かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
愛妻家
どこへも出かけず、誰とも会わないときにも、笑ってしまうことがある。
たとえば、メールの変換間違い。

愛妻家とは

たまに、おもしろすぎな変換ミスに出あうことってあるよね。
すぐには思い出せなくて残念だけど…、ってネット検索してみたら、「漢字変換ミス 年間大賞」ってあるのね。⇒★
吹き出した。上記のサイトより紹介
「○○さんの質問は幼虫以下と思います」(○○さんの質問は要注意かと思います)
「何か父さん臭い時がある」(何かと胡散臭い時がある)
「老いて枯れた感じだ」(置いてかれた感じだ)
「おれは鹿になった」(おれ麻疹になった)
「ふんわり祖父と間食が楽しめます」(ふんわりソフト感触が楽しめます}
「口臭か胃の出血を確認してください」(講習会の出欠を確認してください。)
たとえば、メールの変換間違い。

愛妻家とは

たまに、おもしろすぎな変換ミスに出あうことってあるよね。
すぐには思い出せなくて残念だけど…、ってネット検索してみたら、「漢字変換ミス 年間大賞」ってあるのね。⇒★
吹き出した。上記のサイトより紹介
「○○さんの質問は幼虫以下と思います」(○○さんの質問は要注意かと思います)
「何か父さん臭い時がある」(何かと胡散臭い時がある)
「老いて枯れた感じだ」(置いてかれた感じだ)
「おれは鹿になった」(おれ麻疹になった)
「ふんわり祖父と間食が楽しめます」(ふんわりソフト感触が楽しめます}
「口臭か胃の出血を確認してください」(講習会の出欠を確認してください。)
30
難波宮跡で孝徳天皇を思う
6月23日、長楽庵で安田さんの写真展を楽しんだ後(⇒★)、難波宮跡へ立ち寄りました。


大阪城の南側になります。
発掘調査の結果、前期と後期の2つの宮跡が見つかりました。前期は孝徳天皇の「難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)、後期は聖武天皇ですね。

↑クリックで拡大(2020.9.6撮影)


この宮で、ひとり孤独のうちに亡くなった孝徳天皇に思いを馳せました。
歴史年表は、たんたんと記すだけですが

↑パンフレット「難波宮たんけん隊」から
『日本書紀』からは、哀れな孝徳天皇や、実権を握っていたのは中大兄皇子だということが浮かび上がります。
ちょっと見てみましょうか。
645年 「乙巳の変」で蘇我氏が滅亡。皇極天皇は孝徳天皇に譲位。難波宮へ遷都。
『日本書紀』によると
皇極天皇は中大兄皇子を天皇にしたかったのだが、中大兄は断り、軽皇子(中大兄の叔父さん)が即位。軽皇子も、「再三に固辞」したのだが、中大兄皇子と鎌足にはかられて、孝徳天皇に。このとき、天皇は50歳、中大兄皇子は20歳。中大兄は皇太子となって実権を掌握。
孝徳天皇は2人目のお妃として、間人皇女(中大兄の同母妹)を迎える。
最初の奥さんは小足媛で、有間皇子を生んでいる。
そして、難波宮へ遷都するも、653年、中大兄皇子が突然「飛鳥へかえろうよ」と言い出す。
天皇「許したまはず」。
で、どうなったかというと、
皇太子、すなはち皇祖母尊・間人皇后を奉り、あはせて皇弟等を率て往きて倭飛鳥河邊行宮に居します。時に、公卿大夫・百官の人等、皆随ひて遷る。
なんと、中大兄皇子は、皇極上皇や大海人皇子をはじめ、あろうことか、間人皇后までひきつれて飛鳥へ帰ってしまうのです。お役人たちもみんなそれに付き従ったといいます。
1人置き去りにされた孝徳天皇は、悲しみにうちひしがれて病に伏し、翌年、さみしく世を去ります。
皇后までもが自分を見捨てて去ったとき、天皇は皇后に向けて恨んで詠んだ歌とあるのが
鉗(かなき)着け 吾が飼ふ駒は 引き出せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか
「かぎろひ歴史探訪」でセンセが、直木孝次郎先生が書かれているとよく話しますが、その本を見つけましたので、ちょっと引いてみますね。
…
中大兄はただ間人皇后をつれ去っただけだろうか。2人は恋愛関係におちいっていたのではあるまいか。同母の兄と妹が、まさかと思われるが、間人皇后のおもいきったふるまいは、その疑惑をひきおこすに十分である。
…
賑わいをとりもどした飛鳥の都で皇位についたのは、人々の期待した中大兄皇子ではなくて、皇極太上天皇であった。斉明天皇という。中大兄が皇位を辞退したのは、皇太子の身分でいたほうが自由に腕をふるえるからであるというのが通説だが、間人皇女と結ばれていたからかもしれない。同じ母から生まれた兄妹の結婚は、当時でも忌まれていた。中大兄が天皇になれば、間人皇女を皇后に立てなければならないが、それを実行することは社会の慣習がゆるさない。間人への愛をつらぬくために、中大兄はあえて即位をみおくったと私は考えたい。それから七年たって斉明天皇が死んだのちも、中大兄はすぐには即位せず、依然、皇太子のまま政治をとる。彼が正式に即位して天智天皇となるのは、665年に間人皇女が死んでからである。それは斉明の死後七年目、間人の死後三年目の六六八年のことであった。
…
(直木孝次郎著『飛鳥 その光と影』より)
孝徳天皇 大阪磯長陵(山田上ノ山古墳)

