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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

人間が幸福であること 

2101人間が幸福であること


辻邦生の小説やエッセイから一部の章句を抜粋した、この本のことは出版当時から知っていたのだけれど、あえて求めなかった。長編小説やエッセイから一部の言葉を切り取ることに抵抗があったし、たいていの小説やエッセイは持っているので、いつだって読める。それに、しょせん、他人が選んだ言葉ではないの。ワタクシにはワタクシの心にひびくフレーズがあるのよ。

という、ちょっと向こうを張るような気持だったカナ^^;

出版されたのは平成7年(1995)。

先ごろ、amazonで、絶版のはずのこの本が古書として出されているのに気づいた。
なんと50円(送料300円)。かわいそうになって、思わずポチッ。

開いてみると、「はじめに」に辻さんの文章があるし、目次についても辻さんならではのこだわりの跡が見える。
そうだったのかー。実際に本を手に取って判断せず、思いこみだけでやめたことを反省。そうよね、辻さんが編集部だけに任せて知らん顔をするはずがないのだ。


編集部が抜粋した原稿を見た辻さんは考える。
文学は哲学や宗教と異なるということだった。つまり文学は思想だけではなく、書かれた内容が映像となって、想像以上の拡がりを持つということだった。また、文章の一部を抜き出すと、全体のコンテクストから読まれるものが、その連動性を失って、別のニュアンスを帯びることがある。

この二つの点に気づいたので、私は、編集部が作成したタイトルに対応して、詩的な映像をふくらますためのサブ・タイトルを付けることにした。たとえば「瞬間瞬間を楽しみ切る」に対して「散りゆく桜のように」と言った具合に。しかしこれはその章節が詩的イメージについて書かれているのではなく、あくまでタイトルが人生論に片寄った色彩を帯びないための照明なのである。「幸福」とか「すばらしさ」とかいう語だけでは、困難な問題と正面からぶつかることを避けるeuphorie(多幸症)的な態度と誤解されるおそれがあるからだ。



目次を見ているだけで楽しい。

2101もくじ
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せっかくなので、いくつかの章句をご紹介。

知る行為は、対立したものを解消してゆく行為だ。

〈時が逝く〉ゆえに、ぼくらの魂は目ざめ、魂の領域の仕事が始まるのだ。その意味で〈時が逝く〉ことを深く思いみることーその痛切な思いに刺し貫かれることーが、魂にとって、もっとも創造的になることなのだ。
 ぼくらはこうして〈時の終り〉へ旅をしているのだ。それはただ虚無へむかっての旅ではない。ぼくらが〈時の終り〉へむかうのは、ただそれだけがぼくらを真の意味で創造的にし、生産的にするからだ。


●…でも、ほんとうは、人生に何か曲り角のようなものがあって、そこで左右にわかれたのではなくて、日々刻々、私たちは変化しているのね。日々刻々、運命の岐れ道に立たされ、その一つをえらんでいるのね。

自分に合ったものしか受け入れられず、合わないものに適合できなくなってゆくのは、老化の兆候である。若いときはどんなものにも適応してゆけるものだ。老人が保守的になるのは当然だ。彼らは慣れたものが心地いいのだ。変化を嫌うのだ。だが、ぼくにいま必要なのは、この変化に適合してゆく柔軟な能力だ。そのしなやかさがなければ、これからあとの仕事が豊かに独創的に生れて来まい。



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Posted on 2021/01/20 Wed. 10:04 [edit]

category: 辻邦生

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