かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
興福寺東円堂跡のナラノヤエザクラ開花
本日(4月30日)、朝6時過ぎからナラノヤエザクラを見て回りました。
転害門東⇒戒壇堂⇒東大寺東塔跡⇒みとりい池園地⇒興福寺東円堂跡⇒文化会館前⇒興福寺境内
どこのナラノヤエザクラも可憐にけなげに咲いていましたよ。
順番に紹介したいところですが、まずは、いちばんうれしかった東円堂跡のナラノヤエザクラ。
枯死してしまった木に代わり、昨年、植えられたばかりの幼木です。
2019.2.14 植樹式⇒★
同年4月20日にはNo.1のプレートを付けました⇒★
20日時点では開花は見られませんでしたが、その後はどうだったのでしょうか?
不覚にも確認しませんでした^^;
今年も気になっていたのです。まだまだ幼い、か細い木ですからね。
全体としてはこんな感じですが

よく見ると、あっ、咲いてる~♪

あどけない少女のような風情です。

平安時代末期、お公家さんで仏教学者でもあった大江親通(ちかみち)は、東円堂の所まで来て、あの有名な奈良の都の八重桜はまだ咲いていなかった、と『七大寺巡礼私記』に書いています。七大寺を回り記録したこの書は、現代でも資料的価値が高いと評されますが、ナラノヤエザクラのことにも触れているところをみると、よほど有名だったようですね。
八角堂、南向き、とありますが、室町時代に焼失し、再建されなかったようです。江戸時代の『大和名所図会』には、基壇が描かれ八重桜も登場しています。
東円堂跡に同種の桜が、時代を越えて植え継がれていると考えるだけで、何だかしみじみしてしまいます。あれから、何代目のナラノヤエザクラになるのでしょうか。
転害門東⇒戒壇堂⇒東大寺東塔跡⇒みとりい池園地⇒興福寺東円堂跡⇒文化会館前⇒興福寺境内
どこのナラノヤエザクラも可憐にけなげに咲いていましたよ。
順番に紹介したいところですが、まずは、いちばんうれしかった東円堂跡のナラノヤエザクラ。
枯死してしまった木に代わり、昨年、植えられたばかりの幼木です。
2019.2.14 植樹式⇒★
同年4月20日にはNo.1のプレートを付けました⇒★
20日時点では開花は見られませんでしたが、その後はどうだったのでしょうか?
不覚にも確認しませんでした^^;
今年も気になっていたのです。まだまだ幼い、か細い木ですからね。
全体としてはこんな感じですが

よく見ると、あっ、咲いてる~♪

あどけない少女のような風情です。

平安時代末期、お公家さんで仏教学者でもあった大江親通(ちかみち)は、東円堂の所まで来て、あの有名な奈良の都の八重桜はまだ咲いていなかった、と『七大寺巡礼私記』に書いています。七大寺を回り記録したこの書は、現代でも資料的価値が高いと評されますが、ナラノヤエザクラのことにも触れているところをみると、よほど有名だったようですね。
八角堂、南向き、とありますが、室町時代に焼失し、再建されなかったようです。江戸時代の『大和名所図会』には、基壇が描かれ八重桜も登場しています。
東円堂跡に同種の桜が、時代を越えて植え継がれていると考えるだけで、何だかしみじみしてしまいます。あれから、何代目のナラノヤエザクラになるのでしょうか。
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