かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
太刀魚
ただいま、オンライン飲み会中。

あっと気づいて、ほろ酔いのなか、ブログを更新しなければ。
関東にいる娘夫婦は最近、釣りにはまっている?
先日はカサゴだったが⇒★
今日は太刀魚漁に行ったとか。他の人がボウズが多いなかで、夫婦一匹ずつ釣れたのだそう。

帰ってから、さばいたのはもちろんムコドノ。

炙りもうまそう

ちなみに我が家は珍しく洋風。ワインとともに。

来週、なっちゃん、あーちゃんがやってくることになっているので、じーさんは、おいしく食べてもらえるご飯を考えている。何がいちばん好き? なっちゃん「白いご飯」。
嫌いなものある? あーちゃん「フォアグラ」
さて、オンラインに戻りまーす。

あっと気づいて、ほろ酔いのなか、ブログを更新しなければ。
関東にいる娘夫婦は最近、釣りにはまっている?
先日はカサゴだったが⇒★
今日は太刀魚漁に行ったとか。他の人がボウズが多いなかで、夫婦一匹ずつ釣れたのだそう。

帰ってから、さばいたのはもちろんムコドノ。

炙りもうまそう

ちなみに我が家は珍しく洋風。ワインとともに。

来週、なっちゃん、あーちゃんがやってくることになっているので、じーさんは、おいしく食べてもらえるご飯を考えている。何がいちばん好き? なっちゃん「白いご飯」。
嫌いなものある? あーちゃん「フォアグラ」
さて、オンラインに戻りまーす。
30
采女祭り 花扇奉納行列
9月29日、午後から2つの会議に出席して、終わったら5時。近鉄奈良駅前。
おっと、今日は中秋の名月。「采女祭り」の日やん!
こういった超有名な観光行事に、わざわざ出向くことはめったにないのだけれど、せっかく近くにいるのだから雰囲気だけでもと猿沢池へ。

とはいえ、「管絃船の儀」までは2時間ほどもありそうだから、そこまで待てないわ。
花扇奉納行列に出あうのを期待しながら、三条通りを下っていくと、バッチリ




采女祭り⇒★
おっと、今日は中秋の名月。「采女祭り」の日やん!
こういった超有名な観光行事に、わざわざ出向くことはめったにないのだけれど、せっかく近くにいるのだから雰囲気だけでもと猿沢池へ。

とはいえ、「管絃船の儀」までは2時間ほどもありそうだから、そこまで待てないわ。
花扇奉納行列に出あうのを期待しながら、三条通りを下っていくと、バッチリ




采女祭り⇒★
29
佐渡旅行⑧カモメと遊ぶ
今回の佐渡旅は大阪・伊丹空港から新潟まで飛行機で。そこから船で渡るので移動に時間がかかった。
一昨年、鹿児島へは、大阪から新幹線に乗るとそのまま直通で、お昼には到着したことを思うと、やっぱり遠いという印象だ。佐渡島に空港はあるのだが運休中。
行きはカーフェリーで3時間余。帰りはジェットホイルで1時間。
カーフェリーがとても楽しかった。乗ったのは「ときわ丸」⇒★

6階まであり、スイートルームや個室も備えたホテルのような大型船


我々は、定位置にいることなく、3時間たっぷり楽しんだ。
もちろん、海を眺めているだけで幸せなのだけれど

デッキへ出て風に吹かれたり、ビールを飲んだり

なかでも、いちばん盛り上がったのが、カモメさんとの交流(笑)
かっぱえびせんを投げると、空中で見事にキャッチ


そして、どこまでも追っかけてくるという感じなのだ。


じーさん、ばーさんも子どものように(笑)

ムコドノが一瞬をキャッチしていた。さすがプロ


↑ワタクシ(笑)
一昨年、鹿児島へは、大阪から新幹線に乗るとそのまま直通で、お昼には到着したことを思うと、やっぱり遠いという印象だ。佐渡島に空港はあるのだが運休中。
行きはカーフェリーで3時間余。帰りはジェットホイルで1時間。
カーフェリーがとても楽しかった。乗ったのは「ときわ丸」⇒★

6階まであり、スイートルームや個室も備えたホテルのような大型船


我々は、定位置にいることなく、3時間たっぷり楽しんだ。
もちろん、海を眺めているだけで幸せなのだけれど

デッキへ出て風に吹かれたり、ビールを飲んだり

なかでも、いちばん盛り上がったのが、カモメさんとの交流(笑)
かっぱえびせんを投げると、空中で見事にキャッチ


そして、どこまでも追っかけてくるという感じなのだ。


じーさん、ばーさんも子どものように(笑)

