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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

花守活動 

昨日のこと、「奈良八重桜の会」のI氏からメールが届いた。

先日のバスターミナルでの記念写真を
メールで送って頂けますか。


バスターミナル? 去年の20周年記念式典はバスターミナルだったけど、今年のイベントは興福寺会館。勘違いかな、と思って返信。

興福寺会館でのプレイベントですよね。
全員が入っていませんが、お送りします。


遅れてきた人は集合写真に合成して入れるつもりなのでね。

ところが、今朝メールチェックすると、I氏から

早速ありがとうございました。
もうしわけないのですが、もう一点バスターミナルでのカットも
お願いできますでしょうか。



あっ。すっかり忘れていたのだったよ(;^_^A
プレイベントの2日後(4月24日)、初めての花守活動を東円堂跡(バスターミナル前)で行ったこと。この時の写真のことだったのね。

230424花守1


季節外れの寒い日で、集まった会員は5人。
行きかう人は外国人ばかり。

それでも興味を示してくれた人にはチラシを渡してナラノヤエザクラのPRに努め

230424花守活動3


しかし、1時間ほどで引き上げることに。課題はいっぱい感じたので、来年からはちょっと違う形になるかも。


「花守」の由来というのは、鎌倉時代の説話集『沙石集』に載るナラノヤエザクラの話から。
つとに有名な話で、以前、このブログにも書いているような気もするけれど、簡単にご説明すると。




平安時代、一条天皇の中宮彰子(後の上東門院)は、興福寺東円堂の前に咲く「奈良の都の八重桜」を京都御所へ移植したいと思われた。桜の木を掘り起こし荷車で運び出そうとしたとき、興福寺の僧侶たちが阻止する。「たとえ皇后の命令であろうと、命にかえてもこの名桜をほかへやってはならぬ」

皇后は怒るどころか「奈良法師は無粋だと思っていたけど、素敵な心を持っているのね」と感動。ご褒美として、伊賀国余野庄を与え、「花垣庄」と名づけ、花の盛りの7日間は花守を遣わすことになった。



伊賀国余野庄は現在の、伊賀市予野。今も「予野八重桜保存会」が大切に桜を守りながら、毎年、盛大な「観桜会」を開かれている。

ワタクシも3回ほどお訪ねしたことがあるが、実際に「花守」姓の方がいらっしゃったのには驚いたのだった。
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Posted on 2023/05/05 Fri. 09:59 [edit]

category: 奈良八重桜

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