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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

広辞苑 

先ごろ、『広辞苑』第七版が出ましたね。

インターネットの普及で辞書をひく機会は減ったし、広辞苑って一家に一冊あったらええのとちがうん? 売れるんやろか?

ご心配は無用ですぞ。

身近な人間を見て、そう思う次第でアリマス。

わが家には、というよりも、夫が「広辞苑」を第一版~五版まで持っているのです。

180123広辞苑


一年前に書いた、夫の文章からちょっと抜粋してみますと…

広辞苑

我が家には、広辞苑の第一版から五版までが揃っている。

 私は学生時代、読物がわりに一版を枕辺に置き、寝付けない夜はとりとめもなくページを繰っていた。と、城郭の[多門]という見出しがねむた目にとまった。解説に「松永久秀が近江佐和山に築いた多門山城にならった一種の築城法」とある。おやっと思った。佐和山城は石田三成じゃなかった? 
 調べてみると、佐和山城は戦国時代からあった城を石田三成が本格的な城郭建築に仕立てたとある。また、〃石田三成に過ぎたるものは、佐和山城と島左近〃とも言われるのも知っている。いずれにも松永久秀の姿は見えない。この辞典一冊だけでは、ちょっと恐いところがあるぞと思った。

 『二版』を開くと、[多門]は「城の石垣上の長屋。城壁を兼ね、兵器庫などに用いる。松永久秀が大和多門城で始めたからいう」と書き替えている。一版から二版までは十四年の歳月が経っていた。『三版』以後は二版を踏襲している。

 その後、暇な時に一から五版までを並べ読みして楽しんでいる。
 例えば[おてんば]。『一版』では「オランダ語からの外来語とする説もあるが、〃お〃を伴わぬ用例多く、信じ難い。臆面もなくはしゃぎ回る女。出過ぎた女」と、「はしゃぎ回る」とか、「出過ぎた」や「女」という言葉遣いにどこかトゲを感じさせる説明がつく。

『二版』では「オランダ語の、手に負えない意からの外来語とする説もあるが、〃てんば〃だけでも用いる」と、やや丁寧な説明となっている。しかも、一版の「はしゃぎ回る女。出過ぎた女」が姿を隠している。〃オイ、出過ぎた女とするのは、言い過ぎでないかい、活発に行動する、ぐらいでどうだろう〃という編集者の声が聞こえてきそうだ。で、説明が[女が、つつしみなく活発に行動すること。また、その女]と、なんとなく言葉のカドが削られてはいる。しかし、「女」「女」と、うるさく重出する言葉に、〃女に恨みでもあるのか〃という文句がでそうだ。三版は、二版を踏襲するが、語源説明の箇所が省かれている。

 ただ、一、二、三版の説明では、〃女はつつしみ深く、あまり活発でないもの〃とする、女性が眉を顰めかねない底意ありと、見られかねないとでも思ったか、『四版』では[女]という言葉から一歩ひいた[少女や若い娘が]に替え、「つつしみなく活発に行動すること。また、そういう女」と訂正している。使用文字数を少なくするためか、最後はまだ「女」を使っている。尻尾はとれたが、尾底骨が残っているようにも思えるが、とまれ、その後の五、六版は四版を踏襲。どうやら、一件落着というところだ。

 もう一例、奈良時代、称徳女帝の寵愛を受けて、とかくの噂をもつ弓削道鏡。
 [道鏡]『一版』では、「奈良時代の僧。河内の人。弓削氏。称徳天皇の殊寵を得て、太政大臣禅師となり、遂に法王の位を授けられて専横を極め、後、宇佐八幡の神託と称して皇位をうかがったが、和気清麻呂によって阻まれ、光仁天皇即位により、下野国薬師寺の別当に貶され、宝亀三年(七七二)配所に没」と説明。『二版』は「殊寵」の「殊」が消え、「貶され」が「左遷」と言葉ひとつ分、客観的表現になっているものの、他は『一版』を踏襲している。

