かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
20周年記念誌
このところ、ずっとかかりきりだった「奈良八重桜の会」20周年記念誌のパソコン上での作業が、完成に近づいた。
残すところは、表紙と、クラウドファンディングの支援者名簿のページのみ。
先ほど、役員さんたちにPDF送信して、ともかく、やったー!
今後、印刷所への出稿や校正など、ひと山、ふた山あるかもしれないが、ともかくちょっとホッ。
また、ご褒美にどこかへ歩きに行こうかな(笑)
いや、明日は役員会なのだった^^;
放ったらかしだった『かぎろひの大和路』もやってしまわねば。
編集作業でいちばんの難関はこれだった。

昨年、リアルで実施するはずだった座談会がコロナの猛威の下、急遽中止となったのだが、そのままボツにしてしまうのはモッタイナイので、誌上で行うことに。出席予定の方からメッセージをいただいたものの、そのまま載せるのもいかがなものかと思い、座談会形式にすることに。
笠置山から柳生ハイキングは、これができあがったときだったのよ(笑)
年表とアルバムのページも、写真を出したり選んだりするのに時間がかかったなあ。

そうそう、引っ越しで壊れたと思っていた外付けハードディスクが復活したのも、ほんとうにありがたかった。⇒★
すべてのものに感謝したい気持ち。
感謝と言えば、わが夫にも。ま、料理が趣味とはいえ(笑)、毎日、買物に行っておいしい食事を作ってくれるありがたさよ。
ちなみに、今夜の食卓

カレイの煮つけ、卵焼き、もずく、今冬初の冷や奴、タケノコのつくだ煮(いただきもの)、お鍋は、「あじまるみ大根」の炊き炊き。その皮の部分の漬物。あ、手羽焼きも。
落日も見ることができていい1日だった(笑)。

残すところは、表紙と、クラウドファンディングの支援者名簿のページのみ。
先ほど、役員さんたちにPDF送信して、ともかく、やったー!
今後、印刷所への出稿や校正など、ひと山、ふた山あるかもしれないが、ともかくちょっとホッ。
また、ご褒美にどこかへ歩きに行こうかな(笑)
いや、明日は役員会なのだった^^;
放ったらかしだった『かぎろひの大和路』もやってしまわねば。
編集作業でいちばんの難関はこれだった。

昨年、リアルで実施するはずだった座談会がコロナの猛威の下、急遽中止となったのだが、そのままボツにしてしまうのはモッタイナイので、誌上で行うことに。出席予定の方からメッセージをいただいたものの、そのまま載せるのもいかがなものかと思い、座談会形式にすることに。
笠置山から柳生ハイキングは、これができあがったときだったのよ(笑)
年表とアルバムのページも、写真を出したり選んだりするのに時間がかかったなあ。

そうそう、引っ越しで壊れたと思っていた外付けハードディスクが復活したのも、ほんとうにありがたかった。⇒★
すべてのものに感謝したい気持ち。
感謝と言えば、わが夫にも。ま、料理が趣味とはいえ(笑)、毎日、買物に行っておいしい食事を作ってくれるありがたさよ。
ちなみに、今夜の食卓

カレイの煮つけ、卵焼き、もずく、今冬初の冷や奴、タケノコのつくだ煮(いただきもの)、お鍋は、「あじまるみ大根」の炊き炊き。その皮の部分の漬物。あ、手羽焼きも。
落日も見ることができていい1日だった(笑)。

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竹の径
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高取の発掘情報最前線2022
「かぎろひ歴史探訪」でもたいへんお世話になっている、高取町にお住まいの「大和の和尚」さんから情報をいただきました。