ムコドノが一瞬をキャッチしていた。さすがプロ


↑ワタクシ(笑)
28
ひつじ雲?
9月26日夕方、空を見上げると

天高く、秋の空という風情ではなく、低空にびっしりと並んだ雲が異様な感じ。威圧感あり。
これって、いわし雲=うろこ雲じゃないよね。ひつじ雲か?
ネットで調べてみると、ウェザーニュース⇒★
ひつじ雲で正解かな。
手を伸ばして、小指または人差し指を1本立てます。雲の塊が小指に隠れた場合は、上空の高いところにできる巻積雲(=うろこ雲)の可能性が高くなります。一方、雲の塊が人差し指からもはみ出してしまうようであれば、高積雲(=ひつじ雲)ということになります。
ですって。今度は手を伸ばしてみようっと。

天高く、秋の空という風情ではなく、低空にびっしりと並んだ雲が異様な感じ。威圧感あり。
これって、いわし雲=うろこ雲じゃないよね。ひつじ雲か?
ネットで調べてみると、ウェザーニュース⇒★
ひつじ雲で正解かな。
手を伸ばして、小指または人差し指を1本立てます。雲の塊が小指に隠れた場合は、上空の高いところにできる巻積雲(=うろこ雲)の可能性が高くなります。一方、雲の塊が人差し指からもはみ出してしまうようであれば、高積雲(=ひつじ雲)ということになります。
ですって。今度は手を伸ばしてみようっと。
27
佐渡旅行⑦酒蔵めぐり
しばらくぶりに、佐渡旅行の続きをば。
毎年、大人数で家族旅行するなんて仲がいいね、とよく言われる。1か月に1度はやるオンラインについても。
いやー、何が家族を結び付けているかと言うと、酒ですな(笑)

今回の佐渡旅も、酒蔵探訪はみんなの希望だった。
佐渡の酒蔵は5つ

こちらのサイトから拝借⇒★
我々が立ち寄ったのはこのうち3つ。①②③
すべての蔵で試飲し、お酒を買ったのに、あまり撮っていなくて、えっ。たぶん、一生懸命試飲して、どれを送ろうか考えていたから?(笑)
③の天領盃酒造(⇒★)は、両津港から近く、ホテルまでの途中にあったので、初日に立ち寄った。

試飲タイム。ドライバーには申し訳ないけれど、女子4人で

初日ということもあり、部屋飲み用にゲット
2日目は、マリンスポーツ派とドライブ派に分かれて午前中を過ごし⇒★
ゆっくりとランチしたので⇒★
すべての予定をこなすのは無理っぽくなってしまった。
しかし、「金山と酒蔵とどっちにする?」などと誰も聞くこともなく(笑)
ここのお酒の名前は知っていた、「真野鶴」を醸す尾畑酒造⇒★


そして、佐渡でいちばん小さい蔵を謳ってはる逸見酒造⇒★

娘の一人が、酒友?に「至」を買ってきてほしいと頼まれたとか。佐渡と聞いてすぐに「至」が出てくるなんて通だよね。
もちろん試飲させていただいたのだが、「本醸造」がおいしいと感じたのは、初めての経験。買ってくればよかった。
佐渡の酒蔵5つのうち3つを制覇したことになるが、北雪酒造は離れすぎているから無理だとしても、わりと近くの加藤酒造店(⇒★)へ行けなかったのはちょっと残念。
と思っていたら、夕食で飲むことができた。

↑風和(かぜやわらか)
部屋飲み


ショータイム。やんややんや(笑)

毎年、大人数で家族旅行するなんて仲がいいね、とよく言われる。1か月に1度はやるオンラインについても。
いやー、何が家族を結び付けているかと言うと、酒ですな(笑)

今回の佐渡旅も、酒蔵探訪はみんなの希望だった。
佐渡の酒蔵は5つ

こちらのサイトから拝借⇒★
我々が立ち寄ったのはこのうち3つ。①②③
すべての蔵で試飲し、お酒を買ったのに、あまり撮っていなくて、えっ。たぶん、一生懸命試飲して、どれを送ろうか考えていたから?(笑)
③の天領盃酒造(⇒★)は、両津港から近く、ホテルまでの途中にあったので、初日に立ち寄った。

試飲タイム。ドライバーには申し訳ないけれど、女子4人で

初日ということもあり、部屋飲み用にゲット
2日目は、マリンスポーツ派とドライブ派に分かれて午前中を過ごし⇒★
ゆっくりとランチしたので⇒★
すべての予定をこなすのは無理っぽくなってしまった。
しかし、「金山と酒蔵とどっちにする?」などと誰も聞くこともなく(笑)
ここのお酒の名前は知っていた、「真野鶴」を醸す尾畑酒造⇒★


