かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
病室で書く
夫は以前から、手紙を書くのは趣味のようだった。
早朝、起床すると、まず手紙を書くことから始まる。用がなくても、ふと思いついた人にあてて書いてみたり。
書く習慣のない人には迷惑なのではないかと、ひそかに心配になるほど(笑)
でも、今となってはその趣味を病室で活かせるなんて、よかった、と思うばかり。病室へ持ち込める趣味ってそう多くはないよね。
毎回、数人宛の手紙を投函するのがワタクシの役目。
めったにないが、ワタクシ宛のが入っていることがある。
今回は、切手のない手紙。ワタクシと娘あてのが入っていた。
文章が2つ。

1つは、毎日見ている、なっちゃんの通学風景。もうひとつは、病院で出会う、軍歌を口ずさむ女性のこと。
なっちゃんを書く文章は、はずんでいてイキイキ。
孫の通学グループは5人で、8時前になると通学道へ、枝道から、メダカが水草の陰からワッとあらわれるように駈け出してくる。
…
グループは3年生の孫娘とその仲良しが頭のようで、1年生の男の子2人の5人組。
今朝は交差点でいくらか信号待ちをしているが、昨日など、信号が変わりかけていたのだろう、孫を先頭に横断歩道を走ってわたっていった。
…
妹あーちゃんのことにも触れた後
(1年生の)男の子のランドセルを後ろからひっぱったり、急に肩を組んだり、逃げようとする男の子を捕まえたり、見ていると、生まれたての子猫がじゃれあっているようだ。ちょっと大きめの子猫が、小さいのに手をだして、からかっているようで、なんともホホエマシイ!
…
家の中や教室での良い子の顔では見られない、生き生きしたナマの孫の顔が見えるようで、なんとも楽しい。
「なぜ! 軍歌」と題する一文は、上とは全く違う風景。
新しく入院してきた女性が、車いすに乗りながら何か口ずさむのに、耳をそばだてたら軍歌だったという。
「勝ってくるぞと勇ましく誓って国を出たからにゃ、手柄立てずに帰りょうか、進軍ラッパ聞くたびに瞼に浮かぶ旗の波」。
…
入院という環境の変化に伴う不安にむかって、己の存在を確かめるように心せずして、体の底から歌詞が出ている。老女性の歌声の背景には、楽しさではない、むしろ、淋しさ悲しさが潜むと感じながら、K朗は色々にこの歌が歌われた光景を思い描いてみた。
…
リハビリ病院といっても、入院患者のほとんどは老人とか。それだけに身に負う人生のアクは多く、濃厚だという。
良い体験、体感をさせてもらっている。私1人では、知りえない人生を見せてもらっている。
早朝、起床すると、まず手紙を書くことから始まる。用がなくても、ふと思いついた人にあてて書いてみたり。
書く習慣のない人には迷惑なのではないかと、ひそかに心配になるほど(笑)
でも、今となってはその趣味を病室で活かせるなんて、よかった、と思うばかり。病室へ持ち込める趣味ってそう多くはないよね。
毎回、数人宛の手紙を投函するのがワタクシの役目。
めったにないが、ワタクシ宛のが入っていることがある。
今回は、切手のない手紙。ワタクシと娘あてのが入っていた。
文章が2つ。

