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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

忍性菩薩 

7月23日から、奈良国立博物館で特別展「忍性ー救済に捧げた生涯ー」が始まっています。

160726奈良博


26日の夕刻から特別鑑賞会に参加して、名宝の数々に感動。しかし、ちょっと駆け足だったものですから、もう一度行ってじっくり拝観するつもりです。展覧会のご報告はそれからということにしたいと思います。

早く知りたーい、という方は、naraclubさんが詳しくご報告されていますので、そちらをご覧くださいね。→奈良倶楽部通信 PART:Ⅱ


ここ数年、ゆかりの地(奈良県だけですが)を歩くことが多くて、ワタクシのなかで忍性さんの存在がとても大きくなっているのです。

特別展に足を運ぶ前に、まずは手元の写真などを見ながら、忍性さんをしのんでみたいと思います。
たまたま『かぎろひの大和路』でも29号、30号と忍性さんに関わりました。

29号は「太子道がつなぐ磯城の里」
まさに磯城郡三宅町が忍性さんの故郷。

忍性さんは建保5年(1217)大和国城下郡屏風里で生まれました。
この地に「忍性菩薩御誕生之地」碑が建っています。

忍性生誕の地2

↑右は、「かぎろひ歴史探訪」(2013.11.14)で


忍性さんが出家したのは大和郡山の額安寺(かくあんじ)。16歳のときでした。

100314額安寺
(2010.3.14撮影)


最初の受戒は、鑑真和上が開いた東大寺戒壇院

12.4戒壇堂
(2012.4.29/2014.1.11/2015.11.18撮影)


師と仰いだのは、西大寺の叡尊(興正菩薩)さん。
受戒して弟子になります。

15西大寺
(2015.10.3撮影)


奥の院(法界躰性院)に眠る叡尊さん。その五輪塔は総高3m24㎝

15叡尊
(2015.10.3撮影)


西大寺時代に、福祉施設である北山十八間戸(奈良市川上町)を開設したのですね。

160730北山十八間戸
(2016.7.30撮影)


忍性さんは建長4年(1252)、38歳で関東へ。
以後、茨城県の筑波山麓~鎌倉の極楽寺を拠点に、仏法の発展と民衆救済に奔走され、87歳で生涯を閉じました。

ワタクシ、残念ながら、関東圏のゆかりの地を訪ねたことはありませんので、ご紹介できません。
今度、東京方面へ行く機会があったら、忍性さんの足跡をめぐってみたいなあと思っています。


忍性さんの遺骨は、遺言により3つに分けて埋葬されました。
その2つが奈良県にあります〈あと1つは極楽寺(神奈川県)〉

額安寺の石造五輪塔群(2010.3.14撮影)

額安寺墓地

↑手前の大きな五輪塔が忍性さんのものと判明しています。


忍性さんの五輪塔、もうひとつは竹林寺(生駒市)にあります。

130701竹林寺

160701忍性
(2013.7.1撮影)

もちろん、敬愛するこの方(行基菩薩)がいらっしゃるからですね。

160701行基墓
(2013.7.1撮影)


山内はいつも清浄、ボランティアの皆さんが心をこめて守ってくださっています。→



今回の特別展では、骨臓器3つが集まっていて感無量。史上初だそうです。


忍性さんは生涯に
建てた伽藍 83か所、供養した御堂 154か所、描いた地蔵菩薩像 1355、病人・貧者に与えた衣服 33000着、架けた橋 189、修築した道 71か所、掘った井戸 33か所、開いた湯屋・療養所 5か所、雨乞い・祈祷 数知れず
(忍性展パンフレットから)


※忍性さんについては、骨臓器の銘文をはじめ、『叡尊感身學正記』『元亨釈書』などから、その足跡を知ることができます。
『かぎろひの大和路』29号、「奈良国立博物館だより」98号を参考にして紹介しました。