そして、佐渡でいちばん小さい蔵を謳ってはる逸見酒造⇒★

娘の一人が、酒友?に「至」を買ってきてほしいと頼まれたとか。佐渡と聞いてすぐに「至」が出てくるなんて通だよね。
もちろん試飲させていただいたのだが、「本醸造」がおいしいと感じたのは、初めての経験。買ってくればよかった。
佐渡の酒蔵5つのうち3つを制覇したことになるが、北雪酒造は離れすぎているから無理だとしても、わりと近くの加藤酒造店(⇒★)へ行けなかったのはちょっと残念。
と思っていたら、夕食で飲むことができた。

↑風和(かぜやわらか)
部屋飲み


ショータイム。やんややんや(笑)

26
9月27日(水)のかぎろひ文章講座
「かぎろひ文章教室」は9月から第5期に入ります。
その第1回は、9月27日(水)。
確認しようとして、ホームページを見たら、あれ、まだ案内をアップできていなかったとは(;^_^A
教室の皆さんには今期の案内を配布したので、すっかり安心しておりました。ブログ更新の後、久しぶりにHPをさわりましょう。トップの画像も6月からそのままやー
さて、4期が終わりましたので、文集ができています。27日にお渡ししますね。

そして、27日のテキストは

①「夢と人生」(埴谷雄高 著)
②万葉集
歌集にも史書にも一行しか登場しない女性・八代女王
③俳句鑑賞
水原秋桜子
※「かぎろひ文章教室」第5期①⇒★
9月27日(水)10:00~12:00
奈良県女性センター(ひがしむき商店街)
飛び入り参加OK(1500円)
その第1回は、9月27日(水)。
確認しようとして、ホームページを見たら、あれ、まだ案内をアップできていなかったとは(;^_^A
教室の皆さんには今期の案内を配布したので、すっかり安心しておりました。ブログ更新の後、久しぶりにHPをさわりましょう。トップの画像も6月からそのままやー
さて、4期が終わりましたので、文集ができています。27日にお渡ししますね。

そして、27日のテキストは

①「夢と人生」(埴谷雄高 著)
②万葉集
歌集にも史書にも一行しか登場しない女性・八代女王
③俳句鑑賞
水原秋桜子
※「かぎろひ文章教室」第5期①⇒★
9月27日(水)10:00~12:00
奈良県女性センター(ひがしむき商店街)
飛び入り参加OK(1500円)
25
ある生涯の七つの場所 その②
本日、2022年9月24日は、辻邦生生誕98年。
生まれた日と亡くなった日は、辻邦生関連のことを書くことにしている。
実は最近、変朴さんという方から『ある生涯の七つの場所』について、齟齬が多いという非公開コメントを頂戴していて気になっている。
『ある生涯の七つの場所』というのは、辻邦生が15年にわたって雑誌『海』に連載した意欲作。このブログでも以前とりあげたことがある。⇒★