1つは、毎日見ている、なっちゃんの通学風景。もうひとつは、病院で出会う、軍歌を口ずさむ女性のこと。
なっちゃんを書く文章は、はずんでいてイキイキ。
孫の通学グループは5人で、8時前になると通学道へ、枝道から、メダカが水草の陰からワッとあらわれるように駈け出してくる。
…
グループは3年生の孫娘とその仲良しが頭のようで、1年生の男の子2人の5人組。
今朝は交差点でいくらか信号待ちをしているが、昨日など、信号が変わりかけていたのだろう、孫を先頭に横断歩道を走ってわたっていった。
…
妹あーちゃんのことにも触れた後
(1年生の)男の子のランドセルを後ろからひっぱったり、急に肩を組んだり、逃げようとする男の子を捕まえたり、見ていると、生まれたての子猫がじゃれあっているようだ。ちょっと大きめの子猫が、小さいのに手をだして、からかっているようで、なんともホホエマシイ!
…
家の中や教室での良い子の顔では見られない、生き生きしたナマの孫の顔が見えるようで、なんとも楽しい。
「なぜ! 軍歌」と題する一文は、上とは全く違う風景。
新しく入院してきた女性が、車いすに乗りながら何か口ずさむのに、耳をそばだてたら軍歌だったという。
「勝ってくるぞと勇ましく誓って国を出たからにゃ、手柄立てずに帰りょうか、進軍ラッパ聞くたびに瞼に浮かぶ旗の波」。
…
入院という環境の変化に伴う不安にむかって、己の存在を確かめるように心せずして、体の底から歌詞が出ている。老女性の歌声の背景には、楽しさではない、むしろ、淋しさ悲しさが潜むと感じながら、K朗は色々にこの歌が歌われた光景を思い描いてみた。
…
リハビリ病院といっても、入院患者のほとんどは老人とか。それだけに身に負う人生のアクは多く、濃厚だという。
良い体験、体感をさせてもらっている。私1人では、知りえない人生を見せてもらっている。
31
羊がいる池
先日、近鉄五位堂駅から十二社神社へ行くとき、グーグルマップを確認してみると「ひつじがいる池(長池)」という文字が。

わりと近そうなので、行ってみました。

羊に堤防の雑草を食べてもらってきれいにしているという看板が。草刈り不要だし、子どもたちも見学にきていそうだし、なるほど一挙両得ですね。「五位堂農事水利組合」が管理しているようです。
池の東から行ったのですが、ここからは羊は見えません。堤防が高く、柵がしてあるので、池そのものも見えません。
堤防に沿って、西の方へ歩いてみると

あ、羊さん、いました!

羊さんのお家もあって、中に何匹(頭?)かいるようです。
もう一匹が、出てきてくれまして

こちらがじーっと見ているのを気にする風でもなく、階段を下りてきて

葉っぱをむしゃむしゃ
周りに誰もいなかったので、お話を聞くことはできませんでしたが、ネット検索してみると、10匹近くはいるようです。この暑さのせいで、家の中にいるのかなあ。
もこもこの毛がたしかに暑苦しそう。

毛刈りが行われる日も近そうです。

わりと近そうなので、行ってみました。

羊に堤防の雑草を食べてもらってきれいにしているという看板が。草刈り不要だし、子どもたちも見学にきていそうだし、なるほど一挙両得ですね。「五位堂農事水利組合」が管理しているようです。
池の東から行ったのですが、ここからは羊は見えません。堤防が高く、柵がしてあるので、池そのものも見えません。
堤防に沿って、西の方へ歩いてみると

あ、羊さん、いました!

羊さんのお家もあって、中に何匹(頭?)かいるようです。
もう一匹が、出てきてくれまして

こちらがじーっと見ているのを気にする風でもなく、階段を下りてきて

葉っぱをむしゃむしゃ
周りに誰もいなかったので、お話を聞くことはできませんでしたが、ネット検索してみると、10匹近くはいるようです。この暑さのせいで、家の中にいるのかなあ。
もこもこの毛がたしかに暑苦しそう。

毛刈りが行われる日も近そうです。
30
平宗の柿の葉ずし
5月28日、娘らとのオンライン飲み会。
以前は、就寝の早いじーさんに合わせて、5時とか6時からのスタートが普通だったのだが、じーさん抜きでみんなに合わせると8時になった(笑)
千葉の娘宅。出先で魚を買い込んできての、ムコドノの手料理はやっぱりおいしそうだ。

