かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
東大寺山古墳
ここから東あたりは、『かぎろひの大和路』次号で取り上げるエリアでもあるので、少しずつでも取材しておかなくっちゃ、というココロであります。
めざすは東大寺山古墳。
櫟本駅のホームをつなぐ渡り橋(?)から見ると、真東、ちょっと小高い丘陵に堂々と(南北に)横たわっています(↓中央)。

東大寺山古墳は昭和36年~37年(1961~62)に発掘調査がなされています。あっ、もちろんワタクシはその時代のことは存じませんよ。
以前、かれこれ10年以上も前になりますが、発掘を担当された金関恕(かなせきひろし)先生(大阪府立弥生文化博物館前館長、天理大学名誉教授)の講演を聴いたことがあります。
東大寺山古墳からはたくさんの武器、武具が出てきたそうですが、その中でも大切そうに置かれていたのが金象嵌の大刀だったとか。それに「中平」という文字が入っていたことから、古代史に一石を投げかけ続けている、重要な古墳なのです。
中平というのは中国後漢の年号で、184年~189年という短期間。これが、“倭国大乱”の後、卑弥呼が女王になった時代と一致するというのです。
つまり、この立派な大刀は、卑弥呼が中国に使いを送って与えられたものではないか、というのが金関先生の説だったと思います。
邪馬台国畿内説に都合のいい考古資料だと話されていましたね。
東大寺山古墳自体は4世紀のもので、ワニ氏の有力者が埋葬されたとみられています。「中平」銘の大刀が、日本に渡って大切に使われた後、ワニ氏の管理するところとなったのでしょうか。さまざまに想像がふくらみますね。
そんなことを思い出しながら、いざ、東大寺山古墳へ~。
午前11時。気温はどんどん上昇中ながら、浮かぶ雲の姿ががおもしろくて。

大きい古墳なので、姿を見失うことがありません。目的地をめざしてどんどん進むと

おっと、天理教の建物にぶつかります。
私有地に入るのは気が引けるので、どなたかに尋ねようと思うのですが、人影なく、事務所がどこにあるかもわからないので、とにかく、入らせていただきました。失礼しまーす。
そのまま坂道を上っていくと

おお、説明板がありましたよ(クリックで大きくなります)。

説明板の横に階段状の道がついていたので

上らずにはいられません。
さらに、上へも行けるみたいで

ようやく不安が襲ってきたのですが、いやぁ、これまでの経験から古墳には特別なチカラを感じますのでね^^;、でももう後には戻れない・・・

まるで山登りをしているようで、前方後円墳の大きさを改めて実感したり。
墳頂部~

墳頂は竹藪に覆われていますが、中腹部からの眺めもなかなか。
二上山を

生駒山

※東大寺山古墳出土品は国の重要文化財として、東京国立博物館で保管されているようですね。こちらで見ることができます。
※天理市のサイト→こちら
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コメント
わくわく取材
なむ隊長ゞ
おはようございます。
ワニ氏は武器の管掌をしていたようですから、大いに関連ありそうです。
このあたり、謎が深く、古墳もいっぱいあって、ワクワクします。この日、ワニ氏の拠点と言われる和爾坐赤坂比古神社まで行きたかったのですが、雨がポツリ、風がザワザワ、手持ちの水分もわずかとなり、あきらめた次第です。できるだけ早く行きたいのですが、台風とお盆の後になりそうです。
なむさんの所は、台風の道に近いようですから、くれぐれもご用心くださいね。
>東大寺山古墳の東大寺は、東大寺と関係あるのでしょうか?
はい、近世まで東大寺領だったようです。
北・山の辺の道、ディープです
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