かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
ブログ1か月毎日更新達成!
8月末日。
やったー。この1か月、ブログを毎日更新できたゾー。
開設12年目にして初めてのことだ。
かなり意識して毎日書くことをこころがけた。
予約投稿というツールも1度だけ初めて使った。時間的に無理そうな時は、前日までにその日を指定して投稿できるのだ。
お知り合いにほぼ毎日更新されている人がいるので、刺激を受けていることもある。
鹿鳴人さん⇒★
tetsudaさん⇒★
naraclubさん⇒★
Yさん⇒★
弘前りんごさん⇒★
以前より時間がある、ことも大きい。
コロナ禍の影響で、イベントの中止が多い。関わっている団体でも動きは少ないし、実は「正倉院展」期間中の呈茶席も今年は中止することに決まった。
一応、事務局を担当しているので、これからの時期はかなり時間をとられるのだが、空いた。
それから、毎年いくつかくる講演会などのテープ起こしも皆無。おそらく、講演会そのものが中止になっているのだろうと思われる。
そのうえ、昨年から機関紙編集の仕事が一つ減った。まあ、これは団体そのものが消滅したので仕方がないのだが…。時間はできたけれど、フトコロ具合がさみしいのも事実(笑)
でも、1か月毎日更新できたのはうれしいな。

読んでくださる方がいるおかげです。
どうもありがとうございます。
これからも、連続更新、心がけたいところではありますが、気が緩むかも^^;
やったー。この1か月、ブログを毎日更新できたゾー。
開設12年目にして初めてのことだ。
かなり意識して毎日書くことをこころがけた。
予約投稿というツールも1度だけ初めて使った。時間的に無理そうな時は、前日までにその日を指定して投稿できるのだ。
お知り合いにほぼ毎日更新されている人がいるので、刺激を受けていることもある。
鹿鳴人さん⇒★
tetsudaさん⇒★
naraclubさん⇒★
Yさん⇒★
弘前りんごさん⇒★
以前より時間がある、ことも大きい。
コロナ禍の影響で、イベントの中止が多い。関わっている団体でも動きは少ないし、実は「正倉院展」期間中の呈茶席も今年は中止することに決まった。
一応、事務局を担当しているので、これからの時期はかなり時間をとられるのだが、空いた。
それから、毎年いくつかくる講演会などのテープ起こしも皆無。おそらく、講演会そのものが中止になっているのだろうと思われる。
そのうえ、昨年から機関紙編集の仕事が一つ減った。まあ、これは団体そのものが消滅したので仕方がないのだが…。時間はできたけれど、フトコロ具合がさみしいのも事実(笑)
でも、1か月毎日更新できたのはうれしいな。

読んでくださる方がいるおかげです。
どうもありがとうございます。
これからも、連続更新、心がけたいところではありますが、気が緩むかも^^;
31
二上山から迷走、あれ? 麻呂子山?
8月26日、予定どおり二上山へ(⇒★)
この後、体調がよければ岩屋峠からダイトレで竹内峠へ行きたいな、と考えていた。そこから、竹内街道を歩いて磐城駅へ。あ、ついでに役所へ寄ろうかな、などと漠然と思いをめぐらしていた。疲労感があれば、そのまま祐泉寺経由で当麻寺駅へ戻ろう。
登山中はひいひい言っていたくせに、登ってしまえば元気いっぱいの調子よさ(笑)。
よし、ダイトレ決行や。
が、どこで道をまちがえたのかわからないまま…、不安のなかで、ロープや木につかまりながら激下りを繰り返し、ほうほうのていで、山を脱出したのだった。
ネットの記事を読みまくって、自分の足取りを検証してみた。
岩屋峠で、この日出会ったWさんと別れて、ダイヤモンドトレールへ。

さすがに、初めてだったら躊躇していたはずだと思うのだが、以前、歩いたことあるのよねぇ。急な下りはあったけど、時間も大してかからなかったような気がする。道もはっきりしていたような。もちろん、リンネリーダーに先導されてのことだったけど。
ダイトレで竹内峠⇒★
実はこの時の写真を、外付けハードディスクが壊れて消失。峠にあったいくつかの石碑をもう一度見たかったこともあるし、竹内街道もこのあたりは歩いていないしね。
最初は、こんな道好きやわ~♪ と足取り軽く。

