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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

森鷗外記念館 

10日間ほど東京に滞在されていた円亀山人さんから、封書が届きました。

円亀山人さんは『かぎろひの大和路』の古くからの読者で、かぎろひ掲示板の常連さんでもあります。

今どき、あのスタイルの掲示板が機能しているのは稀有、という賛辞(ですよね)をよくいただくのですが、牽引してくださっている中心的人物が円亀山人さんなのです。

封をとくと、森鷗外記念館のしおり、絵はがき、一筆箋などと丁寧なお手紙が入っていました。

森鷗外記念館は、この11月1日にオープンしたばかりなのですね。
もと、鷗外の旧居「観潮楼」跡地に開館したのだそうです。



森鷗外は奈良にもゆかりのある文豪。
大正6年、帝室博物館の総長に任命され、大正7年から10年まで、奈良に訪れて正倉院の開封に立ちあっています。

奈良国立博物館の東北隅には「鷗外の門」が。





←宿舎がこのあたりにあったとか。詳しくはクリックしてどうぞ。




森鷗外はほぼ同じ年代を生きた文豪、夏目漱石に比べて、どこか親しみにくい気がしてしまいます。
『坊っちゃん』『吾輩は猫である』『こゝろ』などは中学時代でもすうっと読めたのに、森鷗外は文語調で読みづらかったものです。

高校の教科書で『舞姫』を読んだときは、それはもうショックでしたね。
なにせ、(作者を思わせる)エリート主人公が、ドイツ留学で親しくなった女性を捨てて帰国するというお話でした。
それも、貧しい踊り子、すでに身ごもっていて、果ては精神を病む、そんな女性を見放すのです。

純情で正義感の強い高校生にとってはかなりショッキングな内容で、現国の授業中、クラスで熱い討論会になったことを思い出します。

ワタクシもひたすら主人公を許せないだけのあの頃でした。今はもう少し大きな視野で見られるような気がするのですが、はて…^^;


そんな鷗外のイメージとは違って、素顔は子煩悩なオヤジだったとか。そういったことも、この鷗外記念館ではうかがい知ることができるようです。

円亀山人さんのお手紙は、一編の上質なエッセーに仕上がっていて味わい深く、ワタクシ、最後には泣きそうになって…。また、鷗外と奈良との関わりに焦点を当ててくださっているのも、奈良好きなワタクシへのご配慮だと思いました。

ワタクシひとりのものにしておくのは惜しいと思われますので、ご紹介させていただきます。

          (↓チラシから)





↓以下、円亀さんからのお手紙です(本文は段落下げがありますが、こちらではなくしました)。

……
今年11月1日に新築開館したばかりの「文京区立 森鷗外記念館」を中心に、千駄木・根津を散策したときの記念を、ささやかですが同封しました。単に宣伝パンフだけですが、他に売店で鷗外が亡くなる直前の大正11年5月5日に次女・杏奴(あんぬ)に届けた奈良便りのレプリカが面白かったのでお届けします。

「アンヌにとらせたい正倉院の中のゲンゲ」という短文に本物の「れんげ草」を押し花にして添えている何気なさがいい。本物のゲンゲの押し花書簡は展示室にありました。
また、1918年に同様に奈良から杏奴に出した葉書には鹿の頭部(角を中心とした)の簡単なスケッチが描かれており、鷗外の子煩悩ぶりが微笑ましく思われました。

優れた文学者でありながら、軍医として日清、日露の戦役に従軍し、また陸軍軍医学校長、陸軍軍医総監、陸軍省医務局長を歴任した強面のイメージが一方にあるので、展示物などに感じる家庭人としての鷗外の意外な一面にであうことができて、認識を新たにしています。

結婚でさえ天皇の許可が必要だった立場ですから、医者としての自主的な研究には不自由さを感じつつ、命じられたドイツ留学、帰朝後の外国医学書の翻訳紹介に精を出しています。
だから本当に自分らしい文学が書けたのは意外に短い期間だったようです。


