かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
ある生涯の七つの場所 その②
本日、2022年9月24日は、辻邦生生誕98年。
生まれた日と亡くなった日は、辻邦生関連のことを書くことにしている。
実は最近、変朴さんという方から『ある生涯の七つの場所』について、齟齬が多いという非公開コメントを頂戴していて気になっている。
『ある生涯の七つの場所』というのは、辻邦生が15年にわたって雑誌『海』に連載した意欲作。このブログでも以前とりあげたことがある。⇒★

100の短編からなり、独立した掌編としても楽しめるが、赤・橙・黄・緑…という七つの色別で読むと一つのストーリーが成り立ち、また、I群、2群、3群…というふうに読むと、人物が浮かび上がるという構成になっている。
しかも、4世代にわたり、どれもが「私」で書かれているので、スッと理解するには複雑すぎる。というか、壮大巨編なのである。
ワタクシは、ン十年前、発行されるごとに読んだままだったのだが、3年前に、色別に挑戦。
しかーし、齟齬には気づかなかった。それぞれの運命的な物語に心を揺さぶられるばかりであった。
変朴さんのコメントを紹介しよう。非公開でいただいたのに申し訳ないのだが、本名じゃないし、お許しあれ。
コメントは2度。
8月11日
ほぼ50年ぶりに縦横に読み返してみました。
主要なテーマの魅力は変わっていませんが、編集者のせいなのか、15年間のブレなのか、読み手が老化し過ぎて細部にこだわりすぎるのか、内容の齟齬が気になりました。
プロローグでは主人公の祖父が役所を辞めて渡米するとなっていますが、月の舞いでは役所を辞めたのは主人公の父が旧中3の時。
川上康夫は、落日の中では帯広のミッションスクールの舎監になって入学直後の大学を去るのに、椎の木のほとりで福島の中学の教師になって去ったことになっている。
医者の伯父は、北海のほとりでは院長の代診で勤めているのに、月曜日の記憶では最初の訪問時に開業していた家があったりする。
祭の果て・月曜日の記憶では、失踪した中学教師は安藤甚三だが、ジュラの夜明けでは安藤甚二(繰り返しで出るので誤植ではない)。
こういう個所は他にもあり、一気に読んでいると感興が殺がれてしまいます。
文庫化された段階では、訂正されているのかもしれませんが、編集者が気づかなかったのか、著者が訂正の必要を認めなかったのか、今となってはどうにもならないことではありますが、意欲作だっただけに、勿体ないと思うことしきりです。
変朴さんに直接メールするすべがないので、一応、返信コメントをしておいた。愛読者同士ということで親近感があるし、辻作品に対する批判だとしてもうれしいやん。
変朴さん コメントありがとうございます。
ご指摘の点、全く気づいていませんでした。
この次はⅠ群、Ⅱ群…という読み方をしてみようと思っています。変朴さんへご連絡するすべがありませんので、また、ブログでご報告しますね。
すると、また、(非公開)コメントが。
私も第1巻以降、発行される度に読んで、そのままにしていたのです。
断捨離を考え、ため込んでいた本を売ろうとしたのですが、純文学は全く売れないのが今の世の中。で、辻邦生の本も逐次ゴミの日に処分していったのですが、この作品だけは、超長期に渡る複雑な構成の連作短編群だったので、年金族になったこともあり、場所別・番号別に読んでみたのです。
集中的に読んだので、初めて齟齬に気付きました。
人間の自由も、愛も、自然と時の流れとが織りなす生活の中にあって~などと考えてみようとはするものの、「母が療養所から退院したのはいつなんじゃー」~赤(「北海のほとり」のとおりなら「祭の果て」や「彩られた雲」の主人公の父の生活が変わってしまう。)、「八重おばさまには女の子がいたんじゃないのか」(先行する「月の舞い」と青の「赤い扇」。これによって、主人公の母、朝代の存在に影響が出る筈)、「南部修治は父の友人ではなく叔父の友人だろー」(菫「桜の~」。その叔父の年齢によっては、南部の元婚約者・楠木伊根子の年齢が高くなるので~「彩られた雲」「夜の入口」等々、連作として、通しで読むにはつらいものがあります。