手前は、トビウオのなめろうとアジのなめろう。その向こうのお皿はなんと、マンボウの腸のゆびきの酢味噌和え、とか。
うわ、マンボウの腸やなんて、食したことがないぞ。
これがめっぽう美味らしい。
この日はいきなり日本酒を飲んでいた。千葉のお酒、純米大吟醸というのは聞いたが、銘柄を聞き忘れた。というか、席をはずしていた。千葉のお酒って「不動」しか知らないよ。
あ、お酒の写真映っていたかな

調べてみると、九十九里浜近くの酒蔵のよう。
旅情がかきたてられるね(笑)
もう一人の娘の、酒のアテは、

↑食べかけ、フグ白子、ですと。
お酒

ワタクシは

↑娘夫婦の差し入れ。サンキュ
久しぶりの、平宗さんの柿の葉ずし。
サバかサケを想像していたら、豊かなラインナップでビックリ。

↑マグロ、さけ、さば、金目鯛、あなご
柿の葉ずしも、こんな展開を遂げていたのね。おいしかった~。
病院にも差し入れてくれたようで、じーさん、感激していた(笑)
そうそう、平宗さん、新店舗をオープン⇒★
以前は、就寝の早いじーさんに合わせて、5時とか6時からのスタートが普通だったのだが、じーさん抜きでみんなに合わせると8時になった(笑)
千葉の娘宅。出先で魚を買い込んできての、ムコドノの手料理はやっぱりおいしそうだ。

手前は、トビウオのなめろうとアジのなめろう。その向こうのお皿はなんと、マンボウの腸のゆびきの酢味噌和え、とか。
うわ、マンボウの腸やなんて、食したことがないぞ。
これがめっぽう美味らしい。
この日はいきなり日本酒を飲んでいた。千葉のお酒、純米大吟醸というのは聞いたが、銘柄を聞き忘れた。というか、席をはずしていた。千葉のお酒って「不動」しか知らないよ。
あ、お酒の写真映っていたかな

調べてみると、九十九里浜近くの酒蔵のよう。
旅情がかきたてられるね(笑)
もう一人の娘の、酒のアテは、

↑食べかけ、フグ白子、ですと。
お酒

ワタクシは

↑娘夫婦の差し入れ。サンキュ
久しぶりの、平宗さんの柿の葉ずし。
サバかサケを想像していたら、豊かなラインナップでビックリ。

↑マグロ、さけ、さば、金目鯛、あなご
柿の葉ずしも、こんな展開を遂げていたのね。おいしかった~。
病院にも差し入れてくれたようで、じーさん、感激していた(笑)
そうそう、平宗さん、新店舗をオープン⇒★
29
北麓から仰ぐ二上山 その②
5月27日、久しぶりに『かぎろひの大和路』の現地取材へ。
予定の場所へはほぼ行くことができたし、資料収集もできたのだけれど、まだまだ終わりそうもなく…^^;
あとは、アポをとってからお訪ねしたい所が、少なくても3つ、という状況。
この日はかなり陽ざしは厳しかったものの、そこに二上山がおわします、というだけでシアワセ感。
香芝市内のあちこちで見かけた二上山をご紹介。
2年前に「北麓から仰ぐ二上山」をやっているので⇒★(2020.11)その②ということに。
❶近鉄大阪線下田駅から西へ、二上山博物館・市民図書館に立ち寄った後、市役所越しにのぞむ二上山

ランチをとる予定にしていた二上山駅近くのお店へゴー。
途中、あれ、以前、撮りにきた「一本松阿弥陀石仏」のとこやん⇒★(2021.2)
❷一本松阿弥陀石仏あたりからの二上山

↑写真に見えている道を通って二上山駅方面へ
❸二上山駅近くにあるお店でランチ。店内からも二上山が。

↑お店情報は改めて
❹近鉄南大阪線二上山駅近くからの二上山

大阪線二上駅へ。このへんは歴史探訪でも何度か歩いているので、土地勘バッチリ(笑)
五位堂に所用があったので、さすがにここからは電車に乗って(笑)
❺近鉄五位堂駅から南へ歩いていると、あれ! 鋭鋒が。
雄岳だけがのぞいていた二上山。二上駅や二上山駅あたりではなだからな山容だったのにね。

