かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
五條から富有柿と新鮮野菜
五條のSさんから、富有柿と野菜たちが届きましたー♪

↑柿はほんの一部です。
新鮮な、葉っぱ付き蕪、ズッキーニ、大きな柚子。
富有柿は、もともと高野山麓の実家で栽培していたこともあって子どもの頃からよく食していました。なのに、両親が逝ってからは、とんと口に入らなくなりまして。大好きなのに、なんか、買う気がしないココロ。
今季、初物。
早速、蕪は、夫が煮物と漬物に。「かぶら蒸し」はお預けです。
ズッキーニはワタクシがやりましてん(笑)。
オリーブオイルで焼いて、上にとろけるチーズを乗せるだけという超シンプルなものですが、なかなかいけました。

Sさんとは、お酒の席で出会ったのがきっかけなのですが、ご縁が続いていて、うれしい限りです。
あっ、以前(4年前?)、「かぎろひ歴史探訪」五條歩きで、富有柿をたくさんいただいたのも、Sさんのお家からでした。
今年は不作だと、FBで見ていたのですが、恐縮するばかり。ありがとうございました。

↑柿はほんの一部です。
新鮮な、葉っぱ付き蕪、ズッキーニ、大きな柚子。
富有柿は、もともと高野山麓の実家で栽培していたこともあって子どもの頃からよく食していました。なのに、両親が逝ってからは、とんと口に入らなくなりまして。大好きなのに、なんか、買う気がしないココロ。
今季、初物。
早速、蕪は、夫が煮物と漬物に。「かぶら蒸し」はお預けです。
ズッキーニはワタクシがやりましてん(笑)。
オリーブオイルで焼いて、上にとろけるチーズを乗せるだけという超シンプルなものですが、なかなかいけました。

Sさんとは、お酒の席で出会ったのがきっかけなのですが、ご縁が続いていて、うれしい限りです。
あっ、以前(4年前?)、「かぎろひ歴史探訪」五條歩きで、富有柿をたくさんいただいたのも、Sさんのお家からでした。
今年は不作だと、FBで見ていたのですが、恐縮するばかり。ありがとうございました。
30
12月2日(木)の京都コース案内
久しぶりの京都探訪です。
東山の麓を歩きます。
京都には観光客がどっと押し寄せていると聞きますが、「かぎろひ歴史探訪」らしい静かなコース(笑)。最終ポイントの東福寺は別ですが。
集合は京阪七条駅。
3番出口から地上へ出てください。

出てすぐの所で受け付けしております。

10時に出発。北へ。
「正面橋」が見えたら、

東へ、正面通へ。
正面に豊国神社が。

大和大路通を越えて豊国神社へ。

豊国神社⇒方広寺⇒豊国廟参道(女坂)⇒豊国廟については、すでにブログアップしましたので、そちらをご参照ください。
豊国神社から豊国廟へ⇒★
秀吉さんの大仏殿と「国家安康の銘鐘」については⇒★
あ、まず歩く範囲から。

↑約8km
阿弥陀ヶ峯を除いてあまりアップダウンもありません。

阿弥陀ヶ峯登拝は希望者のみ。体調をみて当日ご判断ください。
センセは登りませんので、何かオモシロイ話が聞けるかも(笑)
麓の 太閤坦(たいこうだいら)にも見どころあり。
ひっそりと、秀吉の側室、松の丸殿と、秀頼の子、国松の供養塔が建っています。

↑左、小さいのが国松さん。
六条河原で斬首されたのが8歳と言いますから、なんとも不憫です。
太閤坦にはもうひとつ。
下見歩きのとき出会ったおじさまに教えていただいたのですが、手水鉢は当時のものだとか。400年前!