(2020.8.12撮影)


大阪城の南側になります。
発掘調査の結果、前期と後期の2つの宮跡が見つかりました。前期は孝徳天皇の「難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)、後期は聖武天皇ですね。

↑クリックで拡大(2020.9.6撮影)


この宮で、ひとり孤独のうちに亡くなった孝徳天皇に思いを馳せました。
歴史年表は、たんたんと記すだけですが

↑パンフレット「難波宮たんけん隊」から
『日本書紀』からは、哀れな孝徳天皇や、実権を握っていたのは中大兄皇子だということが浮かび上がります。
ちょっと見てみましょうか。
645年 「乙巳の変」で蘇我氏が滅亡。皇極天皇は孝徳天皇に譲位。難波宮へ遷都。
『日本書紀』によると
皇極天皇は中大兄皇子を天皇にしたかったのだが、中大兄は断り、軽皇子(中大兄の叔父さん)が即位。軽皇子も、「再三に固辞」したのだが、中大兄皇子と鎌足にはかられて、孝徳天皇に。このとき、天皇は50歳、中大兄皇子は20歳。中大兄は皇太子となって実権を掌握。
孝徳天皇は2人目のお妃として、間人皇女(中大兄の同母妹)を迎える。
最初の奥さんは小足媛で、有間皇子を生んでいる。
そして、難波宮へ遷都するも、653年、中大兄皇子が突然「飛鳥へかえろうよ」と言い出す。
天皇「許したまはず」。
で、どうなったかというと、
皇太子、すなはち皇祖母尊・間人皇后を奉り、あはせて皇弟等を率て往きて倭飛鳥河邊行宮に居します。時に、公卿大夫・百官の人等、皆随ひて遷る。
なんと、中大兄皇子は、皇極上皇や大海人皇子をはじめ、あろうことか、間人皇后までひきつれて飛鳥へ帰ってしまうのです。お役人たちもみんなそれに付き従ったといいます。
1人置き去りにされた孝徳天皇は、悲しみにうちひしがれて病に伏し、翌年、さみしく世を去ります。
皇后までもが自分を見捨てて去ったとき、天皇は皇后に向けて恨んで詠んだ歌とあるのが
鉗(かなき)着け 吾が飼ふ駒は 引き出せず 吾が飼ふ駒を 人見つらむか
「かぎろひ歴史探訪」でセンセが、直木孝次郎先生が書かれているとよく話しますが、その本を見つけましたので、ちょっと引いてみますね。
…
中大兄はただ間人皇后をつれ去っただけだろうか。2人は恋愛関係におちいっていたのではあるまいか。同母の兄と妹が、まさかと思われるが、間人皇后のおもいきったふるまいは、その疑惑をひきおこすに十分である。
…
賑わいをとりもどした飛鳥の都で皇位についたのは、人々の期待した中大兄皇子ではなくて、皇極太上天皇であった。斉明天皇という。中大兄が皇位を辞退したのは、皇太子の身分でいたほうが自由に腕をふるえるからであるというのが通説だが、間人皇女と結ばれていたからかもしれない。同じ母から生まれた兄妹の結婚は、当時でも忌まれていた。中大兄が天皇になれば、間人皇女を皇后に立てなければならないが、それを実行することは社会の慣習がゆるさない。間人への愛をつらぬくために、中大兄はあえて即位をみおくったと私は考えたい。それから七年たって斉明天皇が死んだのちも、中大兄はすぐには即位せず、依然、皇太子のまま政治をとる。彼が正式に即位して天智天皇となるのは、665年に間人皇女が死んでからである。それは斉明の死後七年目、間人の死後三年目の六六八年のことであった。
…
(直木孝次郎著『飛鳥 その光と影』より)
孝徳天皇 大阪磯長陵(山田上ノ山古墳)