「人生にはどうしようもないこともあるのだと半分意識しながら生きていくと、少し楽な気持ちで人生を眺められるかもしれません。その意味で、鷗外の小説には、彼の人間に対する繊細で、知的で、優しいまなざしが含まれていると思います。」
(作家・平野啓一郎さんのことば)


お話しが横道にそれましたが、鷗外は晩年の数年間は毎年、奈良へ出張しています。
大正5年に退職し、翌年から帝室博物館総長兼図書領となり、上野や奈良の正倉院の管理にも責任があったからです。正倉院の曝涼には監督官として立ち会っていたのですね。

記念館は、東京メトロ「千駄木駅」からすぐの団子坂上の旧居(亡くなるまでの30年間居住)の「観潮楼」跡地に鉄筋コンクリートで新築されています。
昔は木造の2階から東京湾が一望できたそうですから、何かそぐわない建物ですが仕方がないですね。ここは石川啄木、斎藤茂吉、与謝野寛、永井荷風など、物凄いメンバーが集う文学サロンだったそうで、記念館の別の出入口のある「藪下通り」は永井荷風の「日和下駄」に出てくるゆかりの坂道です。

私は荷風が愛した趣のある石垣をしみじみ眺めつつ、坂をくだり「根津神社」へ向かい、最後は弥生坂の「弥生式土器発掘ゆかりの地碑」まで歩きました。

途中、岩田専太郎館、夏目漱石旧居、林芙美子旧居、サトウハチロー、佐藤紅緑旧居等々が点在していますがすべてパス。大正の風格あふれる木造の「根津教会」だけは写真に収めてきました。

地域雑誌「谷中・根津・千駄木(谷根千)」の編集発行で知られる、森まゆみさんの名著『鷗外の坂』(中公文庫)を片手に、この下町と山の手が混在している土地は、これからも機会あるごとに(体力があればの話ですが)歩いてみたい処です。


「鷗外の足跡を追うとき、あまりに多くの坂を上り降りせざるを得ないのに気づいた。
団子坂はもとより、三崎坂、三浦坂、S字坂、無縁坂、芋坂、暗闇坂・・・。
いろんな向きと幅と角度の坂があり、風に向かって登ることも、夕陽をあたたかく背にうけて降りることもあった。」

「それは巨人の胸を借りるような仕業であって、私はしばしば自分の非力さに立往生した。それでもわたくしはわたくしの杯で戴きますというしかない。そして小さい杯で汲んだ水が私の生活をいかに潤したか、とうてい量ることはできない。」
『鴎外の坂』「はじめに」より


最後の「わたくしはわたくしの杯で戴きます」、「小さい杯で汲んだ水が私の生活をいかに潤したか」が、強い実感をもって迫ってきます。
小さい杯で戴く水はお酒かもしれず、ふと、失礼ながら「かぎろひ」様の編集者としてのご苦労と喜びを重ね合わせてしまうのでした。



文京区立 森鷗外記念館

東京都文京区千駄木1-23-4
TEL:03-3824-5511

開館記念特別展
「150年目の鷗外ー観潮楼からはじまる」

2013年1月20日(日)まで

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Posted on 2012/12/12 Wed. 08:01 [edit]

category: 耳より情報

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コメント

 

円亀山人さん
こんばんは!
お気遣いありがとうございます。
がんばりたいと思いまーす。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2012/12/14 22:14 | edit

 

かぎろひ様
気にしない! きにしない! キニシナイ!
だーれも気にしていない!!
でも、待っている!!!

