かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
若草山焼きの翌日
若草山の山焼きが行われた1月26日の夜、奈良にいなかった(→
)なんて、奈良県(市)民失格のような気がしてしまう。
そんな後ろめたさもあって、翌日(1月27日)、山の焼かれ具合を見に出かけてみた。
西麓からお山を仰ぐ。

登ってみようと思っていたら、閉山中(3月第3土曜~12月第2日曜開山)。昨年は1年を通じて開山していたような気がするのだけれど、気のせい?
春日山遊歩道ルートで山頂へ行ってみた。

春日山遊歩道は深緑の季節も紅葉もすばらしい。
背の高い樹木の中を行くので、見上げては、わぁ! きれい~♪
視線は上向きがちで、樹木以外のことはつい忘れてしまう。
けれども、冬のこんな日は、お久しぶりのこの方↓をゆっくりと拝観し

月日磐(つきひのいわ)の道標に、そうそうあったわね、と水谷川へ下りてみたり。
はて、どこやったかなぁ、30年前はすぐに見つけられたんやけどなぁ、とそれらしい岩をつぶさに見ていく。
が、……年月とともに苔むして、わからなくなった? と諦めて、元の道に戻る。
で、何気なく川をのぞくと、あっ、あった! なんや、道から見えたんや^^;

あれこれひやかし楽しみながら、頂上に着いたのが、午後2時頃。
ほんとうなら、若草山を下って散策終了のはずだったのだけれど、閉山中につき、うーん、どうしよう。
来た道を戻るのって、なんとなくヤな性格なのよね。
「行きと帰りでは風景が違う」という“往復同じ道”派の、夫の言葉がチラッとかすめるが、ワタクシはあくまで“別の道”派のようで(笑)
もう少し歩きたいし、首切り地蔵経由滝坂の道ルートで帰ろうっと。
若草山までの遊歩道では何人もとすれ違って挨拶を交わしたのだけれど、こちらへ来ると誰にも出会わない。
でも整った道と、山の気、ある程度知った安心感もあって、快調なウォーキング。
春日奥山でいちばん大きいという山桜の巨木

どんな花を咲かせるのだろう。花の時期に来てみたい。
「左 鶯の滝」の道標を見て、「いつもお世話になっている佐保川の源流やからね、ちょっとご挨拶をば」。
この寄り道がいけなかった(と思う)。
9月に参加した「春日大社錬成会→
」の折りにも立ち寄った親近感もあってフラフラと下って行ったのだが、これが結構険しくさみしい山道。
あのときは、たくさんの人と一緒だったので、そんなにも感じなかったのだろうか。
↓2012年9月29日撮影
不安を感じながら山道をどんどん下って、やっと「鶯の滝」へ。
そこに若いカップルの姿があって、どこかホッと安心する。久しぶりに人に出会ったような…
「どちらから下りられました?」
「僕らは車なので、そこの駐車場に停めて下りてきました」
もう、元の山道を戻る気にならず、彼らと同方向に、対岸の石段を上る。
この時点で、3時過ぎだったか。
いかん、4時までには原始林を脱出しないと、暗くなったらタイヘン(>_<)
急に不安が大きくなり始めて、小走り状態。
方向もちょっとわからなくなって、焦っていたところ…
後ろから来た車が止まり「よかったら、ちょっと乗っていきませんか」
先ほどのカップルだった。
「すいません、よろしいですか」と厚かましく同乗させていただく。
芳山交番所の所で「ありがとうございました!」
←滝坂の道を下る。
もう何も撮る気にもならなかったが、ビックリしてこれだけはパチリ。↓つららと氷がザクザク。

そこからは脇目もふらず、必死に駆け下ったのだった
イメージは『風の王国』(五木寛之著)(→
)の葛城哀さん。
ちょっと表現を借りてみよう。
駆けているのではなかった。あくまで歩いているのだが、それがまるで翔ぶように見えるのだ。足もとにはまるで注意を払わず、くずれやすい岩石の道をなめるように脚がすべってゆくだけだ。…
ま、これはあくまでもイメージ。
現実は、「もし滑って怪我とか捻挫でもしたら…」。“中高年女性、春日山原始林で行方不明”“無謀な山の独り歩き”などという新聞見出しもちらついて、焦りながらも足もとに注意してシンチョーに下ったのであった。
おかげで、4時頃には高畑へ出てふうっ、ほっ。
ほんまに懲りないやっちゃ、と自分を戒め苦笑しながら、帰宅したのでアリマシタ。
春日奥山で助けていただいた方、ありがとうございました。
尼崎の彼と、西宮の彼女、のカップルさんでした。
どう歩いたのかを検証。↓赤線が歩いたコース。一部オレンジ色は車に乗せてもらった区間。原図は奈良県のHPから拝借。
やっぱり鶯の滝がだいぶ寄り道だったみたい^^;

※これまでの、春日奥山ハイキングの記事、よろしかったら→


そんな後ろめたさもあって、翌日(1月27日)、山の焼かれ具合を見に出かけてみた。
西麓からお山を仰ぐ。

登ってみようと思っていたら、閉山中(3月第3土曜~12月第2日曜開山)。昨年は1年を通じて開山していたような気がするのだけれど、気のせい?
春日山遊歩道ルートで山頂へ行ってみた。

春日山遊歩道は深緑の季節も紅葉もすばらしい。
背の高い樹木の中を行くので、見上げては、わぁ! きれい~♪
視線は上向きがちで、樹木以外のことはつい忘れてしまう。
けれども、冬のこんな日は、お久しぶりのこの方↓をゆっくりと拝観し