ちょっとだけ歩を進めると

↑だが行き止まり。というか、工場のような所に入っていき、あわてて引き返した。
❻さらに南へ行くと、双峰がすっきり

❼南から西へ

↑左は、羊がいる池。地図に書かれていたので行ってみた(笑)。こちらも改めて
❽引き返し、JR五位堂駅から帰ることに。駅から見えた二上山

❼❽❾は予定外(笑)
地図に落としてみると

↑クリックで拡大
このあたりは、近鉄大阪線と南大阪線、JR和歌山線も接近していて、歩き取材にとってはありがたい限り。
予定の場所へはほぼ行くことができたし、資料収集もできたのだけれど、まだまだ終わりそうもなく…^^;
あとは、アポをとってからお訪ねしたい所が、少なくても3つ、という状況。
この日はかなり陽ざしは厳しかったものの、そこに二上山がおわします、というだけでシアワセ感。
香芝市内のあちこちで見かけた二上山をご紹介。
2年前に「北麓から仰ぐ二上山」をやっているので⇒★(2020.11)その②ということに。
❶近鉄大阪線下田駅から西へ、二上山博物館・市民図書館に立ち寄った後、市役所越しにのぞむ二上山

ランチをとる予定にしていた二上山駅近くのお店へゴー。
途中、あれ、以前、撮りにきた「一本松阿弥陀石仏」のとこやん⇒★(2021.2)
❷一本松阿弥陀石仏あたりからの二上山

↑写真に見えている道を通って二上山駅方面へ
❸二上山駅近くにあるお店でランチ。店内からも二上山が。

↑お店情報は改めて
❹近鉄南大阪線二上山駅近くからの二上山

大阪線二上駅へ。このへんは歴史探訪でも何度か歩いているので、土地勘バッチリ(笑)
五位堂に所用があったので、さすがにここからは電車に乗って(笑)
❺近鉄五位堂駅から南へ歩いていると、あれ! 鋭鋒が。
雄岳だけがのぞいていた二上山。二上駅や二上山駅あたりではなだからな山容だったのにね。

ちょっとだけ歩を進めると

↑だが行き止まり。というか、工場のような所に入っていき、あわてて引き返した。
❻さらに南へ行くと、双峰がすっきり

❼南から西へ

↑左は、羊がいる池。地図に書かれていたので行ってみた(笑)。こちらも改めて
❽引き返し、JR五位堂駅から帰ることに。駅から見えた二上山

❼❽❾は予定外(笑)
地図に落としてみると

↑クリックで拡大
このあたりは、近鉄大阪線と南大阪線、JR和歌山線も接近していて、歩き取材にとってはありがたい限り。
28
池田源太先生の思い出
『古文化随考』について触れたので(⇒★)、著者の池田源太先生について、ワタクシの知る範囲のことを記しておきたい。
池田源太先生⇒★
奈良の出版社に勤めていた頃(かれこれ40年前)、源太先生は月刊誌に「古文化ノート」をシリーズ掲載されていた。
池田先生って、他にもいらっしゃったので(末則先生とか)、いつもフルネームか源太先生とお呼びしていたように思う。
コナベ古墳そばのご自宅に原稿をいただきに上がったこともあるが、ほとんどは先生ご自身が編集室まで足を運ばれた。それも、締切日きっかりその日。それより早かったことも遅かったこともない。ワタクシ先生のファンだったので、今日は来られる日やなと毎月楽しみにしていた。
ひょうひょうとした姿が思い出される。
調べてみると、先生は明治32年(1899)のお生まれだから、あの頃、80歳を過ぎていたようだ。
誠実で穏やかな雰囲気がお顔にも挙措にも漂っていた。
初めてお会いしたとき、ワタクシの名前を聞いて「九州系ですね」とおっしゃったのも記憶に残っている。
突然、社を辞めようとしたとき、それを知った源太先生は喫茶店に誘ってくださった。
先生は、辞める理由など聞かずに、「次の勤務先が決まっていないのなら、知り合いに社長さんが何人もいるから、頼むことはできる」とおっしゃってくださったのだった。いつも物静かで学究的な源太先生が心配してくれていることに驚き、感謝感激したのはいうまでもない。
確かに、路頭に迷う身ではあったが、丁重にお断りすることに。
というのも、近い将来、奈良で雑誌を発行したいという夢をもっていたので、ここで会社に入ってしまうと、動けなくなるでしょ。先生も理解してくださったのだった。
そうして、豊住書店さんでアルバイトをするという流れに(笑)。もしかしたら、源太先生からもおじいちゃん(先代の豊住書店店主、謹一さん)に頼んでくださったのかもしれない。
その数年後、ようやく自分たちで発行した小冊子に、源太先生、登場(1984)。

