かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
纏向遺跡 東側で建物跡
このほど、そのエリアの東側でも建物跡が確認された(纏向遺跡第180次調査)というので、矢も盾もたまらず、2月9日の現地説明会に行ってまいりました。
まずは、これまでのおさらいをしておきましょう。
大型建物が確認された2009年の現地説明会には、もちろんワタクシも行きましたよ。
大きなポイントは、卑弥呼の時代と重なる時期の建物跡が3棟見つかったこと。うち1棟は大型で国内最大規模。建物群が東西に中心軸をそろえていること。
よろしければ、以前の記事を→こちらをご覧ください。
改めて2009年の発掘時の図を見てみます(クリックで大きくなります)。

↑建物BCDが中心軸をそろえていますね。
その西に建物Aとありますが、これは確認できませんでした。昨年(2013年)2月の現地説明会(第176次調査)でそんな発表を聞きましたが、ブログアップは忘れていたようで^^;
このことからも、関連施設は東側に展開する可能性があると予想されていました。
が、すぐ東はJR桜井線(万葉まほろば線)の線路が走っていますし、東側は宅地がびっしり。残念ながら発掘できないのではとあきらめておったのですよ。
それが線路の東側で発掘調査されたというのでビックリ。
この一画だけが田んぼだったそうです。
現場の掲示資料から(クリックで大きくなります)

↑いちばん右(東)が、今回の発掘地です。
やはり軸線をそろえていますね。
では、現場へ行ってみましょう。
建物F

↑黄色いポールが柱穴を表します。
建物Fを南東から見ると

建物Fは、西の大型建物から36.5m離れているとのこと。東西2間(約3.4m)かそれ以上、南北3間(約6.7m)。さほど大きな建物ではないようですが、中軸線が一致しているのは興味深いですねぇ。
調査地の状況を平面図でどうぞ。

↑建物Fの上(北)に見える「建物?G」について。
3つの柱穴だけを確認している現状で、おそらく調査地外へ広がるだろうと見られています。きっちり確認できない以上は、あくまで?なのですね。

この建物?Gは、関連の建物と角度が違うのですが、とても丁寧に造られているということでした。
柱穴から木材が見つかった(柱の下に礎板が用いられていた)そうで、立派な建物だったでしょうと話されたのが印象に残りました。
建物?Gの柱穴から見つかった礎板

↓今回見つかった土器類。
整理作業ができていないので厳密な時期決定はまだとしながらも、5世紀以前のものが多いようです。

見つかった矢板

この日、発掘現場へ行くと、あっ向こうからやってくるのは、おなじみの白雪さんではありませんか! 約束してもこんなにうまくいかないだろうというぐらいのタイミングで(笑)
それから、「かぎろひさん!」と声をかけられてふりむくと、なんと「かぎろひ歴史探訪」にご参加くださっているNさんが。
3人でしばらく談笑。ありがとうございました。
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コメント
決め手
なむ隊長ゞ
こんばんは!
纏向遺跡はこれ以上、東の地域で発掘調査ができそうもないのが残念ですね。
例の金印とか封泥とか見つかれば決まりなんでしょうが、そんな日が来てほしいような、来てほしくないような…(笑)
今日はやっぱり薬師寺、十字廊跡の現説行ってしまいました。それも雪中ハイキングで。
年度末はあちこちで現説があって落ち着きません^^;
>西大寺から南
楽しみですね!
No title
こんにちは!
この日、現説へ行く時間が取れませんでしたので、レポは有難いです。
ワクワクですね。
邪馬台国大和説を裏付ける決定的な証拠はまだ出てこないのでしょうか。
そういえば、西大寺から少し南に歩いたところでも、何かの発掘調査してましたよ。
現説ラッシュ
できさん
こんばんは!
こちらこそ、おかげさまで楽しい日になりました。
さすが、年度末、あちこちで現説ありますよね。16日は無理なのですが、明日の薬師寺、迷い中です。
No title
今日は大雪、あの日雪でなくて良かったですね。
色々とありがとうございました。
帰りは結局近鉄で帰りました。JRは時間が合わなかったのです。
URL | できさん #J/OPKEkg | 2014/02/14 20:55 | edit
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