「高取の考古学Ⅴ」
テーマは「高取の発掘調査最前線2022」
◎文化財速報展
◆日 時:令和4年3月12日(土)~21日(月・祝)
9時~17時 期間中無休
(3月31日までは平日の時間内は見学可)
◆展示場所:高取町歴史研修センター 高市郡高取町田井庄98
近鉄吉野線 市尾駅下車徒歩10分
駐車場普通車10台 入場無料
◆展示内容:佐田タカヤマ遺跡・・・須恵器・鉄釘・土玉・烽火台模型 ほか
清水谷遺跡・・・須恵器・土師器・瓦質土器・馬歯 ほか
越智遺跡・・・須恵器・土師器墨書土器 ほか
◎文化財講演会
◆日 時:令和4年3月12日(土) 13時~
◆講演場所:高取町リベルテホール 高市郡高取町観覚寺1023
近鉄吉野線 壺阪山駅下車徒歩5分
駐車場普通車100台 入場無料・定員先着50名
◆講演内容:飛鳥の烽火台と最古級のため池
記念講演「飛鳥の烽火台群の再検討」
奈良大学准教授 相原嘉之氏
調査報告 高取町教育委員会 木場幸弘
◎問合せ先:高取町歴史研修センター 電話:0744-52-4637


「高取の考古学Ⅴ」
テーマは「高取の発掘調査最前線2022」
◎文化財速報展
◆日 時:令和4年3月12日(土)~21日(月・祝)
9時~17時 期間中無休
(3月31日までは平日の時間内は見学可)
◆展示場所:高取町歴史研修センター 高市郡高取町田井庄98
近鉄吉野線 市尾駅下車徒歩10分
駐車場普通車10台 入場無料
◆展示内容:佐田タカヤマ遺跡・・・須恵器・鉄釘・土玉・烽火台模型 ほか
清水谷遺跡・・・須恵器・土師器・瓦質土器・馬歯 ほか
越智遺跡・・・須恵器・土師器墨書土器 ほか
◎文化財講演会
◆日 時:令和4年3月12日(土) 13時~
◆講演場所:高取町リベルテホール 高市郡高取町観覚寺1023
近鉄吉野線 壺阪山駅下車徒歩5分
駐車場普通車100台 入場無料・定員先着50名
◆講演内容:飛鳥の烽火台と最古級のため池
記念講演「飛鳥の烽火台群の再検討」
奈良大学准教授 相原嘉之氏
調査報告 高取町教育委員会 木場幸弘
◎問合せ先:高取町歴史研修センター 電話:0744-52-4637

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Cafe&Dining HANAむこう
「かぎろひ歴史探訪」がお休み中にYさんが企画してくれる番外編は、外でお弁当を開くには厳しい季節でもあり、お店でランチということも多いのです。
今回は、向日市にある展望レストラン「Cafe&Dining HANAむこう」。
なんとこれが、向日市役所の最上階。
市役所も真新しくて

レストランも昨年オープンしたばかりのよう。
エレベーターで5階へ。

高いとこ好きにはたまりません。

↑右手は競輪場
実は、初めてリアルに見る競輪に興味シンシン、くぎづけでしたー(笑)

ランチメニューは豊富で、迷う迷う(笑)
いずれも、野菜サラダとスープ付き。めいめい、好きなものを注文。
ワタクシめは、ボウルランチのなかの1つ。

↑ご飯の上にハンバーグや目玉焼き、野菜などがのっています。いわば、洋風どんぶり?
ご飯は、大・中・小と選べるのもいいですね。残されるのって嫌ですもんね。
ちなみに、女性陣が「小」を選んだなかで、ワタクシは「中」を。もしかしたら「大」でもいけたかも(笑)
お値段もリーズナブルで、食後のコーヒーが210円。1200円のランチとなりました。
ごちそうさまでした。
今回は、向日市にある展望レストラン「Cafe&Dining HANAむこう」。
なんとこれが、向日市役所の最上階。
市役所も真新しくて

レストランも昨年オープンしたばかりのよう。
エレベーターで5階へ。

高いとこ好きにはたまりません。

↑右手は競輪場
実は、初めてリアルに見る競輪に興味シンシン、くぎづけでしたー(笑)