よろしければ、『かぎろひの大和路』のシリーズ「大和を彩ったひと」でとりあげた「忍性菩薩」をご参照ください(2回クリックで読めるカナ)。執筆は本誌主宰の田中龍夫。

かぎろひの大和路29号ひと


※特別展 生誕800年記念特別展「忍性ー救済に捧げた生涯ー」は9月19日(月・祝)まで
奈良国立博物館→

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Posted on 2016/07/31 Sun. 13:36 [edit]

category: 奈良国立博物館

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31

背教者ユリアヌス 

7月もあとわずか。。。
1年のうちでも、もの思いにふけることが多い月である。

大事な人の命日が続くのもその一因だろう。
母が2年半の闘病の後逝ったのは、7月16日になって間もない真夜中だった。深夜1人で看取った。もう8年も前になる。

大好きな作家、辻邦生さんが急逝したのも7月。小学生の娘たちを連れて鳥取へ海水浴に行き、帰宅してから新聞で訃報を知った。1999年7月29日。

160729新聞


17回目の辻さんの命日に、辻さんのことを書こう。

午後から、やりかけの仕事を放ったらかしたまま、辻ワールドに没頭。
辻さんからの大切な手紙も久しぶりに見る。自筆のおたよりはやっぱりいいね。もういただくことは絶対に叶わないと思うと、奇跡的なご縁に胸が熱くなる。

手元に、辻さん直筆のはがきが5枚。手紙が1通。

160729はがき

はがきはこれまでに紹介したと思うが、手紙は初公開。
鳩居堂の便せん4枚にびっしり書かれてあって、うれしさよりも申しわけない気持ちがわき起こる。

160729手紙


辻さんは必ずお返事をくださったので、多忙な作家の手をわずらわせてはならないと、おたよりは控えていた。
当時、ちょっと気持ちが滅入ることがあって、その事柄には触れずにお手紙を書いたのだった。さとられないように、努めて明るく書いたつもりだったのに、看破されていてドキリ。

辻さんのお手紙公開~

拝復 「かぎろいの大和路」とお手紙ありがとう存じました。
何となく元気のないような文面でしたから すぐお返事をと思いましたが ちょうど入学試験にぶつかり 採点と立ち番とでまるまる四日も拘束され こんなに遅くなってしまいました。

お手紙をいただいてからまた一度大雪が降りました。東京で一冬にこんなに雪の降ることは珍しいですね。実はいつか京都に雪見にいって 一度は三千院、もう一度は銀閣寺を訪ね あまりの美しさに息もつけないほどでした。
奈良の雪景色もきっとすばらしいでしょうね。そんな中を飛びまわっていらっしゃるあなたが羨ましい限りです。
でも毎日すばらしいものに囲まれておられると、ぼくらが思うほど痛切にそれが感じられなくなるのでしょうか。あなたはそんなことはないと思いますが。

(中略) 

最近は ぼくも昔のようにいくら書いても疲れないというほど若くなくなりました。
年をとったという実感はありませんが 無茶はしないようにしています。ただ日々 私的な高揚感を生きなければ せっかくの「生」がもったいないので それこそ聖フランシスのように太陽の前に跪くような気持でおります。あなたから雑誌や手紙をいただくことだって ぼくにとっては何か奇跡的な喜びで嬉しさが胸に満ちます。あなたがお元気だといっそう幸せになります。
落ち込みそうなとき もしそれがお役に立つなら いつでもお便りをお書き下さい。

(略)

いつかきっとあなたに奈良を案内していただきたく それが楽しい夢としてあります。
今日の東京は大雪を忘れたような早春の明るい陽ざしです。
どうか春にむかっていっそうお元気でご活躍ください。

(消印は1984.2.22)


膨大な辻作品に一貫して流れるテーマがこの手紙にもあると思う。
小説の舞台が西洋でも日本でも、現代でも古代でも、それは同じ。

昨年、久しぶりに『背教者ユリアヌス』を再読した。
4世紀のローマ帝国、キリスト教が公認されるなかで、ユリアヌスはかつての多神教時代の神々への信仰を復活させ「背教者」と言われた。と書くと、時代も場所もはるかに離れている、そんな本がおもしろいかと思われるかもしれないが、場所や時を超え感動を呼び起こすものがあるのだ。

中公文庫で(上)(中)(下)と出ているし

160729背教者ユリアヌス


歴史小説集成にも3巻に所収

160729歴史小説集成


信長を取りあげた『安土往還記』、本阿弥光悦、俵屋宗達、角倉素庵の独白のかたちで進む『嵯峨野明月記』、江戸時代初期の、長崎奉行通辞と混血の美少女の物語『天草の雅歌』。谷崎純一郎賞を受けた『西行花伝』などなど、日本に材をとった歴史小説も多いが、いずれも歴史上の人物を書くというよりも、その姿を借りて、生き方を問う。それは、はるか昔の話ではなくて、今を生きる読み手の心をぐいぐいと引き込むのだ。



