かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
二上山駅から雄岳ルート
9月27日(日)、女子5人で二上山へ登りました。
お山へのルートはいろいろあるのですが、実はワタクシ、二上山駅から登ったことがないのです。
登るルートはワタクシのわがままを聞いてもらった次第です。
最初は4人のはずだったのですが、なんと、先日(⇒★)二上山で知り合ったWさんから前日に電話が入りビックリ。
連絡先を交換してあったわけではないのですが、「かぎろひ歴史探訪」のチラシをお渡ししていたのでした。
初ルートで不安なワタクシのことを気にかけてくれたようなタイミングでご一緒してくださることに。
心づよ~い♪
近鉄南大阪線二上山駅に9時30分集合

のどかな田園風景を見ながら(⇒★)、春日神社におまいりして

登山口へ

最初は登山というより、ハイキングのような感じで

せせらぎに沿う道もゆるやか

6合目からの展望


麓をはしる近鉄電車にも目が届き

しばしくぎづけになったのでした。
やがて、二上神社口駅からのルートと合流し、急階段となるのですが

いやー、なかなかええコースでしたよ。
雄岳山頂から馬の背へ

雌岳でお弁当タイム

ちょっと下って、大阪から和歌山、六甲方面の展望も楽しみました。

下山は、「屯鶴峯」へ、ということで意見が一致したのですが

このダイヤモンドトレールがいちばんハードだったのです。
という報告は後日。
お山へのルートはいろいろあるのですが、実はワタクシ、二上山駅から登ったことがないのです。
登るルートはワタクシのわがままを聞いてもらった次第です。
最初は4人のはずだったのですが、なんと、先日(⇒★)二上山で知り合ったWさんから前日に電話が入りビックリ。
連絡先を交換してあったわけではないのですが、「かぎろひ歴史探訪」のチラシをお渡ししていたのでした。
初ルートで不安なワタクシのことを気にかけてくれたようなタイミングでご一緒してくださることに。
心づよ~い♪
近鉄南大阪線二上山駅に9時30分集合

のどかな田園風景を見ながら(⇒★)、春日神社におまいりして

登山口へ

最初は登山というより、ハイキングのような感じで

せせらぎに沿う道もゆるやか

6合目からの展望


麓をはしる近鉄電車にも目が届き

しばしくぎづけになったのでした。
やがて、二上神社口駅からのルートと合流し、急階段となるのですが

いやー、なかなかええコースでしたよ。
雄岳山頂から馬の背へ

雌岳でお弁当タイム

ちょっと下って、大阪から和歌山、六甲方面の展望も楽しみました。

下山は、「屯鶴峯」へ、ということで意見が一致したのですが

このダイヤモンドトレールがいちばんハードだったのです。
という報告は後日。
30
興福寺鐘楼の発掘調査 現地見学会
9月28日(月)に実施された、興福寺鐘楼の発掘調査現地見学会に行ってまいりました。

場所は↓(クリックで拡大します。赤丸の部分が鐘楼のあった所)

中金堂の西になります。

調査前から、この場所の地表には礎石の上のほうが露出していたとか。
立派な礎石が残っていました。

↑北から
↓東から

↑向こうは北円堂
礎石は9基、長径1~1.9m。創建当初の位置そのままとみられています。
鐘楼の創建ははっきりしないようですが、『興福寺流記』などから、700年代中頃(天平宝字年間)には建てられていたとわかるそうです。
その後、8回も火災に遭い、享保2年(1717)に焼失してから再建されることはありませんでした。
今回、もっとも注目されたのは、鐘楼が「袴腰(はかまごし」)という様式をもっていることがわかった点でしょうか。
袴腰とは、鐘楼の下のほうに、裾拡がりの覆いを施す様式で、奈良県内にもいくつもありますよね。
すぐに思い浮かぶだけでも、法華寺、西大寺、霊山寺、…、あっ、最近訪ねたところでは當麻寺!

