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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

追悼 松原佳史さん 

吉野郡野迫川村(のせがわむら)役場に勤務されていた松原佳史さんが、不慮の事故で突然いなくなってから、1年が過ぎました。38歳という若さでした。

お会いしたとき「今度は磯城郡川西町をとりあげるんですよ」と言うと、「実は島の山古墳の近くで育ったんです。楽しみにしています」とおっしゃった言葉を、『かぎろひの大和路』29号(→)の取材中、何度も思い出さずにはいられませんでした。

島の山
(島の山古墳 2011.11.24撮影)


遺された奥様とまだ小さいお子さんのことを思うと、つらすぎて、追悼の記事も書けないまま、日を重ねるばかり。そして、もうこのままそっと自分の胸のうちで手を合わせるだけにしようと思っていたのです。

そんな矢先、「かぎろひ掲示板」に奥様からの書き込みがあり驚きました。

はじめまして 投稿者:松原亜希 投稿日:2012年12月24日(月)21時21分49秒  
松原亜希と申します。4月に亡くなった松原佳史の妻です。主人の名前を検索したらこちらにたどり着きました。
生前は色々お世話になりありがとうございました。
残してくれた二人の子供たちを支えにこれから私の実家奈良市で頑張っていきます。


お会いしたことはないけれど、遺された若い奥様のことがいちばん気がかりだったので、現実を受けとめて子どもさんと一緒に力強く生きようとする決意に、胸があつくなり、ちょっとホッとしたのも事実です。

29号が出たら、追悼文を書きます、と約束しながら、日はすぎていきます…

メールボックスを整理しようとしたら生前、松原さんからいただいたものがそのまま残っていることがわかりハッとしました。
たった1度しかお会いしたことはないのですが、こんな人がいて一生懸命生きていらっしゃったことを、知りうる範囲でお伝えするのがワタクシの使命のような気がしてしまいました。


松原佳史さんは、和歌山県橋本市に住んで、南海電車と車で、野迫川村役場へ通われていました。

ご縁ができたのは、「どっぷり! 奈良漬」のtetsudaさんが、郷里に近い橋本市で講演され、松原さんがそれを聴きに行かれ、ワタクシがその記事にコメントをしたのがきっかけでした。→こちら

それからまもなく、メールを頂戴します。2010年5月18日。
鉄田さんの「日々ほぼ好日」で、コメント頂きまして有り難うございます。ぽーるすたーこと、松原と申します。当方は、野迫川村の職員ですが、九度山のお隣学文路へ引っ越してきました。

学文路駅松原さん記事
〈南海高野線学文路駅。松原さんのお住まいはこの近くだったか。2009.11.14撮影〉


週に2・3回、紀伊神谷に車を停めて電車で学文路へ帰ります。所謂三みつ・スーパー林道は、確かに早いのですが運転に気を使います。朝早くなっても、ラッシュの反対で4人がけを一人で占領、ゆったり出来るのは電車代安いものです。

やま物産の西田さんにもお世話になっています。また、十津川で熊野古道小辺路参詣道の語り部をしておりまして、町石道語り部の会にも所属し、見習いをしております。

慈尊院13.5.2記事
〈世界遺産 高野山町石道の出発点 慈尊院 2009.4.27撮影〉

またよろしくお願いします。「野迫川」で検索すると、当方の古いブログがはてなダイアリーで出てきますので、5年ほど前の様子をご覧下さい。今はmixiの中でのみ公開しています。


なんと、ワタクシの実家からほど近い所に引っ越されてきたのでした。
そして『かぎろひの大和路』の最新号は入手したけれど、五條特集号がほしい、というご連絡をいただきます。

その頃、ワタクシは週の半分ぐらいを、父が1人暮らしをする実家で過ごしていたので、こちらでお会いすることになりました。

初対面なのに、約2~3時間、話し込みました。→
お若いのに、熊野古道の語り部をされていたり、講演されたり、話題が豊富でとても楽しいひとときでした。
年上かと思うような老成したところと、人なつっこい少年のような目の輝きが同居しているような感じが、深く印象に残りました。


それからも時々メールや写真をいただきました。

私のブログ記事を読んでのメールには世間の狭さを痛感。
12/10の、ココットは嫁のお気に入りです。「息子夫婦」の奥さんはウチの嫁とママ友で、僕は食べてませんが月1でお食事会しているそうです。

また、御所柿はその商品開発を奈良女子大の寺岡先生が係わっていて、11月に「なら学概論」でも少しだけ触れておられました。

かなりパワフルに動いておられるようで。



また、あるときは、こんなお誘いが。
ご実家を夕方出られるなら大阪まで南海を北上しませんか?
奈良に嫁子を置いてまして、当直明けでこの日夕方に出て帰る予定です。
日本橋・梅田に用事があるので途中まででも♪


明けて、2011年1月5日のメール。
2日に奈良から新今宮経由で学文路に戻る際、林間田園都市で雪が残っていたのに驚き、高野へスーパー林道(三みつ)経由で上がったら仇討ち跡から非常に雪が多く、極楽橋~鶯谷までは初めて危険を感じました。

高野旧街道
〈旧高野街道にある日本最後の仇討墓所あたり。松原さんは運転を気遣いながら通られていた。2009.3.21撮影〉


2日は北今西のオコナイで、村に泊まりましたが寒くて寒くて・・・昨日の朝日・奈良新聞に出ていました。画像はその帰り、3日の役場前です。
雪かきが朝の日課です。今でもかまくらが残っています。
でも、学文路自体は暖かく感じますね。


野迫川雪
〈↑松原さん撮影〉


お会いした翌年から年賀状の交換も。
結局2枚しかいただけませんでしたが、はがき一面に、これだけたくさんの写真を載せている人をほかに知りません。勤務のかたわら、こまめな活動をしながら、家庭生活も大事にされ、子煩悩ぶりには思わず笑顔になったものです。


↓23年の年賀状

松原さん年賀状23年


↓24年の年賀状

松原さん年賀状

『かぎろひの大和路』で野迫川村をとりあげてほしい。その時は案内するから、と熱く言ってくださっていた松原さんでした。
ワタクシもそのときは泊まりがけで取材をしなくちゃ、と思っていたのですが…

松原さんの熊野古道語り部ツァーにも参加したかった…

tetsudaさんのブログ記事「野迫川観光名所 ぶらり旅」では、松原さんの撮られたすばらしい雲海の写真を見ることができます。 →こちら


あまりにも早く向こうへ行ってしまわれた松原さん。有能な松原さんにしかできない重要な任務につくために呼ばれたのでしょうか。向こうでも忙しくされながら、奥様とお子様の幸せを、見守っているに違いありません。
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Posted on 2013/05/03 Fri. 19:04 [edit]

category: 高野山麓から

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コメント

 

松原亜紀さん
おはようございます。
メールを頂戴しておりましたのに、ご丁寧にコメントもありがとうございます。
亜紀さんががんばっていらっしゃることを知って、ようやく追悼記事を書く気になりました。
男の子と、女の子に恵まれていらっしゃるのですね。かわいい盛りだと思います。
どうか、ご自愛くださいますように。

URL | かぎろひ #79D/WHSg | 2013/05/24 05:55 | edit

 

追悼記事書いていただき、本当にありがとうございます。主人の両親にも読んでいただきました。
3歳の息子と亡くなった時お腹にいてた今、10カ月になった娘の世話で毎日バタバタしております。

URL | 松原亜希 #79D/WHSg | 2013/05/24 00:21 | edit

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