ネット記事では、手書きの道標などの写真を載せているが、ワタクシは目に入っていない。
迷うような分岐などなかったような? 道なりに進んだはずなのだが。誰に会うこともなく、風景もあまり変わらないせいか、どんどん内省的に。いろいろな思いが交錯する。
さっき、雌岳で昼食中、5~6人のお知り合い同士が、突然逝かれた山仲間の話でもちきりだったということもあるが、ワタクシも、最近失くした友人たちのことを考えずにはいられなかった。
Fさんとは一緒にダイトレも歩いたなあ。あの時はワタクシがいちばん足手まといで、Fさんはとてもお元気だったのに…。丹生姫さんとも一緒に二上山に登った。祐泉寺経由で雌岳へ達し、雄岳から下ったっけ。でもあんなに階段あったかなあ。下りはとても楽チンだった。
……
ふと我に帰り、ハッ。竹内峠までこんなに時間かかったかなあ、と初めて疑念がわく。

↑こんなとこ、通ったっけ? でも、迷ったとこなどなかったよな^^;
やや不安に感じながら、なおも行くと。
展望の開けた場所があって。

↑手前の草にピントが当っている^^; 確認もせず、これ1枚だけなので、この時点で動揺は隠せない。
振り向くと

麻呂子展望台の文字を見てギクッ。道を間違えたことを確信したのはこの時だった。
この後、激しい下り道を見て、このまま行くか、元に戻るか、悩む。

戻るなら今しかない。と思うのだが、かすかに車の音が聞こえてくるところをみると、こっちのほうが近いかも? 道はあるようだから、行ってみようか。
もう、戻るのも嫌だったのだ(笑)。
けれども、この後がきつかった。
苦手な階段のありがたさを痛感。山道の整備はさぞ大変だったろうと、感謝、感謝。これからはもっとありがたく階段を登ろう。

そういえば、Wさんと別れるとき、彼女は「麻呂子山のほうへ行ったらややこしいから気をつけてね」と言っていたのだった。ワタクシが竹内峠へ行きたいというと、ダイトレではなくて大阪側へ下りてそこから行ったら? とも助言してくれた。ワタクシはこの前、大阪側へ下山して(⇒★)後悔していたし、山の中を歩きたかったので、その選択肢はゼロ。そこまでして竹内峠へ行きたいわけでもなかったのだ。
もしかしたら、Wさん、ここらを歩いた経験があるのかも、とようやく思い至る。
激しく下った後、そこからまた上り、別の山へ移った気がする。上りたくないけど、道はそこしかなかった(と思う)^^;
とにかく必死。脱出することで頭がいっぱい。こんなとこで遭難したらどうするのよ。恥ずかしいやん。
時計を見ると午後1時半でホッ。こんな時期でよかった。冬場は3時になるともう薄暗くなるからね、焦りまくると思う。
時間的には大丈夫のはずやから、とにかく怪我をしないように気をつけよう。慎重に下る。

山の中で迷ったのは、あの時以来か…⇒★
あの時の山のほうがもっとこわかったし(道がなかった)、命の危険すら感じた。しかし、仲間がいて心強かった。今は低山だし、時間にも余裕がある、けど独り。二者択一を迫られたらどっちとる? 馬鹿な思いが浮かんだり…
と、こんな場所に出た。姫風の坂。

下界はすぐそこや~

別の方向に何か道標があったような気もするが、もう脱出することしか考えられない。
急そうだけど、坂を下ることに。

姫風の坂というような、やさしいものではなかったゾ(笑)

ようやく、底についた雰囲気があって

出口や~

こんなとこに出たよ。

ふう。

少し下ると、當麻寺奥院の裏側のようだった。

ここで、安心のあまり、しばらくへたりこむ。
お山を振り返る。

↑左の丸いのが麻呂子山。その手前で脱出したように思うので、結局、麻呂子山には行ってないみたいね。んで、麻呂子展望台は麻呂子山にあるんとちゃうんかい!?(笑)

↑クリックで拡大
急に、何か甘くて冷たいものが食べたくなって、もんちっちがあったわねと、そちらに向かう。
朝いちばんで来た首子塚古墳のそばを通り、こんなはずではなかったのだが…^^;

やっとひと息

当麻寺駅へ。二上山さん、またね。

山、なめたらあかんよね。
でも、どこでまちがえたのか、リベンジしたい。脱出できることがわかったから、今度はゆっくり、丁寧に歩こう。
この後、体調がよければ岩屋峠からダイトレで竹内峠へ行きたいな、と考えていた。そこから、竹内街道を歩いて磐城駅へ。あ、ついでに役所へ寄ろうかな、などと漠然と思いをめぐらしていた。疲労感があれば、そのまま祐泉寺経由で当麻寺駅へ戻ろう。
登山中はひいひい言っていたくせに、登ってしまえば元気いっぱいの調子よさ(笑)。
よし、ダイトレ決行や。
が、どこで道をまちがえたのかわからないまま…、不安のなかで、ロープや木につかまりながら激下りを繰り返し、ほうほうのていで、山を脱出したのだった。
ネットの記事を読みまくって、自分の足取りを検証してみた。
岩屋峠で、この日出会ったWさんと別れて、ダイヤモンドトレールへ。