100の短編からなり、独立した掌編としても楽しめるが、赤・橙・黄・緑…という七つの色別で読むと一つのストーリーが成り立ち、また、I群、2群、3群…というふうに読むと、人物が浮かび上がるという構成になっている。
しかも、4世代にわたり、どれもが「私」で書かれているので、スッと理解するには複雑すぎる。というか、壮大巨編なのである。
ワタクシは、ン十年前、発行されるごとに読んだままだったのだが、3年前に、色別に挑戦。
しかーし、齟齬には気づかなかった。それぞれの運命的な物語に心を揺さぶられるばかりであった。
変朴さんのコメントを紹介しよう。非公開でいただいたのに申し訳ないのだが、本名じゃないし、お許しあれ。
コメントは2度。
8月11日
ほぼ50年ぶりに縦横に読み返してみました。
主要なテーマの魅力は変わっていませんが、編集者のせいなのか、15年間のブレなのか、読み手が老化し過ぎて細部にこだわりすぎるのか、内容の齟齬が気になりました。
プロローグでは主人公の祖父が役所を辞めて渡米するとなっていますが、月の舞いでは役所を辞めたのは主人公の父が旧中3の時。
川上康夫は、落日の中では帯広のミッションスクールの舎監になって入学直後の大学を去るのに、椎の木のほとりで福島の中学の教師になって去ったことになっている。
医者の伯父は、北海のほとりでは院長の代診で勤めているのに、月曜日の記憶では最初の訪問時に開業していた家があったりする。
祭の果て・月曜日の記憶では、失踪した中学教師は安藤甚三だが、ジュラの夜明けでは安藤甚二(繰り返しで出るので誤植ではない)。
こういう個所は他にもあり、一気に読んでいると感興が殺がれてしまいます。
文庫化された段階では、訂正されているのかもしれませんが、編集者が気づかなかったのか、著者が訂正の必要を認めなかったのか、今となってはどうにもならないことではありますが、意欲作だっただけに、勿体ないと思うことしきりです。
変朴さんに直接メールするすべがないので、一応、返信コメントをしておいた。愛読者同士ということで親近感があるし、辻作品に対する批判だとしてもうれしいやん。
変朴さん コメントありがとうございます。
ご指摘の点、全く気づいていませんでした。
この次はⅠ群、Ⅱ群…という読み方をしてみようと思っています。変朴さんへご連絡するすべがありませんので、また、ブログでご報告しますね。
すると、また、(非公開)コメントが。
私も第1巻以降、発行される度に読んで、そのままにしていたのです。
断捨離を考え、ため込んでいた本を売ろうとしたのですが、純文学は全く売れないのが今の世の中。で、辻邦生の本も逐次ゴミの日に処分していったのですが、この作品だけは、超長期に渡る複雑な構成の連作短編群だったので、年金族になったこともあり、場所別・番号別に読んでみたのです。
集中的に読んだので、初めて齟齬に気付きました。
人間の自由も、愛も、自然と時の流れとが織りなす生活の中にあって~などと考えてみようとはするものの、「母が療養所から退院したのはいつなんじゃー」~赤(「北海のほとり」のとおりなら「祭の果て」や「彩られた雲」の主人公の父の生活が変わってしまう。)、「八重おばさまには女の子がいたんじゃないのか」(先行する「月の舞い」と青の「赤い扇」。これによって、主人公の母、朝代の存在に影響が出る筈)、「南部修治は父の友人ではなく叔父の友人だろー」(菫「桜の~」。その叔父の年齢によっては、南部の元婚約者・楠木伊根子の年齢が高くなるので~「彩られた雲」「夜の入口」等々、連作として、通しで読むにはつらいものがあります。
辻邦生と編集者との関係は判りませんが、「海」の掲載に当たって当然チェックしたはずです。鉄道技師の息子の職業、マルティン・コップの小屋の火事、川上康夫の帝大退学後ろの身の振り方……入り組んだ構造の作品だけに、当時気づけば照会もできたろうになぁと、存在を忘れていたプロローグを読んだら、祖父が役所を辞めて渡米すると父に語る。「ちょっと待ってよ、話が違うだろー」
こんな風に長編を読んだのは初めての経験でした。辻さん、御免なさい。
辻作品に齟齬だと? うそ。ならば検証しなければ、という気持ちで再読し始めたのだが…全巻読むには時間がかかりすぎるので、変朴さんご指摘の箇所を集中的にあたっているところ。
今の時点では、変朴さんのご指摘全てに納得しているわけではないのだが…
たとえば、父が役所をやめてアメリカへ行った時期が食い違うという点について。実際には中三の時に、母が「お父さまが、役所をおやめになりました」とあって、別の仕事を始めることになっている。
プロローグは、子どもが幼少時のこと。父は「こんど私は役所をやめてアメリカに出かけることになった」と小さな子に語っているのだ。この時は、役場を正式に退職したのではなく出向というかたち。しかし、小さな子には役所をやめて、というほうが自然ではないだろうか。
川上康夫にしても、大学をやめて帯広のミッションスクールの舎監として旅だったが、それから数年経っているから、福島の中学教師になっていてもおかしくないのでは。いや、やはり無理があるか(;^_^A
と、辻褄を合わそうとするのだが、明らかにおかしい箇所を発見しているのも事実。
認めざるを得ないのは、固有名詞の間違い。失踪した中学教師、安藤甚三が、後に出現すると、安藤甚二に。
また、「八重おばさま」について、「女のお子さんだけでしたので」(月の舞い)とあるのに、「八重おばさまに子どもがなかったので」(赤い扇)になっている!
このようなミスって、編集者(校正者)の責任が大きいのではないか。もしかしたら、その後に出た文庫本や全集では修正されている?
変朴さんの克明な読み方に驚嘆するばかり。
引き続き、読んでいくつもりなので、いつか、まとめてご報告しなければ。全集を確認する必要もありそうやね。ともあれ、ありがとうございました。
生まれた日と亡くなった日は、辻邦生関連のことを書くことにしている。
実は最近、変朴さんという方から『ある生涯の七つの場所』について、齟齬が多いという非公開コメントを頂戴していて気になっている。
『ある生涯の七つの場所』というのは、辻邦生が15年にわたって雑誌『海』に連載した意欲作。このブログでも以前とりあげたことがある。⇒★