URL | 円亀山人 #79D/WHSg | 2012/12/14 15:03 | edit

 

円亀山人さん
おはようございます。
ご丁寧にありがとうございます。
お察しのとおり、白雪さんもなむ隊長も、かぎろひ誌をご愛読いただいております。白雪さんにいたっては、PR部長の感がありまして、はるばる郷里の安来までご持参いただいたり、バックナンバーのご注文もよく承っております。感謝、感謝。
できましたら、おふたりにも、掲示板仲間にお入りいただきたいぐらいなのですけどね。
ブログを始めたことによって、新たな輪と広がりが実感できて、うれしい限りです。
それなのに、この遅れはどうしたことだ…^^;

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2012/12/14 07:22 | edit

 

なむ隊長さん(つい気易くゴメンナサイ)、身に余る光栄です。
それにしても「三鷹と津和野の両地にある鴎外の墓」をお参りとは、
スゴイです。いわゆる「掃苔」というやつですね。私も若い時には元気に
まかせて文人の墓地を捜して回った経験があります。島根西部では、
石見という地域になるのか(石見空港があった)益田市もいい所ですね。
それと松江で昼時に「昼こそ五勺の食前酒」という看板につられて入った
「そば処」の記憶が忘れられません。あんなに美味いと感じた日本酒は、
初めてでした。たった五勺で体も心もぽかぽかでした。
YoungJIIJIさん
東京新聞の号外に文京区長と津和野町長の「鴎外サミット」対談が
載っていました。相互協力協定を結んだそうです。
また、改めてご紹介します。今後、色々と教えてくださいね。
よろしく。

URL | 円亀山人 #79D/WHSg | 2012/12/13 17:05 | edit

 

YoungJIIJIさん
おはようございます!
白雪さんのユーモアは、皆さんに浸透していることを実感しましたよ。
思わず、アハハ、が多いですもんね。ありがとうございます。
>同県人でも西と東です。同じように月とすっぽんです。
西と東なら、月と日でしょう。ん? 日と月か? いや、月とかぎろひ、だわ。ナンノコッチャ^^;
いずれにしても、島根県人、偉人が多いです~

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2012/12/13 08:04 | edit

 

こんばんは。
再登場のYoungJIIJIです。
なむ隊長がお書きになっています森さんの(知り合いではありません)遺言の言葉、「石見人 森 林太郎トシテ 死セント欲ス」は以前の田舎ではかなり教育の言葉として教えられました。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と同じような意味だと思います。
私の好きな言葉です。なむ隊長紹介していただきありがとうございます。
この場をお借りしてお礼を申します。
かぎろひ様すみません。お邪魔しました。
すっきりしたところで、オヤスミナサイ。
円亀山人さんにお礼の一言もこの場をお借りして。
お褒めいただき(?)ありがとうございます。同県人でも西と東です。同じように月とすっぽんです。

URL | 白雪 #79D/WHSg | 2012/12/12 23:55 | edit

 

なむ隊長^^ゞ
こんばんは!
お疲れさまです~
ハードルが高いとおっしゃりながら、お墓参りされているのはスゴイです。
私も鴎外さんを敬遠しつつ、この歳になってしまいました。
上京したアカツキには、ぜひともこの鴎外記念館へ行って、文庫本を買いたいと思います。素敵なカバーを付けてくださるようです(なんや、それか)。円亀さんが掲示板に披露してくださっていますので、よろしければご覧ください。
シンリンタロウ(笑)
近所に「谷野獣医」さんがあるのですが、つい、タニ・ヤジュウイ、と読んでしまいます^^;

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2012/12/12 23:12 | edit

 

円亀山人さん
こんばんは!
お疲れのところ、素敵な贈り物とお手紙に感動しております。
掲示板は居間とか台所、ブログは応接間、みたいな感じがありますので、私自身もなにかちょっと恥ずかしかったりします。身内を引っ張り出したような感じと言えばいいのか…読者を自慢したいというか…^^;
島根県、いろんな意味で興味シンシン。島根~山口、旅したい。
>現代語訳
そうそう、『古事記』などもさかんにされていますが、原文がずっとおもしろい。とはいえ漢字ばっかりは歯が立ちませんけど。
鴎外と漱石、ほぼ同世代ですから、やはりお互いに触発されるところはあったのでしょうね。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2012/12/12 23:01 | edit

 