(2020.8.12撮影)
29
自分への褒美
今年ももうすぐ半分が過ぎる。
いろいろあったこの6か月。夫の入院にはビックリしたけれど、順調に回復しているようなので、ちょっと安心な今日このごろ。
そうやった、今年は1月から5月初旬まで、これまでの人生を振り返っても2番目くらいの忙しさだったと思う。1番は何やったんやという話はいずれまた(笑)。その渦中での夫の入院。よくぞクリアしてきたね、自分(笑)
ワタクシとしたことが、自分への褒美を忘れていたことに気がついた(笑)
よく、ご褒美は歩くこととか言うてるけど、この暑さではね、パス。何か品物をゲットしよう。
洋服やアクセサリー、化粧品…は要らないなあ(笑)
一眼レフカメラはほしいけど、ちょっと高価すぎるし、今のがまだ使えているから我慢。
となると、やっぱりハイキング用のリュックか靴やね。
6月27日、西ノ京からの帰り、モンベルへ立ち寄った。
愛用のリュックは、少し色褪せを感じるだけで、どこも悪くなっていないのだが、赤っぽい色が暑すぎる(笑)。娘からの誕生日プレゼントなのでこれからも大事にするつもりだけれど、ちょっと休ませよう。
いつ貰ったのだったかなあと、ブログ記事を探してみたら、7年も前だったよ。⇒★
ゲット!

いろいろあったこの6か月。夫の入院にはビックリしたけれど、順調に回復しているようなので、ちょっと安心な今日このごろ。
そうやった、今年は1月から5月初旬まで、これまでの人生を振り返っても2番目くらいの忙しさだったと思う。1番は何やったんやという話はいずれまた(笑)。その渦中での夫の入院。よくぞクリアしてきたね、自分(笑)
ワタクシとしたことが、自分への褒美を忘れていたことに気がついた(笑)
よく、ご褒美は歩くこととか言うてるけど、この暑さではね、パス。何か品物をゲットしよう。
洋服やアクセサリー、化粧品…は要らないなあ(笑)
一眼レフカメラはほしいけど、ちょっと高価すぎるし、今のがまだ使えているから我慢。
となると、やっぱりハイキング用のリュックか靴やね。
6月27日、西ノ京からの帰り、モンベルへ立ち寄った。
愛用のリュックは、少し色褪せを感じるだけで、どこも悪くなっていないのだが、赤っぽい色が暑すぎる(笑)。娘からの誕生日プレゼントなのでこれからも大事にするつもりだけれど、ちょっと休ませよう。
いつ貰ったのだったかなあと、ブログ記事を探してみたら、7年も前だったよ。⇒★
ゲット!