月日磐(つきひのいわ)の道標に、そうそうあったわね、と水谷川へ下りてみたり。
はて、どこやったかなぁ、30年前はすぐに見つけられたんやけどなぁ、とそれらしい岩をつぶさに見ていく。
が、……年月とともに苔むして、わからなくなった? と諦めて、元の道に戻る。
で、何気なく川をのぞくと、あっ、あった! なんや、道から見えたんや^^;

あれこれひやかし楽しみながら、頂上に着いたのが、午後2時頃。
ほんとうなら、若草山を下って散策終了のはずだったのだけれど、閉山中につき、うーん、どうしよう。
来た道を戻るのって、なんとなくヤな性格なのよね。
「行きと帰りでは風景が違う」という“往復同じ道”派の、夫の言葉がチラッとかすめるが、ワタクシはあくまで“別の道”派のようで(笑)
もう少し歩きたいし、首切り地蔵経由滝坂の道ルートで帰ろうっと。
若草山までの遊歩道では何人もとすれ違って挨拶を交わしたのだけれど、こちらへ来ると誰にも出会わない。
でも整った道と、山の気、ある程度知った安心感もあって、快調なウォーキング。
春日奥山でいちばん大きいという山桜の巨木

どんな花を咲かせるのだろう。花の時期に来てみたい。
「左 鶯の滝」の道標を見て、「いつもお世話になっている佐保川の源流やからね、ちょっとご挨拶をば」。
この寄り道がいけなかった(と思う)。
9月に参加した「春日大社錬成会→

あのときは、たくさんの人と一緒だったので、そんなにも感じなかったのだろうか。
↓2012年9月29日撮影

そこに若いカップルの姿があって、どこかホッと安心する。久しぶりに人に出会ったような…
「どちらから下りられました?」
「僕らは車なので、そこの駐車場に停めて下りてきました」
もう、元の山道を戻る気にならず、彼らと同方向に、対岸の石段を上る。
この時点で、3時過ぎだったか。
いかん、4時までには原始林を脱出しないと、暗くなったらタイヘン(>_<)
急に不安が大きくなり始めて、小走り状態。
方向もちょっとわからなくなって、焦っていたところ…
後ろから来た車が止まり「よかったら、ちょっと乗っていきませんか」
先ほどのカップルだった。
「すいません、よろしいですか」と厚かましく同乗させていただく。
芳山交番所の所で「ありがとうございました!」

もう何も撮る気にもならなかったが、ビックリしてこれだけはパチリ。↓つららと氷がザクザク。

そこからは脇目もふらず、必死に駆け下ったのだった

イメージは『風の王国』(五木寛之著)(→

ちょっと表現を借りてみよう。
駆けているのではなかった。あくまで歩いているのだが、それがまるで翔ぶように見えるのだ。足もとにはまるで注意を払わず、くずれやすい岩石の道をなめるように脚がすべってゆくだけだ。…
ま、これはあくまでもイメージ。
現実は、「もし滑って怪我とか捻挫でもしたら…」。“中高年女性、春日山原始林で行方不明”“無謀な山の独り歩き”などという新聞見出しもちらついて、焦りながらも足もとに注意してシンチョーに下ったのであった。
おかげで、4時頃には高畑へ出てふうっ、ほっ。
ほんまに懲りないやっちゃ、と自分を戒め苦笑しながら、帰宅したのでアリマシタ。
春日奥山で助けていただいた方、ありがとうございました。
尼崎の彼と、西宮の彼女、のカップルさんでした。
どう歩いたのかを検証。↓赤線が歩いたコース。一部オレンジ色は車に乗せてもらった区間。原図は奈良県のHPから拝借。
やっぱり鶯の滝がだいぶ寄り道だったみたい^^;

※これまでの、春日奥山ハイキングの記事、よろしかったら→


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29
土佐の海
25~26日、土佐の海(あっ、お相撲さんではありません^^;)を見てきました。
室戸岬で

←灯台
海も空も群青色!
快晴に恵まれた2日間に感謝。
↓太平洋に沈む夕陽。お宿から。17時30分頃。

それから温泉に浸かり、1時間後、海と空の間にはまだ赤みが残っていました。
白い点々は、漁をする船でしょうか。

翌日、桂浜で


波と戯れたのは何年ぶりでしょう^^

竜王岬から

室戸岬で


海も空も群青色!
快晴に恵まれた2日間に感謝。
↓太平洋に沈む夕陽。お宿から。17時30分頃。

それから温泉に浸かり、1時間後、海と空の間にはまだ赤みが残っていました。
白い点々は、漁をする船でしょうか。

翌日、桂浜で


波と戯れたのは何年ぶりでしょう^^

竜王岬から

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27
かぎろひの大和路 29号
『かぎろひの大和路』復刊29号、やっと21日に全ページ出稿、本日は印刷所で最終作業をしてまいりました。
2月初旬にはできるかなあ、という感じですが、まだはっきりしておりませんので、発行、発送、書店への納品状況などは、その都度、お知らせしていきたいと思っています。
どうかもうしばらくお待ちくださいますように。
主な内容をざっとご紹介します。
表紙は、糸井神社と正念寺十一面観音さんです。