ランチメニューは豊富で、迷う迷う(笑)
いずれも、野菜サラダとスープ付き。めいめい、好きなものを注文。
ワタクシめは、ボウルランチのなかの1つ。

↑ご飯の上にハンバーグや目玉焼き、野菜などがのっています。いわば、洋風どんぶり?
ご飯は、大・中・小と選べるのもいいですね。残されるのって嫌ですもんね。
ちなみに、女性陣が「小」を選んだなかで、ワタクシは「中」を。もしかしたら「大」でもいけたかも(笑)
お値段もリーズナブルで、食後のコーヒーが210円。1200円のランチとなりました。
ごちそうさまでした。
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長岡京跡から竹の径と向日丘陵の古墳を歩く
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聖林寺十一面観音
奈良国立博物館で、特別展「国宝 聖林寺 十一面観音 三輪山信仰のみほとけ」が開催中です。

2月10日に鑑賞させていただきながら、ご報告が遅くなりました。
これまで、なんども、拝観させていただいているのですが、いやー、今回のような開放的な展示は初めてです。ガラスに遮られることなく、しかも、360度どこからでも拝むことができるのです。
これだけ大きな像を拝観するには、やはり広い空間が必要なのだと感じたことでした。
胸や肩がごっつい印象だったのですが、意外にも細くすらりとしなやかな腰や手の表情に目を奪われました。