なぜ、センセーショナルに報道されたかというと、袴腰の鐘楼は平安時代後期以降によく見られるもので、これまで、法隆寺の東院のもの(1163年建立)が最古だとされていました。
今回の発見で、袴腰をもつ鐘楼が奈良時代にさかのぼる可能性が出てきたというわけです。
また、『興福寺流記』には、鐘楼の規模について二通りの記述があり、謎とされてきましたが、どうやら、大きなサイズは袴腰の下端を示しているのだろうと解釈できるようになったのだそうです。
発掘することによって、謎が解けていく例ですね。わかったときはすっきりして、快哉を叫んだのではないでしょうか。

遺構平面図

8回も火災に遭ったわけですが、その痕跡も。

今回の配布資料はA4サイズ裏表でした。
↑トップの写真は表
↓裏面(クリックで拡大)

今回の記事は、記者発表資料も参考にさせていただきました。⇒こちらから★

場所は↓(クリックで拡大します。赤丸の部分が鐘楼のあった所)

中金堂の西になります。

調査前から、この場所の地表には礎石の上のほうが露出していたとか。
立派な礎石が残っていました。

↑北から
↓東から

↑向こうは北円堂
礎石は9基、長径1~1.9m。創建当初の位置そのままとみられています。
鐘楼の創建ははっきりしないようですが、『興福寺流記』などから、700年代中頃(天平宝字年間)には建てられていたとわかるそうです。
その後、8回も火災に遭い、享保2年(1717)に焼失してから再建されることはありませんでした。
今回、もっとも注目されたのは、鐘楼が「袴腰(はかまごし」)という様式をもっていることがわかった点でしょうか。
袴腰とは、鐘楼の下のほうに、裾拡がりの覆いを施す様式で、奈良県内にもいくつもありますよね。
すぐに思い浮かぶだけでも、法華寺、西大寺、霊山寺、…、あっ、最近訪ねたところでは當麻寺!

なぜ、センセーショナルに報道されたかというと、袴腰の鐘楼は平安時代後期以降によく見られるもので、これまで、法隆寺の東院のもの(1163年建立)が最古だとされていました。
今回の発見で、袴腰をもつ鐘楼が奈良時代にさかのぼる可能性が出てきたというわけです。
また、『興福寺流記』には、鐘楼の規模について二通りの記述があり、謎とされてきましたが、どうやら、大きなサイズは袴腰の下端を示しているのだろうと解釈できるようになったのだそうです。
発掘することによって、謎が解けていく例ですね。わかったときはすっきりして、快哉を叫んだのではないでしょうか。

遺構平面図

8回も火災に遭ったわけですが、その痕跡も。

今回の配布資料はA4サイズ裏表でした。
↑トップの写真は表
↓裏面(クリックで拡大)

今回の記事は、記者発表資料も参考にさせていただきました。⇒こちらから★
29
二上山雄岳麓の彼岸花
28
かわば村のぶどう
27
今年も五條の栗
今年も、五條のSさんから栗が届きました。

収穫したばかりのを送ってくださったようです。
9月22日のこと、なっちゃんが来ている時で、大歓声。
新鮮な栗は塩ゆでがいちばん! 全部いっぺんにゆであげました(ワタクシが。念のため、笑)。
剥くのに結構時間がかかりましたが、今も楽しんでいます。おやつにも、昨夜はサラダにも。
それにしても、栗の感動をさらに大きくさせるのは、添えられたうるわしい文字ですね。
送り主のSさんとは、お酒の会で知り合ったのがきっかけ。ワタクシの親戚のお隣さん、で驚いたのだけれど、実は親類でもあるとか?(笑)
若くてきれいな女性なのですが、以後、何かとお世話になっています。
いやぁ、ご縁ってほんとうに不思議。
Sさん、ありがとうございました。