そこから南へ、東山の麓を縫う閑静な道

『徒然草』に、「あだし野の露きゆる時なく 鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ」とある、鳥辺山あたり。葬送の道ですね。
鳥戸野陵におまいりしてみました。



やがて、道は自然に今熊野観音寺へと導かれていきます。

最終ポイントの東福寺では大勢の人にびっくり。

時間はあると思いますので、各自自由に拝観することにしましょうか。
境内は自由ですが、いろいろなパターンで拝観できます。


↑クリックで拡大します。
東福寺⇒★
このほか、個人的に興味があるのは、12月5日までの「三門」(国宝)特別公開


↑上ってみたい。
東福寺のサイトによると
大仏(天竺)様を思わせる、室町初期の再建。扁額「玅雲閣(みょううんかく)」は足利義持筆。楼上内部には諸仏が並び、天井や柱には明兆と弟子による極彩画が描かれている。
解散は東福寺駅です。

※「かぎろひ歴史探訪」第17期⑦「天誅組終結の地から東福寺コース」
12月2日(木)京阪七条駅を10時出発します。
事前申し込みなしの飛び入り参加OK(1500円)
お弁当、敷物などをお持ちください。
東山の麓を歩きます。
京都には観光客がどっと押し寄せていると聞きますが、「かぎろひ歴史探訪」らしい静かなコース(笑)。最終ポイントの東福寺は別ですが。
集合は京阪七条駅。
3番出口から地上へ出てください。

出てすぐの所で受け付けしております。

10時に出発。北へ。
「正面橋」が見えたら、

東へ、正面通へ。
正面に豊国神社が。

大和大路通を越えて豊国神社へ。

豊国神社⇒方広寺⇒豊国廟参道(女坂)⇒豊国廟については、すでにブログアップしましたので、そちらをご参照ください。
豊国神社から豊国廟へ⇒★
秀吉さんの大仏殿と「国家安康の銘鐘」については⇒★
あ、まず歩く範囲から。

↑約8km
阿弥陀ヶ峯を除いてあまりアップダウンもありません。

阿弥陀ヶ峯登拝は希望者のみ。体調をみて当日ご判断ください。
センセは登りませんので、何かオモシロイ話が聞けるかも(笑)
麓の 太閤坦(たいこうだいら)にも見どころあり。
ひっそりと、秀吉の側室、松の丸殿と、秀頼の子、国松の供養塔が建っています。

↑左、小さいのが国松さん。
六条河原で斬首されたのが8歳と言いますから、なんとも不憫です。
太閤坦にはもうひとつ。
下見歩きのとき出会ったおじさまに教えていただいたのですが、手水鉢は当時のものだとか。400年前!


そこから南へ、東山の麓を縫う閑静な道

『徒然草』に、「あだし野の露きゆる時なく 鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ」とある、鳥辺山あたり。葬送の道ですね。
鳥戸野陵におまいりしてみました。



やがて、道は自然に今熊野観音寺へと導かれていきます。

最終ポイントの東福寺では大勢の人にびっくり。

時間はあると思いますので、各自自由に拝観することにしましょうか。
境内は自由ですが、いろいろなパターンで拝観できます。


↑クリックで拡大します。
東福寺⇒★
このほか、個人的に興味があるのは、12月5日までの「三門」(国宝)特別公開


↑上ってみたい。
東福寺のサイトによると
大仏(天竺)様を思わせる、室町初期の再建。扁額「玅雲閣(みょううんかく)」は足利義持筆。楼上内部には諸仏が並び、天井や柱には明兆と弟子による極彩画が描かれている。
解散は東福寺駅です。

※「かぎろひ歴史探訪」第17期⑦「天誅組終結の地から東福寺コース」
12月2日(木)京阪七条駅を10時出発します。
事前申し込みなしの飛び入り参加OK(1500円)
お弁当、敷物などをお持ちください。
29
大和大路通と大仏様
大和大路通と大仏前交番

