かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
元石清水八幡宮
近々、男山の石清水八幡宮へお参りする予定です。
奇しくも、3月30日、「かぎろひ歴史探訪」でお参りする八幡神社は、元石清水八幡宮と伝えられる古社。


↑一の鳥居
参道


寺伝によると、大安寺の僧、行教が遣唐使としての帰途、大分県宇佐神宮の第一祭神、八幡大神(応神天皇)からのお告げで、宇佐八幡を勧請。その後、行教は夢の中で 京都の男山に八幡大神(応神天皇)を祀れというご神託を受け、859年(貞観元年)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)が建立されます。
ふむふむ、それで納得していたら、男山のほうは逆を主張しているらしい。男山が先で、後に平城の地へ移したと。
『奈良県地名辞典』を確認してみると
『七大寺巡礼私記』(平安時代末期)に、斉衡2年(855)行教が宇佐の八幡神を勧請したと書かれているとあります。
また『建久御巡礼私記』(平安時代末期)『諸事建立次第』(室町時代)には、八幡大菩薩は大安寺石清水房に奉置、のち京都の男山に移したとされる、と書かれているとのこと。
大安寺伽藍絵図によると、石清水房は現社地と大安寺の間にありました。現在の御霊神社の境内になるようです。

説明板

両神社のホームページを見ると、やはり対立していますねー(笑)
八幡神社(元石清水八幡宮)の説明⇒★
男山石清水八幡宮の説明⇒★
『朝野群載ちょうやぐんさい』(平安時代の詩文や文書を分類編纂したもの。1116年成立。その後増補があり、最終的には1135~41の成立と推定されている)
これにも、どちらが先かの論争のことが見えるようです。
興福寺衆徒が、男山八幡は大安寺から遷座したもんやん、大安寺八幡が根本だわい、と主張したのに対して、男山のほうも負けずに、何言うてんねん、うちこそ先に決まっとるがな。なーんて言い合って、双方譲らなかったそうな(笑)
平安時代から続ているんですね。
大安寺の八幡神社に一票!(笑)
奇しくも、3月30日、「かぎろひ歴史探訪」でお参りする八幡神社は、元石清水八幡宮と伝えられる古社。


↑一の鳥居
参道


寺伝によると、大安寺の僧、行教が遣唐使としての帰途、大分県宇佐神宮の第一祭神、八幡大神(応神天皇)からのお告げで、宇佐八幡を勧請。その後、行教は夢の中で 京都の男山に八幡大神(応神天皇)を祀れというご神託を受け、859年(貞観元年)京都府八幡市に山城石清水八幡宮(男山八幡宮)が建立されます。
ふむふむ、それで納得していたら、男山のほうは逆を主張しているらしい。男山が先で、後に平城の地へ移したと。
『奈良県地名辞典』を確認してみると
『七大寺巡礼私記』(平安時代末期)に、斉衡2年(855)行教が宇佐の八幡神を勧請したと書かれているとあります。
また『建久御巡礼私記』(平安時代末期)『諸事建立次第』(室町時代)には、八幡大菩薩は大安寺石清水房に奉置、のち京都の男山に移したとされる、と書かれているとのこと。
大安寺伽藍絵図によると、石清水房は現社地と大安寺の間にありました。現在の御霊神社の境内になるようです。

説明板

両神社のホームページを見ると、やはり対立していますねー(笑)
八幡神社(元石清水八幡宮)の説明⇒★
男山石清水八幡宮の説明⇒★
『朝野群載ちょうやぐんさい』(平安時代の詩文や文書を分類編纂したもの。1116年成立。その後増補があり、最終的には1135~41の成立と推定されている)
これにも、どちらが先かの論争のことが見えるようです。
興福寺衆徒が、男山八幡は大安寺から遷座したもんやん、大安寺八幡が根本だわい、と主張したのに対して、男山のほうも負けずに、何言うてんねん、うちこそ先に決まっとるがな。なーんて言い合って、双方譲らなかったそうな(笑)
平安時代から続ているんですね。
大安寺の八幡神社に一票!(笑)
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