28
薬師寺で蓮と萩
6月27日、急に所用ができて西ノ京へ。
ついでにといってはなんですが、薬師寺参拝。
こんな暑い時期にお参りするのって初めてかも?
蓮の花鉢がたくさん置かれていました。

ただいま、西ノ京では4か寺を巡る「ロータスロード」の期間中。

奈良市観光協会⇒★
この暑さに、蓮の花もちょっとお疲れぎみに感じられました。
それに反して、ひっそり、涼し気に咲いていたのは萩の花。夏萩でしょうね。

ついでにといってはなんですが、薬師寺参拝。
こんな暑い時期にお参りするのって初めてかも?
蓮の花鉢がたくさん置かれていました。

ただいま、西ノ京では4か寺を巡る「ロータスロード」の期間中。

奈良市観光協会⇒★
この暑さに、蓮の花もちょっとお疲れぎみに感じられました。
それに反して、ひっそり、涼し気に咲いていたのは萩の花。夏萩でしょうね。

27
『黄昏映画館』刊行記念上映会がシネ・ヌーヴォで始まりました
このほど出版された『黄昏映画館 わが日本映画誌』(上野昻志こうし著、国書刊行会)に合わせて、大阪九条のシネ・ヌーヴォでは、6月25日(土)から記念上映会が始まりました。

書物は、映画評論家の上野昻志さんが、50年もの間書かれてきたもので、実に984ページという大著ですが、シネ・ヌーヴォでは20作品が上映されます。
解説もありますので、シネ・ヌーヴォのサイトをどうぞ⇒★
映画情報は、シネ・ヌーヴォに関わっていらっしゃる(取締役)、旧友Eさんからいただいたもの。ワタクシは熱心な映画ファンではないので、申しわけないと思いつつ、学生時代から映画ひとすじにこられたEさんを尊敬しているものですから、行ってみようかと思っている次第です。
何を観ようか、迷いますよね。
そうそう、20作品のうち、Eさんが注目されているものから選ぶことにしましょう。
「大阪日日新聞」から

↑クリックで拡大します
シネ・ヌーヴォ⇒★

書物は、映画評論家の上野昻志さんが、50年もの間書かれてきたもので、実に984ページという大著ですが、シネ・ヌーヴォでは20作品が上映されます。
解説もありますので、シネ・ヌーヴォのサイトをどうぞ⇒★
映画情報は、シネ・ヌーヴォに関わっていらっしゃる(取締役)、旧友Eさんからいただいたもの。ワタクシは熱心な映画ファンではないので、申しわけないと思いつつ、学生時代から映画ひとすじにこられたEさんを尊敬しているものですから、行ってみようかと思っている次第です。
何を観ようか、迷いますよね。
そうそう、20作品のうち、Eさんが注目されているものから選ぶことにしましょう。
「大阪日日新聞」から

↑クリックで拡大します
シネ・ヌーヴォ⇒★
26
世界の人がけんこうでいられますように
もうすぐ七夕。短冊にはどんな願い事を書きますか?
今日、娘から送られてきた写真は、某所の七夕飾りに書いてあったなっちゃんの願い事。

年齢もばらばらのようで、
実習が無事に終わりますように
とか
高身長…イケメン彼氏ができますように
お金が貯まりますように
サッカーがうまくなりますように
…
などなど、なかなかオモシロイ
で、なっちゃんはなんて書いたん?

世界の人がけんこうでいられますように
小学3年生の願い事とは思えない。可愛げがないというか(笑)
そのハハ

今どきの小学生の願い事って、どうなんやろと、ネット検索してみた。⇒★

まあ、このほうが普通の女の子の願いやろなと想像がつく。
なっちゃんはもっと小さい頃、病気で入退院を繰り返していたことも無縁じゃないのかなと思ったのだった。世界の平和ではなく、世界の人の健康っていうところになっちゃんの思いを感じるなあ。
たまたま、わけあって、アフガニスタンの現況を調べているところだったので、なっちゃんの願い事が真に迫ってきたというか、泣きそうになってしまった。
それに比べて、この人のメールにあ然。子どもか?