・特集 太子道がつなぐ磯城の里
・万葉人の語らい(29)
・生活と風習と 糸井神社の秋祭り(磯城郡川西町結崎)
・大和を彩ったひと 忍性菩薩
・まちなみスケッチ(28) ショパンのまち…… 絵と文・片寄俊秀
・発掘情報 平城宮跡
・文学&奈良 世阿弥元清『夢跡一紙』
・お話 壺に入って流れついたみどり子・秦河勝
・まちのげんき NPO法人ミルクならネットワーク(川西町)
・こんな店・こんな宿・こんな品(手づくりうどん 美の吉、算額最中、貝ボタン)
・奈良特産品 結崎ネブカ
・おたより
・ときのつなぎ 『奈良ー古代史への旅ー』(直木孝次郎著)
・かぎろひ歳時記(磯城郡川西町、寺社の年中行事)
・なら酒 蔵めぐり⑰ 長龍酒造(北葛城郡広陵町)
・やまと路NOW
(カット絵・武田道弘氏)
2月初旬にはできるかなあ、という感じですが、まだはっきりしておりませんので、発行、発送、書店への納品状況などは、その都度、お知らせしていきたいと思っています。
どうかもうしばらくお待ちくださいますように。
主な内容をざっとご紹介します。
表紙は、糸井神社と正念寺十一面観音さんです。

・特集 太子道がつなぐ磯城の里
・万葉人の語らい(29)
・生活と風習と 糸井神社の秋祭り(磯城郡川西町結崎)
・大和を彩ったひと 忍性菩薩
・まちなみスケッチ(28) ショパンのまち…… 絵と文・片寄俊秀
・発掘情報 平城宮跡
・文学&奈良 世阿弥元清『夢跡一紙』
・お話 壺に入って流れついたみどり子・秦河勝
・まちのげんき NPO法人ミルクならネットワーク(川西町)
・こんな店・こんな宿・こんな品(手づくりうどん 美の吉、算額最中、貝ボタン)
・奈良特産品 結崎ネブカ
・おたより
・ときのつなぎ 『奈良ー古代史への旅ー』(直木孝次郎著)
・かぎろひ歳時記(磯城郡川西町、寺社の年中行事)
・なら酒 蔵めぐり⑰ 長龍酒造(北葛城郡広陵町)
・やまと路NOW
(カット絵・武田道弘氏)
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24
雪の高天彦神社あたり
1月15日、雪の「風の森峠」(→
)の続きです。
風の森峠から、高鴨神社にお参りして、高天彦神社をめざしました。
↓参照

↑現在地とあるのは、伏見あたり。
↓こんな所です。

高天彦神社へは、急勾配の道をどんどん登って行きますから、雪はどんな感じだろうと、期待がふくらみます。

注連縄をくぐると、山道。しんとした気配に、ちょっと不安がよぎるのもいつものことですね。

山道を抜けるといきなり開けて、「白雲の峰(岳)」が目の前に表れる、この景色が好き。神の山に独特の美しい円錐形。
この日は、雪がさらに神々しさを高めていました。

雪はまっさらで、ワタクシの足跡がいっちゃん最初(↓左)。
トシを忘れてはしゃぐ、はしゃぐ、変なオバサンひとり^^;

↑我が足跡ですぞ(って、エラソーに、笑)。
←高天彦神社。
雪をかぶると、狛犬さんも、お茶目に見えて♪
雪の中の鶯宿梅

←でも、よぉく見ると、つぼみはやわらかくふくらんでいて「春遠からじ」の風情。思わず笑顔になります。
橋本院への道

橋本院の屋根も

橋本院から下山する頃、細かい雪がちらついて、振り返ると、お山も吹雪いていました。

←細い山道を下るとき、やっぱり不安が押し寄せて…
5~6年ほど前、ここで豪雨に襲われて、遭難しそうになった(ちとオーバー)悪夢が思い出されます。
びっしょり濡れて、そのまま母のいる病院へ向かったのだったなあ…
ひとたび、下ってしまうと、もう雪はなく、高天原はウソのような別世界に思われました。
そこからはぶらぶらと、東に大和三山を見て

西に雪のお山を仰いで(これは葛城山)

←一言主神社の大銀杏がバッサリ伐られていることに胸をいため、でもしっかり、お願いもして
道沿いの葛城酒造さんに立ち寄って1本、片上醤油さんでは青大豆醤油を求めて、リュックはズシリ。
御所駅に着いたのは4時…。

風の森峠から、高鴨神社にお参りして、高天彦神社をめざしました。
↓参照

↑現在地とあるのは、伏見あたり。
↓こんな所です。



注連縄をくぐると、山道。しんとした気配に、ちょっと不安がよぎるのもいつものことですね。

山道を抜けるといきなり開けて、「白雲の峰(岳)」が目の前に表れる、この景色が好き。神の山に独特の美しい円錐形。
この日は、雪がさらに神々しさを高めていました。

雪はまっさらで、ワタクシの足跡がいっちゃん最初(↓左)。
トシを忘れてはしゃぐ、はしゃぐ、変なオバサンひとり^^;

↑我が足跡ですぞ(って、エラソーに、笑)。

雪をかぶると、狛犬さんも、お茶目に見えて♪
雪の中の鶯宿梅


橋本院への道

橋本院の屋根も

橋本院から下山する頃、細かい雪がちらついて、振り返ると、お山も吹雪いていました。


5~6年ほど前、ここで豪雨に襲われて、遭難しそうになった(ちとオーバー)悪夢が思い出されます。
びっしょり濡れて、そのまま母のいる病院へ向かったのだったなあ…
ひとたび、下ってしまうと、もう雪はなく、高天原はウソのような別世界に思われました。
そこからはぶらぶらと、東に大和三山を見て

西に雪のお山を仰いで(これは葛城山)



