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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

辻邦生とグレン・グールド 

6月2日、番外編の反省会では、クラシック音楽談義で盛り上がるひとときがありました。

ワタクシも音楽を日常的に流しているのですが(特に独り暮らしになってから)、この演奏者が、指揮者はこの人というこだわりはありません。まあそこまでの域には達していないということなのですが、今日はシューベルトを聴きたい気分とか、「交響詩」でいこうとか。

この日、Aさんはグレン・グールドについて力をこめられたので、辻邦生さんも書いていたような気がする、と、Aさんのお父様が辻邦生を愛読されていたことを知っていたので、そんな話題を持ち出しました。

Aさんに、どこに、なんて書いてあるのか、教えてほしい、と言われたので、探してみました。辻さんが音楽について書かれた文章はたくさんありますが、ここでは、グレン・グールドに特化して引っ張り出してみますね。

グレン・グールドの結晶
グレン・グールドがいなかったと仮定してみると、私自身の音楽生活はずいぶん変ったものになっていただろう。というのも、音楽を聴く総量のうち、三分の一はグレン・グールドのバッハだからだ。

いわばバッハの中にある音楽的な純粋美感を、蒸留水を集めるみたいに、結晶化し、バッハにまつわるプロテスタント性も、教会性も、オルガンやチェンバロなどの楽器の音色性も、すべて捨象されていた。まるで、音楽の深い透明な歓喜を、かりにバッハの音楽を借りて、新たに構築したように感じたのだった。
そのあと『イタリア組曲』や『平均律クラヴィーア曲集』などを聴くにつれて、これはグレン・グールドの純粋音楽の陶酔美にむかって構築された一種の空間化された領域だという思いが強くなった。音楽は時間芸術だが、グレン・グールドの陶酔感には、塑像と同じ立体的静止感がある。バッハが一番それにふさわしい素材を提供している。

(『美神との饗宴の森で』所収。初出は1991.7)

220606美神との饗宴の森で


辻さんが逝った1999年7月のことを、奥様の辻佐保子さんが、書かれています。

この夏(1999年)は7月8日に山荘に来た。午前中はグレン・グールドのバッハを聞きながら『のちの思いに』(日本経済新聞社)の原稿を書き、午後4時ころからはマーラーのシンフォニーを聞いて過ごすのが主人の日課だった。

(『辻邦生のために』所収)

220606辻邦生のために


おもしろいのは、グレン・グールドを聞き始めたのは、奥様のほうが早かった? と思われるフシがあること。『辻邦生のために』の「本当のあとがき」で。

何か必要な本があるとき、私はその題名(例えばゲーテの色彩論)をいって持ってきて貰うのが普通だったが、主人の方は、ときどきここ高輪でも山荘でも、私の本棚をじっと眺めており、内緒で自分の書斎に持ち出すことが多かった。…
とりわけ音楽に関しては、最初から好みがかなり違っていたため、これは「私のもの」と思って留守の間に一人で聴いていたLP(グレン・グールドのゴールトベルク)やCD(プーランクやサティ)が、いつの間にか「むこう」に移動してしまうのには当惑した。魂の奥まで伝わる特定の音楽や美術作品のことだけは、なるべく書いてほしくないと密かに思っていたが、私の領地は次つぎと侵されていった。



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Posted on 2022/06/06 Mon. 10:06 [edit]

category: 辻邦生

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