100の短編からなり、独立した掌編としても楽しめるが、赤・橙・黄・緑…という七つの色別で読むと一つのストーリーが成り立ち、また、I群、2群、3群…というふうに読むと、人物が浮かび上がるという構成になっている。
しかも、4世代にわたり、どれもが「私」で書かれているので、スッと理解するには複雑すぎる。というか、壮大巨編なのである。
ワタクシは、ン十年前、発行されるごとに読んだままだったのだが、3年前に、色別に挑戦。
しかーし、齟齬には気づかなかった。それぞれの運命的な物語に心を揺さぶられるばかりであった。
変朴さんのコメントを紹介しよう。非公開でいただいたのに申し訳ないのだが、本名じゃないし、お許しあれ。
コメントは2度。
8月11日
ほぼ50年ぶりに縦横に読み返してみました。
主要なテーマの魅力は変わっていませんが、編集者のせいなのか、15年間のブレなのか、読み手が老化し過ぎて細部にこだわりすぎるのか、内容の齟齬が気になりました。
プロローグでは主人公の祖父が役所を辞めて渡米するとなっていますが、月の舞いでは役所を辞めたのは主人公の父が旧中3の時。
川上康夫は、落日の中では帯広のミッションスクールの舎監になって入学直後の大学を去るのに、椎の木のほとりで福島の中学の教師になって去ったことになっている。
医者の伯父は、北海のほとりでは院長の代診で勤めているのに、月曜日の記憶では最初の訪問時に開業していた家があったりする。
祭の果て・月曜日の記憶では、失踪した中学教師は安藤甚三だが、ジュラの夜明けでは安藤甚二(繰り返しで出るので誤植ではない)。
こういう個所は他にもあり、一気に読んでいると感興が殺がれてしまいます。
文庫化された段階では、訂正されているのかもしれませんが、編集者が気づかなかったのか、著者が訂正の必要を認めなかったのか、今となってはどうにもならないことではありますが、意欲作だっただけに、勿体ないと思うことしきりです。
変朴さんに直接メールするすべがないので、一応、返信コメントをしておいた。愛読者同士ということで親近感があるし、辻作品に対する批判だとしてもうれしいやん。
変朴さん コメントありがとうございます。
ご指摘の点、全く気づいていませんでした。
この次はⅠ群、Ⅱ群…という読み方をしてみようと思っています。変朴さんへご連絡するすべがありませんので、また、ブログでご報告しますね。
すると、また、(非公開)コメントが。
私も第1巻以降、発行される度に読んで、そのままにしていたのです。
断捨離を考え、ため込んでいた本を売ろうとしたのですが、純文学は全く売れないのが今の世の中。で、辻邦生の本も逐次ゴミの日に処分していったのですが、この作品だけは、超長期に渡る複雑な構成の連作短編群だったので、年金族になったこともあり、場所別・番号別に読んでみたのです。
集中的に読んだので、初めて齟齬に気付きました。
人間の自由も、愛も、自然と時の流れとが織りなす生活の中にあって~などと考えてみようとはするものの、「母が療養所から退院したのはいつなんじゃー」~赤(「北海のほとり」のとおりなら「祭の果て」や「彩られた雲」の主人公の父の生活が変わってしまう。)、「八重おばさまには女の子がいたんじゃないのか」(先行する「月の舞い」と青の「赤い扇」。これによって、主人公の母、朝代の存在に影響が出る筈)、「南部修治は父の友人ではなく叔父の友人だろー」(菫「桜の~」。その叔父の年齢によっては、南部の元婚約者・楠木伊根子の年齢が高くなるので~「彩られた雲」「夜の入口」等々、連作として、通しで読むにはつらいものがあります。
辻邦生と編集者との関係は判りませんが、「海」の掲載に当たって当然チェックしたはずです。鉄道技師の息子の職業、マルティン・コップの小屋の火事、川上康夫の帝大退学後ろの身の振り方……入り組んだ構造の作品だけに、当時気づけば照会もできたろうになぁと、存在を忘れていたプロローグを読んだら、祖父が役所を辞めて渡米すると父に語る。「ちょっと待ってよ、話が違うだろー」
こんな風に長編を読んだのは初めての経験でした。辻さん、御免なさい。
辻作品に齟齬だと? うそ。ならば検証しなければ、という気持ちで再読し始めたのだが…全巻読むには時間がかかりすぎるので、変朴さんご指摘の箇所を集中的にあたっているところ。
今の時点では、変朴さんのご指摘全てに納得しているわけではないのだが…
たとえば、父が役所をやめてアメリカへ行った時期が食い違うという点について。実際には中三の時に、母が「お父さまが、役所をおやめになりました」とあって、別の仕事を始めることになっている。
プロローグは、子どもが幼少時のこと。父は「こんど私は役所をやめてアメリカに出かけることになった」と小さな子に語っているのだ。この時は、役場を正式に退職したのではなく出向というかたち。しかし、小さな子には役所をやめて、というほうが自然ではないだろうか。
川上康夫にしても、大学をやめて帯広のミッションスクールの舎監として旅だったが、それから数年経っているから、福島の中学教師になっていてもおかしくないのでは。いや、やはり無理があるか(;^_^A
と、辻褄を合わそうとするのだが、明らかにおかしい箇所を発見しているのも事実。
認めざるを得ないのは、固有名詞の間違い。失踪した中学教師、安藤甚三が、後に出現すると、安藤甚二に。
また、「八重おばさま」について、「女のお子さんだけでしたので」(月の舞い)とあるのに、「八重おばさまに子どもがなかったので」(赤い扇)になっている!
このようなミスって、編集者(校正者)の責任が大きいのではないか。もしかしたら、その後に出た文庫本や全集では修正されている?
変朴さんの克明な読み方に驚嘆するばかり。
引き続き、読んでいくつもりなので、いつか、まとめてご報告しなければ。全集を確認する必要もありそうやね。ともあれ、ありがとうございました。
24
秋季第1回 修行僧の道 報告
9月21日(木)に実施した「かぎろひ歴史探訪」を写真でご報告します。
天理駅から上ツ道を南下して、最初のポイント、市座神社で