御所駅に着いたのは4時…。
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21
雪の「風の森峠」
五條、念仏寺陀々堂の「鬼はしり」を見学して(→
)、叔母の家で一泊。
あけて1月15日。
←小正月の慣習だという「小豆粥」の朝食。
大きなお餅を2つもいただいて
さあっ、早よ帰って仕事をする……はずだったのですが
ここまで来て、即Uターンというのもモッタイナイなあ。最近歩いてないし…
逆行はアカンけど、帰る方向にひと駅ぐらいのハイキングなら許されるやろ。
新町筋を抜けて五条駅まで、あるいは吉野口あたり、それとも北宇智から風の森峠、と考えをめぐらせて、おっとぉ、あそこなら雪が残っているはずや(前日かなり雪が降ったので)。
我ながらのグッドアイディア!
叔母「北宇智から歩くのは危険やから、風の森まで送ったるわ」
9時30分頃には、風の森峠に立っていました。

わーい。金剛、葛城の雪山を見て深呼吸。

↓右端のこんもりしている所が風の森神社。風の神様、志那都比古神をまつり、峠のいちばん頂上にあります。

風の森神社から見る金剛山

この日は、結局、雪の連山を眺めながら御所駅まで歩くことに。約13㎞か。
雪景色に感動しながらの楽しい1人ハイキングとなったのでした。
次回は、高天彦(たかまひこ)神社あたりの雪景色を紹介しまーす。


←小正月の慣習だという「小豆粥」の朝食。
大きなお餅を2つもいただいて
さあっ、早よ帰って仕事をする……はずだったのですが
ここまで来て、即Uターンというのもモッタイナイなあ。最近歩いてないし…
逆行はアカンけど、帰る方向にひと駅ぐらいのハイキングなら許されるやろ。
新町筋を抜けて五条駅まで、あるいは吉野口あたり、それとも北宇智から風の森峠、と考えをめぐらせて、おっとぉ、あそこなら雪が残っているはずや(前日かなり雪が降ったので)。
我ながらのグッドアイディア!
叔母「北宇智から歩くのは危険やから、風の森まで送ったるわ」
9時30分頃には、風の森峠に立っていました。

わーい。金剛、葛城の雪山を見て深呼吸。

↓右端のこんもりしている所が風の森神社。風の神様、志那都比古神をまつり、峠のいちばん頂上にあります。

風の森神社から見る金剛山

この日は、結局、雪の連山を眺めながら御所駅まで歩くことに。約13㎞か。
雪景色に感動しながらの楽しい1人ハイキングとなったのでした。
次回は、高天彦(たかまひこ)神社あたりの雪景色を紹介しまーす。
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18
念仏寺 陀々堂の鬼はしり
『かぎろひの大和路』の最終作業につき、連休も返上。
全ページの(と言っても28ページなのですが)校正にも結構、時間がかかります。
ああ、1月14日は、五條の念仏寺陀々堂の「鬼はしり」やなあ、今年は夜の行事を見たかったけど、この状態ではちょっと無理か。残念やけど来年にしよう。
などと思っていると、叔母から「待ってるよ」という連絡が。
そうでした、昨年、昼の部を見た後、叔母の家に立ち寄って宿泊予約をしてきたのでした。→こちら
覚えてくれてたんや。んじゃ、行きま~す
雨の中を出発。
あちゃ、ここ数日のデスクワークは晴天だったのに、出かけるとなるとこれや。今年も雨女を抜け出せそうもないわねぇ(-_-;)
雪をまとって、JR奈良駅にすべりこんできた万葉まほろば線の車輌。

3つ目の帯解駅あたりから雪に変わり、五條まで窓外の雪景色を楽しみつつ…
陀々堂では、「昼の鬼はしり」も「子ども鬼はしり」も見学

恒例の「福餅まき」は境内がぬかるんでいるために中止、今年は手渡しでいただきました。
なんと、4等ゲット
去年は5等だったのですが、こうなると来年も行かねば、という気になります(笑)

夜9時からの「鬼はしり」は初めての経験

迫力!

叔母に言わせると、天候のせいか、例年の10分の1ぐらいの人出だったとか。
叔父の思い出話では、子どもの頃、「松明の燃え方を見てくるように」と父親から言われたとのこと。
父鬼、母鬼、子鬼の松明は、その年によってそれぞれの燃え方が違うそうで、お米(早生、晩稲など)の豊作を占ったと言います。
「今年の燃え方はどうやった」と叔父。
「3本ともよく燃えていた」と叔母とワタクシ。
今年は大豊作?
実は、この日は風が強くて、主催者はかなり気遣われたそうです。
あっ、「陀々堂の鬼はしり」については、五條市観光協会のサイトでごらんくださいね。→こちら
思いがけず、関東圏の読者、elsur147さんと合流できたのも、「鬼はしり」の楽しい思い出となったのでした。
elsur147さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。
全ページの(と言っても28ページなのですが)校正にも結構、時間がかかります。
ああ、1月14日は、五條の念仏寺陀々堂の「鬼はしり」やなあ、今年は夜の行事を見たかったけど、この状態ではちょっと無理か。残念やけど来年にしよう。
などと思っていると、叔母から「待ってるよ」という連絡が。
そうでした、昨年、昼の部を見た後、叔母の家に立ち寄って宿泊予約をしてきたのでした。→こちら
覚えてくれてたんや。んじゃ、行きま~す

雨の中を出発。
あちゃ、ここ数日のデスクワークは晴天だったのに、出かけるとなるとこれや。今年も雨女を抜け出せそうもないわねぇ(-_-;)
雪をまとって、JR奈良駅にすべりこんできた万葉まほろば線の車輌。

3つ目の帯解駅あたりから雪に変わり、五條まで窓外の雪景色を楽しみつつ…
陀々堂では、「昼の鬼はしり」も「子ども鬼はしり」も見学

恒例の「福餅まき」は境内がぬかるんでいるために中止、今年は手渡しでいただきました。
なんと、4等ゲット

去年は5等だったのですが、こうなると来年も行かねば、という気になります(笑)

夜9時からの「鬼はしり」は初めての経験

迫力!