こんばんは!
おお、東京にも記念館ができたのですね。
機会があれば行ってみたいです。
ワタクシにはハードルが高い作家なのですが、縁あって三鷹と津和野の両地にある鴎外の墓を訪問しています。
「石見人 森 林太郎トシテ 死セント欲ス」の遺言どおり、墓石には「森 林太郎 墓」としか書かれていません。
島根県出身の方には郷土の誇りでしょうね。
津和野に来ていた修学旅行の男子生徒が、シンリン・タロウと読んでいましたが。(笑)
円亀山人さん、ご謙遜されていますが、すばらしいお手紙を披露していただき(あ、披露したのはかぎろひさんでしたね)、ありがとうございます。

URL | なむさいじょう #79D/WHSg | 2012/12/12 21:47 | edit

 

何とも面映ゆい感じで書かずに無視しようと思いましたが、そこはそれ、
鴎外とは正反対に軽薄なワタクシ、つい手が動いてしまします。頭は何も
なく空っぽなんですが・・・。
とにかく、恥ずかしながら独立したブログのテーマに採用して頂き、感謝
いたします。
鴎外ゆかりの地は、外遊の地ドイツを含め、松本清張苦渋の小倉、そして
出身の津和野と多彩ですね。
この欄で寸鉄人を刺す鋭い感覚と、巧まざる(逆かも)ユーモアで惹きつけ
る白雪さんが同県だったとは! 
松江には小泉八雲も住んでいたし、京極家にも深いかかわりのある土地
なので不思議なご縁を感じています。
「舞姫」現代語訳も出てますが、やはり原文の味わいにはかないません。
「青年」は漱石の「三四郎」に触発された可能性があるのでは・・・。

URL | 円亀山人 #79D/WHSg | 2012/12/12 21:13 | edit

 

白雪さん
こんばんは!
そうでした! 島根県出身の偉人の1人でしたね。
子煩悩だったというのは、何だかうれしいですね。
脚気のことについてはほんとのところ、どうなんでしょね。
ともあれ、再読しなくちゃ。
はい、がんばります。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2012/12/12 19:18 | edit

 

みのさん
こんばんは!
はじめまして、でしたっけ? どこかでお会いしているような(笑)
コメントありがとうございます。
私も、漱石に比べて鴎外はとっつきにくなという感じのまま生きてきました。
でももう一度、読み直してみようと思っています。
かぎろひ掲示板へもお訪ねいただけましたらうれしく存じます。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2012/12/12 19:06 | edit

 

森林太郎鴎外・生誕150周年記念のいっかんでしょうか?
島根津和野藩の御殿医の嫡男で(殿様が亀井さん、亀井静さんではありません)軍医で小説家ですね。
津和野には生家が記念館になっていると思います。
ドイツでは漱石より文豪としては評価が高いとか?留学していたせいかも。
ただ、脚気については軍医当時かなり遅れを取ったみたいですね。
なにわとあれ県人の功績がまた評価されたことは喜ばしいことですね。
>『かぎろいの大和路』を期待しております。

URL | 白雪 #79D/WHSg | 2012/12/12 12:55 | edit

 

はじめまして、鴎外の文字に反応いたしまして、コメントさせていただきます。
実は、漱石の深いテーマに(文明論なども含み)感銘し、長年、私の愛読の書の中にありました。その漱石に対して、敷居を自分で勝手に高くしていた鴎外をこの夏、歴史小説(掃苔小説)の一部とすべての近代小説を丁寧に読み直しました。やはり、若い頃には、読み落としていた感が、あったのだと実感いたしました。
その上で、森まゆみさんの『鴎外の坂』を再読しました。鴎外作品の中に見え隠れする家庭人鴎外像に、逢ってみたい、などと思っている時期にかぎろいさんのブログに出会ったと、、
ぜひ、これを機に〜奈良と文豪〜などの『かぎろいの大和路』を期待しております。

URL | みの #79D/WHSg | 2012/12/12 10:27 | edit

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