さすがに、初めてだったら躊躇していたはずだと思うのだが、以前、歩いたことあるのよねぇ。急な下りはあったけど、時間も大してかからなかったような気がする。道もはっきりしていたような。もちろん、リンネリーダーに先導されてのことだったけど。
ダイトレで竹内峠⇒★
実はこの時の写真を、外付けハードディスクが壊れて消失。峠にあったいくつかの石碑をもう一度見たかったこともあるし、竹内街道もこのあたりは歩いていないしね。
最初は、こんな道好きやわ~♪ と足取り軽く。

ネット記事では、手書きの道標などの写真を載せているが、ワタクシは目に入っていない。
迷うような分岐などなかったような? 道なりに進んだはずなのだが。誰に会うこともなく、風景もあまり変わらないせいか、どんどん内省的に。いろいろな思いが交錯する。
さっき、雌岳で昼食中、5~6人のお知り合い同士が、突然逝かれた山仲間の話でもちきりだったということもあるが、ワタクシも、最近失くした友人たちのことを考えずにはいられなかった。
Fさんとは一緒にダイトレも歩いたなあ。あの時はワタクシがいちばん足手まといで、Fさんはとてもお元気だったのに…。丹生姫さんとも一緒に二上山に登った。祐泉寺経由で雌岳へ達し、雄岳から下ったっけ。でもあんなに階段あったかなあ。下りはとても楽チンだった。
……
ふと我に帰り、ハッ。竹内峠までこんなに時間かかったかなあ、と初めて疑念がわく。

↑こんなとこ、通ったっけ? でも、迷ったとこなどなかったよな^^;
やや不安に感じながら、なおも行くと。
展望の開けた場所があって。

↑手前の草にピントが当っている^^; 確認もせず、これ1枚だけなので、この時点で動揺は隠せない。
振り向くと

麻呂子展望台の文字を見てギクッ。道を間違えたことを確信したのはこの時だった。
この後、激しい下り道を見て、このまま行くか、元に戻るか、悩む。

戻るなら今しかない。と思うのだが、かすかに車の音が聞こえてくるところをみると、こっちのほうが近いかも? 道はあるようだから、行ってみようか。
もう、戻るのも嫌だったのだ(笑)。
けれども、この後がきつかった。
苦手な階段のありがたさを痛感。山道の整備はさぞ大変だったろうと、感謝、感謝。これからはもっとありがたく階段を登ろう。

そういえば、Wさんと別れるとき、彼女は「麻呂子山のほうへ行ったらややこしいから気をつけてね」と言っていたのだった。ワタクシが竹内峠へ行きたいというと、ダイトレではなくて大阪側へ下りてそこから行ったら? とも助言してくれた。ワタクシはこの前、大阪側へ下山して(⇒★)後悔していたし、山の中を歩きたかったので、その選択肢はゼロ。そこまでして竹内峠へ行きたいわけでもなかったのだ。
もしかしたら、Wさん、ここらを歩いた経験があるのかも、とようやく思い至る。
激しく下った後、そこからまた上り、別の山へ移った気がする。上りたくないけど、道はそこしかなかった(と思う)^^;
とにかく必死。脱出することで頭がいっぱい。こんなとこで遭難したらどうするのよ。恥ずかしいやん。
時計を見ると午後1時半でホッ。こんな時期でよかった。冬場は3時になるともう薄暗くなるからね、焦りまくると思う。
時間的には大丈夫のはずやから、とにかく怪我をしないように気をつけよう。慎重に下る。

山の中で迷ったのは、あの時以来か…⇒★
あの時の山のほうがもっとこわかったし(道がなかった)、命の危険すら感じた。しかし、仲間がいて心強かった。今は低山だし、時間にも余裕がある、けど独り。二者択一を迫られたらどっちとる? 馬鹿な思いが浮かんだり…
と、こんな場所に出た。姫風の坂。

下界はすぐそこや~

別の方向に何か道標があったような気もするが、もう脱出することしか考えられない。
急そうだけど、坂を下ることに。

姫風の坂というような、やさしいものではなかったゾ(笑)