叔母に言わせると、天候のせいか、例年の10分の1ぐらいの人出だったとか。
叔父の思い出話では、子どもの頃、「松明の燃え方を見てくるように」と父親から言われたとのこと。
父鬼、母鬼、子鬼の松明は、その年によってそれぞれの燃え方が違うそうで、お米(早生、晩稲など)の豊作を占ったと言います。
「今年の燃え方はどうやった」と叔父。
「3本ともよく燃えていた」と叔母とワタクシ。
今年は大豊作?
実は、この日は風が強くて、主催者はかなり気遣われたそうです。
あっ、「陀々堂の鬼はしり」については、五條市観光協会のサイトでごらんくださいね。→こちら
思いがけず、関東圏の読者、elsur147さんと合流できたのも、「鬼はしり」の楽しい思い出となったのでした。
elsur147さん、お疲れさまでした。ありがとうございました。
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15
平城宮跡は今
『かぎろひの大和路』の発行が遅れこんでおり、申しわけございません。
やっと、メイン記事が仕上がり、ほぼ出そろいました。
ワタクシ担当の記事はすでに終わっていたのですが、何しろずいぶん前に仕上げているので、忘れかけている…^^;
「地中からの声」という発掘情報を読み直して、重大なことに気づきました。
平城宮跡で鉄鍛冶工房跡が見つかったことを紹介しているのですが、国交省による朝堂院跡舗装については何も触れていません。どうやら、それ以前に書き上げたようです。
これはいかん。平城宮跡の中心が土色に舗装されてしまうことは書かなければ。寮美千子さんを先頭にした抗議運動のこと、全国から3万筆もの署名が集まったにもかかわらず、本格工事が強行されたこと…などなど『かぎろひの大和路』からも発信したい。
というわけで、全面的に書き換えることに。といっても、ほんの400字ほどの小さな囲み記事なのですが。
1月11日、平城宮跡は今いったいどないなってるんや、と自転車を走らせて見てきました。
ブルドーザーやトラックが入り、大変なことになっていました。


大極殿前にずらりと並んだ車の列

大極殿前から朱雀門を見ると

大極殿へ入ってみました。

大極殿の中から朱雀門を

平城宮跡の中心部に草ひとつない土色が広がる…こんな舗装をする意味がどこにあるというのでしょう。
お役人色と言うなら、そうかもしれませんが。
荒廃感さえ漂う冷たい土色の中では、想像力の翼は凍りついて自由にはばたくことはできません…。
今と昔を自由に行き来できるような風土に憧れて奈良へ来た者から見ると、間違いなく1つの魅力が失われたと感じます。
草や花や虫たちのいる、やさしく懐かしい原っぱを返して~
やっと、メイン記事が仕上がり、ほぼ出そろいました。
ワタクシ担当の記事はすでに終わっていたのですが、何しろずいぶん前に仕上げているので、忘れかけている…^^;
「地中からの声」という発掘情報を読み直して、重大なことに気づきました。
平城宮跡で鉄鍛冶工房跡が見つかったことを紹介しているのですが、国交省による朝堂院跡舗装については何も触れていません。どうやら、それ以前に書き上げたようです。
これはいかん。平城宮跡の中心が土色に舗装されてしまうことは書かなければ。寮美千子さんを先頭にした抗議運動のこと、全国から3万筆もの署名が集まったにもかかわらず、本格工事が強行されたこと…などなど『かぎろひの大和路』からも発信したい。
というわけで、全面的に書き換えることに。といっても、ほんの400字ほどの小さな囲み記事なのですが。
1月11日、平城宮跡は今いったいどないなってるんや、と自転車を走らせて見てきました。
ブルドーザーやトラックが入り、大変なことになっていました。


大極殿前にずらりと並んだ車の列

大極殿前から朱雀門を見ると

大極殿へ入ってみました。

大極殿の中から朱雀門を

平城宮跡の中心部に草ひとつない土色が広がる…こんな舗装をする意味がどこにあるというのでしょう。
お役人色と言うなら、そうかもしれませんが。
荒廃感さえ漂う冷たい土色の中では、想像力の翼は凍りついて自由にはばたくことはできません…。
今と昔を自由に行き来できるような風土に憧れて奈良へ来た者から見ると、間違いなく1つの魅力が失われたと感じます。
草や花や虫たちのいる、やさしく懐かしい原っぱを返して~
TB: -- CM: 12
12
御所実業 全国準優勝
12月27日から、花園で熱戦が繰り広げられてきた「第92回全国高等学校ラグビーフットボール大会」。
奈良県代表の御所実業高校は、どんどん勝ち進みましたが、1月7日決勝戦で、惜しくも常翔学園に敗れました。
初優勝できなかったのは残念ですが、全国2位!
すばらしい活躍です。おめでとうございます。
奈良県民としてもたいへんうれしく、拍手を贈りたいと思います。
ワタクシ、御所実業は決勝までいくだろうと何の疑いもなく思っていました。
←昨年、御所実業へ行く機会があり
(→
)
そのときに「NPO法人ミルクならネットワーク」の米田理事長が「今年の御所実業はバランスがとれたチーム。優勝できる力がある」と熱く語っていたのを聞いたからです。
米田理事長は元ラガーマン。長年見守られての感想は、とても説得力のあるものに感じたのでした。
←米田理事長と竹田監督
いつもお世話になっているわが先輩“団長さん”がまたラガーマンということもあり、ラグビーには親近感をもってきました。あっ、とはいえ、ルールを知悉しているわけでもないのですが^^;
野球と同じくらい、ラグビーにも関心をもっています。
特に公立高校の活躍はやっぱりうれしいなと思いますね。
御所実業が、強豪天理を破って全国大会へ行くようになった頃から、おおすごい、と応援していましたが、実際に学校へ行き、監督ともお会いしたことによって、ワタクシの思いはさらにヒートアップしたことは間違いないでしょうね。
竹田監督の目の輝きや存在感にも圧倒されました。ワタクシが高校男子だったら、こんな先生のもとで、ラグビーをしてみたい、などと思ったのでした。
ふだんはほとんどテレビは観ないのですが、優勝戦はテレビの前にかじりついて、応援態勢。

