そうして、豊住書店さんでアルバイトをするという流れに(笑)。もしかしたら、源太先生からもおじいちゃん(先代の豊住書店店主、謹一さん)に頼んでくださったのかもしれない。
その数年後、ようやく自分たちで発行した小冊子に、源太先生、登場(1984)。

↑右の写真は小林道夫氏、文章は龍センセ、左の写真はワタクシが担当
当時、先生は若い研究者たちにご自宅を開放されていて、多くのお弟子さんをもっていらっしゃった。「歴史は人間学」という西田直二郎先生(京都大学)から受け継いだ源太先生の研究は今、孫弟子、孫孫弟子さん? へと流れているのだろう。
池田源太先生は27年前に96歳で天寿を全うされたようである。
図書館で、奈良県史や市町村史などでそのお名前に出あうことも多い。
池田源太先生⇒★
奈良の出版社に勤めていた頃(かれこれ40年前)、源太先生は月刊誌に「古文化ノート」をシリーズ掲載されていた。
池田先生って、他にもいらっしゃったので(末則先生とか)、いつもフルネームか源太先生とお呼びしていたように思う。
コナベ古墳そばのご自宅に原稿をいただきに上がったこともあるが、ほとんどは先生ご自身が編集室まで足を運ばれた。それも、締切日きっかりその日。それより早かったことも遅かったこともない。ワタクシ先生のファンだったので、今日は来られる日やなと毎月楽しみにしていた。
ひょうひょうとした姿が思い出される。
調べてみると、先生は明治32年(1899)のお生まれだから、あの頃、80歳を過ぎていたようだ。
誠実で穏やかな雰囲気がお顔にも挙措にも漂っていた。
初めてお会いしたとき、ワタクシの名前を聞いて「九州系ですね」とおっしゃったのも記憶に残っている。
突然、社を辞めようとしたとき、それを知った源太先生は喫茶店に誘ってくださった。
先生は、辞める理由など聞かずに、「次の勤務先が決まっていないのなら、知り合いに社長さんが何人もいるから、頼むことはできる」とおっしゃってくださったのだった。いつも物静かで学究的な源太先生が心配してくれていることに驚き、感謝感激したのはいうまでもない。
確かに、路頭に迷う身ではあったが、丁重にお断りすることに。
というのも、近い将来、奈良で雑誌を発行したいという夢をもっていたので、ここで会社に入ってしまうと、動けなくなるでしょ。先生も理解してくださったのだった。
そうして、豊住書店さんでアルバイトをするという流れに(笑)。もしかしたら、源太先生からもおじいちゃん(先代の豊住書店店主、謹一さん)に頼んでくださったのかもしれない。
その数年後、ようやく自分たちで発行した小冊子に、源太先生、登場(1984)。

↑右の写真は小林道夫氏、文章は龍センセ、左の写真はワタクシが担当
当時、先生は若い研究者たちにご自宅を開放されていて、多くのお弟子さんをもっていらっしゃった。「歴史は人間学」という西田直二郎先生(京都大学)から受け継いだ源太先生の研究は今、孫弟子、孫孫弟子さん? へと流れているのだろう。
池田源太先生は27年前に96歳で天寿を全うされたようである。
図書館で、奈良県史や市町村史などでそのお名前に出あうことも多い。
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