奈良って思われた方もいるのでは。
実は、ここは京都市東山区。大和大路通があり、大仏前があり、大仏餅も売られているのです。
京都大仏は今や幻となっていますが、現地へ行くと、往時の名残がそこかしこに感じられて驚くばかり。
京都大仏は、かの太閤秀吉さんが造立されました。
天正13年(1585)、関白となった翌年、東大寺に倣って大仏殿と大仏の造営を決めたとか。
文禄4年(1595)、完成をみるも、翌年、慶長伏見の地震により倒壊。大仏様は木造だったようです。
秀吉の死後、息子秀頼が再興するのですが、炎上。
詳しくはウィキペディアで⇒★
秀頼は大仏様を木造ではなく鋳造するのですが、この時、一緒に鋳造したと言われる梵鐘が有名ですね。


「国家安康」「君臣豊楽」の文字が家康の怒りをかい、大阪の陣へと発展、豊臣家滅亡に至ったと…
方広寺に残るその梵鐘は、文字がわかるように白く囲まれていました。


忌まわしい事件をなだめるかのような、迦陵頻伽を描く天井画

大仏殿も大仏様も幻ではありますが、大きな石垣がその威容を語っています。


東大寺の大仏殿よりも大きかったそうで、現在の方広寺、豊国神社、京都国立博物館を含めたスケールだったとか。
累々と残る石垣




その大きさや繊細な積み方に目を奪われるいっぽうで、労働力を思わずにはいられません。太閤さんのひと声で苦労した人はいっぱいいたでしょうね。
大仏殿と大仏様の名残りは地名にも。
鴨川にかかる「正面橋」

そこから続く「正面通」はまっすぐ大仏殿へ至る道
途中には、これも秀吉が築いたとされる「耳塚」が


↑豊国神社の手前を南北に走るのが「大和大路通」。

いろいろ端折ってしまいましたが、面白い記事を見つけましたので、どうぞ⇒★

奈良って思われた方もいるのでは。
実は、ここは京都市東山区。大和大路通があり、大仏前があり、大仏餅も売られているのです。
京都大仏は今や幻となっていますが、現地へ行くと、往時の名残がそこかしこに感じられて驚くばかり。
京都大仏は、かの太閤秀吉さんが造立されました。
天正13年(1585)、関白となった翌年、東大寺に倣って大仏殿と大仏の造営を決めたとか。
文禄4年(1595)、完成をみるも、翌年、慶長伏見の地震により倒壊。大仏様は木造だったようです。
秀吉の死後、息子秀頼が再興するのですが、炎上。
詳しくはウィキペディアで⇒★
秀頼は大仏様を木造ではなく鋳造するのですが、この時、一緒に鋳造したと言われる梵鐘が有名ですね。


「国家安康」「君臣豊楽」の文字が家康の怒りをかい、大阪の陣へと発展、豊臣家滅亡に至ったと…
方広寺に残るその梵鐘は、文字がわかるように白く囲まれていました。


忌まわしい事件をなだめるかのような、迦陵頻伽を描く天井画

大仏殿も大仏様も幻ではありますが、大きな石垣がその威容を語っています。


東大寺の大仏殿よりも大きかったそうで、現在の方広寺、豊国神社、京都国立博物館を含めたスケールだったとか。
累々と残る石垣




その大きさや繊細な積み方に目を奪われるいっぽうで、労働力を思わずにはいられません。太閤さんのひと声で苦労した人はいっぱいいたでしょうね。
大仏殿と大仏様の名残りは地名にも。
鴨川にかかる「正面橋」

そこから続く「正面通」はまっすぐ大仏殿へ至る道
途中には、これも秀吉が築いたとされる「耳塚」が


↑豊国神社の手前を南北に走るのが「大和大路通」。

いろいろ端折ってしまいましたが、面白い記事を見つけましたので、どうぞ⇒★
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豊国神社から豊国廟へ
12月2日(木)に実施する「かぎろひ歴史探訪」では、まず豊国神社にお参りします。