収穫したばかりのを送ってくださったようです。
9月22日のこと、なっちゃんが来ている時で、大歓声。
新鮮な栗は塩ゆでがいちばん! 全部いっぺんにゆであげました(ワタクシが。念のため、笑)。
剥くのに結構時間がかかりましたが、今も楽しんでいます。おやつにも、昨夜はサラダにも。
それにしても、栗の感動をさらに大きくさせるのは、添えられたうるわしい文字ですね。
送り主のSさんとは、お酒の会で知り合ったのがきっかけ。ワタクシの親戚のお隣さん、で驚いたのだけれど、実は親類でもあるとか?(笑)
若くてきれいな女性なのですが、以後、何かとお世話になっています。
いやぁ、ご縁ってほんとうに不思議。
Sさん、ありがとうございました。
26
白い彼岸花
9月24日は、すっきりとはいかないまでも、雨は降らず、なかなかの好天気となりました。
空振りの「中止(延期)」、ほんとうに申しわけありませんでしたm(__)m
これまで、雨にもマケズ、コロナにもマケズやってきたというのに、自分たちでも信じられないほど。前日に決めようと言っていたはずが、何かに背中を押されるように早々と決断してしまったのでした。しかも、普通なら、どちらかがもうちょっと待ってみようとか、いけるんじゃないか、とか意見が食い違うことも多いのですが、今回は不思議に一致して、連絡は早いほうがいい、な~んてことに。
連絡が行きわたっていない可能性もありますので、24日、センセは念のため集合場所の岡寺駅でお待ちしていました。万一、遠来の参加者がいらっしゃった場合は、ご案内するつもりで。
結果、岡寺駅には常連さんがお2人いらっしゃったとか。
えー、連絡したのに…。と思ったのですが、どうやらわかりながらいらっしゃった様子。
Yさんは、Idayチケットを購入されていたこともあって、吉野へ行く途中に立ち寄られたとか。Hさんはこの日にお友達を連れて参加する予定だったそうで、約束の日を動かせないのでと、お友達と益田岩船へ行かれたようです。
その夜、判断を誤ったからには、「大反省会」をしないといけませんな。
という仲間が6人集まりまして(笑)
大反省しましたとも!
反省しすぎたせいか、撮ってませんでした^^;
皆様、ありがとうございました。
もうすっかり旧友の気分なのですが、考えると、きっかけはみんなネットつながり。
ご縁に感謝しております。
大反省会場へ向かう途中、佐保川べりで白い彼岸花を見つけました。


ちょっとうれしくなって、花言葉を調べてみたら
「また会う日を楽しみに」
はい、楽しみにしておりますー♪
空振りの「中止(延期)」、ほんとうに申しわけありませんでしたm(__)m
これまで、雨にもマケズ、コロナにもマケズやってきたというのに、自分たちでも信じられないほど。前日に決めようと言っていたはずが、何かに背中を押されるように早々と決断してしまったのでした。しかも、普通なら、どちらかがもうちょっと待ってみようとか、いけるんじゃないか、とか意見が食い違うことも多いのですが、今回は不思議に一致して、連絡は早いほうがいい、な~んてことに。
連絡が行きわたっていない可能性もありますので、24日、センセは念のため集合場所の岡寺駅でお待ちしていました。万一、遠来の参加者がいらっしゃった場合は、ご案内するつもりで。
結果、岡寺駅には常連さんがお2人いらっしゃったとか。
えー、連絡したのに…。と思ったのですが、どうやらわかりながらいらっしゃった様子。
Yさんは、Idayチケットを購入されていたこともあって、吉野へ行く途中に立ち寄られたとか。Hさんはこの日にお友達を連れて参加する予定だったそうで、約束の日を動かせないのでと、お友達と益田岩船へ行かれたようです。
その夜、判断を誤ったからには、「大反省会」をしないといけませんな。
という仲間が6人集まりまして(笑)
大反省しましたとも!
反省しすぎたせいか、撮ってませんでした^^;
皆様、ありがとうございました。
もうすっかり旧友の気分なのですが、考えると、きっかけはみんなネットつながり。
ご縁に感謝しております。
大反省会場へ向かう途中、佐保川べりで白い彼岸花を見つけました。


