かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
豊田狐塚古墳 現地説明会
4月9日、打ち合わせ会議終了後、豊田狐塚(とよだきつねづか)古墳の現地説明会へすっとんでいきました。
JR奈良駅から万葉まほろば線で天理駅へ。そこから歩いて15~20分くらいだったかな。
昨年、すぐ近くの豊田トンド山古墳の現説へ行っていますのでね、ははん、あのあたりやな、都市計画道路にともなう発掘調査も一緒やなと、すぐに見当がつきました。
豊田トンド山古墳の発掘調査 現地説明会(2015.5.2)→★
遠望(去年も同じ所から撮っている・笑)

↑集落の背後、中央やや左よりに山肌がちょっと見えているのが、豊田トンド山古墳。狐塚古墳はその東(右)
静かなたたずまいの豊田集落。いつもお騒がせしてすみません。

地図で見てみましょう。『天理の古墳』(天理市教育委員会)掲出の地図に2つの古墳を書き入れてみました(クリックで拡大します)。

上空から見ると(現地掲示写真)

この日、4回目の説明に間に合いまして。
(説明されるのは天理市教育委員会文化財課の石田大輔主査)。

発見された横穴式石室。6世紀中ごろのものと考えられています。

↑西北のほうから撮っていますが、南の方向に開口。
玄室(死者を安置した部屋)の床面約4.4m、奥壁の幅約2.2m、床面からの高さ約2.2m。
床面には直径5~10㎝ほどの石が敷き詰められていました。
盗掘を受けているようですが、たくさんの副葬品が見つかっています。
須恵器が50以上

小型鏡(旋回式獣像鏡) 直径9㎝

玉類

↑左上から時計回りに銀製空玉(うつろだま)、琥珀製平玉、水晶製切子玉、土製丸玉
鉄製品には武器と、馬具も

出土状況(現地掲示より クリックで拡大)

床面に木質が残存していることから、少なくとも3基の木棺が安置されていたようだと推定されています。
現地説明会資料「おわりに」より
豊田狐塚古墳は石上神宮や布留遺跡を見下ろす高所にあり、これらを強く意識した立地といえます。
墳丘や横穴式石室の規模、副葬品の質・量からみても、首長層を支えた有力者の墓である可能性が高いと考えられます。
豊田トンド山古墳から見た豊田狐塚古墳

この日、急いで現地へ到着。大勢のなかで、いきなり奇跡的な出会いをした白雪さん!

あら、白雪さんって妙齢のご婦人なのでは? と思われた方には申しわけございません(笑)
当日の現地説明会資料をどうぞ(2回クリックでさらに大きく)


JR奈良駅から万葉まほろば線で天理駅へ。そこから歩いて15~20分くらいだったかな。
昨年、すぐ近くの豊田トンド山古墳の現説へ行っていますのでね、ははん、あのあたりやな、都市計画道路にともなう発掘調査も一緒やなと、すぐに見当がつきました。
豊田トンド山古墳の発掘調査 現地説明会(2015.5.2)→★
遠望(去年も同じ所から撮っている・笑)

↑集落の背後、中央やや左よりに山肌がちょっと見えているのが、豊田トンド山古墳。狐塚古墳はその東(右)
静かなたたずまいの豊田集落。いつもお騒がせしてすみません。

地図で見てみましょう。『天理の古墳』(天理市教育委員会)掲出の地図に2つの古墳を書き入れてみました(クリックで拡大します)。

上空から見ると(現地掲示写真)

この日、4回目の説明に間に合いまして。
(説明されるのは天理市教育委員会文化財課の石田大輔主査)。

発見された横穴式石室。6世紀中ごろのものと考えられています。

↑西北のほうから撮っていますが、南の方向に開口。
玄室(死者を安置した部屋)の床面約4.4m、奥壁の幅約2.2m、床面からの高さ約2.2m。
床面には直径5~10㎝ほどの石が敷き詰められていました。
盗掘を受けているようですが、たくさんの副葬品が見つかっています。
須恵器が50以上

小型鏡(旋回式獣像鏡) 直径9㎝

玉類

↑左上から時計回りに銀製空玉(うつろだま)、琥珀製平玉、水晶製切子玉、土製丸玉
鉄製品には武器と、馬具も

出土状況(現地掲示より クリックで拡大)

床面に木質が残存していることから、少なくとも3基の木棺が安置されていたようだと推定されています。
現地説明会資料「おわりに」より
豊田狐塚古墳は石上神宮や布留遺跡を見下ろす高所にあり、これらを強く意識した立地といえます。
墳丘や横穴式石室の規模、副葬品の質・量からみても、首長層を支えた有力者の墓である可能性が高いと考えられます。
豊田トンド山古墳から見た豊田狐塚古墳

この日、急いで現地へ到着。大勢のなかで、いきなり奇跡的な出会いをした白雪さん!

あら、白雪さんって妙齢のご婦人なのでは? と思われた方には申しわけございません(笑)
当日の現地説明会資料をどうぞ(2回クリックでさらに大きく)


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