かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
東大寺東塔院跡 現地説明会2016


奈良時代、東大寺には東と西に七重塔があったことがわかっています。
天平宝字8年(764)頃に創建、平氏の南都焼き討ちにあって焼失。鎌倉時代に東塔のみが再建されましたが、南北朝時代の康安2年(1362)落雷のため再び焼けてしまいました。
東塔があった場所(当日の掲示より)

年表(当日の掲示)

昨年の調査では、鎌倉時代の塔基壇が確認されました。→★
今回は、奈良時代の基壇が出土、24m四方だったことが確認されました(鎌倉時代は27m四方)。
調査区平面図(当日配布の資料より)

心礎の抜取穴。大きい~

奈良時代の石敷きも

南面の階段遺構

奈良時代の階段の幅は鎌倉時代のものよりも広く、どうやら構造が異なっていたらしいとのこと。
新聞紙上でいちばんよく報道されていた「南都焼き討ち」を物語る痕跡。

黒く焦げた石材が斜めに倒れていて、戦火のすさまじさを物語っていました。
南門の調査

鎌倉時代の雨落溝を確認、創建当初も同じ位置だったと考えられています。

出土した鬼瓦

※現地説明会資料(クリックで大きくなります)

そうそう、かつて大阪万博で蘇った東大寺七重塔。その相輪部分が大仏殿東側に移設されています(2016.8.9撮影)。
これだけで23mあるとか。想像がふくらみますね~。

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コメント
楽しみですね
なさん
こんばんは!
コメントありがとうございます。
私のほうはお昼過ぎに到着、1時からの説明を聞きました。
思いのほか、人が少なくてゆったり見られましたが、なさんにお会いできなかったのが残念です。
ええ、ほんとに、南都焼き討ち、にっくき重衡(笑)が、現実味を帯びて感じられました。
こんばんは。
午前中に行っておりました。お会いできずにちょっとザンネン!!
1千人を超える方がお越しだったとのこと、
大変興味のある調査ですよね。
思っていたより、リアルに戦火を感じることができ、ちょっとぞくっとしました。
次年度の調査も楽しみですね。
URL | な #ujKBAFXo | 2016/10/09 19:18 | edit
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