著者の言葉を借りよう。


たとえば私が『背教者ユリアヌス』を書こうと思ったのは、古代異教世界の崩壊期に、運命の偶然から、たまたま皇帝となった学問好きの青年が、時代の潮流にさからって、もう一度古代の叡智の支配する世界を実現しようと努める姿のなかに、現代の知識人の姿勢と、どこか似たものを感じたからである。いわば地中海世界の崩壊という鏡にうつしてみて、現代の複雑多様な歴史の展観の全貌を、包括的に、つかむことはできまいか、と考えたからである。

作者にとっては、直感的にとらえたある想念があり、それが、何か可視的な姿をとって外に現れることを求めていたのだ。そしてこの場合にも、小説家の心をそそるのは、歴史家とちがって、「ロマネスクな部分」、つまり皇帝ユリアヌスの姿を借りて架空に作者の心に抱かれた人物の「夢想、喜悦、悲哀、自己との対話など」である。まさしくこのようなものの展開を、眼に見えるものにするために、さまざまな出来事が史実から借用されたり、架空につくられたりする。
(辻邦生歴史小説集成第十二巻 歴史小説論「歴史小説の地平」より)


辻邦生歴史小説集成全十二巻(岩波書店)は、装丁も素敵。
帙(ちつ)から取り出すと現れる本は、濃い緑の布張り。手触りがよくて読書の楽しみの1つだと感じる。

160729布張り




過日、西山厚先生の著書『語りだす奈良』にサインをいただいた(→)直後、先生にご連絡しなければならない所用ができた。
メールの初めに、サインのお礼を申し上げ、目前でサインをいただいたのは、30年ほど前の辻邦生さん以来です。
なーんて書いてしまった・・・

西山先生のお返事

辻邦生さんにお会いしたとき、
「先生が《背教者ユリアヌス》をお書きになったことに感謝しています」
と言ったら、辻邦生さんは私をじっと見て、
「あなたとはまたどこかでお会いするような気がする」と言われました。
その瞬間、どこかって浄土のことかな‥と思ったのですが、
それからしばらくして辻邦生さんは亡くなりました。



おふたりの対談を聞きたかった。


Posted on 2016/07/29 Fri. 22:17 [edit]

category: 辻邦生

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29

法蓮阿弥陀講 

先日の早朝散歩(→)で偶然お知り合いになったWさんのお話から「法蓮阿弥陀講」の存在を知りました。

7月12日、会所をお訪ねして阿弥陀講の様子を見学させていただきました。

まず、会所の立派さにビックリ。歴史を感じさせる重厚さ!

160712会所玄関


建物内部にも意匠がこらされ、お座敷も広い!

160712会所2


もと料理旅館とか?
と思ったのですが、阿弥陀講のために建てられたと聞いて、またもやビックリ。
そう言われてみると、仏像のおはす空間もきっちり計算されてつくられている感じがしますね。

海運業で財を成した地元の方が、建てて寄付してくださったとか。
会所にはその方、富田平八郎氏の写真が掲げられていました。。

160712肖像


建物自体が100年近く経っていそうですから、阿弥陀講はもっと前から続けられていたということになりますね。

法蓮阿弥陀講規約第1条⑵
本会の歴史は嘉永4年(1851)7月、村人が一堂に集い車座になり百万遍の数珠を繰り「南無阿弥陀仏」を唱和し阿弥陀如来を礼拝。「村の繁栄と家族の幸」を祈願したときにはじまる。以降我々の先祖の祈りは「阿弥陀講」として引き継がれ現在に至る


「法蓮阿弥陀講」は165年の歴史を刻んでいるのでした。


65歳以上の方の集まり。平成6年4月の名簿を見せていただいたら40人(5月に2人入会)の名前がありましたが、だんだん減っていき、現在は男女7人ずつの14人で構成されています。