 ところが『三版』になると、説明に変化が見られる。一、二版とは最初の「河内の人、…弓削氏」までは同じだが、称徳天皇との間柄について、「宮中に入り看病に功があったとして称徳天皇に信頼され、太政大臣禅師、ついで法王…」と書く。
 一、二版の「殊寵」、「寵」という、言葉が「信頼」と粘性を離れた表現になり、「皇位をうかがう」も「皇位の継承を企てた」と書き換えられている。

 今少し補足すると、道鏡は宮中の内道場の禅師となり、天平宝字六年(七六二)、近江国石山に造営された保良宮に滞在中の孝謙太上天皇(重祚して称徳女帝)が病気。これを治療平愈させ、信頼を得ている。
 これとは別にこの『三版』で大きく変わったのは、道鏡は「宇佐八幡の神託と称して皇位の継承を企てたが、藤原一族の意をうけた和気清麻呂に阻止され…」と、道鏡の野望を食い止めたのは和気清麻呂の尽忠報国の思想による行為だけではなく、藤原一族の、政敵道鏡を排除する策謀が後に控えていたことを書き加えていることだ。

 『三版』が発行されたのは昭和五十八年(一九八三)。時代を担う四十歳前後の人達は戦前戦中の歴史教育を離れた戦後生まれ。そこでは、忠臣のお手本とされてきた和気清麻呂も奈良時代末から平安時代初期に活躍した一政治家として客観視され、和気清麻呂の存在が遠のく、と同時に〃藤原氏の策謀あり〃する歴史的な認識が初めて顔をだしているのも見逃せない。『四版』以降は、この三版の説明を踏襲している。

 上の二つの例はいずれも『三、四版』で、一応の形を整えたと言えそうだ。しかし、広辞苑は文字通り、広く言葉を集めそれに説明を加えるという作業は止まるところがないらしく、『六版』になって初めて登場した見出し語も目につく。
 本棚の一隅を占めて、背文字の四角い顔に冷めたい表情を見せる「広辞苑」ではあるが、それなりに時代を映す変化と増殖がある。お前は生き物なんだなあと思わず口に出ていた。



夫は一方的に書いたので、『広辞苑』編集部に一応おことわりしておかなきゃな、という気持ちで、岩波書店へ文章を送ったのだそうな。

すると、思いがけず、辞典編集部のHさんから丁寧なお返事がきて、ビックリするやら親近感をもつやら。

平素より『広辞苑』をご愛用くださり、誠にありがたく存じます。

『広辞苑』を取りあげてくださった随筆を拝読いたしました。
「おてんば」「道鏡」などの項目について各版の記述を比較検討された結果、およその記述の定型が第三版で定まったとのことは、私自身も調べたり考えたりしたことがありませんでした。お教えくださり、どうもありがとうございます。
目下、第七版に向けた編集作業を進めております。よりよい内容の辞典となりますよう、何卒よろしくお願い申し上げます。
                                              2017年2月6日



ワタクシは『広辞苑』の各版を比較するようなそんな趣味はありませんが、ちょっとおもしろかったので、ブログネタにしようと思いついて(笑)、夫の留守に、広辞苑を撮影することに。

で、気づいたこと。

一版・二版と、三版からは大きさが微妙に違っている! ねっ↓

180123広辞苑2


それと、五版から? 、アルファベット略語も付いているのね。ワタクシが愛用していたものには無かったので。

180123アルファベット


辞書編集に携わる人のことを考えていると、『舟を編む』(三浦しをん著)が思い出されて仕方がないので、ちょっと調べてみたら、小説を書くにあたって、岩波書店と小学館を取材したんですって。やっぱり、ね。


どうやら、夫は、六版も七版もいずれ入手したいと考えていそうなのですが、うーん、まあちょっとオモシロク読ませてはいただきましたが、狭い家に住んでいる身としては複雑でありますな(笑)

広辞苑 第七版⇒


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Posted on 2018/01/23 Tue. 22:38 [edit]

category: 読書

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