なかなかうまく表現できなくて残念なのですが、これまで、たくさんの偉人がどのように表現されたのか気になり、手元にある書を読み直してみました。
まずは、白洲正子『十一面観音巡礼』より
さしこんで来るほのかな光の中に、浮び出た観音の姿を私は忘れることができない。それは今この世に生れ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。その後何回も見ているのに、あの感動は二度と味えない。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。
観音様は本尊の隣の部屋に、お厨子ともいえない程の、粗末な板がこいの中に入っておられた。その為に膝から下は見えず、和辻さんが賛美した天衣の裾もかくれている。が、そんなことは少しの妨げにもならなかった。
…
観音様からうけた感動を静めようとして、私はしばらく桜の木の下にたたずんでいた。ちょうど日が落ちる時刻で、紅色の桜が一段と濃く染り、大和の青垣山が、夢のように霞んでいる。その中に、ひときわ優れて立つ三輪の甘南備は、今見たばかりの十一面観音の姿に似ているように思われた。いつしか私の心の中で、観音と三輪山としだれ桜は重なり合い、一つの「風景」として育って行った。…
白洲正子さんが、和辻さんが賛美した…と書かれている、その和辻さんの文章。
和辻哲郎『古寺巡礼』より
きれの長い、半ば閉じた眼、厚ぼったい瞼(まぶた)、ふくよかな唇、鋭くない鼻、――すべてわれわれが見慣れた形相の理想化であって、異国人らしいあともなければ、また超人を現わす特殊な相好があるわけでもない。しかもそこには神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさとが現わされている。薄く開かれた瞼の間からのぞくのは、人の心と運命とを見とおす観自在の眼である。豊かに結ばれた唇には、刀刃(とうじん)の堅きを段々に壊り、風濤洪水の暴力を和やかに鎮(しず)むる無限の力強さがある。円く肉づいた頬は、肉感性の幸福を暗示するどころか、人間の淫欲を抑滅し尽くそうとするほどに気高い。これらの相好が黒漆の地に浮かんだほのかな金色に輝いているところを見ると、われわれは否応なしに感じさせられる、確かにこれは観音の顔であって、人の顔ではない。
この顔をうけて立つ豊かな肉体も、観音らしい気高さを欠かない。それはあらわな肌が黒と金に輝いているためばかりではない。肉づけは豊満でありながら、肥満の感じを与えない。四肢のしなやかさは柔らかい衣の皺にも腕や手の円さにも十分現わされていながら、しかもその底に強剛な意力のひらめきを持っている。ことにこの重々しかるべき五体は、重力の法則を超越するかのようにいかにも軽やかな、浮現せるごとき趣を見せている。これらのことがすべて気高さの印象の素因なのである。
かすかな大気の流れが観音の前面にやや下方から突き当たって、ゆるやかに後ろの方へと流れて行く、――その心持ちは体にまといついた衣の皺の流れ工合で明らかに現わされている。それは観音の出現が虚空での出来事であり、また運動と離し難いものであるために、定石として試みられる手法であろうが、しかしそれがこの像ほどに成功していれば、体全体に地上のものならぬ貴さを加えるように思われる。
肩より胸、あるいは腰のあたりをめぐって、腕から足に垂れる天衣の工合も、体を取り巻く曲線装飾として、あるいは肩や腕の触覚を暗示する微妙な補助手段として、きわめて成功したものである。左右の腕の位置の変化は、天衣の左右整斉とからみあって、体全体に、流るるごとく自由な、そうして均勢を失わない、快いリズムをあたえている。
横からながめるとさらに新しい驚きがわれわれに迫ってくる。肩から胴へ、腰から脚へと流れ下る肉づけの確かさ、力強さ。またその釣り合いの微妙な美しさ。これこそ真に写実の何であるかを知っている巨腕の製作である。われわれは観音像に接するときその写実的成功のいかんを最初に問題としはしない。にもかかわらずそこに浅薄な写実やあらわな不自然が認められると、その像の神々しさも美しさもことごとく崩れ去るように感ずる。だからこの種の像にとっては写実的透徹は必須の条件なのである。そのことをこの像ははっきりと示している。
土門拳『古寺巡礼』より
わたしは、聖林寺十一面観音を何時間もみつめているうち、フト、これは三輪山の神大物主の化身ではないか、と思えて仕方がなかった。それは菩薩の慈悲というよりは、神の威厳を感じさせた。
小川光三「聖林寺十一面観音の手」より
堂々とした体躯を持ちながら、いま天上から舞い降りた瞬間のように軽やかな、しかも威厳と慈悲に溢れたこの像は、私の最も好きな観音像である。
仏像には、温かく迎え入れてくれるような優しさと、恐ろしい威厳の両面があって、この二つの面の融合が見事であるほど大きな感動を受けるようである。この像はそうした面でも、重さと軽さという造形性でも、見事に相対する両面の巧妙なバランスを持っている。
また正面から拝すと、いかにも観音像の典型のように端正であるが、側面へ目を移すと思いがけぬほどの厚みがあり、背面は、まるで高々と天を衝く居杉の幹を見上げているような、荒々しいまでの力強さに驚ろかされる。
寺尾勇『奈良散歩 落日の古都』より
聖林寺十一面観音。大和路に来るたび私は今日まで幾度この前にたたずんだことでしょう。相も変わらない静けさと柔らかさ、そして心一杯に満ち足りたふくらみをもつ手の線を見つめると、旅にある哀愁が今さらのように湧き立ちます。
豊満ではあるが決して肥満ではなく、ひとかたまりの肉でありながらついに肉ではない。脂肪の重さと霊魂の軽さ、厳格と頽廃を合わせもったようなこの像の前に立つと、日頃から反逆の刃を研げば研ぐほど、かえってそのあとで包容してくれる無量の愛ーそんなものがまぶたに姿となってあらわれます。
ともかくも、私はこの二,三年、あわただしい世の中でとげとげしかった一切のものが、一つ一つ、この像の前に立つと確実に無条件に吸い込まれてゆくのを拒むことはできませんでした。
※特別展 国宝 聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ
3月27日(日)まで
⇒★

2月10日に鑑賞させていただきながら、ご報告が遅くなりました。
これまで、なんども、拝観させていただいているのですが、いやー、今回のような開放的な展示は初めてです。ガラスに遮られることなく、しかも、360度どこからでも拝むことができるのです。
これだけ大きな像を拝観するには、やはり広い空間が必要なのだと感じたことでした。
胸や肩がごっつい印象だったのですが、意外にも細くすらりとしなやかな腰や手の表情に目を奪われました。