↑右の写真は小林道夫氏、文章は龍センセ、左の写真はワタクシが担当
当時、先生は若い研究者たちにご自宅を開放されていて、多くのお弟子さんをもっていらっしゃった。「歴史は人間学」という西田直二郎先生(京都大学)から受け継いだ源太先生の研究は今、孫弟子、孫孫弟子さん? へと流れているのだろう。
池田源太先生は27年前に96歳で天寿を全うされたようである。
図書館で、奈良県史や市町村史などでそのお名前に出あうことも多い。
池田源太先生⇒★
奈良の出版社に勤めていた頃(かれこれ40年前)、源太先生は月刊誌に「古文化ノート」をシリーズ掲載されていた。
池田先生って、他にもいらっしゃったので(末則先生とか)、いつもフルネームか源太先生とお呼びしていたように思う。
コナベ古墳そばのご自宅に原稿をいただきに上がったこともあるが、ほとんどは先生ご自身が編集室まで足を運ばれた。それも、締切日きっかりその日。それより早かったことも遅かったこともない。ワタクシ先生のファンだったので、今日は来られる日やなと毎月楽しみにしていた。
ひょうひょうとした姿が思い出される。
調べてみると、先生は明治32年(1899)のお生まれだから、あの頃、80歳を過ぎていたようだ。
誠実で穏やかな雰囲気がお顔にも挙措にも漂っていた。
初めてお会いしたとき、ワタクシの名前を聞いて「九州系ですね」とおっしゃったのも記憶に残っている。
突然、社を辞めようとしたとき、それを知った源太先生は喫茶店に誘ってくださった。
先生は、辞める理由など聞かずに、「次の勤務先が決まっていないのなら、知り合いに社長さんが何人もいるから、頼むことはできる」とおっしゃってくださったのだった。いつも物静かで学究的な源太先生が心配してくれていることに驚き、感謝感激したのはいうまでもない。
確かに、路頭に迷う身ではあったが、丁重にお断りすることに。
というのも、近い将来、奈良で雑誌を発行したいという夢をもっていたので、ここで会社に入ってしまうと、動けなくなるでしょ。先生も理解してくださったのだった。
そうして、豊住書店さんでアルバイトをするという流れに(笑)。もしかしたら、源太先生からもおじいちゃん(先代の豊住書店店主、謹一さん)に頼んでくださったのかもしれない。
その数年後、ようやく自分たちで発行した小冊子に、源太先生、登場(1984)。

↑右の写真は小林道夫氏、文章は龍センセ、左の写真はワタクシが担当
当時、先生は若い研究者たちにご自宅を開放されていて、多くのお弟子さんをもっていらっしゃった。「歴史は人間学」という西田直二郎先生(京都大学)から受け継いだ源太先生の研究は今、孫弟子、孫孫弟子さん? へと流れているのだろう。
池田源太先生は27年前に96歳で天寿を全うされたようである。
図書館で、奈良県史や市町村史などでそのお名前に出あうことも多い。
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さよなら豊住書店さん④ 「待つ心」
昨年10月、豊住書店さんが閉められる時に買った本の内容については改めて、と書きながら、半年遅れとなった。^^;⇒★
豊住書店発行『古文化随考』(池田源太著)昭和57年(1982)

