かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
中西遺跡第26次調査 現地説明会
御所市の池之内、條、室地区で2009年から続けられてきた京奈和自動車道建設にともなう発掘調査では、たくさんの成果がありました。「秋津遺跡」「中西遺跡」と名づけられたこれらの発掘調査は今回で一応のピリオド、京奈和自動車道の整備が急ピッチで進むと思われます。
というのも、現場は京奈和自動車道の御所南インターチェンジとなることが決まっており、すでに北側、御所ICまでの2.5㎞(御所市大字條~橿原市観音寺町)が今年3月に開通。御所南ICから南側、五條ICまでの2.5㎞も来年度(2016)には開通する予定。→★
御所南ICから五條へは、我が国最大級の群集墳が点在する巨勢山をトンネルで抜けるようです。
↓赤い矢印がトンネルの口

あ、ちょっとわかりにくいですね。
↓クリックで大きくなります。

この日は、JR和歌山線玉手駅から歩きましたが、頭上を走る京奈和自動車道に圧迫される気分に陥りながらも
金剛、葛城~

二上山~

今回の発掘調査の説明を理解するためには、これまでの成果をふまえておかなければならないでしょう。
2009年から進められていた調査で、池之内、條地区を「秋津遺跡」、室・條地区を「中西遺跡」と区別されていますが、一体的につながるエリアということがわかったのです。
最終回ということで、ちょっとふりかえって整理してみようと思います。
中西遺跡の現地説明会には、2010年8月8日に参加。
弥生時代の水田と里山が見つかった、そのレポートは→★の真ん中あたりでご覧いただけます(ブログ引っ越しのときに発掘情報だけまとめたのですが、失敗だったかも^^;)
橿原考古学研究所附属博物館の特別展「弥生の里~くらしといのり」(2011.5)は→★
秋津遺跡でもたくさんの貴重な成果がありました。
橿原考古学研究所のサイトから現地説明会の資料をダウンロードすることができます。
2010.1.23~24→★
2010.11.28→★
2011.8.27→★
調査の結果、秋津遺跡で見つかった古墳時代前期の遺構は、溝、柵で囲まれた特殊な建物と独立棟持柱建物などがある「祭祀空間」らしいとわかったのでした。
当日、掲げられていた秋津遺跡の遺構図(クリック、さらにクリックしてどうぞ)

今回の発掘調査地は、秋津遺跡と南の中西遺跡が接する地点。
見つかった竪穴建物跡は26棟!(これまで出土したものを合わせると81棟とか)



これらの建物は、区画溝と方位をそろえていて、計画的につくられた大集落だとみられています。


すぐ北に接する祭祀空間と、居住地域を明確に分けたと考えられています。
この祭祀遺跡の想定範囲は、纏向遺跡のあの居館遺構とほぼ同じ規模なのだとか。
今回の調査では、祭祀で利用した土器をまとめて捨てた土坑が見つかりました。

井戸も

この日、バッタリ出会ったリンネさんによると、このあたりの旧字名は「大井」だそうですよ。
出土物

珍しい鏡形模造品。石で精巧につくられています。

確認された規模の大きさから見て初期ヤマト政権に関わるであろう、あるいは地域的なことを考えれば葛城氏関連か、という2つの見方があるようですが・・・。
はっきりわからないだけに、あれこれ想像力がふくらみます。
発掘調査は終了するとしても今後、出土遺物から、何か重大なことがわかるということがあるかもしれませんね。
当日の現説資料をどうぞ。

以下はクリックで大きくなります。

というのも、現場は京奈和自動車道の御所南インターチェンジとなることが決まっており、すでに北側、御所ICまでの2.5㎞(御所市大字條~橿原市観音寺町)が今年3月に開通。御所南ICから南側、五條ICまでの2.5㎞も来年度(2016)には開通する予定。→★
御所南ICから五條へは、我が国最大級の群集墳が点在する巨勢山をトンネルで抜けるようです。
↓赤い矢印がトンネルの口

あ、ちょっとわかりにくいですね。
↓クリックで大きくなります。

この日は、JR和歌山線玉手駅から歩きましたが、頭上を走る京奈和自動車道に圧迫される気分に陥りながらも
金剛、葛城~

二上山~

今回の発掘調査の説明を理解するためには、これまでの成果をふまえておかなければならないでしょう。
2009年から進められていた調査で、池之内、條地区を「秋津遺跡」、室・條地区を「中西遺跡」と区別されていますが、一体的につながるエリアということがわかったのです。
最終回ということで、ちょっとふりかえって整理してみようと思います。
中西遺跡の現地説明会には、2010年8月8日に参加。
弥生時代の水田と里山が見つかった、そのレポートは→★の真ん中あたりでご覧いただけます(ブログ引っ越しのときに発掘情報だけまとめたのですが、失敗だったかも^^;)
橿原考古学研究所附属博物館の特別展「弥生の里~くらしといのり」(2011.5)は→★
秋津遺跡でもたくさんの貴重な成果がありました。
橿原考古学研究所のサイトから現地説明会の資料をダウンロードすることができます。
2010.1.23~24→★
2010.11.28→★
2011.8.27→★
調査の結果、秋津遺跡で見つかった古墳時代前期の遺構は、溝、柵で囲まれた特殊な建物と独立棟持柱建物などがある「祭祀空間」らしいとわかったのでした。
当日、掲げられていた秋津遺跡の遺構図(クリック、さらにクリックしてどうぞ)

今回の発掘調査地は、秋津遺跡と南の中西遺跡が接する地点。
見つかった竪穴建物跡は26棟!(これまで出土したものを合わせると81棟とか)



これらの建物は、区画溝と方位をそろえていて、計画的につくられた大集落だとみられています。


すぐ北に接する祭祀空間と、居住地域を明確に分けたと考えられています。
この祭祀遺跡の想定範囲は、纏向遺跡のあの居館遺構とほぼ同じ規模なのだとか。
今回の調査では、祭祀で利用した土器をまとめて捨てた土坑が見つかりました。

井戸も

この日、バッタリ出会ったリンネさんによると、このあたりの旧字名は「大井」だそうですよ。
出土物

珍しい鏡形模造品。石で精巧につくられています。

確認された規模の大きさから見て初期ヤマト政権に関わるであろう、あるいは地域的なことを考えれば葛城氏関連か、という2つの見方があるようですが・・・。
はっきりわからないだけに、あれこれ想像力がふくらみます。
発掘調査は終了するとしても今後、出土遺物から、何か重大なことがわかるということがあるかもしれませんね。
当日の現説資料をどうぞ。

以下はクリックで大きくなります。


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