辻邦生と編集者との関係は判りませんが、「海」の掲載に当たって当然チェックしたはずです。鉄道技師の息子の職業、マルティン・コップの小屋の火事、川上康夫の帝大退学後ろの身の振り方……入り組んだ構造の作品だけに、当時気づけば照会もできたろうになぁと、存在を忘れていたプロローグを読んだら、祖父が役所を辞めて渡米すると父に語る。「ちょっと待ってよ、話が違うだろー」
こんな風に長編を読んだのは初めての経験でした。辻さん、御免なさい。
辻作品に齟齬だと? うそ。ならば検証しなければ、という気持ちで再読し始めたのだが…全巻読むには時間がかかりすぎるので、変朴さんご指摘の箇所を集中的にあたっているところ。
今の時点では、変朴さんのご指摘全てに納得しているわけではないのだが…
たとえば、父が役所をやめてアメリカへ行った時期が食い違うという点について。実際には中三の時に、母が「お父さまが、役所をおやめになりました」とあって、別の仕事を始めることになっている。
プロローグは、子どもが幼少時のこと。父は「こんど私は役所をやめてアメリカに出かけることになった」と小さな子に語っているのだ。この時は、役場を正式に退職したのではなく出向というかたち。しかし、小さな子には役所をやめて、というほうが自然ではないだろうか。
川上康夫にしても、大学をやめて帯広のミッションスクールの舎監として旅だったが、それから数年経っているから、福島の中学教師になっていてもおかしくないのでは。いや、やはり無理があるか(;^_^A
と、辻褄を合わそうとするのだが、明らかにおかしい箇所を発見しているのも事実。
認めざるを得ないのは、固有名詞の間違い。失踪した中学教師、安藤甚三が、後に出現すると、安藤甚二に。
また、「八重おばさま」について、「女のお子さんだけでしたので」(月の舞い)とあるのに、「八重おばさまに子どもがなかったので」(赤い扇)になっている!
このようなミスって、編集者(校正者)の責任が大きいのではないか。もしかしたら、その後に出た文庫本や全集では修正されている?
変朴さんの克明な読み方に驚嘆するばかり。
引き続き、読んでいくつもりなので、いつか、まとめてご報告しなければ。全集を確認する必要もありそうやね。ともあれ、ありがとうございました。
生まれた日と亡くなった日は、辻邦生関連のことを書くことにしている。
実は最近、変朴さんという方から『ある生涯の七つの場所』について、齟齬が多いという非公開コメントを頂戴していて気になっている。
『ある生涯の七つの場所』というのは、辻邦生が15年にわたって雑誌『海』に連載した意欲作。このブログでも以前とりあげたことがある。⇒★

100の短編からなり、独立した掌編としても楽しめるが、赤・橙・黄・緑…という七つの色別で読むと一つのストーリーが成り立ち、また、I群、2群、3群…というふうに読むと、人物が浮かび上がるという構成になっている。
しかも、4世代にわたり、どれもが「私」で書かれているので、スッと理解するには複雑すぎる。というか、壮大巨編なのである。
ワタクシは、ン十年前、発行されるごとに読んだままだったのだが、3年前に、色別に挑戦。
しかーし、齟齬には気づかなかった。それぞれの運命的な物語に心を揺さぶられるばかりであった。
変朴さんのコメントを紹介しよう。非公開でいただいたのに申し訳ないのだが、本名じゃないし、お許しあれ。
コメントは2度。
8月11日
ほぼ50年ぶりに縦横に読み返してみました。
主要なテーマの魅力は変わっていませんが、編集者のせいなのか、15年間のブレなのか、読み手が老化し過ぎて細部にこだわりすぎるのか、内容の齟齬が気になりました。
プロローグでは主人公の祖父が役所を辞めて渡米するとなっていますが、月の舞いでは役所を辞めたのは主人公の父が旧中3の時。
川上康夫は、落日の中では帯広のミッションスクールの舎監になって入学直後の大学を去るのに、椎の木のほとりで福島の中学の教師になって去ったことになっている。
医者の伯父は、北海のほとりでは院長の代診で勤めているのに、月曜日の記憶では最初の訪問時に開業していた家があったりする。
祭の果て・月曜日の記憶では、失踪した中学教師は安藤甚三だが、ジュラの夜明けでは安藤甚二(繰り返しで出るので誤植ではない)。
こういう個所は他にもあり、一気に読んでいると感興が殺がれてしまいます。