ちょっとうれしくなって、花言葉を調べてみたら
「また会う日を楽しみに」
はい、楽しみにしておりますー♪
25
辻邦生 生誕95年
9月24日は、辻邦生(1925-1999)さんの誕生日。
「自画像から」より
私は1925年9月24日に…生まれた。時代はちょうど20世紀の最初の四分の一を終ったところであり、9月24日は秋季皇霊祭(秋分の日)に当り、昼と夜の長さはそれぞれに正確に一日を等しく分担していた。母の話によると、9月23日が終り、9月24日がまさにはじまろうとして、真夜中の時計が鳴って間もなく私が生れてきたのだそうである。安産であった。
星座からみると、乙女座からヴィーナス、つまり金星が天秤座に移っていったその勢にひかれて、私はこの地上に生みだされたということになる。したがって私の星座は天秤座であり、守り星はヴィーナスであり、その時刻に真二つに分割された昼と夜は、等しい量の光と闇を私に与えたのであった。
邦生は9月24日(クニオ)から名づけられたというのは有名な話。
本人も書いている。
邦生という名前はごく単純に9月24日、すなわち九・二・四からとられている。怠惰といえば怠惰だが、ヒントというものは何からくるかわからない。私は兄弟姉妹のそれぞれがいい名前を与えられていると思い、多少、父のそういう趣味を有難いと思っているのだが、私自身もいろいろな人からペンネームのような名前だと言われた。
(時刻ときのなかの肖像)

思い出すのは、高校の入学式の後、クラスでいちばん先におしゃべりした人が「いつみ」(平仮名)という名前だった。座る席が隣り合わせていたにすぎないのだが「素敵な名前ね」と言ったところ、「五人姉妹の五番目だからよ。じゃまくさそうに付けられたの」と笑っていたっけ。
「自画像から」より
自分の作品の性格を、生まれ月や星のめぐりのせいにするのは、たしかに、月や星のほうが、迷惑を感じているにちがいない。しかし世界中の無数の家庭のなかから、私の両親の家を選んで、こうのとりが私を運んでいったことは、私の文学と大いに関係がありそうだ。
子どもを産んだ人なら、わりきれないもの、自分の意思とはちがうところで何かに動かされていることを感じてきたはず。
しだいにふくらんでいく自分のおなかを見つめながら、星の巡りのなかに組み込まれているような境地になったものだった。
ケセラセラ。
今日の「かぎろひ歴史探訪」をなぜか、2日前に中止にしてしまったのも、もしかしたら、今日が辻邦生さんの誕生日のせいなのかもしれないと思えてくるのだった(笑)。
「自画像から」より
私は1925年9月24日に…生まれた。時代はちょうど20世紀の最初の四分の一を終ったところであり、9月24日は秋季皇霊祭(秋分の日)に当り、昼と夜の長さはそれぞれに正確に一日を等しく分担していた。母の話によると、9月23日が終り、9月24日がまさにはじまろうとして、真夜中の時計が鳴って間もなく私が生れてきたのだそうである。安産であった。
星座からみると、乙女座からヴィーナス、つまり金星が天秤座に移っていったその勢にひかれて、私はこの地上に生みだされたということになる。したがって私の星座は天秤座であり、守り星はヴィーナスであり、その時刻に真二つに分割された昼と夜は、等しい量の光と闇を私に与えたのであった。
邦生は9月24日(クニオ)から名づけられたというのは有名な話。
本人も書いている。
邦生という名前はごく単純に9月24日、すなわち九・二・四からとられている。怠惰といえば怠惰だが、ヒントというものは何からくるかわからない。私は兄弟姉妹のそれぞれがいい名前を与えられていると思い、多少、父のそういう趣味を有難いと思っているのだが、私自身もいろいろな人からペンネームのような名前だと言われた。
(時刻ときのなかの肖像)

