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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

神宮寺 その② お水送り 

「お水送り」で知られる神宮寺へ行ったことをブログアップしたところ、いたただいたコメントの中に、「かぎろひ掲示板」の常連である、たきさんからのものがありました。↓

若狭・小浜の町。2度訪れました。JRで、そしてレンタバイクで鯖街道を走っての若狭は素晴らしい歴史の宝庫でした。
「お水送り神事」を書いたころを思い出します。


あっそうでした、たきさんは、神宮寺のお水送り神事について書かれたことがあり、掲示板にも投稿してくださっていました。

現地へ行き、神事について説明するだけではなく、資料にあたり、考察を進められた一文は、とても説得力のある興味深いものでした。
このほど、ご本人の承諾も得ましたので、ご紹介させていただきます。
(※読みやすいように、当方で適当に行あけしました。また、原文は改行1字下げですが、それもなくしていますので、ご了承ください。)


雪の神宮寺本堂(2012.1.27撮影)





若狭、お水送り神事 投稿者:たき 投稿日:2007年 2月20日(火)12時33分52秒
   
“海のある奈良”というキャッチフレーズに何となく惹かれ、福井県小浜市を訪ねてみたくなった。

そして神宮寺という神仏合体のお寺の説明に「ここから流された水が10日かかって奈良へ流れ着く、その水を汲み上げるのが二月堂のお水取り」から始まってお水送りの神事を事細かく話してくれた。

天平勝宝四年(752)実忠和尚が東大寺二月堂の十一面観音の前で初めて修二会を行った、初夜の終わりに「神名帳」を読み上げて諸国の神々を勧請した。その時若狭の遠敷明神は遅れて来た、そのお詫びのしるしに閼伽水を献じる約束をした。これが「お水送り」の始まりと話す。

お水送りは毎年3月2日に行われている。
神宮寺にての神事の後、近くを流れる遠敷川(おにゅうがわ)を上流2キロにある鵜之瀬まで白装束の行衆が松明を燃やしながら歩いていく。川幅が狭くなりきれいに整地された河原が鵜之瀬という所。

道から鵜之瀬への石段を降りると小さな社があり、護摩を焚きここで送水神事を行い川の対岸にて送水文を読み上げて水送りの行を行う、と和尚は話す。この水が10日間地下水脈を通って東大寺二月堂の若狭井に流れ着くと言われている。

では何故若狭からでなければいけないのか。諸国の神々を勧請している中で若狭の遠敷明神でなければ「何故」いけないのか。私なりに考えてみた。

初めて修二会を行った時、「神名帳」を読み上げて諸国の神々を勧請した。という事はそれまでに全国の神々が東大寺かそれに相当する寺、または平城京の内部に登録されていた証しである。
「諸国の神々」とは言い換えれば諸国の情報を把握していた。その組織図によって銅像の銅の調達、金の発見がなされたのではと考えている。

冊子『ひらり枚方Vol・10』によると
天平21年(749)2月、奈良の都に入った知らせは、時の聖武天皇をたいそう喜ばせました。
「陸奥国ヨリ始メテ黄金ヲ貢ス」 その頃東大寺の大仏建立に力を注いでいた聖武天皇は、その塗金用の黄金の調達に頭を悩ませていました。
その様な時に日本国内で初めて金が産出されたという知らせが届いたのです。
黄金を貢いだのは百済王敬福(くだらのこにきし・きょうふく)、その時の陸奥守でした。

と記されている。

修二会より3年前に日本で初めて金が発見された。陸奥守の敬福によってであった。

これは考え方を変えれば、最初に金鉱脈の情報があって、百済系の金の採掘技術者集団が金を採取するのに都合が良い様にと、国からの代表者として百済一族のトップを陸奥守に据えたのではとも考えられる。(後にその恩賞として今の枚方に膨大な土地を賜ったとある。)

採取精錬された「金」は船で若狭小浜まで運び、ここで川舟に積み替え北川という川を東に向かって進む。今の熊川(江戸時代は熊川宿)まで川舟で、ここからは人力で峠を越えればもう琵琶湖。琵琶湖を船で湖東へ、ここからは人力で信楽から奈良へ、又のルートは琵琶湖を大津の石山寺あたりまで、川舟に積み替え瀬田川、宇治川、木津川と進めば奈良はもうそこ。