ご存じ、太閤秀吉さんがまつられています。

でももともとここにあったわけではありません。当初は、秀吉公のお墓のある阿弥陀ヶ峯の麓に壮大な豊国社が建てられたのですが、豊臣家が滅亡し徳川の時代になって壊されてしまいます。
明治になって、方広寺大仏殿跡に再建されたのが現在の社殿。明治13年(1880)とか。唐門は伏見城の遺構で国宝。


太閤さんのお墓がある阿弥陀ヶ峯はまっすぐ東にそびえており、ここからの遥拝も可能。
「かぎろひ歴史探訪」としては、現地を訪ねましょう。

↑左は妙法院。
ゆるやかな坂道を上っていきます。通称、女坂だそうで。
新日吉神宮、京都女子大学を過ぎると鳥居が

阿弥陀ヶ峯も前面に迫っています。

さあ、ここから489の石段を上らなければなりません(要100円)。

登り切った所でおしまいではなく、いったん平坦な所に出て、再び石段が続きます。

到着~

高さ約10m。こちらも明治31年(1898)、豊太閤300年祭のとき、全国の浄財を集めてつくられたものとか。

四方に眺望がきくというわけではありませんが、北側に開けた所からは、清水寺の全景がそこに見えて感動もの。

ねねさんのいらっしゃる高台寺も目の範囲です。そんなことも考えて太閤さんは埋葬地を阿弥陀ヶ峯に決めたのかも?
五重塔も。

↑東寺? とも思いましたが、そのお膝元で生まれ育ったセンセに確認すると「違う」
八坂さんの塔ですかね。
阿弥陀ヶ峯からの下山は山道を通って。
案内所でお聞きしたところ、危ないから通らないほうがいい、石段が安全と言われてあきらめていたのですが、たまたまパトロールで来られていたおじさまがその道を通られるというので、ご一緒させていただきました。

これがすこぶるきちんとした道で。どこが危険なの? と思ったのですが、おじさまの話を聞いて納得。道そのものがというよりも、女性1人にはお勧めできないということのようでした。近くに京都女子大があるせいか、これまで不審者が入り込んで問題が起きているとのこと。おじさまのパトロールもそんなことが原因のようでした。ワタクシ、一応女性に見てもらえた?(笑)
石段には手すりが付いてないので、団体の高齢者にはむしろ山道のほうが安全、とおじさま。
当日の下山は山道にしましょうか。でも道標はひとつもなく、心もとないのですが、一本道だったような気もしますし…^^;
当日、決めましょう。
あ、阿弥陀ヶ峯登拝は希望者のみ。センセは下で待機します。

ご存じ、太閤秀吉さんがまつられています。

でももともとここにあったわけではありません。当初は、秀吉公のお墓のある阿弥陀ヶ峯の麓に壮大な豊国社が建てられたのですが、豊臣家が滅亡し徳川の時代になって壊されてしまいます。
明治になって、方広寺大仏殿跡に再建されたのが現在の社殿。明治13年(1880)とか。唐門は伏見城の遺構で国宝。


太閤さんのお墓がある阿弥陀ヶ峯はまっすぐ東にそびえており、ここからの遥拝も可能。
「かぎろひ歴史探訪」としては、現地を訪ねましょう。

↑左は妙法院。
ゆるやかな坂道を上っていきます。通称、女坂だそうで。
新日吉神宮、京都女子大学を過ぎると鳥居が

阿弥陀ヶ峯も前面に迫っています。

さあ、ここから489の石段を上らなければなりません(要100円)。

登り切った所でおしまいではなく、いったん平坦な所に出て、再び石段が続きます。

到着~

高さ約10m。こちらも明治31年(1898)、豊太閤300年祭のとき、全国の浄財を集めてつくられたものとか。

四方に眺望がきくというわけではありませんが、北側に開けた所からは、清水寺の全景がそこに見えて感動もの。

ねねさんのいらっしゃる高台寺も目の範囲です。そんなことも考えて太閤さんは埋葬地を阿弥陀ヶ峯に決めたのかも?
五重塔も。

↑東寺? とも思いましたが、そのお膝元で生まれ育ったセンセに確認すると「違う」
八坂さんの塔ですかね。
阿弥陀ヶ峯からの下山は山道を通って。
案内所でお聞きしたところ、危ないから通らないほうがいい、石段が安全と言われてあきらめていたのですが、たまたまパトロールで来られていたおじさまがその道を通られるというので、ご一緒させていただきました。