ようやく、底についた雰囲気があって

出口や~

こんなとこに出たよ。

ふう。

少し下ると、當麻寺奥院の裏側のようだった。

ここで、安心のあまり、しばらくへたりこむ。
お山を振り返る。

↑左の丸いのが麻呂子山。その手前で脱出したように思うので、結局、麻呂子山には行ってないみたいね。んで、麻呂子展望台は麻呂子山にあるんとちゃうんかい!?(笑)

↑クリックで拡大
急に、何か甘くて冷たいものが食べたくなって、もんちっちがあったわねと、そちらに向かう。
朝いちばんで来た首子塚古墳のそばを通り、こんなはずではなかったのだが…^^;

やっとひと息

当麻寺駅へ。二上山さん、またね。

山、なめたらあかんよね。
でも、どこでまちがえたのか、リベンジしたい。脱出できることがわかったから、今度はゆっくり、丁寧に歩こう。
30
雄岳ルートで二上山へ
もはや、二上山麓行きは取材というより山歩きがメインの様相に…(笑)
いやぁ、猛暑でも山の中って涼しいのよ。土の道が足にやさしくて。もちろん、汗はだくだくなのだけれど、昼間たっぷり汗を流しておくと、体調がすこぶるいいのだ。
ということに気づいたのは、8月1日の愛宕山登り⇒★
もう6年も前になるのね。かつてないくらいの汗をかいたのに、その夜はとてもスッキリ。それ以来、夏こそ汗やということに目覚めたのだった(笑)。エアコンの中にいるとその時は快適なのだが、後で心身ともに不調…。と言いながら、日常はエアコンまみれ^^;
もうひとつ、ちょっと気になることがあってね。そのうちアップできたらいいのだけど…^^;
今回は二上神社口駅から登ろうと決めていた。
集落のなかを、お山に向かってゆるやかに上っていく。

加守廃寺跡に立ち寄り、神社におまいりして。

このルートで登るのは、20代の頃に1回。下山に1回のみ。取りつきが何だか暗い感じがして、ちょっとコワイような。

祐泉寺ルートの時は、何人かに出会ったのに、こちらは誰もいなくてやや不安に。
そして、こんなに階段続きだったのか! と、やや後悔^^;

ゆっくりマイペースで。もう少しやね。

大津皇子二上山墓

山頂近くで、1人で登ってこられた女性にバッタリ。こんな時期に女性1人、雄岳ルートで、というだけで親近感。まるで旧知のようにおしゃべり。雄岳⇒馬の背⇒昼食⇒雌岳⇒岩屋峠までご一緒することに。
何度も二上山に登られているようで、まるでお庭のような歩き方。二上山で親しくなったというお仲間たちとも偶然合流して楽し気なひとときを傍観。
この日はちょっとけぶっていたが、雌岳から奈良盆地

葛城金剛。このアングルを見ると二上山へ登ってきたという思いが高まるのだ。

大阪側を見ながら

岩屋峠へ。ここで彼女とバイバイ。
珍しくお互いに自己紹介をして「かぎろひ歴史探訪」もPR(笑)。もしかしたら、来られることもあるかなーと、再会を期待するばかり。
Wさん、ありがとうございました。
いやぁ、猛暑でも山の中って涼しいのよ。土の道が足にやさしくて。もちろん、汗はだくだくなのだけれど、昼間たっぷり汗を流しておくと、体調がすこぶるいいのだ。
ということに気づいたのは、8月1日の愛宕山登り⇒★
もう6年も前になるのね。かつてないくらいの汗をかいたのに、その夜はとてもスッキリ。それ以来、夏こそ汗やということに目覚めたのだった(笑)。エアコンの中にいるとその時は快適なのだが、後で心身ともに不調…。と言いながら、日常はエアコンまみれ^^;
もうひとつ、ちょっと気になることがあってね。そのうちアップできたらいいのだけど…^^;
今回は二上神社口駅から登ろうと決めていた。
集落のなかを、お山に向かってゆるやかに上っていく。

加守廃寺跡に立ち寄り、神社におまいりして。

このルートで登るのは、20代の頃に1回。下山に1回のみ。取りつきが何だか暗い感じがして、ちょっとコワイような。

祐泉寺ルートの時は、何人かに出会ったのに、こちらは誰もいなくてやや不安に。
そして、こんなに階段続きだったのか! と、やや後悔^^;

ゆっくりマイペースで。もう少しやね。

大津皇子二上山墓

山頂近くで、1人で登ってこられた女性にバッタリ。こんな時期に女性1人、雄岳ルートで、というだけで親近感。まるで旧知のようにおしゃべり。雄岳⇒馬の背⇒昼食⇒雌岳⇒岩屋峠までご一緒することに。
何度も二上山に登られているようで、まるでお庭のような歩き方。二上山で親しくなったというお仲間たちとも偶然合流して楽し気なひとときを傍観。
この日はちょっとけぶっていたが、雌岳から奈良盆地

