かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
忍性菩薩
7月23日から、奈良国立博物館で特別展「忍性ー救済に捧げた生涯ー」が始まっています。

26日の夕刻から特別鑑賞会に参加して、名宝の数々に感動。しかし、ちょっと駆け足だったものですから、もう一度行ってじっくり拝観するつもりです。展覧会のご報告はそれからということにしたいと思います。
早く知りたーい、という方は、naraclubさんが詳しくご報告されていますので、そちらをご覧くださいね。→奈良倶楽部通信 PART:Ⅱ
ここ数年、ゆかりの地(奈良県だけですが)を歩くことが多くて、ワタクシのなかで忍性さんの存在がとても大きくなっているのです。
特別展に足を運ぶ前に、まずは手元の写真などを見ながら、忍性さんをしのんでみたいと思います。
たまたま『かぎろひの大和路』でも29号、30号と忍性さんに関わりました。
29号は「太子道がつなぐ磯城の里」
まさに磯城郡三宅町が忍性さんの故郷。
忍性さんは建保5年(1217)大和国城下郡屏風里で生まれました。
この地に「忍性菩薩御誕生之地」碑が建っています。

↑右は、「かぎろひ歴史探訪」(2013.11.14)で
忍性さんが出家したのは大和郡山の額安寺(かくあんじ)。16歳のときでした。

(2010.3.14撮影)
最初の受戒は、鑑真和上が開いた東大寺戒壇院

(2012.4.29/2014.1.11/2015.11.18撮影)
師と仰いだのは、西大寺の叡尊(興正菩薩)さん。
受戒して弟子になります。

(2015.10.3撮影)
奥の院(法界躰性院)に眠る叡尊さん。その五輪塔は総高3m24㎝

(2015.10.3撮影)
西大寺時代に、福祉施設である北山十八間戸(奈良市川上町)を開設したのですね。

(2016.7.30撮影)
忍性さんは建長4年(1252)、38歳で関東へ。
以後、茨城県の筑波山麓~鎌倉の極楽寺を拠点に、仏法の発展と民衆救済に奔走され、87歳で生涯を閉じました。
ワタクシ、残念ながら、関東圏のゆかりの地を訪ねたことはありませんので、ご紹介できません。
今度、東京方面へ行く機会があったら、忍性さんの足跡をめぐってみたいなあと思っています。
忍性さんの遺骨は、遺言により3つに分けて埋葬されました。
その2つが奈良県にあります〈あと1つは極楽寺(神奈川県)〉
額安寺の石造五輪塔群(2010.3.14撮影)

↑手前の大きな五輪塔が忍性さんのものと判明しています。
忍性さんの五輪塔、もうひとつは竹林寺(生駒市)にあります。


(2013.7.1撮影)
もちろん、敬愛するこの方(行基菩薩)がいらっしゃるからですね。

(2013.7.1撮影)
山内はいつも清浄、ボランティアの皆さんが心をこめて守ってくださっています。→★
今回の特別展では、骨臓器3つが集まっていて感無量。史上初だそうです。
忍性さんは生涯に
建てた伽藍 83か所、供養した御堂 154か所、描いた地蔵菩薩像 1355、病人・貧者に与えた衣服 33000着、架けた橋 189、修築した道 71か所、掘った井戸 33か所、開いた湯屋・療養所 5か所、雨乞い・祈祷 数知れず
(忍性展パンフレットから)
※忍性さんについては、骨臓器の銘文をはじめ、『叡尊感身學正記』『元亨釈書』などから、その足跡を知ることができます。
『かぎろひの大和路』29号、「奈良国立博物館だより」98号を参考にして紹介しました。
よろしければ、『かぎろひの大和路』のシリーズ「大和を彩ったひと」でとりあげた「忍性菩薩」をご参照ください(2回クリックで読めるカナ)。執筆は本誌主宰の田中龍夫。