これがすこぶるきちんとした道で。どこが危険なの? と思ったのですが、おじさまの話を聞いて納得。道そのものがというよりも、女性1人にはお勧めできないということのようでした。近くに京都女子大があるせいか、これまで不審者が入り込んで問題が起きているとのこと。おじさまのパトロールもそんなことが原因のようでした。ワタクシ、一応女性に見てもらえた?(笑)
石段には手すりが付いてないので、団体の高齢者にはむしろ山道のほうが安全、とおじさま。
当日の下山は山道にしましょうか。でも道標はひとつもなく、心もとないのですが、一本道だったような気もしますし…^^;
当日、決めましょう。
あ、阿弥陀ヶ峯登拝は希望者のみ。センセは下で待機します。
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阿弥陀ヶ峰からの絶景
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五條ファン ゲット~♪
11月18日(木)の「かぎろひ歴史探訪」に初参加のEさんは、実は学生時代のクラスメート。
探訪の後、丁寧なメールを拝受。五條についての印象を一部抜粋して紹介してみます。
それにしても、五條という町の素晴らしさ!
歴史的な建物と街並み、随所に残る自然、各戸の庭先に咲く花々など、観光地化されていない美しさが印象的でした。
特に、文化財に指定されていなくても、築百年ぐらいと思われる庶民の家が、手入れされ、掃除も行き届いて現役で使われていることに感動しました。
自分たちの町を美しく、という住人たちの心意気が伝わってくるようでした。
五條再訪はなかなか叶わないかもしれませんが、次回は例の銭湯にも寄ってみたいと思います。
ありがとうございました。
あっ、例の銭湯、というのは、今回参加されるきっかけになった、栄湯のこと。
メールボックスを確認すると(結構ためておくタイプです^^;)、さかのぼること3か月。
8月25日、ご無沙汰していたEさんから突然のメール。
ご無沙汰しております。
この記事、たいへん面白く読みましたので、ご紹介いたします。
https://www.asahi.com/and/article/20210820/407877125/?ref=and_mail_T&spMailingID=4864264&spUserID=MTAxNDQ4NjkzMjkwS0&spJobID=1541493055&spReportId=MTU0MTQ5MzA1NQS2
取材が行き届いています。
行ってみたい! と思いました。
記事はこちら⇒★