3月に脳梗塞で病院に運ばれたとき、身体の左側が不自由だった。
点滴もしているので、着脱が便利な前開きのシャツをわざわざ買い求めたのだ。
マジックテープで止めるタイプの介護用のパジャマにいたっては、店には一着しかなかったので、取り寄せたというのに、もうずいぶん前に、嫌い、と言って戻してきている(笑)。ふん(笑)。ちょっとここで愚痴を言わせてもらおう(笑)
元気になってくると、殊勝な感じがなくなるね(笑)
今日、娘から送られてきた写真は、某所の七夕飾りに書いてあったなっちゃんの願い事。

年齢もばらばらのようで、
実習が無事に終わりますように
とか
高身長…イケメン彼氏ができますように
お金が貯まりますように
サッカーがうまくなりますように
…
などなど、なかなかオモシロイ
で、なっちゃんはなんて書いたん?

世界の人がけんこうでいられますように
小学3年生の願い事とは思えない。可愛げがないというか(笑)
そのハハ

今どきの小学生の願い事って、どうなんやろと、ネット検索してみた。⇒★

まあ、このほうが普通の女の子の願いやろなと想像がつく。
なっちゃんはもっと小さい頃、病気で入退院を繰り返していたことも無縁じゃないのかなと思ったのだった。世界の平和ではなく、世界の人の健康っていうところになっちゃんの思いを感じるなあ。
たまたま、わけあって、アフガニスタンの現況を調べているところだったので、なっちゃんの願い事が真に迫ってきたというか、泣きそうになってしまった。
それに比べて、この人のメールにあ然。子どもか?

3月に脳梗塞で病院に運ばれたとき、身体の左側が不自由だった。
点滴もしているので、着脱が便利な前開きのシャツをわざわざ買い求めたのだ。
マジックテープで止めるタイプの介護用のパジャマにいたっては、店には一着しかなかったので、取り寄せたというのに、もうずいぶん前に、嫌い、と言って戻してきている(笑)。ふん(笑)。ちょっとここで愚痴を言わせてもらおう(笑)
元気になってくると、殊勝な感じがなくなるね(笑)
25
安田さんの「私の奈良・大和路」写真展へ
6月23日、大阪市西区阿波座の「音響珈琲 長楽庵」で開かれている安田さんの写真展(⇒★)へ行ってきました。

「かぎろひ歴史探訪」に参加して撮られたものです。
写真に人は映りこんでいませんが、懐かしい風景ばかりで、歩いている参加者の息づかいが伝わってくるような気がしました。また、みんなで歩くことができますように。
1枚に、人影を発見したHoさん。えっ、どこに?

↑本堂の大屋根の右上あたり、センセなんですって(笑)
おなじみのメンバーと合流して、おしゃべりとともに楽しいひとときを過ごしました。

おいしいコーヒーと、すばらしい音響とともに、どうぞ。

↑前回はバッハ、今回はマーラーを
安田さんの写真展は6月26日(日)まで。

安田さんの写真展に刺激されて、ワタクシもいつか「かぎろひ歴史探訪」をテーマにした写真展をやりたいなと思いました。大和路風景と歩く人たち、のイメージかな。しばらく温めてまいりまーす。

「かぎろひ歴史探訪」に参加して撮られたものです。
写真に人は映りこんでいませんが、懐かしい風景ばかりで、歩いている参加者の息づかいが伝わってくるような気がしました。また、みんなで歩くことができますように。
1枚に、人影を発見したHoさん。えっ、どこに?