葛城金剛。このアングルを見ると二上山へ登ってきたという思いが高まるのだ。

大阪側を見ながら

岩屋峠へ。ここで彼女とバイバイ。
珍しくお互いに自己紹介をして「かぎろひ歴史探訪」もPR(笑)。もしかしたら、来られることもあるかなーと、再会を期待するばかり。
Wさん、ありがとうございました。
29
首子(くびこ)古墳群
SNSツールのなかで、ワタクシはブログがいちばん好きなのですが、スマホからリアルタイムで発信できる魅力も捨てがたいので時々フェイスブックを利用します。
8月12日(⇒★)は、傘堂で休憩中に発信。

すぐに反応があるのもFBならではですね。
Iさんから「以前、近くにある首子古墳群を彷徨したことを思い出しました」というコメントと写真が。
たしかに標識は見たのですが、

ちょっと時間がかかるかなあと思いスルーして石光寺へ向かったのでした。
調べてみると、結構近くのよう。奈良県史跡指定を受けているのに、ワタクシには無知の古墳。確認しておかなくちゃ。
8月26日は、いちばんにここをめざしました。
当麻寺駅から参道を歩いて、国道165号線を渡り、北への道をたどると、のどかな風景が現われました。

まもなく、あ、あれやね!

↑これは東から撮っていますが、入口は北側にありました。
草も刈られたばかりで助かりました。ありがとうございます。

説明板が2つ。


説明板をまとめてみると、
昭和51年(1976)、52年の調査で10基(帆立貝式前方後円墳1、円墳6、方墳3)の古墳を確認
1号墳…櫟山古墳
2号墳…墳丘削平。溝から、円筒埴輪、家形埴輪、須恵器が出土
3号墳…方墳。木棺直葬
4号墳…方墳。横穴式石室
5号墳…群中最大。帆立貝式前方後円墳。円筒埴輪列
7号墳…未調査。1辺18mの方墳
8号墳…径25mの円墳。石室内に凝灰岩製の石棺底石
ネット検索すると、見つかりました。大和の古墳探索⇒★
群集墳とはいえ、削られていたり、石室をのぞけるわけでもなく、ふ~ん、という感じなのですが、眺望がすばらしいのです。
5号墳(首子塚)から當麻寺双塔

二上山

4号墳から


先ほど紹介した古墳探索ブログの見学記には、
…特に何も見所がなく何故これが奈良県の史跡指定を受けているのか理解に苦しむ。わざわざ見に行く古墳群ではないだろうと個人的には思う。
とありますが、古墳はともかく、ここからの景観を見るだけで、来た甲斐があると思ったのでした。
「かぎろひ歴史探訪」秋季第1回(9月10日)は、当麻寺駅から歩きますが、ここに立ち寄るかどうかはセンセ次第(笑)。
一応、下見の時にはお連れしたいと思っていますが、どうなりますことやら、また、ご報告しまーす。
あ、ちょっと離れた所にある1号墳(たぶん)

念のため、近くで農作業をされている方に、「これは1号墳=櫟山古墳ですよね」とお尋ねしたのですが、「さあ。古墳であることはまちがいない」というお返事でした。
8月12日(⇒★)は、傘堂で休憩中に発信。

すぐに反応があるのもFBならではですね。
Iさんから「以前、近くにある首子古墳群を彷徨したことを思い出しました」というコメントと写真が。
たしかに標識は見たのですが、

ちょっと時間がかかるかなあと思いスルーして石光寺へ向かったのでした。
調べてみると、結構近くのよう。奈良県史跡指定を受けているのに、ワタクシには無知の古墳。確認しておかなくちゃ。
8月26日は、いちばんにここをめざしました。
当麻寺駅から参道を歩いて、国道165号線を渡り、北への道をたどると、のどかな風景が現われました。

まもなく、あ、あれやね!