ワタクシにとっても思い入れのある地、とてもうれしがって、返信したはず。確認してみると、やっぱり(笑)
こんにちは。
たいへんご無沙汰しております。
記事のご紹介ありがとうございました。
うれしく拝読しました。
というのも、母の里が五條で、子どもの頃は何度も遊びに行きましたし、他にも親類があり、私にとっては第二のふるさとのような所です。
母の実家は、いとこ(母の兄の長男)が守っており、なんと母の兄嫁(95歳くらいかな)が健在です。
記事にあった、人情の深い地というのはすとんと納得できます。
以前、「かぎろひ歴史探訪」で五條を訪ねたとき、
知人から柿をもらってくれないかという話があり、参加者50人ぐらいが全員、結構な量をいただきました。
しかも、知人のお父さんと、いとことは偶然にも幼なじみだったようで、
リレープレーのように、駅まで運んでもらって、参加者に大いに喜ばれました。
もう4年前になるのですが、よろしければ。
http://kagiroi3.blog.fc2.com/blog-entry-1711.html
そして、この秋季歴史探訪にも五條を入れています。
よろしければ(笑)。
⑥ 11月18日(木) 五條新町から念仏寺コース
[集 合]11月18日(木) 午前10時 JR和歌山線五条駅(五条駅10時18分着でOK)
[コース]JR五条駅⇒五條新町⇒二見の大ムク⇒五條陣屋跡⇒念仏寺⇒転法輪寺⇒JR大和二見駅
結局、こちらの話になってしまい失礼しました。
ちゃっかり、チラシまで添付していました(笑)
Eさんはすぐに参加表明。
でも本番まで3か月もあることだしと
うちの場合は、事前申し込み不要の飛入り参加OKを謳っておりますので、
当日ご都合が悪くなっても、連絡無用です。お気遣いなく。
と伝えておいたのでした。
初めての方からメールや電話で問い合わせや参加表明があっても、現れないケースも多いし、3か月も先では忘れてしまうことだってありますのでね、まあそんな感じで、こちらもつい忘れそうに(笑) 。ごめんなさい、Eさん。
11月18日、Eさんは約束通り、はるばる橋本経由で五条駅に現れたのでした。
ありがとうございました。
五條ファンが増えてうれしい限りです。
探訪の後、丁寧なメールを拝受。五條についての印象を一部抜粋して紹介してみます。
それにしても、五條という町の素晴らしさ!
歴史的な建物と街並み、随所に残る自然、各戸の庭先に咲く花々など、観光地化されていない美しさが印象的でした。
特に、文化財に指定されていなくても、築百年ぐらいと思われる庶民の家が、手入れされ、掃除も行き届いて現役で使われていることに感動しました。
自分たちの町を美しく、という住人たちの心意気が伝わってくるようでした。
五條再訪はなかなか叶わないかもしれませんが、次回は例の銭湯にも寄ってみたいと思います。
ありがとうございました。
あっ、例の銭湯、というのは、今回参加されるきっかけになった、栄湯のこと。
メールボックスを確認すると(結構ためておくタイプです^^;)、さかのぼること3か月。
8月25日、ご無沙汰していたEさんから突然のメール。
ご無沙汰しております。
この記事、たいへん面白く読みましたので、ご紹介いたします。
https://www.asahi.com/and/article/20210820/407877125/?ref=and_mail_T&spMailingID=4864264&spUserID=MTAxNDQ4NjkzMjkwS0&spJobID=1541493055&spReportId=MTU0MTQ5MzA1NQS2
取材が行き届いています。
行ってみたい! と思いました。
記事はこちら⇒★

