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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

法華寺の鳥居 

今年度は自治会の班長の役を引き受けているので、回覧板を回したり、各戸への案内を配布したり。
例年なら、ついスルーしてしまいがちな(スイマセン)チラシや案内にも、目を通さないわけにはいきません。

で、先日、目にとまったのが「ふれあい会館だより」の中の「歴史教室第三幕開講」「法華寺の鳥居」の文字。

160709ふれあい会館だより

7月9日、吉川聡先生(奈良文化財研究所 文化遺産部 歴史研究室)のお話を聞きに行ってきました。

結構激しい雨だったのですが、すぐ近くなので、長靴はいて(♪ながぐつはいてるね、どんどん、の歌がすぐ口をつく・・笑)

主催者のご挨拶
「歴史教室は3年目に入ります。これまで一度も雨が降ったことがないのですが・・・」
ウッ^^;


とてもおもしろくて、説得力のあるお話だったので、簡単にご報告しますね。

中世(平安時代末期~鎌倉前期)の文献に、よく出てくる「法華寺の鳥居」。

法華寺に鳥居があったのか、あったとすればどこにあったのか、なぜ史料にやたら出てくるのか、というような疑問を、吉川先生は見事に解き明かしてくださったのでした。

1.史料では
『長門本平家物語』
・南都焼討の折り、平重衡が陣をおいたのが「法華寺の鳥居」。
・一ノ谷の合戦で捕らえられ、木津で斬首された平重衡。その首は「法華寺の鳥居」で引き回された。釘付けにされた場所は「般若野の卒塔婆」。

このほか、『興福寺別当次第』(1138、1163)、『台記別記』(1151)、『玉葉』(1188)、『高野御幸記』(1124)…などにも「法華寺の鳥居」は登場するとのこと。

2.お寺に鳥居?
法華寺の鳥居ではなく、法華寺の鎮守社「法華寺神社」の鳥居。
法華寺の南側、金堂跡の西側にひっそりと鎮座。

1607法華寺金堂跡地

1607法華寺神社

法華寺神社は、一条大路の延長線上(↓吉川先生の資料に赤丸を入れさせていただきました)。

160709地図2


法華寺の鳥居の位置は、このあたりでしょうか。

160709歩道橋から


↑歩道橋から見る法華寺町東交差点。東西に一条通り、南北に走るのは国道24号線。
正面は一条通りを西方に見たところ。この延長線上に法華寺神社が鎮座。

右手に一条高校。鳥居があったのは、横断歩道のあたり?


歩道橋を下りて一条通りを横断、交差点の西南角へ。

160709法華寺東交差点

↑一条通りを東方向に撮ったところ。


春日詣での記録『台記別記』や『玉葉』には、法華寺の鳥居で牛車の車輪を洗ったことなどが見えるので、このあたりには水が流れていたことがわかります。先生は、それは菰(こも)川であろうと。

↓奈良県のサイトからお借りした菰川地図。

菰川地図2

↑赤丸は法華寺鳥居があったと思われる所(かぎろひが付けました)。
菰川はここから発しているのではなく、現在はその上流は暗渠となっています。
※菰川→

交差点近く、暗渠から出た所

160709菰川

現在はかなり汚れていますが、往時はきれいな流れだったのでしょうね。

簡単に要点をまとめたつもりですが、長くなってしまいました。
あと、おさえておきたいのは、中世の史料に「奈良坂」とあるのは、ウワナベ越えをさすということ。奈良坂と聞くとつい、般若寺のほうを思い浮かべてしまうのですが。こちらが正式ルートだったようです。現在の24号線。

↓当日の資料から。赤丸はかぎろひが付加。

160709地図4

↑中央やや下の小さな赤丸は鳥居があった所

※詳しくは吉川聡先生の論文「法華寺の鳥居」(2007)をご参照くださいね。


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Posted on 2016/07/13 Wed. 21:01 [edit]

category: 大和の寺社

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コメント

法華寺の鳥居 

なむ隊長ゞ
nararaさん

コメントありがとうございます。
実は、この記事を書くとき、お2人のことを考えていたので、一緒にコメントさせてください。

以前、なむさんがブログで、法華寺の鳥居に触れられたとき、nararaさんがこれに関する論文を読まれておもしろかったというコメントが印象に残っていました。

今回、吉川先生のお話を聞いて、ナゾが一本につながり、とてもうれしかったのです。
ふれあい会館の講座は初めて知りました。奈文研の先生方が講師を務められているのですか。今後は気をつけていたいと思います。

中村さんって、菓子店だったんですか? 当日、いらっしゃっていました。センダンのことや五輪塔、ザクザク出てきた石仏? などをまのあたりにされているようです。ちょっと存じ上げているので、今度お聞きしてみたいと思います。別件でも?のことがあるので、また教えてください。

『奈良の寺』持っているのに、気づいていませんでした^^;
調べたら、別の本にも書かれているようです。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784831875679

いっぱいおしゃべりしたいことがあって、コメント欄には書ききれません。
なむさん、nararaさん、久しぶりに同窓会でもしませんか(笑)

URL | かぎろひ #QyAQ.u3g | 2016/07/14 11:30 | edit

 

おはようございます。
吉川先生のこの論考、面白くて夢中で読んだ記憶があります。
氏長家の南都詣の様子など、「へ~~ぇ~の連続でした。
昔一条高校の前(中村菓子店のよこ)に野神さんとしてあった大木は、
元のルーツはこの鳥居の辺りにあったのかしらと、吉川先生の論を読んで思ったりしました。
ふれあい会館のお講座楽しいでしょ!!
そろそろうちのボスが登場するかもです^^

URL | narara #ujKBAFXo | 2016/07/14 06:31 | edit

興味津々です 


こんばんは!

いや~、ワタクシもその歴史教室に行って聴講したかったです。

そうそう、奈良坂は今の般若寺のほうではなくて、昔はウワナベ越えのことだそうですね。(→これ重要!)
平重衡が南都焼き討ちの際、京都-奈良の幹線路にあった法華寺の鳥居あたりに陣を置いたとする説のほうが自然のような気がします。

吉川聡先生の論文は、奈良県立図書情報館などで閲覧できますか?

<追伸>
 『奈良の寺』 (奈良文化財研究所編、岩波新書) で、「法華寺の鳥居」の記事があったはずと確認してみたら、その部分は吉川先生が執筆されていました。
 論文のほうは、もう少し詳しいことが書かれているのかも知れませんね。

URL | なむさいじょう #ooZtpPpw | 2016/07/13 22:59 | edit

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