かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
法華寺十一面観音の後ろ姿
写真で接するのと、実際のお姿と、これだけ印象の違う仏様も少ないような気がするのですが、そんなふうに感じません?
失礼ながら、むっちりと太くて短い足、長い右手(正立手摩膝相しょうりゅうしゅましつそう)も棒のように見えて…
す、すいません、ひどいことを書きましたが、あくまでも写真から受けるイメージですよ。
実際のお姿は、均整がとれ、たおやかで神々しくて、うっとりしてしまいます。
写真がとらえるのは像そのものだけで、お堂やお厨子の雰囲気まで感じさせないからでしょうか。
白洲正子さんはどんなふうに書いていたかしらと確認してビックリ。
久しぶりにお目にかかる十一面観音は、やはりすばらしい彫刻であった。観光が盛んになって以来、方々で写真に接するが、どれもこれも気に入らない。太りすぎて、寸づまりに写るからである。しまいには、それがほんとうのような気がして来て、写真の力というのは恐しいものだと思う。
我が意を得たり!
続けて
「皆さんそう仰います。実物をごらんになって、びっくりなさいます」
と尼さんもいわれるが、しょせんレンズは肉眼とは違う。発達すればする程、よけいなものまで写してしまうに違いない。たしかにこの観音は太り肉ではあるが、ほのかな光の元で見る時は、嫋々とした感じで、右手の親指でそっと天衣の裾をつまみ、やや腰をひねって歩み出そうとする気配は、水の上を逍遙するといった風情である。(『十一面観音巡礼』「幻の寺」より)
ああよかった、やっぱりみんなそう感じるんですね。
「かぎろひ歴史探訪」ウォークで当日配布した案内メモの最後に載せてあった十一面観音さんの後ろ姿にくぎづけ(資料は龍センセ作成)。

お厨子から出し、光背も外して撮られたことがあったのですね!
この写真が掲載されているという『大和古寺大觀』(岩波書店 1977)を見ずにはいられません。

後ろ姿だけではなく、横からの写真も。

正面から撮ったお姿よりも、こちらのほうが実際の像の雰囲気を出しているような気がしました。
撮影されたのは

あっ、小川光三さんは先日、お亡くなりに…
恐縮しながら撮らせていただいたのはもう12年も前になります(お隣は、元NHKアナウンサーNさん)。

ご冥福をお祈りします。合掌
※6月23日追記
なむさいじょうさんからコメントをいただきましたので、白洲正子さんの文章をもう少しひいておきたいと思います。
上記に挙げた箇所のすぐ後に出てきます。
…
蓮の巻葉の光背は後補と聞くが、やや凝りすぎのきらいがある。写真にとると、よけいうるさい。肉眼で見たような写真がないかと思って、入江泰吉氏にうかがってみると、この観音様はお厨子の中に入っている為、撮影するのがむつかしく、ライトを使うとどうしても強く写ってしまうというお話であった。まともに見るのも憚られるように造られたものを、写真にとるのがそもそも無理な注文なので、巧く行かないのは当り前のことかも知れない。
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コメント
追記
なむ隊長ゞ
おはようございます。コメントありがとうございます。
追記で、おっしゃる箇所を載せました。
『大和古寺大觀』には、光背も入れたカラー写真もあるのですが、そう言われてみると、光背が主張せずうっすらとだけ感じさせるものもあり、なるほどと思いました。白洲さんも小川さんの力量を評価されていますね。
それにしても、白洲さんの文章は遠慮なくバッサリとした切れ味で憧れます。
同感です
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