阿弥陀如来さまを御開帳、皆さん、このような輪袈裟をまとい

160712阿弥陀講2


ひたすら念仏を唱え祈りを捧げます。
導師は会長のIさん。

160712御詠歌3

160712御詠歌


般若心経、そして数珠繰り

160712数珠繰り

数珠を回しながら、「ナムアミダブツ」「ナムアミダブツ」・・・
鉦と木魚、独特の節回し、テンポはかなりの速さ。
数珠が10回繰られると終了

160712数珠繰り番号


御詠歌

160712御詠歌2


阿弥陀様ばかりではなく、観音様や地蔵様にも祈りを捧げます。

法蓮会所方地蔵尊 三番
ありがたや法蓮会所のじぞうそんむらのもろもろまもりたまうぞ


160712地蔵

↑会所で手厚く守られているお地蔵さま


法蓮観音菩薩
みほとけをたのむやがてにふるあめのおときくこそはとふとかりけり


うたわれている観音様というのは

160712観音図


観音様の上のほうに、雷様? がいて雨を降らせています。

160712観音図2

雨乞い観音としてご利益が大きかったとか。
近隣各地から頼まれての出開帳の記録もあるようです。

終了後は会食を楽しまれるようでした。

阿弥陀講は毎月上旬(1月は除く)開催。
3月は僧侶の読経、法蓮会所方故人の冥福を祈られます。
(僧侶は崇徳寺そうとくじ、普光寺ふこうじ、称名寺しょうみょうじが交代で担当)

阿弥陀講の皆さんはまた、常陸神社のお世話をされています。
7月19日、こちらも取材させていただきました。ご報告は後日に。

Posted on 2016/07/27 Wed. 07:51 [edit]

category: 奈良市

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27

帯解駅から清澄の里 

7月23日、朝7時30分過ぎ、JR桜井線帯解駅からハイキング。
なにもこんな暑い時期に、と思わないことはなかったのですが、歩いてみると新鮮で、楽しい発見がいっぱい。
毎年のように歩いているコースなのですが、この季節は初めてかも。

濃い緑、青空に描かれる伸びやかな雲

160723帯解から


人影見えない道

150723正暦寺へ


正暦寺もしかり。
青楓を吹き渡る風、菩提山川の清流

160723正暦寺2


なんでご本堂にお参りできないのでしょうか。大好きなお寺なのに、それだけが残念で。

160723正暦寺本堂石段

今年の1月もそうだったのです。→


弘仁寺にも足を伸ばしました。

160723弘仁寺


この時期ならではのもうひとつは、溜池の風情。なみなみ~
冬期は水がないことが多いのです。

大川池(竜王池)

160723龍王池

向こうに鳥居が見えているので、神社(祠)があるのでしょう、といつも思いながら通っていたのですが、初めて近くまで行ってみました。
マーキーさんの、興味津々なおかげ。

160723龍王池2

160723龍王社

調べてみたら、これ、古墳なんですって! 大川池塚古墳→


こちらは、広大寺池

160723広大寺池

『日本書紀』推古天皇の21年冬11月に、
掖上池・畝傍池・和珥池作る。(日本古典文學大系)

とある、和珥池がこれだと言われています。大きい~


この日、7月23日はお地蔵様の縁日でもありました。
帯解寺では子安地蔵大会式が。

160723帯解寺


まちなかでも

160723地蔵縁日


あちこちで出会ったお地蔵さま

160723地蔵


マーキーさんの携帯アプリによると、この日歩いた距離は、なんと18㎞!



かなり正確に記録されていて、ちょっと笑えるほど。ご参考に。


夏のハイキング、意外におすすめです。

Posted on 2016/07/24 Sun. 22:50 [edit]

category: ハイキング

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24

大美和の杜 展望台で 

7月21日、三輪へ。

所用を終えて、大神神社参拝。

160721大神神社


それからはずせないのが、大美和の杜展望台からの眺め。

160721大美和の杜から


わぁ、大和三山と二上山、金剛、葛城の連山が~(2回クリックで大きくなります。)

といつものように感動するのですが、今回はちょっと違う感慨がありました。

むふふ、あ、あそこを歩いたんや~。
バテバテだったくせにね^^;

大美和の森展望台に立って、ダイヤモンドトレールを歩いたことを思い出していたのでした。

過日のブログ(→)で洩れたことなどを。今回は、しんどかったことはおいときますね(笑)

近鉄南大阪線上ノ太子駅(大阪府羽曳野市飛鳥)に集合して、ダイトレ北入口から。

二上山は5月に同じメンバーで登った(→)こともあり、山頂には行かず、雌岳の西を巻くようにして、竹内峠(たけのうちとうげ)へ。
この下りが急勾配。

160614竹内峠へ


竹内峠は奈良県と大阪府の境。

160614竹内峠


この下を走る国道166号線には、大阪府と奈良県の標識が並立。

160614県境


平石峠へ。

160614平石峠へ


平石峠には

160614平石峠

160614平石峠2


そして岩橋山

160614岩橋山三角点


思い出しながら、山の名前と標高を入れてみました(クリックで拡大)。

ダイトレ標高


先日は、ワタクシの体力不足から、岩橋山を下ってすぐの布施城跡分岐から新庄駅のほうへ下りたのですが、やっぱり葛城山までは無理だったなあと感じています。岩橋山からさらに300m登るのですからね。きっとまた階段状でしょうし。