※特別展 生誕800年記念特別展「忍性ー救済に捧げた生涯ー」は9月19日(月・祝)まで
奈良国立博物館→★

26日の夕刻から特別鑑賞会に参加して、名宝の数々に感動。しかし、ちょっと駆け足だったものですから、もう一度行ってじっくり拝観するつもりです。展覧会のご報告はそれからということにしたいと思います。
早く知りたーい、という方は、naraclubさんが詳しくご報告されていますので、そちらをご覧くださいね。→奈良倶楽部通信 PART:Ⅱ
ここ数年、ゆかりの地(奈良県だけですが)を歩くことが多くて、ワタクシのなかで忍性さんの存在がとても大きくなっているのです。
特別展に足を運ぶ前に、まずは手元の写真などを見ながら、忍性さんをしのんでみたいと思います。
たまたま『かぎろひの大和路』でも29号、30号と忍性さんに関わりました。
29号は「太子道がつなぐ磯城の里」
まさに磯城郡三宅町が忍性さんの故郷。
忍性さんは建保5年(1217)大和国城下郡屏風里で生まれました。
この地に「忍性菩薩御誕生之地」碑が建っています。

↑右は、「かぎろひ歴史探訪」(2013.11.14)で
忍性さんが出家したのは大和郡山の額安寺(かくあんじ)。16歳のときでした。

(2010.3.14撮影)
最初の受戒は、鑑真和上が開いた東大寺戒壇院

(2012.4.29/2014.1.11/2015.11.18撮影)
師と仰いだのは、西大寺の叡尊(興正菩薩)さん。
受戒して弟子になります。

(2015.10.3撮影)
奥の院(法界躰性院)に眠る叡尊さん。その五輪塔は総高3m24㎝

(2015.10.3撮影)
西大寺時代に、福祉施設である北山十八間戸(奈良市川上町)を開設したのですね。

(2016.7.30撮影)
忍性さんは建長4年(1252)、38歳で関東へ。
以後、茨城県の筑波山麓~鎌倉の極楽寺を拠点に、仏法の発展と民衆救済に奔走され、87歳で生涯を閉じました。
ワタクシ、残念ながら、関東圏のゆかりの地を訪ねたことはありませんので、ご紹介できません。
今度、東京方面へ行く機会があったら、忍性さんの足跡をめぐってみたいなあと思っています。
忍性さんの遺骨は、遺言により3つに分けて埋葬されました。
その2つが奈良県にあります〈あと1つは極楽寺(神奈川県)〉
額安寺の石造五輪塔群(2010.3.14撮影)

↑手前の大きな五輪塔が忍性さんのものと判明しています。
忍性さんの五輪塔、もうひとつは竹林寺(生駒市)にあります。


(2013.7.1撮影)
もちろん、敬愛するこの方(行基菩薩)がいらっしゃるからですね。

(2013.7.1撮影)
山内はいつも清浄、ボランティアの皆さんが心をこめて守ってくださっています。→★
今回の特別展では、骨臓器3つが集まっていて感無量。史上初だそうです。
忍性さんは生涯に
建てた伽藍 83か所、供養した御堂 154か所、描いた地蔵菩薩像 1355、病人・貧者に与えた衣服 33000着、架けた橋 189、修築した道 71か所、掘った井戸 33か所、開いた湯屋・療養所 5か所、雨乞い・祈祷 数知れず
(忍性展パンフレットから)
※忍性さんについては、骨臓器の銘文をはじめ、『叡尊感身學正記』『元亨釈書』などから、その足跡を知ることができます。
『かぎろひの大和路』29号、「奈良国立博物館だより」98号を参考にして紹介しました。
よろしければ、『かぎろひの大和路』のシリーズ「大和を彩ったひと」でとりあげた「忍性菩薩」をご参照ください(2回クリックで読めるカナ)。執筆は本誌主宰の田中龍夫。

※特別展 生誕800年記念特別展「忍性ー救済に捧げた生涯ー」は9月19日(月・祝)まで
奈良国立博物館→★
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