なかなかうまく表現できなくて残念なのですが、これまで、たくさんの偉人がどのように表現されたのか気になり、手元にある書を読み直してみました。
まずは、白洲正子『十一面観音巡礼』より
さしこんで来るほのかな光の中に、浮び出た観音の姿を私は忘れることができない。それは今この世に生れ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。その後何回も見ているのに、あの感動は二度と味えない。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。
観音様は本尊の隣の部屋に、お厨子ともいえない程の、粗末な板がこいの中に入っておられた。その為に膝から下は見えず、和辻さんが賛美した天衣の裾もかくれている。が、そんなことは少しの妨げにもならなかった。
…
観音様からうけた感動を静めようとして、私はしばらく桜の木の下にたたずんでいた。ちょうど日が落ちる時刻で、紅色の桜が一段と濃く染り、大和の青垣山が、夢のように霞んでいる。その中に、ひときわ優れて立つ三輪の甘南備は、今見たばかりの十一面観音の姿に似ているように思われた。いつしか私の心の中で、観音と三輪山としだれ桜は重なり合い、一つの「風景」として育って行った。…
白洲正子さんが、和辻さんが賛美した…と書かれている、その和辻さんの文章。
和辻哲郎『古寺巡礼』より
きれの長い、半ば閉じた眼、厚ぼったい瞼(まぶた)、ふくよかな唇、鋭くない鼻、――すべてわれわれが見慣れた形相の理想化であって、異国人らしいあともなければ、また超人を現わす特殊な相好があるわけでもない。しかもそこには神々しい威厳と、人間のものならぬ美しさとが現わされている。薄く開かれた瞼の間からのぞくのは、人の心と運命とを見とおす観自在の眼である。豊かに結ばれた唇には、刀刃(とうじん)の堅きを段々に壊り、風濤洪水の暴力を和やかに鎮(しず)むる無限の力強さがある。円く肉づいた頬は、肉感性の幸福を暗示するどころか、人間の淫欲を抑滅し尽くそうとするほどに気高い。これらの相好が黒漆の地に浮かんだほのかな金色に輝いているところを見ると、われわれは否応なしに感じさせられる、確かにこれは観音の顔であって、人の顔ではない。
この顔をうけて立つ豊かな肉体も、観音らしい気高さを欠かない。それはあらわな肌が黒と金に輝いているためばかりではない。肉づけは豊満でありながら、肥満の感じを与えない。四肢のしなやかさは柔らかい衣の皺にも腕や手の円さにも十分現わされていながら、しかもその底に強剛な意力のひらめきを持っている。ことにこの重々しかるべき五体は、重力の法則を超越するかのようにいかにも軽やかな、浮現せるごとき趣を見せている。これらのことがすべて気高さの印象の素因なのである。
かすかな大気の流れが観音の前面にやや下方から突き当たって、ゆるやかに後ろの方へと流れて行く、――その心持ちは体にまといついた衣の皺の流れ工合で明らかに現わされている。それは観音の出現が虚空での出来事であり、また運動と離し難いものであるために、定石として試みられる手法であろうが、しかしそれがこの像ほどに成功していれば、体全体に地上のものならぬ貴さを加えるように思われる。
肩より胸、あるいは腰のあたりをめぐって、腕から足に垂れる天衣の工合も、体を取り巻く曲線装飾として、あるいは肩や腕の触覚を暗示する微妙な補助手段として、きわめて成功したものである。左右の腕の位置の変化は、天衣の左右整斉とからみあって、体全体に、流るるごとく自由な、そうして均勢を失わない、快いリズムをあたえている。
横からながめるとさらに新しい驚きがわれわれに迫ってくる。肩から胴へ、腰から脚へと流れ下る肉づけの確かさ、力強さ。またその釣り合いの微妙な美しさ。これこそ真に写実の何であるかを知っている巨腕の製作である。われわれは観音像に接するときその写実的成功のいかんを最初に問題としはしない。にもかかわらずそこに浅薄な写実やあらわな不自然が認められると、その像の神々しさも美しさもことごとく崩れ去るように感ずる。だからこの種の像にとっては写実的透徹は必須の条件なのである。そのことをこの像ははっきりと示している。
土門拳『古寺巡礼』より
わたしは、聖林寺十一面観音を何時間もみつめているうち、フト、これは三輪山の神大物主の化身ではないか、と思えて仕方がなかった。それは菩薩の慈悲というよりは、神の威厳を感じさせた。
小川光三「聖林寺十一面観音の手」より
堂々とした体躯を持ちながら、いま天上から舞い降りた瞬間のように軽やかな、しかも威厳と慈悲に溢れたこの像は、私の最も好きな観音像である。
仏像には、温かく迎え入れてくれるような優しさと、恐ろしい威厳の両面があって、この二つの面の融合が見事であるほど大きな感動を受けるようである。この像はそうした面でも、重さと軽さという造形性でも、見事に相対する両面の巧妙なバランスを持っている。
また正面から拝すと、いかにも観音像の典型のように端正であるが、側面へ目を移すと思いがけぬほどの厚みがあり、背面は、まるで高々と天を衝く居杉の幹を見上げているような、荒々しいまでの力強さに驚ろかされる。
寺尾勇『奈良散歩 落日の古都』より
聖林寺十一面観音。大和路に来るたび私は今日まで幾度この前にたたずんだことでしょう。相も変わらない静けさと柔らかさ、そして心一杯に満ち足りたふくらみをもつ手の線を見つめると、旅にある哀愁が今さらのように湧き立ちます。
豊満ではあるが決して肥満ではなく、ひとかたまりの肉でありながらついに肉ではない。脂肪の重さと霊魂の軽さ、厳格と頽廃を合わせもったようなこの像の前に立つと、日頃から反逆の刃を研げば研ぐほど、かえってそのあとで包容してくれる無量の愛ーそんなものがまぶたに姿となってあらわれます。
ともかくも、私はこの二,三年、あわただしい世の中でとげとげしかった一切のものが、一つ一つ、この像の前に立つと確実に無条件に吸い込まれてゆくのを拒むことはできませんでした。
※特別展 国宝 聖林寺十一面観音 三輪山信仰のみほとけ
3月27日(日)まで
⇒★
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げっしょう(月賞)とお寿司
今年もいただきました! 純米大吟醸「げっしょう」
(たぶん)一般には販売されていません。京都の「嵯峨酒づくりの会」が景観を守るために、酒米「祝」を育て、お酒に仕上げたもの。もう25年ほどの取り組みになるのではないでしょうか。「英勲」の齋藤酒造が醸されています。
このブログでも何度かとり上げましたが、さかのぼってみると、最初に知ってからもう10年近く経つのでした。⇒★
夫の旧友たちが酒米オーナーだったというのがそもそもの発端なのですが、酒蔵見学会にも何度かオーナー枠で行かせていただきました。最初はお誘いいただいても尻込みしていたのですが、そのうちに「かぎろひ歴史探訪」に参加してくださるようになってすっかり親しくなりまして(笑)
酒蔵見学会⇒★
コロナ禍で、見学会は中止されているようですが、お酒をいただくシアワセ(笑)
「げっしょう」のお味は知っているので、じーさんも力が入り、合うアテをと