とはいえ、また歩きたくてしかたがありません。
葛城山から金剛山は、ダイトレ中でいちばん過酷なコースとか。うーん、これは無理かも。
鍛えるしかない、よね。

Posted on 2016/07/22 Fri. 21:27 [edit]

category:

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22

ライトアッププロムナード・なら2016 

7月18日、午後7時半頃、所用を終えて。
夜風に吹かれながらぶらぶら。

160718五重塔


そういえば、ライトアップが始まっていたよね、とまずは奈良国立博物館なら仏像館へ。

160718仏像館


東大寺へ。
昼間の喧騒がウソのよう。

160718大仏殿


厳粛な気持ちになって仰ぐ金剛力士像。
見据えられて、う、動けない。夜は迫力倍増やで。

160718仁王像


中門の毘沙門天と持国天。そおっと

160718中門


しーんとした大仏殿

160718大仏殿2


中門からのびる回廊

160718東大寺


一応、大仏池からも撮ってみたよ。

160718大仏池


この日、naraclubさんも東大寺へ来られていたのね。残念ながらニアミス。
奈良倶楽部通信 PART:Ⅱ→


※ライトアッププロムナード・なら2016は9月25日まで→
7~8月は19:00~22:00
9月は  18:00~22:00

Posted on 2016/07/20 Wed. 06:38 [edit]

category: 奈良市

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20

たいへん、愛用のカメラが! 

3日前のこと。愛用の一眼に異変が。

160717ニコン

シャッターボタンをもう一度押しても、変化なし(>_<)

ちょっと前から何だか変だなあとは感じていたのだが、ついにきたか…
リセットスイッチ(初めて使用)を押し、電池を抜き、レンズも外して、放ったらかしにしておいたら、数時間後、わぁ、なおってるぅ~。うれしすぎて、1人で祝杯あげようかと思ったほど(笑)。

翌日、大事な場面で。2~3枚撮った後、突然、同じメッセージが出てシャッターを押せなくなった。がーん。

これはもう修理に出すしかあるまい。
7月17日、大阪梅田にあるニコンサービスセンターへ。

160717ニコンプラザ


受付の順番を待っている間に。久しぶりに見るビル群(笑)

160717ビル群


修理には約2週間を要するとのこと。
せっかくの大阪なのに、気になることがいっぱいあって、お茶もせず、引き上げてきたのだった。

予定が狂いっぱなし。



Posted on 2016/07/18 Mon. 08:10 [edit]

category: 日記

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18

早朝の佐保路 

7月6日、早朝散歩(→)の続きになります。

東大寺境内を出て西へ。
朝日を受ける聖武天皇陵。

160706聖武天皇陵


興福院(こんぶいん)

160706興福院


ちょっと門の前まで。清楚なたたずまい。

160706興福院2


半化粧(半夏生)やネジ花の群生に出合って心おどるも、ちょっと時期が遅かったようで。

160706花


おはようございます。

160706石仏


狭岡神社の拝殿前で休憩していると(7時~7時半頃)

160706狭岡神社


1人のおじさまが現れたのですが、なんと氏子総代のWさん。
お話を聞くうちに「阿弥陀講」の存在を知り、先日、取材に行かせていただくことができました。
早朝はいいことがいっぱい。

阿弥陀講の様子は改めてご紹介します。


Posted on 2016/07/16 Sat. 06:55 [edit]

category: 大和の寺社

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16

法華寺の鳥居 

今年度は自治会の班長の役を引き受けているので、回覧板を回したり、各戸への案内を配布したり。
例年なら、ついスルーしてしまいがちな(スイマセン)チラシや案内にも、目を通さないわけにはいきません。

で、先日、目にとまったのが「ふれあい会館だより」の中の「歴史教室第三幕開講」「法華寺の鳥居」の文字。

160709ふれあい会館だより

7月9日、吉川聡先生(奈良文化財研究所 文化遺産部 歴史研究室)のお話を聞きに行ってきました。

結構激しい雨だったのですが、すぐ近くなので、長靴はいて(♪ながぐつはいてるね、どんどん、の歌がすぐ口をつく・・笑)