↑本堂の大屋根の右上あたり、センセなんですって(笑)
おなじみのメンバーと合流して、おしゃべりとともに楽しいひとときを過ごしました。

おいしいコーヒーと、すばらしい音響とともに、どうぞ。

↑前回はバッハ、今回はマーラーを
安田さんの写真展は6月26日(日)まで。

安田さんの写真展に刺激されて、ワタクシもいつか「かぎろひ歴史探訪」をテーマにした写真展をやりたいなと思いました。大和路風景と歩く人たち、のイメージかな。しばらく温めてまいりまーす。
24
ブログ「ひとり同人誌」更新
長らく放ったらかしにしていた、というかすっかり忘れていた、センセのブログ「ひとり同人誌」。
このほど、ブログサービスココログから「あなたのブログがまもなく更新できなくなります」という警告メールが届き
あなたのブログが11ヶ月間更新されていません。
1年間未更新のブログについては、記事の追加や編集ができなくなります。
対象ブログ http://gyuukotsu.cocolog-nifty.com/tatsuo/
実施予定日 2022年7月16日
まあ、本人が管理していないところに問題ありよね。
本人は見たこともないって、どうよ(笑)
やめてもええかとも思うのだけど、せっかく開設したものやし、たとえ1年に1回の更新でも続けていこうかなと。
果たして読んでくれている人がいるのかどうかも疑問ではあるが。
よろしければ⇒★
そんなとき、センセからメール。

えっ、ワタクシが随筆に感想を書いてないのを怒ってる?
絵文字、ちゃんと使えてるやんと、妙にそちらに気をとられるが…(笑)
いやいや、院内での未知の世界に驚嘆するとともに、独特の感性で文章にしていることに賛辞を送っているつもりなのだが、考えたら本人には伝えてなかったよ^^;
パソコンからラクに送ることができるメールやラインなら、少しは書くかもしれないが、字数制限のある、ケイタイからのショートメールではねえ。まあ、荷物の中に、手紙を入れておけばええやん、なのだけれど、なんかねえ…(笑)
でも、あわてて、弁解しておくのは忘れなかったよ。

この次は、感想文を書こうと思う。
このほど、ブログサービスココログから「あなたのブログがまもなく更新できなくなります」という警告メールが届き
あなたのブログが11ヶ月間更新されていません。
1年間未更新のブログについては、記事の追加や編集ができなくなります。
対象ブログ http://gyuukotsu.cocolog-nifty.com/tatsuo/
実施予定日 2022年7月16日
まあ、本人が管理していないところに問題ありよね。
本人は見たこともないって、どうよ(笑)
やめてもええかとも思うのだけど、せっかく開設したものやし、たとえ1年に1回の更新でも続けていこうかなと。
果たして読んでくれている人がいるのかどうかも疑問ではあるが。
よろしければ⇒★
そんなとき、センセからメール。

えっ、ワタクシが随筆に感想を書いてないのを怒ってる?
絵文字、ちゃんと使えてるやんと、妙にそちらに気をとられるが…(笑)
いやいや、院内での未知の世界に驚嘆するとともに、独特の感性で文章にしていることに賛辞を送っているつもりなのだが、考えたら本人には伝えてなかったよ^^;
パソコンからラクに送ることができるメールやラインなら、少しは書くかもしれないが、字数制限のある、ケイタイからのショートメールではねえ。まあ、荷物の中に、手紙を入れておけばええやん、なのだけれど、なんかねえ…(笑)
でも、あわてて、弁解しておくのは忘れなかったよ。

この次は、感想文を書こうと思う。
23
ドラセナ?
22
スターバックスコーヒー 奈良鴻ノ池運動公園店
6月20日、所用の後、立ち寄りました。
公園と一体化した開放感あふれるお店です。
店内もガラス張りで、見晴らしはいいのですが屋外へ。
蒸し暑い日でしたが、ここは風が流れ、自然のなかでホッとするコーヒータイムとなりました。


↑池の向こう、左手がスターバックスコーヒー 奈良鴻ノ池運動公園店(2021.2.2撮影)
スターバックスコーヒー 奈良鴻ノ池運動公園店⇒★
公園と一体化した開放感あふれるお店です。
店内もガラス張りで、見晴らしはいいのですが屋外へ。
蒸し暑い日でしたが、ここは風が流れ、自然のなかでホッとするコーヒータイムとなりました。


↑池の向こう、左手がスターバックスコーヒー 奈良鴻ノ池運動公園店(2021.2.2撮影)
スターバックスコーヒー 奈良鴻ノ池運動公園店⇒★
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