思い出すのは、高校の入学式の後、クラスでいちばん先におしゃべりした人が「いつみ」(平仮名)という名前だった。座る席が隣り合わせていたにすぎないのだが「素敵な名前ね」と言ったところ、「五人姉妹の五番目だからよ。じゃまくさそうに付けられたの」と笑っていたっけ。
「自画像から」より
自分の作品の性格を、生まれ月や星のめぐりのせいにするのは、たしかに、月や星のほうが、迷惑を感じているにちがいない。しかし世界中の無数の家庭のなかから、私の両親の家を選んで、こうのとりが私を運んでいったことは、私の文学と大いに関係がありそうだ。
子どもを産んだ人なら、わりきれないもの、自分の意思とはちがうところで何かに動かされていることを感じてきたはず。
しだいにふくらんでいく自分のおなかを見つめながら、星の巡りのなかに組み込まれているような境地になったものだった。
ケセラセラ。
今日の「かぎろひ歴史探訪」をなぜか、2日前に中止にしてしまったのも、もしかしたら、今日が辻邦生さんの誕生日のせいなのかもしれないと思えてくるのだった(笑)。
24
24日の歴史探訪はこのまま中止します
おはようございます。
一夜明けて、台風の進路がかなり東へそれている……^^;

最初は前日に決めようと言っていたのですが、早めに連絡したほうがいいということになりまして…、みごとな空振り^^;
でも、すでにSNSにあげ、連絡できるところにはメールや電話をしましたので、今回はこのまま、中止にします。
こんなことがあってしみじみ感じたのですが、歴史探訪の仲間たちの横のつながり。
Oさんは「私のほうから、Kさん、Iさん、Oさん、Aさん、Iさん、Sさん、Kさんに連絡します」
こちらはKさんの電話番号がわからなかったので大助かりでした。
また、Sさんの連絡先がわからないので、いつも親しそうにされているNさんにSOSメール。
Nさんは「私から連絡しておくわ」とおっしゃり、その後でSさんの電話番号やメールアドレスを教えてくださったのでした。
Hさんに連絡して、「Mさんにお伝えいただけますでしょうか」とお願いすると
「Mさんはすでにご存じですよ。いち早くブログを見たMさんから教えてもらったとこです」
見事な連携プレーや丁寧な返信に接することができて、感動。
むしろ、判断を誤ったのもよかったのではないかとさえ思えるのでした。
いいお仲間をもつことができて、感謝感謝。皆様、ありがとうございます。
とはいえ、全員に連絡できていないかもしれず、当日初参加の方が来られる可能性も。雨が降らないとなればなおさら^^;
なので、念のため、24日は、スタッフ1人が集合地の岡寺駅で10時までお待ちしています。
「かぎろひ歴史探訪」2013年のスタート以来、初めての中止(延期)となりました。
コロナにも負けなかったのに、ちょっと残念、悔しいなあ。
皆様、申しわけございません。
次回は、10月8日(木)、平群の里を訪ねます。
下見の後、ご報告します。
どうぞよろしくお願いいたします。
一夜明けて、台風の進路がかなり東へそれている……^^;