主催者のご挨拶
「歴史教室は3年目に入ります。これまで一度も雨が降ったことがないのですが・・・」
ウッ^^;


とてもおもしろくて、説得力のあるお話だったので、簡単にご報告しますね。

中世(平安時代末期~鎌倉前期)の文献に、よく出てくる「法華寺の鳥居」。

法華寺に鳥居があったのか、あったとすればどこにあったのか、なぜ史料にやたら出てくるのか、というような疑問を、吉川先生は見事に解き明かしてくださったのでした。

1.史料では
『長門本平家物語』
・南都焼討の折り、平重衡が陣をおいたのが「法華寺の鳥居」。
・一ノ谷の合戦で捕らえられ、木津で斬首された平重衡。その首は「法華寺の鳥居」で引き回された。釘付けにされた場所は「般若野の卒塔婆」。

このほか、『興福寺別当次第』(1138、1163)、『台記別記』(1151)、『玉葉』(1188)、『高野御幸記』(1124)…などにも「法華寺の鳥居」は登場するとのこと。

2.お寺に鳥居?
法華寺の鳥居ではなく、法華寺の鎮守社「法華寺神社」の鳥居。
法華寺の南側、金堂跡の西側にひっそりと鎮座。

1607法華寺金堂跡地

1607法華寺神社

法華寺神社は、一条大路の延長線上(↓吉川先生の資料に赤丸を入れさせていただきました)。

160709地図2


法華寺の鳥居の位置は、このあたりでしょうか。

160709歩道橋から


↑歩道橋から見る法華寺町東交差点。東西に一条通り、南北に走るのは国道24号線。
正面は一条通りを西方に見たところ。この延長線上に法華寺神社が鎮座。

右手に一条高校。鳥居があったのは、横断歩道のあたり?


歩道橋を下りて一条通りを横断、交差点の西南角へ。

160709法華寺東交差点

↑一条通りを東方向に撮ったところ。


春日詣での記録『台記別記』や『玉葉』には、法華寺の鳥居で牛車の車輪を洗ったことなどが見えるので、このあたりには水が流れていたことがわかります。先生は、それは菰(こも)川であろうと。

↓奈良県のサイトからお借りした菰川地図。

菰川地図2

↑赤丸は法華寺鳥居があったと思われる所(かぎろひが付けました)。
菰川はここから発しているのではなく、現在はその上流は暗渠となっています。
※菰川→

交差点近く、暗渠から出た所

160709菰川

現在はかなり汚れていますが、往時はきれいな流れだったのでしょうね。

簡単に要点をまとめたつもりですが、長くなってしまいました。
あと、おさえておきたいのは、中世の史料に「奈良坂」とあるのは、ウワナベ越えをさすということ。奈良坂と聞くとつい、般若寺のほうを思い浮かべてしまうのですが。こちらが正式ルートだったようです。現在の24号線。

↓当日の資料から。赤丸はかぎろひが付加。

160709地図4

↑中央やや下の小さな赤丸は鳥居があった所

※詳しくは吉川聡先生の論文「法華寺の鳥居」(2007)をご参照くださいね。


Posted on 2016/07/13 Wed. 21:01 [edit]

category: 大和の寺社

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13

ナポリ料理を味わう 

おいしいお料理と、お酒と、仲間と。

7月10日、Iさんのご自宅で開かれた、イタリア料理の会にお招きいただきました。
イタリア料理研究家のYさん(NATSUOさん)とIさんが心をこめて作ってくださる手料理を満喫!

以下、赤色の文字は、料理人NATSUOさんの解説をそのままコピーしたものです。

160710食卓3

↑中央はfocaccia フォカッチャ
サーレグロッソをまぶした、シンプルなフォカッチャ。


160710グラス



どれもこれもおいしくて、おいしくて。

160710食卓

↑いちばん奥: alici marinate イワシのマリネ
新鮮ないわしを3枚に降ろし、オリーブオイル、レモン汁、イタリアンパセリで一晩マリネしたもの。(カンパーニャ)

左: caprese di burrata ブッラータのカプレーゼ
ブッラータは、モッツアレラのなかに生クリームを包んで口を縛ったフレッシュチーズでプーリア州の名産品。今回は東京のCHEESE STANDというお店のものを取り寄せた。フレッシュチーズは鮮度が大切。冷凍品のイタリアのものと比べて、ミルク感が段違いだった。(プーリア)