この二つのルートは古代より確立されていたはず。
またお水送りの神事が行われた遠敷川(おにゅうがわ)は水銀が産出される土地を表す「にゅう」の名が付く。ここでも金メッキに使用される水銀が多く産出されて先のルートによって東大寺まで運ばれたはず。

これはどうしても「物」の流れが、神事としてのお水送り、お水取り、と変化していったのでは。
また若狭小浜は海流に乗って朝鮮半島からの渡来人も多くあったとある。そしてその渡来人の高度な技術集団が水銀、金の産出、東大寺大仏造立に貢献したはず。

古代より若狭と奈良は繋がりがあったのでは、朝鮮半島よりの渡来人が上陸して大和へ向かったのも若狭から、租税や貢物も東北から北前船で若狭へ、そして先に記したルートで大和へ運んだのではと私は想像している。

だから、そこから諸国の神々と若狭の遠敷明神との扱い方の違いがあるのでは。

若狭北川上流の熊川には資料館もありその時々の川による輸送の資料が置いてある。熊川は、若狭から近江今津へ至る若狭街道(九里半街道)の宿場町であった、近江今津は琵琶湖の辺。

また時代が下って若狭から京都へは「鯖街道」としても有名、若狭で取れた鯖に塩をして背中に背負い一昼夜かけて京都に着く頃には丁度よい塩かげんの塩鯖が出来ていたと言われている。
若狭は奈良、京都とその時々の都とは深い繋がりがあった事がうかがえる。

そういう物の流れが神格化してお水送り、お水取りになったのではと私は考えている。
(おわり)


↓たきさんは、これまで書かれてきたエッセイを『東風に吹かれて』という文集にまとめられました。すでに第3集まで出されています。



文章はもちろんのこと、入力、装丁、製本まで、全てお一人で仕上げられました。
第1集は家族の歴史、第2集は禅に関すること、最新の第3集には、ご紹介した上記の文章も入っています。

実は、たきさんはお水送りだけではなく、東大寺連作のようなかたちで書かれています。

←第3集の目次





いずれも力作ですが、今回は神宮寺にちなみ、其の二だけのご紹介となりました。また機会があれば、他のも転載させていただきたいと思います。

第3集のほとんどは「かぎろひ掲示板」へ投稿くださったもの。

また、たきさんのたっての願いと厚意で、エッセイ集は掲示板の仲間に配布されました。

読んでみたい、と思われた方は、ぜひ掲示板へお越しくださって一言残していってくださいね。
もしかしたら、第4集が発行されたときには、ゲットできるかもしれません。

なーんて無責任な発言でした~^^;

「かぎろひ掲示板」の常連さんは、今のところ、ほとんどの方が奈良県外に在住の奈良好きさんという顔ぶれ。
楽しい情報交換などしています。
お仲間、大歓迎。よろしければ、どうぞ、ご遠慮なく書き込みくださいませ~


←神宮寺で入手した息災延命の鈴。

写真では“若狭神宮”に見えますが、“寺”の字が隠れてしまいました^^;

はからずも、神社のような、お寺のような、不思議な感じが出ましたね…

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Posted on 2012/01/30 Mon. 22:19 [edit]