↑これは東から撮っていますが、入口は北側にありました。
草も刈られたばかりで助かりました。ありがとうございます。

説明板が2つ。


説明板をまとめてみると、
昭和51年(1976)、52年の調査で10基(帆立貝式前方後円墳1、円墳6、方墳3)の古墳を確認
1号墳…櫟山古墳
2号墳…墳丘削平。溝から、円筒埴輪、家形埴輪、須恵器が出土
3号墳…方墳。木棺直葬
4号墳…方墳。横穴式石室
5号墳…群中最大。帆立貝式前方後円墳。円筒埴輪列
7号墳…未調査。1辺18mの方墳
8号墳…径25mの円墳。石室内に凝灰岩製の石棺底石
ネット検索すると、見つかりました。大和の古墳探索⇒★
群集墳とはいえ、削られていたり、石室をのぞけるわけでもなく、ふ~ん、という感じなのですが、眺望がすばらしいのです。
5号墳(首子塚)から當麻寺双塔

二上山

4号墳から


先ほど紹介した古墳探索ブログの見学記には、
…特に何も見所がなく何故これが奈良県の史跡指定を受けているのか理解に苦しむ。わざわざ見に行く古墳群ではないだろうと個人的には思う。
とありますが、古墳はともかく、ここからの景観を見るだけで、来た甲斐があると思ったのでした。
「かぎろひ歴史探訪」秋季第1回(9月10日)は、当麻寺駅から歩きますが、ここに立ち寄るかどうかはセンセ次第(笑)。
一応、下見の時にはお連れしたいと思っていますが、どうなりますことやら、また、ご報告しまーす。
あ、ちょっと離れた所にある1号墳(たぶん)

念のため、近くで農作業をされている方に、「これは1号墳=櫟山古墳ですよね」とお尋ねしたのですが、「さあ。古墳であることはまちがいない」というお返事でした。
28
二上山から迷走
8月26日、またまた二上山麓へ。
今回は少し遅めに出発。

↑始発から数えて4番目
近鉄南大阪線当麻寺駅下車

↑駅の時刻では7時10分
コース
当麻寺駅⇒首子古墳群⇒当麻寺駅⇒(電車)⇒二上神社口⇒加守廃寺⇒加守神社⇒二上山雄岳⇒馬の背⇒雌岳⇒岩屋峠⇒竹内峠(へ行くつもりが道を間違えたらしく麻呂子山へ)⇒當麻寺⇒もんちっち(休憩)⇒当麻寺駅
二上山は突然思い立ったのではなく、最初から雄岳ルートで登りたいと思っていました。
岩屋峠から竹内峠へは、その時の体力を考えて実行するつもりで、峠から竹内街道を磐城駅まで歩こうかと。
山道を間違えて、難所続きの麻呂子山へ来てしまったと気づいたときの驚き、焦り…^^;
山のひとり歩きは自制していたはずなんですが(二上山は別格)…
反省しながら、地図におとして足取りを確認してみました。

↑地図はクリックで大きくなります。
後で考えると、コンパスも持っていたのに、見ようとせず、スマホにも山アプリが入っていたのですけどね(まだ使い切れていませんが)。
地図で見ると、なんでやねん、早い段階で方向を間違えていたようです^^;。が、ワタクシ自身は迷うことなく道なりに進んでいたので、気づくのが遅れたというわけです。
ああ、孤独なさまよい山歩きのてんまつ、また聞いてくださいね(笑)
今回は少し遅めに出発。

↑始発から数えて4番目
近鉄南大阪線当麻寺駅下車

↑駅の時刻では7時10分
コース
当麻寺駅⇒首子古墳群⇒当麻寺駅⇒(電車)⇒二上神社口⇒加守廃寺⇒加守神社⇒二上山雄岳⇒馬の背⇒雌岳⇒岩屋峠⇒竹内峠(へ行くつもりが道を間違えたらしく麻呂子山へ)⇒當麻寺⇒もんちっち(休憩)⇒当麻寺駅
二上山は突然思い立ったのではなく、最初から雄岳ルートで登りたいと思っていました。
岩屋峠から竹内峠へは、その時の体力を考えて実行するつもりで、峠から竹内街道を磐城駅まで歩こうかと。
山道を間違えて、難所続きの麻呂子山へ来てしまったと気づいたときの驚き、焦り…^^;
山のひとり歩きは自制していたはずなんですが(二上山は別格)…
反省しながら、地図におとして足取りを確認してみました。

↑地図はクリックで大きくなります。
後で考えると、コンパスも持っていたのに、見ようとせず、スマホにも山アプリが入っていたのですけどね(まだ使い切れていませんが)。
地図で見ると、なんでやねん、早い段階で方向を間違えていたようです^^;。が、ワタクシ自身は迷うことなく道なりに進んでいたので、気づくのが遅れたというわけです。
ああ、孤独なさまよい山歩きのてんまつ、また聞いてくださいね(笑)
27
近鉄1dayおでかけきっぷ、2回目
26
今宵はワイン
25
太子町立 竹内街道歴史資料館
8月2日(⇒★)、二上山岩屋峠を越えて、太子町の竹内街道に来た頃には、疲労感がじわじわ。足は平気なのですが、午後2時頃ともなると、上から下から暑さが押し寄せて、息苦しさを感じるほど。
竹内街道歴史資料館に飛び込みました。

