かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
正暦寺から田原の里ハイキング
1月10日、「菩提酛清酒祭」(→★)に参加してひとしきり楽しんでから、恒例の1人ハイキング。
毎年、あちこちルートを変えて歩くのも、今や、正暦寺を訪ねる目的のひとつ。今年は田原の里まで歩いてみました。
昨年のブログ(→★)を見ると、「来年は田原へ行ってみようかな」なんて書いているところをみても、自然な流れカナ。
でも、今回は鉢伏峠越えではなくて、先日(→★)、ご住職に、田原まで続いていると教えていただいた道が気になっていたので、このルートをたどることにしました。
「菩提酛清酒祭」の途中を失礼して(すみません)

かつて大伽藍があったという地を通り

山道に入っていきます。
道は舗装されていて歩きやすいものの、ひたすら上り坂。写真ではあまりわかりませんが、だんだん勾配がキツクなったような。

風景は単調。とはいえ、せせらぎを耳にしながらの心地よさ

ちょろちょろと流れ下る水は、源流を感じさせる清らかさ。
ただ、ゴミが多いのにはガクゼン(>_<)
あちこちに、「ゴミ捨て禁止」や「不法投棄は犯罪です!!」の看板があり、悲しくなりました。

落ち込んだ気持ちを、明るくしてくれたのは田原の里の風景。
(たぶん)1時間ほど歩いて、山道を抜けたな、と思ったら、そこは田原の里でした。

のびやかに広がる田園と茶畑。空も大きくて、胸がスカッ。
ここが、奈良市内とは。
すっかりうれしくなってどんどん歩いていったのですが・・・。
ワタクシが最後に田原を訪ねたのは・・・たしか、『かぎろひの大和路』復刊13号で「白毫寺~田原の里」を取りあげたときだったから、14年も前・・・^^;
土地勘もなく歩き回るのですが、道標もなく、道を聞こうにも人がいない・・・。
しかし、やみくもに歩くだけで楽しくて。
懐かしいたたずまいの家を見つけたり

静かな里の風情に立ち止まったり

だいぶ回り道をして、見覚えのある横田の交差点に出てホッ。
初めて道標も見つけ~

バス時刻表(クリックで拡大)。14時41分に乗らないと次は18時14分や。大変。

ここからはかなり急ぎ足で。
まずは、太安萬侶さんのお墓へ。
ずいぶんきれいに整備されたんですねぇ。

説明(クリックで拡大)

見晴らしバツグン

それから、光仁天皇陵へ

志貴親王の田原西陵まではちょっと離れているから今回はあきらめて、田原横田からバスに乗ろうと思っていたのですが・・・
光仁天皇は崩御後、京都府境に近い広岡山陵(奈良市広岡町)に埋葬されたのに、5年後、息子の桓武天皇によりこの地へ改葬されたことが『続日本紀』に記されています。
なぜ? お父さん(桓武天皇にとってはお祖父さん)の志貴親王がそこに眠っているからでは?
と思うと、どうしても、志貴皇子の田原西陵へお参りしないといけないような気がしてきましてね。
田原御陵前は、田原横田から4つ目のバス停。約30分ある。急いだら間に合うかも。
大急ぎで、めざすバス停にたどり着いたものの、御陵の前まで行くには少々心許ないので、遙拝~

あっ、バスが来ました~

乗客わずか。いちばん前に陣取り、下界への走行を楽しみました。

二上山上空、怪しい雲行き

大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
↑地図中
※春日宮天皇陵=田原西陵=志貴親王陵
※太安麻呂太安萬侶
毎年、あちこちルートを変えて歩くのも、今や、正暦寺を訪ねる目的のひとつ。今年は田原の里まで歩いてみました。
昨年のブログ(→★)を見ると、「来年は田原へ行ってみようかな」なんて書いているところをみても、自然な流れカナ。
でも、今回は鉢伏峠越えではなくて、先日(→★)、ご住職に、田原まで続いていると教えていただいた道が気になっていたので、このルートをたどることにしました。
「菩提酛清酒祭」の途中を失礼して(すみません)

かつて大伽藍があったという地を通り

山道に入っていきます。
道は舗装されていて歩きやすいものの、ひたすら上り坂。写真ではあまりわかりませんが、だんだん勾配がキツクなったような。

風景は単調。とはいえ、せせらぎを耳にしながらの心地よさ

ちょろちょろと流れ下る水は、源流を感じさせる清らかさ。
ただ、ゴミが多いのにはガクゼン(>_<)
あちこちに、「ゴミ捨て禁止」や「不法投棄は犯罪です!!」の看板があり、悲しくなりました。

落ち込んだ気持ちを、明るくしてくれたのは田原の里の風景。
(たぶん)1時間ほど歩いて、山道を抜けたな、と思ったら、そこは田原の里でした。

のびやかに広がる田園と茶畑。空も大きくて、胸がスカッ。
ここが、奈良市内とは。
すっかりうれしくなってどんどん歩いていったのですが・・・。
ワタクシが最後に田原を訪ねたのは・・・たしか、『かぎろひの大和路』復刊13号で「白毫寺~田原の里」を取りあげたときだったから、14年も前・・・^^;
土地勘もなく歩き回るのですが、道標もなく、道を聞こうにも人がいない・・・。
しかし、やみくもに歩くだけで楽しくて。
懐かしいたたずまいの家を見つけたり

静かな里の風情に立ち止まったり

だいぶ回り道をして、見覚えのある横田の交差点に出てホッ。
初めて道標も見つけ~

バス時刻表(クリックで拡大)。14時41分に乗らないと次は18時14分や。大変。

ここからはかなり急ぎ足で。
まずは、太安萬侶さんのお墓へ。
ずいぶんきれいに整備されたんですねぇ。

説明(クリックで拡大)

見晴らしバツグン

それから、光仁天皇陵へ

志貴親王の田原西陵まではちょっと離れているから今回はあきらめて、田原横田からバスに乗ろうと思っていたのですが・・・
光仁天皇は崩御後、京都府境に近い広岡山陵(奈良市広岡町)に埋葬されたのに、5年後、息子の桓武天皇によりこの地へ改葬されたことが『続日本紀』に記されています。
なぜ? お父さん(桓武天皇にとってはお祖父さん)の志貴親王がそこに眠っているからでは?
と思うと、どうしても、志貴皇子の田原西陵へお参りしないといけないような気がしてきましてね。
田原御陵前は、田原横田から4つ目のバス停。約30分ある。急いだら間に合うかも。
大急ぎで、めざすバス停にたどり着いたものの、御陵の前まで行くには少々心許ないので、遙拝~

あっ、バスが来ました~

乗客わずか。いちばん前に陣取り、下界への走行を楽しみました。

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※春日宮天皇陵=田原西陵=志貴親王陵
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