↑じーさんはほんとうは一尾をさばいてお寿司をにぎりたいのですが、多すぎるし、同じ種類よりいろいろあるほうがいいというワタクシのリクエストをいれて、お刺身セットで。ヒラメ、ヨコワ、マグロ、タイ。ウナギは別売り。
最近は燗酒が多かったのですが、久しぶりに冷酒で

お寿司は2人で完食。お酒も進みました。
ありがとうございました。
(たぶん)一般には販売されていません。京都の「嵯峨酒づくりの会」が景観を守るために、酒米「祝」を育て、お酒に仕上げたもの。もう25年ほどの取り組みになるのではないでしょうか。「英勲」の齋藤酒造が醸されています。
このブログでも何度かとり上げましたが、さかのぼってみると、最初に知ってからもう10年近く経つのでした。⇒★
夫の旧友たちが酒米オーナーだったというのがそもそもの発端なのですが、酒蔵見学会にも何度かオーナー枠で行かせていただきました。最初はお誘いいただいても尻込みしていたのですが、そのうちに「かぎろひ歴史探訪」に参加してくださるようになってすっかり親しくなりまして(笑)
酒蔵見学会⇒★
コロナ禍で、見学会は中止されているようですが、お酒をいただくシアワセ(笑)
「げっしょう」のお味は知っているので、じーさんも力が入り、合うアテをと