category: 県外

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30

雪の若狭神宮寺 

関わっている団体の研修旅行で、1月27日から1泊で北陸路へ。
山代温泉で宿泊し、金沢21世紀美術館などを訪ねました。

かぎろひスタイルの1人旅では考えられない、スマートで豪華なバスツァー。
盛りだくさんな内容でしたが、まずは、奈良とも関連の深い話題から。

東大寺二月堂「お水取り」に対する「お水送り」行事で知られる小浜市の神宮寺さんへ立ち寄りました。
正式名称は「天台宗霊応山神宮寺」

訪ねたのは、雪の降りしきるまっただ中でした。




冷え込む本堂(冷暖房完備と笑わせた)で、ご住職の講話を聴きました。

その名前からもうかがえますが、神仏混淆の原型のような姿を残す神宮寺さん。
お寺で柏手をうってお参りしたのは初めて。

注連縄がはられています。




↓お茶室も雪の中




↓「お水送り」が厳粛に行われる閼伽井戸。
左の巨木は、推定樹齢500年の椎の木(スダジイ)〈小浜市指定天然記念物〉




「お水送り」が行われるのは3月2日。
10日かけて東大寺二月堂の若狭井へ達すると言われます。




ご住職の話では、ここ神宮寺からまっすぐ南へ平安京ー平城京ー熊野本宮がほぼ一直線で結ばれるとのこと。
興味深いですね。


大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI )


なぜ「お水送り」がここ若狭で行われるかということについては、諸国の神々が二月堂の行法に集まったとき、若狭の遠敷(おにゅう)明神だけが釣りをしていて遅れ、そのお詫びに閼伽水を献納することになったと伝えられていますが、ご住職の話を聞いていて、これには何か深い意味があるのだろうという思いにさせられました。

また、季節を変えてゆっくり訪ねてみたいものです。

ご本尊の薬師如来さまをはじめとする仏像群も、ほの暗い堂内で存在感を放っていました。
美しい十一面観音さまにもまたお会いしたいな。


※神宮寺についての説明→小浜市のHP

Posted on 2012/01/29 Sun. 01:08 [edit]

category: 県外

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29

雪の葛城古道 

1月25日、遅くなりましたがブックヨシダ(大和高田市)さんに『かぎろひの大和路』を納品させていただきました。28号と27号がお求めいただけます。

……………………………………………………………………………………………

↑大和高田市とはいえ、最寄り駅は近鉄南大阪線尺土駅。
このまま戻る手はないので、御所へ。一昨年よく通った御所市は、やはり懐かしく思い入れのあるまち。
ごせまちをぶらぶら歩いて鴨都波神社から蛇穴(さらぎ)の集落へ。野口神社におまいりし、27号の表紙に登場願った彩色の地蔵菩薩さんや樹齢300年の御所柿の木にも会いに行く。

それから、西へ、まっすぐ葛城古道をめざす。

↓24号線からちょっと西へ入った所で出合った風景。
わぁ、ススキよ、ススキ!→参考に。明日香村のススキ



どのへんかというとね、南から見ると、こんな感じ。



正面のこんもりしたのは、孝昭天皇陵。左手は三室の集落。

重厚な三室の家並みの中をぬけてゆるやかな坂道を行くと、目の前に金剛、葛城の山々が。



どんどん上っていくと、道にも雪。これは楢原あたりか。



調子にのって歩いていたら、葛城古道よりも上へ行ってしまい、久しぶりに駒形大重神社へ。
こちらの狛犬さん、愛嬌ものだって知ってました?



↓ねえねえ、ボクの帽子、似合う?




↓駒形大重神社の鳥居あたりからのぞむ大和三山



ずうっと目を東から南へ移していくと、あっ、吉野方面の雪山が!



このあたりで遊びすぎて、あとは急ぎ足^^;

↓九品寺



↓綏靖天皇の高丘宮跡あたりで




↓屋根に雪が残っていた長柄の民家



夕暮れが近づいてきたので、ここまで。
急いで24号線のバス停へ向かうと、まるでワタクシのためのようなタイミングでバスがきたので、ほんとにラッキーだった。
これを逃すと歩くしかなかったかも^^;

Posted on 2012/01/27 Fri. 07:33 [edit]

category: 御所市

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27

三輪、桜井でこんなこと、あんなこと 

1月23日、三輪、桜井で1日過ごしました。

JRまほろば線三輪駅前の「三輪座」さんに『かぎろひの大和路』を置いていただき、纏向在住のT先輩が購読の輪を広げてくれ、あちこちでいろいろな人にお会いし、また新しい興味深い情報を仕入れることもできたりしました。

今、思い出してもご縁のつながりと人情に、気持ちがほっこりしてしまいます。

では、この日のワタクシの足どりの始まり、始まりぃicon23

↓●三輪座さんの事務所のある“ギャラリー醸”(かもす)へ。
写真右は、三輪駅前の軽茶テラス 三輪座。こちらに『かぎろひの大和路』28号を置いていただきました(写真はどちらも2011年撮影)。

