かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
尾花座
9月20日、台風16号が接近。午後1時に和歌山県田辺市に再上陸してから、奈良市内も風雨が強くなり始めた。
4時半からホテルサンルート奈良で始まる「尾花座復活上映会」に行く予定にしていたのに、行けるか、やめておいたほうが賢明か、と悩む悩む。
奈良市出身の井筒和幸監督の『パッチギ』(2004年)の上映と、終了後に「尾花座」の元支配人、中野重宏さん(「ホテルサンルート奈良」会長)と宇多滋樹さんの対談が組まれていた。

ワタクシは映画を観たいというよりも、中野さんの話を聞きたかった。
尾花座→★(「日本料理おばな」のサイトから)
江戸末期から、明治・大正・昭和の時代、芝居小屋から映画館として、奈良市民に愛されたという尾花座。
現在は、ホテルサンルート奈良となっていて、その玄関前には、記念の石碑が建つ(揮毫は桂米朝氏)。

もちろん、ワタクシは尾花座の存在は知らないのだけれど、初めて奈良へ来た頃、ウロウロしていて、この場所が更地になっているときに通りかかったことがある。
そこに、1人の老人がたたずんでいた。
(たぶん)ホテルサンルート奈良の中野重宏会長のお父様、中野正夫氏だったと思う。
このとき、お話も聞いているんですよね。映画館があったこと、ホテルに生まれ変わることなどを教えていただいたのだった。
それがいつ頃のことか、ワタクシの記憶は曖昧なのだが、先日、入手した『奈良の尾花座百年物語』の年表を見ると、特定できる。

昭和55年(1980)2月11日 「さよなら尾花座・市民のつどい」で「エデンの東」上映
2月中旬 建物解体
昭和56年(1981)3月9日 「ホテルサンルート奈良」完成、営業スタート
昭和57年(1982)6月26日 父・正夫84歳で死去
ワタクシが行き合ったのは、昭和55年の2月中旬以降~3月頃だったのではないかと思われる。
その2年後に正夫氏が亡くなっているのを知るにつけて、あのとき、どんな思いで更地にたたずんでいらっしゃったのだろうかと想像すると胸がキュッとなる。
『かぎろひの大和路』の創刊は昭和57年だから、ワタクシ、奈良の雑誌社に勤務していた頃か。
奈良には住んでおらず、大阪から通っていた。もちろん独身、まだ若かったぞ~(笑)
それからも、尾花座の話はあちこちで耳にすることが多く、知らないままに親近感を募らせていたので、その運営に関わっていた方の話を聞いてみたかったのだ。
『パッチギ』は初めて観た。井筒監督の作品も初。
激しい暴力シーンには目をそむけそうになりながら、後半はよく泣いた^^; 思わず笑うシーンもあったり。大きな社会問題もテーマの1つ。
中野会長の話によると、この井筒監督が奈良高校時代、よく尾花座に来たのだという。
その頃から映画監督になりたいという夢をもっていたとか。応援を得て、顔パスの高校生だったらしい。
戦後すぐに上映した「愛染かつら」は大ヒット。ものすごい行列ができたのは語りぐさだ。座っている人より立ち見客のほうが多かったという。へえぇ、今では考えられないよね。押し合いへし合いでガラスが割れたのだとか。
中野さんと宇多さんの対談

若々しく、トークも冴え冴えの中野さんが米寿と聞いてびっくり。

楽しいひとときだった。台風にひるまず行ってよかった~。
終わる頃には風雨はすっかりおさまって。

詳しくは「奈良の尾花座百年物語」(1,000円)でどうぞ。
ホテルサンルート奈良へおたずねください。→★
ブログ「鹿鳴人のつぶやき」もご参考に→★
4時半からホテルサンルート奈良で始まる「尾花座復活上映会」に行く予定にしていたのに、行けるか、やめておいたほうが賢明か、と悩む悩む。
奈良市出身の井筒和幸監督の『パッチギ』(2004年)の上映と、終了後に「尾花座」の元支配人、中野重宏さん(「ホテルサンルート奈良」会長)と宇多滋樹さんの対談が組まれていた。

ワタクシは映画を観たいというよりも、中野さんの話を聞きたかった。
尾花座→★(「日本料理おばな」のサイトから)
江戸末期から、明治・大正・昭和の時代、芝居小屋から映画館として、奈良市民に愛されたという尾花座。
現在は、ホテルサンルート奈良となっていて、その玄関前には、記念の石碑が建つ(揮毫は桂米朝氏)。

もちろん、ワタクシは尾花座の存在は知らないのだけれど、初めて奈良へ来た頃、ウロウロしていて、この場所が更地になっているときに通りかかったことがある。
そこに、1人の老人がたたずんでいた。
(たぶん)ホテルサンルート奈良の中野重宏会長のお父様、中野正夫氏だったと思う。
このとき、お話も聞いているんですよね。映画館があったこと、ホテルに生まれ変わることなどを教えていただいたのだった。
それがいつ頃のことか、ワタクシの記憶は曖昧なのだが、先日、入手した『奈良の尾花座百年物語』の年表を見ると、特定できる。

昭和55年(1980)2月11日 「さよなら尾花座・市民のつどい」で「エデンの東」上映
2月中旬 建物解体
昭和56年(1981)3月9日 「ホテルサンルート奈良」完成、営業スタート
昭和57年(1982)6月26日 父・正夫84歳で死去
ワタクシが行き合ったのは、昭和55年の2月中旬以降~3月頃だったのではないかと思われる。
その2年後に正夫氏が亡くなっているのを知るにつけて、あのとき、どんな思いで更地にたたずんでいらっしゃったのだろうかと想像すると胸がキュッとなる。
『かぎろひの大和路』の創刊は昭和57年だから、ワタクシ、奈良の雑誌社に勤務していた頃か。
奈良には住んでおらず、大阪から通っていた。もちろん独身、まだ若かったぞ~(笑)
それからも、尾花座の話はあちこちで耳にすることが多く、知らないままに親近感を募らせていたので、その運営に関わっていた方の話を聞いてみたかったのだ。
『パッチギ』は初めて観た。井筒監督の作品も初。
激しい暴力シーンには目をそむけそうになりながら、後半はよく泣いた^^; 思わず笑うシーンもあったり。大きな社会問題もテーマの1つ。
中野会長の話によると、この井筒監督が奈良高校時代、よく尾花座に来たのだという。
その頃から映画監督になりたいという夢をもっていたとか。応援を得て、顔パスの高校生だったらしい。
戦後すぐに上映した「愛染かつら」は大ヒット。ものすごい行列ができたのは語りぐさだ。座っている人より立ち見客のほうが多かったという。へえぇ、今では考えられないよね。押し合いへし合いでガラスが割れたのだとか。
中野さんと宇多さんの対談

若々しく、トークも冴え冴えの中野さんが米寿と聞いてびっくり。

楽しいひとときだった。台風にひるまず行ってよかった~。
終わる頃には風雨はすっかりおさまって。

詳しくは「奈良の尾花座百年物語」(1,000円)でどうぞ。
ホテルサンルート奈良へおたずねください。→★
ブログ「鹿鳴人のつぶやき」もご参考に→★
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コメント
楽しいひととき
鹿鳴人さん
おはようございます。コメントありがとうございます。
いい企画でしたね。ご本も貴重な記録です。
過日、下御門のそうめん流しのときに、ばったり中野さんにお会いしたことを思い出しました。
中野さん
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