石室の蓋だという青石橋に興味津々

大きなポイントである浄国寺での写真はなぜかなくて

↑左が浄国寺。さらに上ツ道をたどります


↑龍王山と彼岸花

↑芭蕉の句碑のある藤の棚で
芭蕉が『笈の小文』の旅で上ツ道を歩き詠んだ「草臥れて宿かる比や藤の花」の句碑が建てられています。
道は90度東へ折れて、朝日寺跡へ向かう途中に、中村直三の顕彰碑がありました。

Wikipediaによると、中村直三は
群馬県の船津伝次平、香川県の奈良専二と並び、「明治の三老農」の一人として明治農法の確立に努めた。また、従来の農書とは別に、角力番付、一枚刷り、小冊子など、農民にわかりやすい形式を活用して、自らの農法を積極的に広めた。
とあります。このあたりの出身のようですね。⇒★
朝日寺跡墓地で聖観音石仏を拝観

大和神社に到着しましたー

参集館で、お弁当とセンセの講座

広いお座敷でゆっくり
大和神社へお参りして、再び上ツ道を南へ

↑渟名城入姫神社で
五智堂

最終ポイント、黒塚古墳

お疲れさまでしたー

ご参加ありがとうございました。
ややこしい天気予報で心配したのですが、一瞬ミストシャワーのようなものが通り過ぎただけでした。
途中、センセの傘はワタクシが持つことになり、大和神社でも黒塚古墳展示館でも、JRの電車の中でも、反省会場でも、さらに二次会場でも忘れることがなかったのに…、最終の最寄り駅を降りて、あちゃー、電車の中に置き忘れ(笑)。例のビニール傘だったので、追っかけることもなく、サラバとなったのでした。
長時間、邪魔やなあと思いながら、持っていたのに、なんてこった(笑) 傘さん、ごめんねm(__)m
※「かぎろひ歴史探訪」次回は10月12日(木)、近鉄京都線東寺駅集合です。
詳しくは下見歩きの後、ご案内します。
天理駅から上ツ道を南下して、最初のポイント、市座神社で

石室の蓋だという青石橋に興味津々

大きなポイントである浄国寺での写真はなぜかなくて

↑左が浄国寺。さらに上ツ道をたどります


↑龍王山と彼岸花

↑芭蕉の句碑のある藤の棚で
芭蕉が『笈の小文』の旅で上ツ道を歩き詠んだ「草臥れて宿かる比や藤の花」の句碑が建てられています。
道は90度東へ折れて、朝日寺跡へ向かう途中に、中村直三の顕彰碑がありました。

Wikipediaによると、中村直三は
群馬県の船津伝次平、香川県の奈良専二と並び、「明治の三老農」の一人として明治農法の確立に努めた。また、従来の農書とは別に、角力番付、一枚刷り、小冊子など、農民にわかりやすい形式を活用して、自らの農法を積極的に広めた。
とあります。このあたりの出身のようですね。⇒★
朝日寺跡墓地で聖観音石仏を拝観

