かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
飛鳥京跡苑池(第8次調査)現地説明会

早いもので、もう第8次調査に入っているのですね。
初めて、この遺構が公にされたのは1999年。ワタクシは小学校低学年の娘付きで現地説明会に。その娘も今や、1児の母親ですから、時の流れを感じないわけにはいきません^^;
地道な発掘調査に敬意と謝意を表したいと思います。
まずは、当日配布資料から、航空写真をご覧ください(クリックで拡大します)

遺構平面図。赤く塗られているのが今回の調査区です(クリックで拡大)

7回にわたる調査で次のことがわかっています(配布資料と説明から簡単に)。
●苑池には、南北2つの池(南池、北池)がある。
●南池は南北約55m、東西約65m、面積2200㎡で五角形。池の底には石が平らに敷きつめられ、池の中には中島、石積み島、4つの石造物があった。3つの石造物は水が流れ出る、噴水のような構造。
●北池は南北46~54m、東西33~36m、深さ約3m、面積1450㎡。北東隅に階段状の施設がある。池底には石が敷きつめられている。
●苑池の東側には砂利敷の広場がある。
●水路から苑池の機能などを示す木簡が出土。
これまで何度か現地説明会に行ったのですが、ブログを初めてからは1回だけだったのかな→5回目
今回の大きな成果は、南池にある中島の全容がわかったこと、でしょうね。
↓こんな苑池だったようです!
復元模型

復元図

中島は東西約32m、南北約15m。南北に張り出しをもつ複雑な曲線状。張り出しの長さは南が6m、北が3mと非対称。
石を積んで護岸整備し、中は盛り土、松が植えられていたとみられています。
この中島の形、特異ですよねえ。ひとくちでわかりやすく説明せよ、と言われたらどう表現します?
新聞各社さんも悩まれたのでは? 楽しみに目をとおしてみますと。
毎日新聞……雲のような複雑な曲線護岸
朝日新聞……複雑な曲線の中島
産経新聞……(形には触れていず)
読売新聞……(形には触れていず)
奈良新聞……アメーバのような形
日本経済新聞……中島はX字形と判明。…同時期の他の庭には見られない珍しい曲線構造
毎日さんと奈良さんに座布団1枚、ナンチャッテ^^;
いちばん印象に近いのは「雲」カナ。池に映る雲を見てデザインがひらめいた! とか…
↑図の右手上に建物がありますが、南池から6m上がった南東の高台には、2棟の掘立柱建物跡が見つかっているのです。

池を眺めながら宴をしていたのでしょうか。
この場所から、池を眺めてみます。

おお、ええ感じですね。
上の図は、西側から眺めたところですので、ちょっと西へ回ってみましょう。

↑右手、小さく人が見えている所に建物があったのですね。
中島の北側に柱が2本、見つかりました。

別に2本の柱が抜き取られていることも確認され、4本の柱がセットになっていたとみられています。
水面に張り出すような形で、木製の施設がテラス状になっていた可能性が大。
また、この柱の変色状態から、水深は30㎝ほどと浅かったこともわかり、船を浮かべて遊ぶような池ではなく、敷きつめた石を美しく見せていたと想像することができます。
飛鳥時代に、すでにこんな広大でおしゃれな庭園がつくられていたことに驚かされますが、上の写真に見える水は、わかりやすくするためにわざわざ入れたのではなく自然に湧いてきたとのこと。つまり、そういう地形を選んで苑池をつくったんですね! しかも、南北に水路がついていて、池の水をそばの飛鳥川に排水する機能があったようです。
すぐ東側の宮殿から飛鳥川にかけて、次第にゆるやかに下っていく土地をうまく利用して、こんなすばらしい苑池をつくる古代人の知恵と技術を感じるにつけて、現代文明ってほんとうに進化し続けているのだろうかと、ふと疑いの気持ちがふつふつとわいてくるのを覚えました。
古代人は、天や地、自然に畏敬の念をもち、それらの声に耳を傾けながら、何かをつくったはず。
科学技術を武器に、ともすれば自然の地形を崩し、強引にねじまげて道路を、家をつくってしまう現代人。もっと謙虚になって、古代人に学ばなければならない時代がきているのではないかなあ、な~んてことを、飛鳥路を歩きながら、しみじみと思ったのでした。
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コメント
白雪さん
こんばんは!
今日は久しぶりに生駒方面へ行っておりまして遅くなりました。
現説開催の第一報を白雪さんからいただいたとき、とんまなお返事をしてお恥ずかしい限りです。あのときは、不可能だと思っていたのですが、思い切って行ってとてもよかったです。ありがとうございます。
明日香村はいつも自然と一体になることができて癒されます~
5日もおそらく條ウル神古墳の発掘現場を見学できると思います。
晴れますよーに。
URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2013/11/29 19:55 | edit
おはようございます。
この日は食い気に負けて行けませんでしたが、行けたような気分になりました。ご自分のご都合をやりくりされてリポートに行っていただけましたこと、感謝いたします。
終わりから2枚目のお写真特に気に入りました。遠くに望むお山を借景に・・・当時もこのように周りの山々を借景に取り入れお庭を作られたのでしょうか?自然と一体になり池の周りを散策されて、とても気持ちのよいものだったのでしょうね。
26日はご苦労様でした。そのかいあってご褒美に出く合わせられたようで、よかったですね。
晴れますように。
URL | 白雪 #79D/WHSg | 2013/11/29 08:32 | edit
yoshy_m さん
おはようございます。
コメントありがとうございます。
つい先日(26日)、「かぎろひ歴史探訪」の下見で御所を歩いてきたのですが、あの、石舞台にも匹敵する石室をもつ「條ウル神古墳」が再び発掘中のところに行き合わせ、テンション上がりました。範囲確認の調査中とのことでした。遠からず、また何か発表があるかもしれません。
飛鳥京の苑池は外国使節の迎賓用とも言われています。技術や知恵を総動員してつくったのでしょうね。
書き忘れましたが、5年後ぐらいに復元庭園ができるようですよ。
URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2013/11/29 07:24 | edit
こんばんは。
奈良は掘れば掘るだけ、新しい発見があると言うのがやはりすごいですね。
あちこちで広範囲に発掘調査が進行中のようですが、2、30年前に比べると同時進行している発掘の件数や規模が増大しているような気がします。
奈良文化財研究所や橿原考古学研究所の人材が潤沢になってきたのでしょうか。結構なことです。
GPS測量などで少しは手間が省けてきたのでしょうかね。
あらためて、飛鳥京が渡来した当時の一番モダンな施設や建物を他地方にみせつけていたことを実感しますね。
地下水脈からの湧き水を利用した池など、現代のように動力を用いないで自然の力をたくみに利用している知恵には敬服します。
このような池や庭が800年近くかけて小堀遠州のような庭に変化していったのだなと思うと、個人的には正直なところ遠州のほうが心が休まります。
飛鳥時代の庭は時代の最先端の施設であり、権力の中枢にあったので、ある種の”生臭さ”を感じるからかも知れません。
何はともあれ、貴重なレポートをしていたき感謝です。
左京三条二坊の庭園のように、復元保存されるとよいですね。
URL | yoshy_m #79D/WHSg | 2013/11/29 00:09 | edit
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