かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
奈良警察署跡から弥生前期の水田跡
奈良警察署跡で、広大な水田跡が見つかり、6月25日、現地説明会(奈良県立橿原考古学研究所)が開かれました。
水田跡は、御所市の中西遺跡で出たときの現説に行ったことがありますが(→★のまん中あたり)、奈良市内というのは珍しいですよね。
午前午後とも予定が入っていたのですが、現場があまりにも近いので、所用の間隙を縫って、自転車を走らせてきました。
昨年12月に、奈良時代の遺構に関する現地説明会がありましたが(→★)、今回の出土はその下の層になります。
古代から現代までの堆積層

出土遺物の中にはこんなものもあって

へえぇ、これって何千年も前のこと? 火山活動があった? 若草山が?
と、こちらにも興味を奪われました。
さて、見つかった水田ですが、 平城京左京二坊十四坪の調査区のほぼ全域で確認され、広さ5500㎡。

↑南から撮影。正面は奈良市役所
↓西北から

↓現説資料の表紙

水田一区画の面積が平均7㎡と小さいのが特徴で約500区画。当時の作業効率を考えると小さく区切られるのは当然で、これは中西遺跡でも同様でした。
区画する畦(あぜ)は幅1m弱もある大きなものと、幅30㎝ほどの小さなものがあり、全体でみるとさながら「あみだくじ」状(現説資料引用)。資料から↓

調査区の北側には、水路も。ここから田に水を引いたらしい。

出土遺物はあまり多くなかったようです。
石包丁

弥生土器片


水田として利用されていたのは、短期間だったと見られています。
雨がぱらつくお天気だったせいか、現地説明会としては人が少なかったようにも思いましたが、ワタクシは懐かしいお二人に出会ってしばしおしゃべり。
※詳しくは現説資料をどうぞ(クリックで拡大します)

水田跡は、御所市の中西遺跡で出たときの現説に行ったことがありますが(→★のまん中あたり)、奈良市内というのは珍しいですよね。
午前午後とも予定が入っていたのですが、現場があまりにも近いので、所用の間隙を縫って、自転車を走らせてきました。
昨年12月に、奈良時代の遺構に関する現地説明会がありましたが(→★)、今回の出土はその下の層になります。
古代から現代までの堆積層

出土遺物の中にはこんなものもあって

へえぇ、これって何千年も前のこと? 火山活動があった? 若草山が?
と、こちらにも興味を奪われました。
さて、見つかった水田ですが、 平城京左京二坊十四坪の調査区のほぼ全域で確認され、広さ5500㎡。

↑南から撮影。正面は奈良市役所
↓西北から

↓現説資料の表紙

水田一区画の面積が平均7㎡と小さいのが特徴で約500区画。当時の作業効率を考えると小さく区切られるのは当然で、これは中西遺跡でも同様でした。
区画する畦(あぜ)は幅1m弱もある大きなものと、幅30㎝ほどの小さなものがあり、全体でみるとさながら「あみだくじ」状(現説資料引用)。資料から↓

調査区の北側には、水路も。ここから田に水を引いたらしい。

出土遺物はあまり多くなかったようです。
石包丁

弥生土器片


水田として利用されていたのは、短期間だったと見られています。
雨がぱらつくお天気だったせいか、現地説明会としては人が少なかったようにも思いましたが、ワタクシは懐かしいお二人に出会ってしばしおしゃべり。
※詳しくは現説資料をどうぞ(クリックで拡大します)

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