開始直後、常翔学園がいきなりの2トライ。
うわっ、これはスゴイ。準決勝で、あの国学院久我山に57-0の完封勝利を収めている常翔。これは手も足も出ないのではないかと悲観的にもなったのでしたが(ゴメンナサイ)、前半戦の終盤に、モールを押してパスでつなぎトライ成功。ゴールキックも決めて10-7に迫り、前半終了。
後半戦、序盤は御所実業が優位に試合を進め、モールで押し込んでトライ。ついに、逆転~!!

ゴールキックも成功

←逆転直後、映し出された竹田監督。
さすが、冷静やわ。
ワタクシは、やったぁ、ばんざーい
しかーし、残り時間10分くらいのところで、トライを決められて…(>_<)

力の入る名勝負でしたね。
常翔学園が、独走態勢からトライを決めるのに対して、御所実業がモールでじりじりと押し込んでトライに結びつける、その試合展開の違いがとても印象的でした。
元気やパワーがもらえた気がしています。ありがとう。おばさんもがんばるぞ。
※決勝戦の様子はこちらで、動画を見ることができます。
※御所実業高校→こちら
奈良県代表の御所実業高校は、どんどん勝ち進みましたが、1月7日決勝戦で、惜しくも常翔学園に敗れました。
初優勝できなかったのは残念ですが、全国2位!
すばらしい活躍です。おめでとうございます。
奈良県民としてもたいへんうれしく、拍手を贈りたいと思います。
ワタクシ、御所実業は決勝までいくだろうと何の疑いもなく思っていました。

(→

そのときに「NPO法人ミルクならネットワーク」の米田理事長が「今年の御所実業はバランスがとれたチーム。優勝できる力がある」と熱く語っていたのを聞いたからです。
米田理事長は元ラガーマン。長年見守られての感想は、とても説得力のあるものに感じたのでした。

いつもお世話になっているわが先輩“団長さん”がまたラガーマンということもあり、ラグビーには親近感をもってきました。あっ、とはいえ、ルールを知悉しているわけでもないのですが^^;
野球と同じくらい、ラグビーにも関心をもっています。
特に公立高校の活躍はやっぱりうれしいなと思いますね。
御所実業が、強豪天理を破って全国大会へ行くようになった頃から、おおすごい、と応援していましたが、実際に学校へ行き、監督ともお会いしたことによって、ワタクシの思いはさらにヒートアップしたことは間違いないでしょうね。
竹田監督の目の輝きや存在感にも圧倒されました。ワタクシが高校男子だったら、こんな先生のもとで、ラグビーをしてみたい、などと思ったのでした。
ふだんはほとんどテレビは観ないのですが、優勝戦はテレビの前にかじりついて、応援態勢。

開始直後、常翔学園がいきなりの2トライ。
うわっ、これはスゴイ。準決勝で、あの国学院久我山に57-0の完封勝利を収めている常翔。これは手も足も出ないのではないかと悲観的にもなったのでしたが(ゴメンナサイ)、前半戦の終盤に、モールを押してパスでつなぎトライ成功。ゴールキックも決めて10-7に迫り、前半終了。
後半戦、序盤は御所実業が優位に試合を進め、モールで押し込んでトライ。ついに、逆転~!!

ゴールキックも成功


さすが、冷静やわ。
ワタクシは、やったぁ、ばんざーい

しかーし、残り時間10分くらいのところで、トライを決められて…(>_<)

力の入る名勝負でしたね。
常翔学園が、独走態勢からトライを決めるのに対して、御所実業がモールでじりじりと押し込んでトライに結びつける、その試合展開の違いがとても印象的でした。
元気やパワーがもらえた気がしています。ありがとう。おばさんもがんばるぞ。
※決勝戦の様子はこちらで、動画を見ることができます。
※御所実業高校→こちら
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08
當麻曼荼羅完成1250年
中将姫が約4m四方の「當麻曼荼羅図」を蓮糸で織り上げたと伝えられるのが天平宝字7年(763)。2013年は、そのときから数えて1250年になります。
節目の今年は、ちょっとした當麻寺イヤーになりそうですね。
ワタクシが知り得ている特別な催しは2つ。
■まずひとつは、お膝元の葛城市歴史博物館で開催中の特別陳列「當麻寺菩薩面と古代の匠のプロフィール」(1月20日まで)。
過日、案内しましたが(→
)、12月23日、実際に行ってまいりました。