最初は前日に決めようと言っていたのですが、早めに連絡したほうがいいということになりまして…、みごとな空振り^^;
でも、すでにSNSにあげ、連絡できるところにはメールや電話をしましたので、今回はこのまま、中止にします。
こんなことがあってしみじみ感じたのですが、歴史探訪の仲間たちの横のつながり。
Oさんは「私のほうから、Kさん、Iさん、Oさん、Aさん、Iさん、Sさん、Kさんに連絡します」
こちらはKさんの電話番号がわからなかったので大助かりでした。
また、Sさんの連絡先がわからないので、いつも親しそうにされているNさんにSOSメール。
Nさんは「私から連絡しておくわ」とおっしゃり、その後でSさんの電話番号やメールアドレスを教えてくださったのでした。
Hさんに連絡して、「Mさんにお伝えいただけますでしょうか」とお願いすると
「Mさんはすでにご存じですよ。いち早くブログを見たMさんから教えてもらったとこです」
見事な連携プレーや丁寧な返信に接することができて、感動。
むしろ、判断を誤ったのもよかったのではないかとさえ思えるのでした。
いいお仲間をもつことができて、感謝感謝。皆様、ありがとうございます。
とはいえ、全員に連絡できていないかもしれず、当日初参加の方が来られる可能性も。雨が降らないとなればなおさら^^;
なので、念のため、24日は、スタッフ1人が集合地の岡寺駅で10時までお待ちしています。
「かぎろひ歴史探訪」2013年のスタート以来、初めての中止(延期)となりました。
コロナにも負けなかったのに、ちょっと残念、悔しいなあ。
皆様、申しわけございません。
次回は、10月8日(木)、平群の里を訪ねます。
下見の後、ご報告します。
どうぞよろしくお願いいたします。
23
敬老の日の誕生会
もう4日も前に誕生日は過ぎ、オンラインでお祝いしてもらったのに、近くに住む娘が呼んでくれた。
9月21日。どうやら、誕生日会=敬老の日ということもあるらしい(笑)
じーさん、ばーさん、そろって、久しぶりに娘の家へ。最近はこっちへ来るばかりで、長らく行ってないのだ。
やっぱり、なっちゃん、あーちゃんに会うのが楽しみ~♪
なっちゃんの学習机やランドセル姿も初めて。佐保川での撮影会では見たけどね⇒★
あの時、大きすぎると感じたランドセルも、もうしっくり。それだけ成長したのだろう。
でんぐりがえりもできるよ、とあーちゃん。

一緒に夕焼けを見て歓声をあげたりもした。

あの小さかった娘が母親になっているのも不思議(笑)
手料理でもてなしてくれたよ。

思いがけずケーキも

ケーキで、思い出した。
ほんとうの誕生日だった9月17日は、朝から高取町、下見歩き、反省会場探し(笑)、そこで飲んで…とバタバタした1日だった。⇒★
今さら誕生日でもないけれど、ささやかにケーキを買いたくなった。
西大寺エキナカのシェフ・ナカギリで。
なんと、夫もケーキを買っていてビックリ。こちらは新大宮駅前のラ・ポーズで。

えー、どうすんのよ。
とか言いながら、2つずつ食べてしまった、じーさん、ばーさん(笑)
みんな、ありがとね。
まだ、がんばれそうですよ。
9月21日。どうやら、誕生日会=敬老の日ということもあるらしい(笑)
じーさん、ばーさん、そろって、久しぶりに娘の家へ。最近はこっちへ来るばかりで、長らく行ってないのだ。
やっぱり、なっちゃん、あーちゃんに会うのが楽しみ~♪
なっちゃんの学習机やランドセル姿も初めて。佐保川での撮影会では見たけどね⇒★
あの時、大きすぎると感じたランドセルも、もうしっくり。それだけ成長したのだろう。
でんぐりがえりもできるよ、とあーちゃん。

一緒に夕焼けを見て歓声をあげたりもした。

あの小さかった娘が母親になっているのも不思議(笑)
手料理でもてなしてくれたよ。

思いがけずケーキも

ケーキで、思い出した。
ほんとうの誕生日だった9月17日は、朝から高取町、下見歩き、反省会場探し(笑)、そこで飲んで…とバタバタした1日だった。⇒★
今さら誕生日でもないけれど、ささやかにケーキを買いたくなった。
西大寺エキナカのシェフ・ナカギリで。
なんと、夫もケーキを買っていてビックリ。こちらは新大宮駅前のラ・ポーズで。

えー、どうすんのよ。
とか言いながら、2つずつ食べてしまった、じーさん、ばーさん(笑)
みんな、ありがとね。
まだ、がんばれそうですよ。
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