ワタクシにとっても思い入れのある地、とてもうれしがって、返信したはず。確認してみると、やっぱり(笑)
こんにちは。
たいへんご無沙汰しております。
記事のご紹介ありがとうございました。
うれしく拝読しました。
というのも、母の里が五條で、子どもの頃は何度も遊びに行きましたし、他にも親類があり、私にとっては第二のふるさとのような所です。
母の実家は、いとこ(母の兄の長男)が守っており、なんと母の兄嫁(95歳くらいかな)が健在です。
記事にあった、人情の深い地というのはすとんと納得できます。
以前、「かぎろひ歴史探訪」で五條を訪ねたとき、
知人から柿をもらってくれないかという話があり、参加者50人ぐらいが全員、結構な量をいただきました。
しかも、知人のお父さんと、いとことは偶然にも幼なじみだったようで、
リレープレーのように、駅まで運んでもらって、参加者に大いに喜ばれました。
もう4年前になるのですが、よろしければ。
http://kagiroi3.blog.fc2.com/blog-entry-1711.html
そして、この秋季歴史探訪にも五條を入れています。
よろしければ(笑)。
⑥ 11月18日(木) 五條新町から念仏寺コース
[集 合]11月18日(木) 午前10時 JR和歌山線五条駅(五条駅10時18分着でOK)
[コース]JR五条駅⇒五條新町⇒二見の大ムク⇒五條陣屋跡⇒念仏寺⇒転法輪寺⇒JR大和二見駅
結局、こちらの話になってしまい失礼しました。
ちゃっかり、チラシまで添付していました(笑)
Eさんはすぐに参加表明。
でも本番まで3か月もあることだしと
うちの場合は、事前申し込み不要の飛入り参加OKを謳っておりますので、
当日ご都合が悪くなっても、連絡無用です。お気遣いなく。
と伝えておいたのでした。
初めての方からメールや電話で問い合わせや参加表明があっても、現れないケースも多いし、3か月も先では忘れてしまうことだってありますのでね、まあそんな感じで、こちらもつい忘れそうに(笑) 。ごめんなさい、Eさん。
11月18日、Eさんは約束通り、はるばる橋本経由で五条駅に現れたのでした。
ありがとうございました。
五條ファンが増えてうれしい限りです。
23
五條探訪報告
遅くなりましたが、11月18日(木)に実施した「かぎろひ歴史探訪」の写真報告です。
コース
JR和歌山線五条駅⇒櫻井寺⇒栗山家住宅⇒新町通り⇒まちなみ伝承館⇒幻の五新鉄道跡⇒松倉公園⇒西方寺⇒吉野川堤防⇒御霊神社⇒二見城跡⇒二見神社(湧水あめっさん)⇒二見の大ムク(国天然記念物)⇒大日寺⇒転法輪寺⇒烏ヶ森堂⇒生蓮寺⇒大和二見駅
櫻井寺で

境内の墓地には、浄瑠璃や歌舞伎で知られる「艶姿女舞衣」の三勝・半七の、立派な比翼塚が

本陣の交差点に残る道標

↑伊勢街道、紀州街道、高野街道が集まる要衝の地であったことがわかります。
全国で最も古いことがわかっている栗山家住宅を見て新町通りへ

まちなみ伝承館をゆっくり見学

明治から大正にかけての民家だそうです。



↑松倉公園で
新町通りから吉野川畔へ出て、お弁当と講座タイム

向こうの杜は御霊神社


↑御霊神社
二見城跡へ

国の天然記念物「二見の大ムク」

転法輪寺まで来ると、すでに3時前。3時19分の電車に乗るべく、急ぎ足で大和二見駅へ。
念仏寺どころではなかったですね^^;

ご参加の皆様、ありがとうございました。
参加者41人(スタッフ2人)

↑あれれ、お2人いらっしゃらないなことに気づきました。ごめんなさーい。
次回は12月2日(木)、久しぶりに京都へ。
近々下見歩きをしてから、ご案内したいと思います。
コース
JR和歌山線五条駅⇒櫻井寺⇒栗山家住宅⇒新町通り⇒まちなみ伝承館⇒幻の五新鉄道跡⇒松倉公園⇒西方寺⇒吉野川堤防⇒御霊神社⇒二見城跡⇒二見神社(湧水あめっさん)⇒二見の大ムク(国天然記念物)⇒大日寺⇒転法輪寺⇒烏ヶ森堂⇒生蓮寺⇒大和二見駅
櫻井寺で

境内の墓地には、浄瑠璃や歌舞伎で知られる「艶姿女舞衣」の三勝・半七の、立派な比翼塚が

本陣の交差点に残る道標

↑伊勢街道、紀州街道、高野街道が集まる要衝の地であったことがわかります。
全国で最も古いことがわかっている栗山家住宅を見て新町通りへ

まちなみ伝承館をゆっくり見学

明治から大正にかけての民家だそうです。



↑松倉公園で
新町通りから吉野川畔へ出て、お弁当と講座タイム

向こうの杜は御霊神社


↑御霊神社
二見城跡へ

国の天然記念物「二見の大ムク」

転法輪寺まで来ると、すでに3時前。3時19分の電車に乗るべく、急ぎ足で大和二見駅へ。
念仏寺どころではなかったですね^^;

