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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

興福寺鐘楼の発掘調査 現地見学会 

9月28日(月)に実施された、興福寺鐘楼の発掘調査現地見学会に行ってまいりました。

200928鐘楼発掘調査資料


場所は↓(クリックで拡大します。赤丸の部分が鐘楼のあった所)

200928地図

中金堂の西になります。

200928中金堂


調査前から、この場所の地表には礎石の上のほうが露出していたとか。
立派な礎石が残っていました。

200928礎石
↑北から


↓東から

200928東から
↑向こうは北円堂


礎石は9基、長径1~1.9m。創建当初の位置そのままとみられています。


鐘楼の創建ははっきりしないようですが、『興福寺流記』などから、700年代中頃(天平宝字年間)には建てられていたとわかるそうです。
その後、8回も火災に遭い、享保2年(1717)に焼失してから再建されることはありませんでした。


今回、もっとも注目されたのは、鐘楼が「袴腰(はかまごし」)という様式をもっていることがわかった点でしょうか。
袴腰とは、鐘楼の下のほうに、裾拡がりの覆いを施す様式で、奈良県内にもいくつもありますよね。
すぐに思い浮かぶだけでも、法華寺、西大寺、霊山寺、…、あっ、最近訪ねたところでは當麻寺!

2009当麻寺鐘楼

なぜ、センセーショナルに報道されたかというと、袴腰の鐘楼は平安時代後期以降によく見られるもので、これまで、法隆寺の東院のもの(1163年建立)が最古だとされていました。

今回の発見で、袴腰をもつ鐘楼が奈良時代にさかのぼる可能性が出てきたというわけです。


また、『興福寺流記』には、鐘楼の規模について二通りの記述があり、謎とされてきましたが、どうやら、大きなサイズは袴腰の下端を示しているのだろうと解釈できるようになったのだそうです。

発掘することによって、謎が解けていく例ですね。わかったときはすっきりして、快哉を叫んだのではないでしょうか。

200928袴腰基礎の抜取り溝2




遺構平面図

200928平面図


8回も火災に遭ったわけですが、その痕跡も。

200928被熱痕跡をとどめる羽目石

今回の配布資料はA4サイズ裏表でした。
↑トップの写真は表

↓裏面(クリックで拡大)
200928資料裏面


今回の記事は、記者発表資料も参考にさせていただきました。⇒こちらから

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Posted on 2020/09/29 Tue. 11:47 [edit]

category: 発掘情報・古墳

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