以前、通ったときは、たしか休館だったので、一度入ってみたかったのですが、それよりもちょっと涼しい所で休憩したい気持ち^^;
ほとんど貸し切り状態で、ゆっくりさせていただきましたが、写真が×とのことで残念。
最近は撮影OKの所が増えているのでちょっと意外でした。今年訪ねた柏原市歴史資料館も昨年の東大阪市立郷土博物館や埋蔵文化財センター(⇒★)もOKだったんですけどね。
というわけで写真がないので、いただいたリーフレットから。

第一展示室

大和と難波を結ぶ道が、どのように利用されたのか、時代とともに変わっていったことがよくわかります。
竹内街道のジオラマや、映像(マジックビジョン)も楽しめました。
岩屋で採取されたサヌカイト製の石鏃も。
第二展示室

小ぶりの銅鐸の展示もありましたが、どこからの出土品だったのでしょう。メモしていなうえに、ボーっと見ていたので^^;
※太子町立竹内街道歴史資料館⇒★
大阪府南河内郡太子町大字山田1855番地
TEL:0721-98-3266
月曜日休館
入館料200円
帰りがけに、ちょっとご挨拶をして、「かぎろひの大和路」のPRをすることも忘れませんでした。
「かぎろひ歴史探訪」のチラシ、置いていただけました。ありがとうございます。

竹内街道歴史資料館に飛び込みました。

以前、通ったときは、たしか休館だったので、一度入ってみたかったのですが、それよりもちょっと涼しい所で休憩したい気持ち^^;
ほとんど貸し切り状態で、ゆっくりさせていただきましたが、写真が×とのことで残念。
最近は撮影OKの所が増えているのでちょっと意外でした。今年訪ねた柏原市歴史資料館も昨年の東大阪市立郷土博物館や埋蔵文化財センター(⇒★)もOKだったんですけどね。
というわけで写真がないので、いただいたリーフレットから。

第一展示室

大和と難波を結ぶ道が、どのように利用されたのか、時代とともに変わっていったことがよくわかります。
竹内街道のジオラマや、映像(マジックビジョン)も楽しめました。
岩屋で採取されたサヌカイト製の石鏃も。
第二展示室

小ぶりの銅鐸の展示もありましたが、どこからの出土品だったのでしょう。メモしていなうえに、ボーっと見ていたので^^;
※太子町立竹内街道歴史資料館⇒★
大阪府南河内郡太子町大字山田1855番地
TEL:0721-98-3266
月曜日休館
入館料200円
帰りがけに、ちょっとご挨拶をして、「かぎろひの大和路」のPRをすることも忘れませんでした。
「かぎろひ歴史探訪」のチラシ、置いていただけました。ありがとうございます。

24
オフライン会議
8月22日、お昼12時に外出。
最近、近辺は自転車移動ばかりなのだが、午後から雨の予報なので徒歩。駅まで15~20分。
この暑さは老身にはこたえるわ^^;
日陰を探して歩いたり、水辺のサギを見たりしながら…、佐保川のキラキラする水の流れを背景にピンク色の芙蓉の花を見つけて、ようやくカメラ(笑)

太陽に向かって

間近で蝉が鳴く。ガンバッテ。

久しぶりの、ほんまの会議は、密を避けて、K邸で。

開け放たれた座敷。広いお庭の、樹木の上をわたってくる風のここちよさ。
聞えてくるツクツクボウシの声。飛入り参加の虫さん。

オンラインにはない間(ま)、雑談のなかから生まれるアイディア…、大事なことを決めながら、妙にくつろいだ会議になったのだった(笑)
遠くで雷が聞こえ始めて
「おしめりがくるといいわね」
「降られる前に帰り着いてね」
久しぶりに、人間同士のイキイキとした会話を聞いたような気がしたひととき。
お世話になりました。
最近、近辺は自転車移動ばかりなのだが、午後から雨の予報なので徒歩。駅まで15~20分。
この暑さは老身にはこたえるわ^^;
日陰を探して歩いたり、水辺のサギを見たりしながら…、佐保川のキラキラする水の流れを背景にピンク色の芙蓉の花を見つけて、ようやくカメラ(笑)