右: cipolline in agrodolce siciliana 小玉ねぎのアグロドルチェ
アグロドルチェとは酸っぱい甘いと言う意味で、言うなれば「甘酢漬け」のこと。
(シチリア)


手前: pizza parigina napoletana ピッツア パリジーナ
ピッツア生地に具を乗せ、パイ生地を被せ焼いたナポリの郷土料理。具はチーズとトマトが多いけど、今回はビエートラ(フダンソウ)というイタリア野菜のソテーを包んだ。
(カンパーニャ)


次々に出てくるお料理

160710お料理


melanzane alla parmigiana ナスのパルミジャーナ
薄切りにして揚げた茄子をパルミジャーノ、トマトソース、パン粉とともに重ね、オーブンで焼いた。

insalata di polpo con fagioli  白インゲン豆とタコのサラダ
茹で蛸を白インゲン豆とセロリ、キュウリと合わせたサラダ。

vongole macchiato ヴォンゴレマッキーアート
あさりのパスタで、少しのトマトを加えたのがマッキアート。パスタはグラニャーノ産リングイネ。

polpette di melanzane napoletane ナスのポルペッタ
ポルペッタは肉団子のことだけど、これはナスを使ったポルペッタ。ナスとパン、パルミジャーノとペコリーノを混ぜ合わせ丸めパン粉をつけて揚げる。トマトソースを添えて。


polpo bollito 茹で蛸
ずっと食べたかった料理。新鮮なタコを足先からちょんちょんと塩茹でして、ハサミでちょきちょき切って、レモン、オリーブオイル、イタリアンパセリを散らした。蛸は海道さんで買った渡りダコ。(カンパーニャ)


fusilli al pesto di rucola ルッコラペーストのフジッリ
ジェノベーゼペーストのバジリコの代わりにルッコラを使ったペーストをフジッリに絡めた。


途中、1時間ほど散歩に出たのですが、すぐに第2部のはじまり~

160710夜の部


イタリア南部、ナポリの家庭料理がテーマとのこと。
ヨーロッパではタコは食べられないと思いこんでいたのですが、南イタリアでは好まれるんですね。
和食と、どこか接点のようなものを感じました。もっとも、本場のナポリ料理を、我々の舌に合うように少しアレンジしてくださっていたのかも。大和肉鶏や大和ポークの生ハム、椎茸入りソーセージなども登場しましたよ。

けむり工房の生ハム
奈良の白毫寺近くにあるけむり工房の生ハム。
豚ロース肉を一週間ソミュール液につけ込み、冷燻したもの。茹でていないので「生ハム」と称しているが、イタリアの生ハムとは違った。不思議な食感のハム。


crostini di fagioli  白インゲン豆のクロスティーニ(トスカーナ)

pollo alla potenza ポテンツァ風 鶏の煮込み
大和肉鶏の胸と骨つきのモモ肉をじっくり煮込んだ。鶏は大柳生の雅チックファームの大和肉鶏。添えたジャガイモのローストもチックファームの鶏糞で作ったもの。今回のメイン料理。

peperoni verdi con pomodorini ししとうのトマト煮
素揚げしたししとうをプチトマトで煮込んだ。ししとうの香りが移った揚げ油を使うのがポイント。
今回は黒ししとう、万願寺、ひもとうがらし、甘長の4種を使った。


ロワゾブリュのしいたけソーセージ。
イタリア式にボイルせず切ってソテーした。

zucchini scapece e zucca scapece ズッキーニのスカペーチェとカボチャのスカペーチェ
スカペーチェはいわゆる「南蛮漬け」で、揚げたものを酢でマリネしたもの


お料理はお酒によってさらに引き立てられると、改めて実感。
さすが、Mさんのセレクト! きっと、きめ細やかに考えてくださったのだなあと感じることができました。
日本酒にもとても合いました。ワインおいし~。日本酒、うま~(笑)

160710お酒

↑お酒、もっと飲んでるはずですが、撮り忘れたみたい。

午後1時から、気がつけば夜の10時。
いつもながら、時間が経つのが早すぎ。明るい光が降り注いでいたはずなのに、いつのまにか夜のとばりが・・
時間って均等に流れていないのでは、といつも思ってしまいます。。。

ありがとうございました。
素敵な仲間に、もう一度、カンパイ!




Posted on 2016/07/11 Mon. 22:21 [edit]

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