特別展示室に、ずらりと並べられた28面は壮観。
さほど広くない、シンプルな長方形の1室に、このときワタクシ1人。しんと静まりかえった空気のなかで、ん? 何かの気配や視線を感じて立ち止まりました。
入口のほうを見ますが、誰も入ってきた様子はありません…。
何? この感じは?
やがて気づいたのですが、ワタクシが見ているはずだったのに、実は見られていたのです! 56の瞳に。ゾクッ。
それぞれに表情や細工が微妙に違い、迫力満点。
長らく「練供養会式(二十五菩薩来迎会)」でパワフルに動いてきたせいでしょうか、お面には力強く不思議な力が宿っているような気がしてなりません…
↓観音菩薩面(左)と普賢菩薩面

そうそう、葛城市歴史博物館で特別陳列が始まる日の朝刊で、當麻寺の菩薩面のことが結構大きな扱いで載っていたのをご記憶の方も多いと思います。
菩薩面の内側に墨書銘文が書かれているのが確認され、解読が行われたということでした。
←12.12.22付産経新聞
クリックしてどうぞ。
もちろん、この面も展示されていますよ。
常設展示も見せていただきました。
こぢんまりしているとはいえ、本格派博物館です。

竹内街道、當麻寺はもちろん、葛城の考古資料がたくさん紹介されています。古代だけではなくて、中世の山城の復元や山岳寺院にも興味をひかれました。
あっ、島の山古墳!
磯城郡川西町通いの多かったワタクシはつい、あそこを思い出してしまったのですが、葛城市にも同じ名前の古墳があるのですね。
それと、エントランスの床いっぱいに広がる航空写真パネルには、思わず見入ってしまいました。1/4000のスケールだそうです。
※特別陳列「當麻寺菩薩面と古代の匠のプロフィール」
平成25年1月20日(日曜日)まで
展示解説:平成25年1月12日(土曜日)午後2時から
「特別陳列展示説明会」
講師:吉岡昌信(本館主幹)
場所:葛城市歴史博物館2階「あかねホール」
葛城市歴史博物館(葛城市忍海250-1)
TEL 0745-64-1414
火曜日、第2・第4水曜日休館
大人200円、高大生100円、小中生50円
9:00~17:00(入館は16:30まで)
近鉄御所線忍海駅から徒歩すぐ
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
■當麻曼荼羅完成1250年記念として奈良国立博物館で開かれる特別展もはずせません。
特別展「當麻寺ー極楽浄土へのあこがれー」
2013.4.6(土)~6.2(日)
詳しくは→奈良博の公式サイトで

節目の今年は、ちょっとした當麻寺イヤーになりそうですね。
ワタクシが知り得ている特別な催しは2つ。
■まずひとつは、お膝元の葛城市歴史博物館で開催中の特別陳列「當麻寺菩薩面と古代の匠のプロフィール」(1月20日まで)。
過日、案内しましたが(→



さほど広くない、シンプルな長方形の1室に、このときワタクシ1人。しんと静まりかえった空気のなかで、ん? 何かの気配や視線を感じて立ち止まりました。
入口のほうを見ますが、誰も入ってきた様子はありません…。
何? この感じは?
やがて気づいたのですが、ワタクシが見ているはずだったのに、実は見られていたのです! 56の瞳に。ゾクッ。
それぞれに表情や細工が微妙に違い、迫力満点。
長らく「練供養会式(二十五菩薩来迎会)」でパワフルに動いてきたせいでしょうか、お面には力強く不思議な力が宿っているような気がしてなりません…
↓観音菩薩面(左)と普賢菩薩面

そうそう、葛城市歴史博物館で特別陳列が始まる日の朝刊で、當麻寺の菩薩面のことが結構大きな扱いで載っていたのをご記憶の方も多いと思います。
菩薩面の内側に墨書銘文が書かれているのが確認され、解読が行われたということでした。

クリックしてどうぞ。
もちろん、この面も展示されていますよ。
常設展示も見せていただきました。
こぢんまりしているとはいえ、本格派博物館です。

竹内街道、當麻寺はもちろん、葛城の考古資料がたくさん紹介されています。古代だけではなくて、中世の山城の復元や山岳寺院にも興味をひかれました。
あっ、島の山古墳!
磯城郡川西町通いの多かったワタクシはつい、あそこを思い出してしまったのですが、葛城市にも同じ名前の古墳があるのですね。
それと、エントランスの床いっぱいに広がる航空写真パネルには、思わず見入ってしまいました。1/4000のスケールだそうです。
※特別陳列「當麻寺菩薩面と古代の匠のプロフィール」
平成25年1月20日(日曜日)まで
展示解説:平成25年1月12日(土曜日)午後2時から
「特別陳列展示説明会」
講師:吉岡昌信(本館主幹)
場所:葛城市歴史博物館2階「あかねホール」
葛城市歴史博物館(葛城市忍海250-1)
TEL 0745-64-1414
火曜日、第2・第4水曜日休館
大人200円、高大生100円、小中生50円
9:00~17:00(入館は16:30まで)
近鉄御所線忍海駅から徒歩すぐ
大きい地図・ルート検索 ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )
■當麻曼荼羅完成1250年記念として奈良国立博物館で開かれる特別展もはずせません。
特別展「當麻寺ー極楽浄土へのあこがれー」
2013.4.6(土)~6.2(日)
詳しくは→奈良博の公式サイトで

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06
帯解寺から正暦寺
あけましておめでとうございます。
1月1日は、わが家の恒例、新春初詣ハイキング。
いったいいつからこういうかたちになったのか、思い出してみました。
2008年…南生駒周辺
2009年…富雄から矢田
2010年…談山神社から飛鳥坐神社へ→