↑じーさんはほんとうは一尾をさばいてお寿司をにぎりたいのですが、多すぎるし、同じ種類よりいろいろあるほうがいいというワタクシのリクエストをいれて、お刺身セットで。ヒラメ、ヨコワ、マグロ、タイ。ウナギは別売り。
最近は燗酒が多かったのですが、久しぶりに冷酒で

お寿司は2人で完食。お酒も進みました。
ありがとうございました。
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目立ちタイガー賞
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幻の小川伸介ノート
学生時代のクラスメートで、書籍編集者のEさんから、最近関わられた本が贈られてきました。

大阪・九条の映画館「シネ・ヌーヴォ」代表の景山理さんが、小川伸介監督の遺稿をまとめたもの。Eさんは校正を担当。
小川伸介監督は知る人ぞ知る、ドキュメンタリー作家のカリスマとして熱い支持を集めながら、55歳という若さで亡くなられました。
ご本は2月10日に届いたのですが、ざっと目を通しただけで、そのうちにブログで紹介しようと思いつつ、日を重ねてしまいました。
今日、もう一度、手にとって、小川伸介監督のドキュメンタリー映画が現在、シネ・ヌーヴォで開催中であることは知っていたのですが、3月4日までということに気がつき、あわててブログアップしている次第です。

上映時間⇒★
詳細⇒★

大阪・九条の映画館「シネ・ヌーヴォ」代表の景山理さんが、小川伸介監督の遺稿をまとめたもの。Eさんは校正を担当。
小川伸介監督は知る人ぞ知る、ドキュメンタリー作家のカリスマとして熱い支持を集めながら、55歳という若さで亡くなられました。
ご本は2月10日に届いたのですが、ざっと目を通しただけで、そのうちにブログで紹介しようと思いつつ、日を重ねてしまいました。
今日、もう一度、手にとって、小川伸介監督のドキュメンタリー映画が現在、シネ・ヌーヴォで開催中であることは知っていたのですが、3月4日までということに気がつき、あわててブログアップしている次第です。

上映時間⇒★
詳細⇒★
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白牡丹といふといへども紅ほのか
2月19日の朝刊に「奈良公立高特色選抜入試」問題が載っていた。
何気なく見ていると、「国語」の冒頭に
白牡丹といふといへども紅ほのか
という高浜虚子の句が挙げられているのが目に入ってきた。
つい先日(2月16日)の「かぎろひ文章教室」でテキストに使われていた句やん!
5首挙げられていた句のなかで、いちばん印象に残っていたこともあり、偶然のうれしさも手伝って、入試問題に目を通すことに。

入試問題はともかく、文章にひかれてつい読み進んだ。
「白牡丹」の句から、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」へと導かれ、大いに納得させられる。
もう少し大きくして再掲。

文章は高柳克弘著『究極の俳句』からとられたもののようである。
検索して、新進気鋭の俳人だということを知った。
ブログも発見⇒★
トップにはこの本も紹介されている。

何気なく見ていると、「国語」の冒頭に
白牡丹といふといへども紅ほのか
という高浜虚子の句が挙げられているのが目に入ってきた。
つい先日(2月16日)の「かぎろひ文章教室」でテキストに使われていた句やん!
5首挙げられていた句のなかで、いちばん印象に残っていたこともあり、偶然のうれしさも手伝って、入試問題に目を通すことに。

入試問題はともかく、文章にひかれてつい読み進んだ。
「白牡丹」の句から、芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」へと導かれ、大いに納得させられる。
もう少し大きくして再掲。

文章は高柳克弘著『究極の俳句』からとられたもののようである。
検索して、新進気鋭の俳人だということを知った。
ブログも発見⇒★
トップにはこの本も紹介されている。

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