かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
赤土山古墳
「赤土山古墳(あかつちやまこふん、あかんどやまこふん)」(天理市櫟本町いちのもとちょう)はワタクシの中では重きをしめる存在なのですが、気になりながらなぜか現地説明会には行っていません。行けない何かよほど大きな理由があった? もしかしたら、子どもが小さくて身動きできない時期だったかな。
念のため、発掘調査関連のスクラップを確認してみると、おお!

↑平成元年(1989)の「奈良新聞」(クリックで拡大)
25年前ってことは、長女が2歳、次女はおなかの中! ナットク、ナットク。それどころじゃなかったわい(笑)
そういうわけで、7月2日の天理~奈良ハイキング★途中、「赤土山古墳」の文字を見たとたん、行かずにはいられなくなった次第。

平成4年に国の史跡指定を受け、整備が進められ、平成22年4月から一般公開されたようです。
墳頂に上ることができます。

↑向こうの建物はシャープさん。
被葬者はワニ氏の長? さすがの一等地。南西方向。二上、葛城、金剛・・・、梅雨空につきこの日はいまいちでしたが。

東南方向

すぐ南を名阪国道が走っています。
家型埴輪、円筒埴輪、朝顔型埴輪・・・多種発掘されたものが復元されています。

ひと口に家型と言っても、切妻あり、入母屋あり、住居風、倉庫風、さまざまだったようです。
こんなのがザクザク見つかったときはゾクゾクしたでしょうね。
出土状況が写真で掲示されていました。

上の新聞にもありますが、最初は前方後方墳だと考えられていたようです。
どうやら地震の影響で墳形が崩れていたらしく、「くびれ部」を調査して「前方後円墳」ということがわかったそうですよ。

盗掘は受けていたようですが、それでも出土品いっぱい(クリックで拡大)。

整備現況図

天理市のホームページで上空からの写真を見ることができます。→こちら
赤土山古墳の位置(クリックで拡大)

念のため、発掘調査関連のスクラップを確認してみると、おお!

↑平成元年(1989)の「奈良新聞」(クリックで拡大)
25年前ってことは、長女が2歳、次女はおなかの中! ナットク、ナットク。それどころじゃなかったわい(笑)
そういうわけで、7月2日の天理~奈良ハイキング★途中、「赤土山古墳」の文字を見たとたん、行かずにはいられなくなった次第。

平成4年に国の史跡指定を受け、整備が進められ、平成22年4月から一般公開されたようです。
墳頂に上ることができます。

↑向こうの建物はシャープさん。
被葬者はワニ氏の長? さすがの一等地。南西方向。二上、葛城、金剛・・・、梅雨空につきこの日はいまいちでしたが。

東南方向

すぐ南を名阪国道が走っています。
家型埴輪、円筒埴輪、朝顔型埴輪・・・多種発掘されたものが復元されています。

ひと口に家型と言っても、切妻あり、入母屋あり、住居風、倉庫風、さまざまだったようです。
こんなのがザクザク見つかったときはゾクゾクしたでしょうね。
出土状況が写真で掲示されていました。

上の新聞にもありますが、最初は前方後方墳だと考えられていたようです。
どうやら地震の影響で墳形が崩れていたらしく、「くびれ部」を調査して「前方後円墳」ということがわかったそうですよ。

盗掘は受けていたようですが、それでも出土品いっぱい(クリックで拡大)。

整備現況図

天理市のホームページで上空からの写真を見ることができます。→こちら
赤土山古墳の位置(クリックで拡大)

- 関連記事
スポンサーサイト
08
« 台風接近の、非日常 | 石の上 布留を過ぎて »
コメント
Comment
list
コメントの投稿
Comment
form
トラックバック
トラックバックURL
→http://kagiroi3.blog.fc2.com/tb.php/1153-9f5815e6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
Trackback
list
| h o m e |