池田源太先生が『月刊奈良』に連載されていた「古文化ノート」というページを一冊にされたもの。
連載中に読んだ、その中の「待つ心」という文章がずっと心に残っていて、もう一度確認したいと思っていたのだ。
『允恭天皇』紀の外衣通姫(そとおりひめ)、妻問婚、『常陸国風土記』、僧正遍照などに触れながら、現代へと話を進めている。
私は、今、われわれの生活の中で、多くの「待つ心」を見出している。それはむしろ、一つの人間の「未来に期待をかける」というロマンに繋がるものと考えて、もし、人びとの生活から、この「待つ心」を奪い去って仕舞ったら、どんなに、あじきないものになるだろうか、と心配になって来ているのである。
「待つ心」は、たしかに「焦慮」でもある。しかし、また、人間のロマンを繋ぐ「たのしさ」でもある。
結びの文章
ラジオで、「もらったプレゼントで何が一番嬉しかったか」という質問に対し、子供の生まれた時、靴をもらったのが一番嬉しかった、という答えがあった。母親がその靴を見て子供の成長を待つ心があったのである。孫たちの、祭を待つ心、夏休みや春の休みを待つ心をいつくしむ老婆の心、それらはいつも美しく、そしてその孫たちの成長を待つ心が、ややもすれば美しい歌になる。

池田源太先生⇒★
あの頃お会いした池田源太先生について、書いておこうと思ったのだけれど、改めますね。
豊住書店発行『古文化随考』(池田源太著)昭和57年(1982)

池田源太先生が『月刊奈良』に連載されていた「古文化ノート」というページを一冊にされたもの。
連載中に読んだ、その中の「待つ心」という文章がずっと心に残っていて、もう一度確認したいと思っていたのだ。
『允恭天皇』紀の外衣通姫(そとおりひめ)、妻問婚、『常陸国風土記』、僧正遍照などに触れながら、現代へと話を進めている。
私は、今、われわれの生活の中で、多くの「待つ心」を見出している。それはむしろ、一つの人間の「未来に期待をかける」というロマンに繋がるものと考えて、もし、人びとの生活から、この「待つ心」を奪い去って仕舞ったら、どんなに、あじきないものになるだろうか、と心配になって来ているのである。
「待つ心」は、たしかに「焦慮」でもある。しかし、また、人間のロマンを繋ぐ「たのしさ」でもある。
結びの文章
ラジオで、「もらったプレゼントで何が一番嬉しかったか」という質問に対し、子供の生まれた時、靴をもらったのが一番嬉しかった、という答えがあった。母親がその靴を見て子供の成長を待つ心があったのである。孫たちの、祭を待つ心、夏休みや春の休みを待つ心をいつくしむ老婆の心、それらはいつも美しく、そしてその孫たちの成長を待つ心が、ややもすれば美しい歌になる。

池田源太先生⇒★
あの頃お会いした池田源太先生について、書いておこうと思ったのだけれど、改めますね。
26
遠足のキャラ弁
25
リモート面会 2回目
5月23日、2回目のリモート面会。

約1か月ぶり。
1回目は4月27日⇒★
そのときは、車いすでの入退場だったと思うのだが、今回は普通に歩いている(ように見えた)のでビックリ。回復を確信しました。

皆様からいただくお手紙やおはがきも励みになっているようです。ありがとうございます。この日も、病院へ行きがけにポストをのぞくと、Aさん、Sさんからのおはがきが入っていたので、そのまま持参しました。
病院では想像を絶する世界を垣間見ることもあるらしくて、書くネタには困らないとか。リハビリと書くことに専念しているようです。
って、おいおい、iPadは?
この日のリモート面会のほとんどをiPad講習に終始。