2011年…西の京、生駒山宝山寺→

2012年…室生寺方面→

わぁもう6年目に入るんやぁ。
それ以前は、大晦日の夜に繰り出して除夜の鐘をつき、初詣というのがおきまりだったのですが、今のスタイルがどうやらわが家にはピッタシくるようで、定着しつつあります。
行き先を決めるのは娘。
「どこへ行きたい?」「吉野山!」
「じゃ、西行庵までハイキングや!!」と一時は盛り上がったのですが、拝観したい金峰山寺蔵王堂の秘仏公開が3月30日からということで断念。
次に「正暦寺へ行ったことないわぁ」。
帯解寺↓から歩くことになりました。

←お参りしてから、お神酒をいただきます。さすが、地元の豊祝さん。
ふわぁ、おなかにしみわたり、やがて身体がほこほこ。
さぁ、出発~
円照寺経由で山越えの道を辿ることに。
何度か通ったことがあるのですが、1人ではちょっと不安な感じもあるのですよね。
←いつも清々しいたたずまいの円照寺を外から拝観
五つ塚古墳のうちの二墳。向こうのお山と相似形^^

山道を抜けると

そこが、正暦寺。
紅葉の頃は大勢の人で賑わった境内も、ひっそり。

日だまりでお弁当を広げ、ゆっくり散策。
菩提仙川の清冽な流れで、心の淀みをあらいましょう。

弘仁寺へ

おみくじをひくと、「小吉」
願いごと…望みが大きすぎる今のままでは叶わず
待ち人…来ないでしょう
失せ物…出ません諦めよ
恋愛…浮気心はつつしめ
トホホな内容…(T_T)
唯一、旅行…障りなしにホッ。
途中で見たこんなもの、あんなもの。
↓トックリバチの巣

↓ノスリの飛翔
もう少し近づかないかなあとしばらく見上げていたのですが、山の向こうへ消えていきました。

←生け捕りワナ
イノシシ?
虚空蔵町のトイレ休憩で。
トイレ内の掲示がちょっとお茶目でおもしろかったよねと言うと、夫「うんうん、東より来る人あり…」と言い始めたので、ん? 違う?
ちょっと失礼、両方のトイレに入って(誰もいないときですよ)パチリ↓
(左が女子トイレ、右が男子)あはは、洒落っ気がありますね。

のどかな風景のなかをのんびり歩き♪

↓夕陽を受けて神々しさを増した石仏に手を合わせ

癒されて

えへへ、足長おじさんになったりしながら

ゴールの、JR櫟本(いちのもと)駅(帯解駅のひとつ桜井寄り)へ。

↓この日のハイキングコース(途中で見つけた地図を利用して)約10㎞

電車が奈良駅に着こうとする頃、落日。

感謝の気持ちがわき起こるのを感じたのでした。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
1月1日は、わが家の恒例、新春初詣ハイキング。
いったいいつからこういうかたちになったのか、思い出してみました。
2008年…南生駒周辺
2009年…富雄から矢田
2010年…談山神社から飛鳥坐神社へ→



2011年…西の京、生駒山宝山寺→



2012年…室生寺方面→



わぁもう6年目に入るんやぁ。
それ以前は、大晦日の夜に繰り出して除夜の鐘をつき、初詣というのがおきまりだったのですが、今のスタイルがどうやらわが家にはピッタシくるようで、定着しつつあります。
行き先を決めるのは娘。
「どこへ行きたい?」「吉野山!」
「じゃ、西行庵までハイキングや!!」と一時は盛り上がったのですが、拝観したい金峰山寺蔵王堂の秘仏公開が3月30日からということで断念。
次に「正暦寺へ行ったことないわぁ」。
帯解寺↓から歩くことになりました。


ふわぁ、おなかにしみわたり、やがて身体がほこほこ。
さぁ、出発~

何度か通ったことがあるのですが、1人ではちょっと不安な感じもあるのですよね。

五つ塚古墳のうちの二墳。向こうのお山と相似形^^

山道を抜けると

そこが、正暦寺。
紅葉の頃は大勢の人で賑わった境内も、ひっそり。

日だまりでお弁当を広げ、ゆっくり散策。
菩提仙川の清冽な流れで、心の淀みをあらいましょう。

弘仁寺へ

おみくじをひくと、「小吉」
願いごと…望みが大きすぎる今のままでは叶わず
待ち人…来ないでしょう
失せ物…出ません諦めよ
恋愛…浮気心はつつしめ
トホホな内容…(T_T)
唯一、旅行…障りなしにホッ。
途中で見たこんなもの、あんなもの。
↓トックリバチの巣

↓ノスリの飛翔
もう少し近づかないかなあとしばらく見上げていたのですが、山の向こうへ消えていきました。


イノシシ?
虚空蔵町のトイレ休憩で。
トイレ内の掲示がちょっとお茶目でおもしろかったよねと言うと、夫「うんうん、東より来る人あり…」と言い始めたので、ん? 違う?
ちょっと失礼、両方のトイレに入って(誰もいないときですよ)パチリ↓
(左が女子トイレ、右が男子)あはは、洒落っ気がありますね。

のどかな風景のなかをのんびり歩き♪

↓夕陽を受けて神々しさを増した石仏に手を合わせ

癒されて

えへへ、足長おじさんになったりしながら

ゴールの、JR櫟本(いちのもと)駅(帯解駅のひとつ桜井寄り)へ。

↓この日のハイキングコース(途中で見つけた地図を利用して)約10㎞

電車が奈良駅に着こうとする頃、落日。

感謝の気持ちがわき起こるのを感じたのでした。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
TB: -- CM: 12
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