ご参加の皆様、ありがとうございました。
参加者41人(スタッフ2人)

↑あれれ、お2人いらっしゃらないなことに気づきました。ごめんなさーい。
次回は12月2日(木)、久しぶりに京都へ。
近々下見歩きをしてから、ご案内したいと思います。
22
筋肉痛
なっちゃん、あーちゃんが引き揚げて、脱力状態(笑)
「かぎろひ歴史探訪」の報告をするつもりでしたが、あまりにもチビッ子の影響が大きくて、歴史探訪モードにはなれません^^;
かなりキツイ筋肉痛。
「警ドロ」遊びで、必死に走ったのが原因のようです(笑)
最近は歩いて筋肉痛になることはないのですが、考えてみたら走ることはないので、違う筋肉を使ったということなのでしょう。
反省。
子どもの運動会で、お父さんが走ってアキレス腱を断裂したり、肉離れを起こしたりというのは見てきていますので、あわや、そういう可能性もあったと思うにつけ、これぐらいの筋肉痛で済んでよかったとホッ。もう今後はやりませんとも。
今、夫が神経痛で足をひきずっている状態なのに、そんなことも考えなかった浅はかさを大いに反省しております。
すべり台を見ただけで、肋骨が痛む気がするので、こちらはやらないのですけどね(笑)
つい、トシを忘れるので、いかん、いかん^^;
それにしても、どんだけ公園につき合わされたことか。東京ディズニーランドとかUSJとか、何度も連れて行ってもらっている彼女たちにとっても、シンプルな遊具しかない公園はまた違う魅力があるのでしょうね。




↑豚の丸焼き、だそうで

↑コウモリ、ですって
昼間はほとんど公園遊びでしたが、屋内ではおきまり「たんていごっこ」。
ばあばじむしょも開設させられましたよ(笑)

今頃の子どもはテレビを観ることはなく、ユーチューブなんですね。
こちらが夕食準備のひととき、別々にお気に入りを楽しむ8歳と3歳。

彼女らにつきあうためには、鍛えないとアカンなあとつくづく感じたことでした。
今日は早めに就寝します。おやすみなさーい。
「かぎろひ歴史探訪」の報告をするつもりでしたが、あまりにもチビッ子の影響が大きくて、歴史探訪モードにはなれません^^;
かなりキツイ筋肉痛。
「警ドロ」遊びで、必死に走ったのが原因のようです(笑)
最近は歩いて筋肉痛になることはないのですが、考えてみたら走ることはないので、違う筋肉を使ったということなのでしょう。
反省。
子どもの運動会で、お父さんが走ってアキレス腱を断裂したり、肉離れを起こしたりというのは見てきていますので、あわや、そういう可能性もあったと思うにつけ、これぐらいの筋肉痛で済んでよかったとホッ。もう今後はやりませんとも。
今、夫が神経痛で足をひきずっている状態なのに、そんなことも考えなかった浅はかさを大いに反省しております。
すべり台を見ただけで、肋骨が痛む気がするので、こちらはやらないのですけどね(笑)
つい、トシを忘れるので、いかん、いかん^^;
それにしても、どんだけ公園につき合わされたことか。東京ディズニーランドとかUSJとか、何度も連れて行ってもらっている彼女たちにとっても、シンプルな遊具しかない公園はまた違う魅力があるのでしょうね。




↑豚の丸焼き、だそうで

↑コウモリ、ですって
昼間はほとんど公園遊びでしたが、屋内ではおきまり「たんていごっこ」。
ばあばじむしょも開設させられましたよ(笑)

今頃の子どもはテレビを観ることはなく、ユーチューブなんですね。
こちらが夕食準備のひととき、別々にお気に入りを楽しむ8歳と3歳。

彼女らにつきあうためには、鍛えないとアカンなあとつくづく感じたことでした。
今日は早めに就寝します。おやすみなさーい。
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