どうやら、娘が作ったわかりやすい説明書を読んでいるふうでもなく(もともとトリセツを読まないタイプ)、iPadを使いこなして便利に外界と通じたいと願っているわけでもなく、リハビリライフを謳歌しているようなので(笑)、もう無理強いしなくてもええのんちゃうんと、思えてくるのでした。

約1か月ぶり。
1回目は4月27日⇒★
そのときは、車いすでの入退場だったと思うのだが、今回は普通に歩いている(ように見えた)のでビックリ。回復を確信しました。

皆様からいただくお手紙やおはがきも励みになっているようです。ありがとうございます。この日も、病院へ行きがけにポストをのぞくと、Aさん、Sさんからのおはがきが入っていたので、そのまま持参しました。
病院では想像を絶する世界を垣間見ることもあるらしくて、書くネタには困らないとか。リハビリと書くことに専念しているようです。
って、おいおい、iPadは?
この日のリモート面会のほとんどをiPad講習に終始。

どうやら、娘が作ったわかりやすい説明書を読んでいるふうでもなく(もともとトリセツを読まないタイプ)、iPadを使いこなして便利に外界と通じたいと願っているわけでもなく、リハビリライフを謳歌しているようなので(笑)、もう無理強いしなくてもええのんちゃうんと、思えてくるのでした。
24
行きたい展覧会 2つ
最近は特に情報に疎い^^;
でも、興味がありそうな展覧会を教えてくれる友人がいるありがたさよ。
たまたまここ数日、行って来られた方から情報をいただきました。2つとも興味あり。行きたいと思っています。
メモ代わりに。
その①
橿原考古学研究所附属博物館「八雲立つ 出雲の至宝」展 6月19日(日)まで⇒★

その②
葛城市歴史博物館「二上山麓を辿る道」展 7月10日(日)まで⇒★

これまで出雲展は何度か観ているのですが、⇒★大出雲展(2012.8)
なんといっても、加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が見つかった翌年(1997)、東京、大阪で開かれた「古代出雲文化展」がすごかった。興奮して分厚い図録を買って帰ったのに、すぐに人に貸したまま返ってきてないことを今も残念に思っているのですが、↑上のブログにも書いてあったのでビックリ。しかも名指しで^^; さすがにイニシャルですが。もう25年も前になるのに、いまだに思い出してはすこし苦い気持ちになるというのは、もしかしたら、ワタクシ、意外にしつこいタイプなのかも(笑)
葛城市歴史博物館、以前の弊ブログ記事⇒★(2015.7)
Yさん、大和の和尚さん、ありがとうございました。
でも、興味がありそうな展覧会を教えてくれる友人がいるありがたさよ。
たまたまここ数日、行って来られた方から情報をいただきました。2つとも興味あり。行きたいと思っています。
メモ代わりに。
その①
橿原考古学研究所附属博物館「八雲立つ 出雲の至宝」展 6月19日(日)まで⇒★