大和神社に到着しましたー

参集館で、お弁当とセンセの講座

広いお座敷でゆっくり
大和神社へお参りして、再び上ツ道を南へ

↑渟名城入姫神社で
五智堂

最終ポイント、黒塚古墳

お疲れさまでしたー

ご参加ありがとうございました。
ややこしい天気予報で心配したのですが、一瞬ミストシャワーのようなものが通り過ぎただけでした。
途中、センセの傘はワタクシが持つことになり、大和神社でも黒塚古墳展示館でも、JRの電車の中でも、反省会場でも、さらに二次会場でも忘れることがなかったのに…、最終の最寄り駅を降りて、あちゃー、電車の中に置き忘れ(笑)。例のビニール傘だったので、追っかけることもなく、サラバとなったのでした。
長時間、邪魔やなあと思いながら、持っていたのに、なんてこった(笑) 傘さん、ごめんねm(__)m
※「かぎろひ歴史探訪」次回は10月12日(木)、近鉄京都線東寺駅集合です。
詳しくは下見歩きの後、ご案内します。
23
Yahooニュースに「奈良八重桜の会」
9月21日(木)は「かぎろひ歴史探訪」の当日でした。ご参加の皆様、ありがとうございました。ご報告は明日できると思います。
実はこの日、朝から、ワタクシのスマホに着信多く、なになに、と思って確認すると、「奈良八重桜の会」のことがyahooニュースに載ったとのことで、大騒ぎなのでした。⇒★
何日か前に、産経新聞に掲載されたのですが、それと同様のようです。
記録しておきたいので、全文載せておきたいと思います。
「奈良の都の八重桜」能で美しさ表現 幻の演目、来春上演
2023/9/14 12:05
古都・奈良で古くから愛されてきた桜の一品種「ナラノヤエザクラ」をテーマにした室町時代作といわれる幻の能「八重桜」が来年4月、奈良市内で上演される。江戸時代以降、長らく埋もれていたとされる演目で、地元の桜愛好家らが奈良ゆかりの金春流(こんぱるりゅう)とともに復曲に向けて取り組んできた。ナラノヤエザクラの花の姿はあまり知られておらず、能を通じてその美しさと歴史を知ってもらいたい考えだ。
奈良の春日明神に参詣した天皇の臣下が、翁(おきな)から春日山の縁起を聞いた夜、水谷の神(現在の春日大社摂社)が現れてナラノヤエザクラをたたえて舞う-。今回復曲することになった能「八重桜」のあらすじだ。
きっかけは、ナラノヤエザクラの保護育成に取り組む「奈良八重桜の会」の上田トクヱ会長(78)が新作能を創作し、ナラノヤエザクラを伝えたいと思い立ったことだ。現在の4流が奈良発祥とされる能楽も託すにふさわしい芸能だが、一から能を作ることは難しく、そのまま10年ほどが経過した。
令和3年、「夢物語」は大きく動き出す。会の名誉会員である興福寺の多川俊映寺務老院を通じて、能楽研究者に「八重桜」という能があることを教えてもらった。
「これはやるしかない」。上田さんはそう思い、同会で復曲することを決めた。
「八重桜」が記された謡本は残っていたものの、そのままでは上演できない。同会はクラウドファンディングで資金を募り、興福寺ゆかりの金春流能楽師に舞の型付けなど復曲を依頼。8月にはシテ(主役)を勤める奈良市の能楽師、金春穂高さんらと囃子(はやし)方が集まって稽古を始めた。
金春さんによると、能が幕府により整えられた江戸時代以降、ほぼ演じられていないと推測されるという。「オーソドックスな脇能(能楽における神をシテとする曲)で、その特徴を生かすよう舞いたい。今後繰り返し演じられるようになり、身近な曲になる可能性が高い」と期待を寄せる。
清楚な美しさのナラノヤエザクラ=今年4月、奈良市(奈良八重桜の会提供)
かつて興福寺東円堂付近にあったとされ、平安時代の歌人、伊勢大輔が「いにしへの 奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」と、その美しさを詠んだナラノヤエザクラ。上田さんは「ナラノヤエザクラは他の桜が散った後にそっと咲くので目を引きにくいが、清楚(せいそ)で美しい。奈良では桜一本にも物語があることを知ってもらいたい」と語る。
多川さんは「題材を含め奈良らしい曲で、奈良に根付いた金春流に復曲してもらう意義は大きい。1度で終わらせず、ぜひ再演してほしい」と期待する。
能「八重桜」は来年4月27日に奈良春日野国際フォーラム甍(いらか)・能楽ホールで上演する予定。(岩口利一)
ナラノヤエザクラ カスミザクラの変種と考えられ、他の桜より遅れて4月下旬に咲く。紅色のつぼみが開くと淡いピンクに、散り際には再び紅色となる。古くから和歌に詠まれ語り継がれながら、長らく幻になっていた。大正11年に東大寺塔頭(たっちゅう)・知足院の裏山で植物学者が見つけ、古来記録されていた奈良ゆかりの桜の特徴と合致することを確認し、翌年に国天然記念物に指定された。現在は奈良公園周辺に約700本があり、奈良県や奈良市の花にもなっている。
掲載されたナラノヤエザクラの写真はワタクシが撮ったものでーす。(2023.4.18 東円堂跡で)