文庫化された段階では、訂正されているのかもしれませんが、編集者が気づかなかったのか、著者が訂正の必要を認めなかったのか、今となってはどうにもならないことではありますが、意欲作だっただけに、勿体ないと思うことしきりです。
変朴さんに直接メールするすべがないので、一応、返信コメントをしておいた。愛読者同士ということで親近感があるし、辻作品に対する批判だとしてもうれしいやん。
変朴さん コメントありがとうございます。
ご指摘の点、全く気づいていませんでした。
この次はⅠ群、Ⅱ群…という読み方をしてみようと思っています。変朴さんへご連絡するすべがありませんので、また、ブログでご報告しますね。
すると、また、(非公開)コメントが。
私も第1巻以降、発行される度に読んで、そのままにしていたのです。
断捨離を考え、ため込んでいた本を売ろうとしたのですが、純文学は全く売れないのが今の世の中。で、辻邦生の本も逐次ゴミの日に処分していったのですが、この作品だけは、超長期に渡る複雑な構成の連作短編群だったので、年金族になったこともあり、場所別・番号別に読んでみたのです。
集中的に読んだので、初めて齟齬に気付きました。
人間の自由も、愛も、自然と時の流れとが織りなす生活の中にあって~などと考えてみようとはするものの、「母が療養所から退院したのはいつなんじゃー」~赤(「北海のほとり」のとおりなら「祭の果て」や「彩られた雲」の主人公の父の生活が変わってしまう。)、「八重おばさまには女の子がいたんじゃないのか」(先行する「月の舞い」と青の「赤い扇」。これによって、主人公の母、朝代の存在に影響が出る筈)、「南部修治は父の友人ではなく叔父の友人だろー」(菫「桜の~」。その叔父の年齢によっては、南部の元婚約者・楠木伊根子の年齢が高くなるので~「彩られた雲」「夜の入口」等々、連作として、通しで読むにはつらいものがあります。
辻邦生と編集者との関係は判りませんが、「海」の掲載に当たって当然チェックしたはずです。鉄道技師の息子の職業、マルティン・コップの小屋の火事、川上康夫の帝大退学後ろの身の振り方……入り組んだ構造の作品だけに、当時気づけば照会もできたろうになぁと、存在を忘れていたプロローグを読んだら、祖父が役所を辞めて渡米すると父に語る。「ちょっと待ってよ、話が違うだろー」
こんな風に長編を読んだのは初めての経験でした。辻さん、御免なさい。
辻作品に齟齬だと? うそ。ならば検証しなければ、という気持ちで再読し始めたのだが…全巻読むには時間がかかりすぎるので、変朴さんご指摘の箇所を集中的にあたっているところ。
今の時点では、変朴さんのご指摘全てに納得しているわけではないのだが…
たとえば、父が役所をやめてアメリカへ行った時期が食い違うという点について。実際には中三の時に、母が「お父さまが、役所をおやめになりました」とあって、別の仕事を始めることになっている。
プロローグは、子どもが幼少時のこと。父は「こんど私は役所をやめてアメリカに出かけることになった」と小さな子に語っているのだ。この時は、役場を正式に退職したのではなく出向というかたち。しかし、小さな子には役所をやめて、というほうが自然ではないだろうか。
川上康夫にしても、大学をやめて帯広のミッションスクールの舎監として旅だったが、それから数年経っているから、福島の中学教師になっていてもおかしくないのでは。いや、やはり無理があるか(;^_^A
と、辻褄を合わそうとするのだが、明らかにおかしい箇所を発見しているのも事実。
認めざるを得ないのは、固有名詞の間違い。失踪した中学教師、安藤甚三が、後に出現すると、安藤甚二に。
また、「八重おばさま」について、「女のお子さんだけでしたので」(月の舞い)とあるのに、「八重おばさまに子どもがなかったので」(赤い扇)になっている!
このようなミスって、編集者(校正者)の責任が大きいのではないか。もしかしたら、その後に出た文庫本や全集では修正されている?
変朴さんの克明な読み方に驚嘆するばかり。
引き続き、読んでいくつもりなので、いつか、まとめてご報告しなければ。全集を確認する必要もありそうやね。ともあれ、ありがとうございました。
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