太陽に向かって

間近で蝉が鳴く。ガンバッテ。

久しぶりの、ほんまの会議は、密を避けて、K邸で。

開け放たれた座敷。広いお庭の、樹木の上をわたってくる風のここちよさ。
聞えてくるツクツクボウシの声。飛入り参加の虫さん。

オンラインにはない間(ま)、雑談のなかから生まれるアイディア…、大事なことを決めながら、妙にくつろいだ会議になったのだった(笑)
遠くで雷が聞こえ始めて
「おしめりがくるといいわね」
「降られる前に帰り着いてね」
久しぶりに、人間同士のイキイキとした会話を聞いたような気がしたひととき。
お世話になりました。
23
竹内街道歴史資料館まで
8月12日(⇒★)、二上山の岩屋峠を下って、岩屋(⇒★)、石切場跡(⇒★)を経由して、下界にたどり着きました。


朝早かったせいもあり、ここらでおなかを満たさないことにはエネルギー切れになる不安が。
ログハウス風の建物にランチの文字が見えたので一直線。このほかにお店がありそうもなかったのです。
ボリュームいっぱいの日替わりランチをパクパク

↑コーヒーも付いてましたよ。
ふむ、ご飯のわりにおかずが多すぎ。というか、おかずのわりにご飯が少ない。
これ、アテちゃうん(↑右のプレート)、と心の中でツッコミながら(笑)。
駅近なら間違いなくビールというところですが、この後の道中を思い浮かべると危険を感じまして、さすがに迷うこともありませんでしたよ。
完食! その後、他の席のおじさまが、「ご飯おかわり」って言う声が聞こえて、なんやおかわりできたんや(笑)。もっと若い頃だったら、こちらが何も言わなくても「ご飯おかわりできますよ」とささやいてくれたものなのに、と昔を思い出して苦笑。その時は、ちょっと失礼やんと感じたのでしたが…^^;
それからのハイキングは過酷でありました。
以前、歩いたことがあるので(⇒★)、わかっていたのですが…

↑車がビュンビュン走る脇、ガードレールの内側を歩かねばならず。これも竹内街道とはね。
しばらくすると、旧街道の趣をのこす道に入るのですが、でも、15分くらいはこんな道を歩くことになります。
だから、竹内街道って、ずっと一直線に歩く気が起こらないのですよね。とか言いながら、堺から長尾まで26km通して歩いてみたい気もあるのですが^^;。 もし、そんな計画をされている方がいらっしゃいましたら、声をかけてくださーい。
旧街道に入ってホッ。


午後1時を過ぎていたでしょうか。気温はうなぎのぼり(たぶん)、容赦なく照りつける陽ざし。アスファルトから立ちのぼる熱にクラクラ。
屋内での休憩と涼をかねて、太子町立竹内街道歴史資料館へ。
最初はこれを書こうと思っていたのに、長くなりましたので、改めますね。


朝早かったせいもあり、ここらでおなかを満たさないことにはエネルギー切れになる不安が。
ログハウス風の建物にランチの文字が見えたので一直線。このほかにお店がありそうもなかったのです。
ボリュームいっぱいの日替わりランチをパクパク

↑コーヒーも付いてましたよ。
ふむ、ご飯のわりにおかずが多すぎ。というか、おかずのわりにご飯が少ない。
これ、アテちゃうん(↑右のプレート)、と心の中でツッコミながら(笑)。
駅近なら間違いなくビールというところですが、この後の道中を思い浮かべると危険を感じまして、さすがに迷うこともありませんでしたよ。
完食! その後、他の席のおじさまが、「ご飯おかわり」って言う声が聞こえて、なんやおかわりできたんや(笑)。もっと若い頃だったら、こちらが何も言わなくても「ご飯おかわりできますよ」とささやいてくれたものなのに、と昔を思い出して苦笑。その時は、ちょっと失礼やんと感じたのでしたが…^^;
それからのハイキングは過酷でありました。
以前、歩いたことがあるので(⇒★)、わかっていたのですが…

↑車がビュンビュン走る脇、ガードレールの内側を歩かねばならず。これも竹内街道とはね。
しばらくすると、旧街道の趣をのこす道に入るのですが、でも、15分くらいはこんな道を歩くことになります。
だから、竹内街道って、ずっと一直線に歩く気が起こらないのですよね。とか言いながら、堺から長尾まで26km通して歩いてみたい気もあるのですが^^;。 もし、そんな計画をされている方がいらっしゃいましたら、声をかけてくださーい。
旧街道に入ってホッ。


午後1時を過ぎていたでしょうか。気温はうなぎのぼり(たぶん)、容赦なく照りつける陽ざし。アスファルトから立ちのぼる熱にクラクラ。
屋内での休憩と涼をかねて、太子町立竹内街道歴史資料館へ。
最初はこれを書こうと思っていたのに、長くなりましたので、改めますね。
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