産経新聞⇒★
実はこの日、朝から、ワタクシのスマホに着信多く、なになに、と思って確認すると、「奈良八重桜の会」のことがyahooニュースに載ったとのことで、大騒ぎなのでした。⇒★
何日か前に、産経新聞に掲載されたのですが、それと同様のようです。
記録しておきたいので、全文載せておきたいと思います。
「奈良の都の八重桜」能で美しさ表現 幻の演目、来春上演
2023/9/14 12:05
古都・奈良で古くから愛されてきた桜の一品種「ナラノヤエザクラ」をテーマにした室町時代作といわれる幻の能「八重桜」が来年4月、奈良市内で上演される。江戸時代以降、長らく埋もれていたとされる演目で、地元の桜愛好家らが奈良ゆかりの金春流(こんぱるりゅう)とともに復曲に向けて取り組んできた。ナラノヤエザクラの花の姿はあまり知られておらず、能を通じてその美しさと歴史を知ってもらいたい考えだ。
奈良の春日明神に参詣した天皇の臣下が、翁(おきな)から春日山の縁起を聞いた夜、水谷の神(現在の春日大社摂社)が現れてナラノヤエザクラをたたえて舞う-。今回復曲することになった能「八重桜」のあらすじだ。
きっかけは、ナラノヤエザクラの保護育成に取り組む「奈良八重桜の会」の上田トクヱ会長(78)が新作能を創作し、ナラノヤエザクラを伝えたいと思い立ったことだ。現在の4流が奈良発祥とされる能楽も託すにふさわしい芸能だが、一から能を作ることは難しく、そのまま10年ほどが経過した。
令和3年、「夢物語」は大きく動き出す。会の名誉会員である興福寺の多川俊映寺務老院を通じて、能楽研究者に「八重桜」という能があることを教えてもらった。
「これはやるしかない」。上田さんはそう思い、同会で復曲することを決めた。
「八重桜」が記された謡本は残っていたものの、そのままでは上演できない。同会はクラウドファンディングで資金を募り、興福寺ゆかりの金春流能楽師に舞の型付けなど復曲を依頼。8月にはシテ(主役)を勤める奈良市の能楽師、金春穂高さんらと囃子(はやし)方が集まって稽古を始めた。
金春さんによると、能が幕府により整えられた江戸時代以降、ほぼ演じられていないと推測されるという。「オーソドックスな脇能(能楽における神をシテとする曲)で、その特徴を生かすよう舞いたい。今後繰り返し演じられるようになり、身近な曲になる可能性が高い」と期待を寄せる。
清楚な美しさのナラノヤエザクラ=今年4月、奈良市(奈良八重桜の会提供)
かつて興福寺東円堂付近にあったとされ、平安時代の歌人、伊勢大輔が「いにしへの 奈良の都の八重桜 けふ九重に にほひぬるかな」と、その美しさを詠んだナラノヤエザクラ。上田さんは「ナラノヤエザクラは他の桜が散った後にそっと咲くので目を引きにくいが、清楚(せいそ)で美しい。奈良では桜一本にも物語があることを知ってもらいたい」と語る。
多川さんは「題材を含め奈良らしい曲で、奈良に根付いた金春流に復曲してもらう意義は大きい。1度で終わらせず、ぜひ再演してほしい」と期待する。
能「八重桜」は来年4月27日に奈良春日野国際フォーラム甍(いらか)・能楽ホールで上演する予定。(岩口利一)
ナラノヤエザクラ カスミザクラの変種と考えられ、他の桜より遅れて4月下旬に咲く。紅色のつぼみが開くと淡いピンクに、散り際には再び紅色となる。古くから和歌に詠まれ語り継がれながら、長らく幻になっていた。大正11年に東大寺塔頭(たっちゅう)・知足院の裏山で植物学者が見つけ、古来記録されていた奈良ゆかりの桜の特徴と合致することを確認し、翌年に国天然記念物に指定された。現在は奈良公園周辺に約700本があり、奈良県や奈良市の花にもなっている。
掲載されたナラノヤエザクラの写真はワタクシが撮ったものでーす。(2023.4.18 東円堂跡で)

産経新聞⇒★
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