その②
葛城市歴史博物館「二上山麓を辿る道」展 7月10日(日)まで⇒★

これまで出雲展は何度か観ているのですが、⇒★大出雲展(2012.8)
なんといっても、加茂岩倉遺跡で39個の銅鐸が見つかった翌年(1997)、東京、大阪で開かれた「古代出雲文化展」がすごかった。興奮して分厚い図録を買って帰ったのに、すぐに人に貸したまま返ってきてないことを今も残念に思っているのですが、↑上のブログにも書いてあったのでビックリ。しかも名指しで^^; さすがにイニシャルですが。もう25年も前になるのに、いまだに思い出してはすこし苦い気持ちになるというのは、もしかしたら、ワタクシ、意外にしつこいタイプなのかも(笑)
葛城市歴史博物館、以前の弊ブログ記事⇒★(2015.7)
Yさん、大和の和尚さん、ありがとうございました。
23
かぎろひの大和路37号に向けて
一連の頼まれ仕事が手を離れ、ちょっと休憩もしたし…
さて、ようやく、『かぎろひの大和路』へ。ここしばらく、全く手つかずでありました。ほんとうはこれがメインのはずなのに、なんてこった。でも、やはり頼まれ仕事を優先しないわけにはいかない実情なので、ご了承ください。申しわけありません。
気持ちを切り替えてがんばりたいと思います。
一つの励みになったのは、今回の「奈良八重桜の会」のクラウドファンディングの返礼品として『かぎろひの大和路』を提供したこと。先日、受け取られた方から電話がかかり、センセの書いた藤原不比等の記事を絶賛。バックナンバーの注文を受けたのです。
その後も、留守電に、どこで販売しているか教えてほしいという問い合わせが入っていたりしまして、むしろこちらが反響に驚いている次第(笑)。どうもありがとうございます。
1年以上も放ったらかしにしていた『かぎろひの大和路』。え、どこまでできているんだっけと、早朝から確認してみました。
センセが担当する特集記事を始めとする主なものはほぼ入っているのですが、ワタクシがかなり取材を残している状況です^^;
ま、センセは文献にあたる仕事がメインですが、ワタクシは現地へ入って取材する担当。コロナの蔓延で行きそびれてしまったのがそもそもの発端でした。
表紙にも着手していましたよ。まだまだ途中ですが。

二上山と早苗田を撮りに行ったのはずいぶん前のような気がするのですが、1年前。⇒★(2021.6)
↑これはアカンよね。石仏(穴虫峠の馬頭観音)さんが早苗田に映り込む二上山を遮っているやん。
と、思ったら、この時もそれに気づいてもう1つ作ってありました。

もうちょっと考えましょう。サブタイトルも入れたいし。
来週あたり、久しぶりに取材に行ってきますね。
でも、1日では終わりそうにないなあ。ああ、また二上山に登りたくなってきたぁ(笑)
気長にお待ちいただけましたら、ありがたく存じますm(__)m
さて、ようやく、『かぎろひの大和路』へ。ここしばらく、全く手つかずでありました。ほんとうはこれがメインのはずなのに、なんてこった。でも、やはり頼まれ仕事を優先しないわけにはいかない実情なので、ご了承ください。申しわけありません。
気持ちを切り替えてがんばりたいと思います。
一つの励みになったのは、今回の「奈良八重桜の会」のクラウドファンディングの返礼品として『かぎろひの大和路』を提供したこと。先日、受け取られた方から電話がかかり、センセの書いた藤原不比等の記事を絶賛。バックナンバーの注文を受けたのです。
その後も、留守電に、どこで販売しているか教えてほしいという問い合わせが入っていたりしまして、むしろこちらが反響に驚いている次第(笑)。どうもありがとうございます。
1年以上も放ったらかしにしていた『かぎろひの大和路』。え、どこまでできているんだっけと、早朝から確認してみました。
センセが担当する特集記事を始めとする主なものはほぼ入っているのですが、ワタクシがかなり取材を残している状況です^^;
ま、センセは文献にあたる仕事がメインですが、ワタクシは現地へ入って取材する担当。コロナの蔓延で行きそびれてしまったのがそもそもの発端でした。
表紙にも着手していましたよ。まだまだ途中ですが。

二上山と早苗田を撮りに行ったのはずいぶん前のような気がするのですが、1年前。⇒★(2021.6)
↑これはアカンよね。石仏(穴虫峠の馬頭観音)さんが早苗田に映り込む二上山を遮っているやん。
と、思ったら、この時もそれに気づいてもう1つ作ってありました。

もうちょっと考えましょう。サブタイトルも入れたいし。
来週あたり、久しぶりに取材に行ってきますね。
でも、1日では終わりそうにないなあ。ああ、また二上山に登りたくなってきたぁ(笑)
気長にお待ちいただけましたら、ありがたく存じますm(__)m
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