この話は、ワタクシのブログ友達kumaさんと三輪座のぴぴぴさんがお知り合いだったことで、とんとんと進みました。kumaさん、ぴぴぴさん、お世話になりました。ありがとうございました。




←ぴぴぴさんが編集されている『三輪座新聞』(毎月ぞろめの日発行)写真は2011年4月号。古いものですみません。
(クリックで拡大)



←ギャラリー醸の隣は今西酒造さん(写真は2010年撮影)。
前社長が若くして急逝されてから2か月。つらいものがありますが、思い切ってお訪ねしてみました。

すると奥様から思いがけない言葉が。
「ブログとかされてます?」
「ええ……??」
「最近、かぎろひさんのブログを見て来ましたとおっしゃる方が多くてね。この蔵にも、参道店のほうにも。うれしくて…」

びっくり。いちばんさみしい思いをしていらっしゃるはずの奥様から「うれしい」という言葉が聞けたことに、ワタクシ、泣きそうなくらいじわりと感激したのでした。

このブログを見て、今西酒造さんへ行ってお酒を買ってくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。
何よりの追悼になると思います。


←それから、遅ればせながら大神神社におまいりして











↓大美和の杜展望台へも足をのばしました。
金剛、葛城の山々はちょっとけぶっていました。雪?




↓久しぶりに若宮さん(大直禰子おおたたねこ神社)にも立ち寄ると、本殿前の橘の木がたくさんの実をつけていました。




この後、T先輩と合流して昼食。
中華の“ターボー”というお店に連れってくれました。
中華定食は、スープとご飯、小海老の天ぷら、酢豚、焼き豚、卵焼き、果物などボリューム満点でお安いのでビックリ。
もう13時だというのに、たくさんの人で賑わっていました。

先輩「全部食べるのは無理やから、ご飯を残すようにしたほうがええよ」
ワタクシ「なに、大丈夫」。
ほんとうに完食したので、先輩は目を丸くしていました。
なにせ“田川のカレー”を平らげたのですもの。というのがワタクシの大きな自信ですね。→その記事はこちら

あっ、写真とる余裕はなかったみたい^^;


↓食後、われらが団長さん(先輩のご主人)が、多忙なお仕事をぬって車であちこち回ってくれました。
先輩談「女性にはだいたい冷たい人やけど、かぎろひさんだけは特別やで」
感謝! ま、まさか、女性扱いされてないということでは、ありませんよね…^^;

←ここでのお話はとても興味深いものでした。

小麦収穫後の畑で大豆を栽培し、農家が共同でお味噌づくりをされています。
これについては、改めて取材させていただく予定です。
次の桜井特集で取り上げたい(っていつや^^;)


←お味噌をゲットしてきました。きっとおいしいはず。楽しみです。

またご報告しますね。

緑色に広がる小麦畑を見ながら桜井のまちへ。
「写真とりたいっ」と叫んだのですが、車は急に止まれない。


茶色トーンに染められた冬景色のなかで、小麦の緑色はほんとうにハッとするほど新鮮で魅力的。
また改めて撮りに行かなくちゃ。

栽培している小麦はそうめんに適する品種に変えつつあるというのも朗報ですね。


↓それから、「かずは最中」を作っていらっしゃる菓匠 松蒼庵というお店へ。



万葉=かずは、という命名からもわかるように、ご主人は万葉集や記紀にお詳しいようで、『かぎろひの大和路』も気に入ってくれるはず、というのが先輩たちの思いのようでした。ありがたいことです。

耳より情報ゲット。
なんとあのマルツベーカリーの「アンフライ」の餡はこちらで製造されているとのことです。→アンフライの記事
もともと餡屋さんなのだそうです。

「かずは最中」も「どら焼」も買ってきましたので、これも改めてご紹介しまーす。


この後、団長さんは仕事に戻られ、先輩とワタクシは桜井のまちをウロウロ。

同じ下宿でいた頃は、先輩、後輩という間柄もあったとはいえ、さほど親しいわけではなかったのに(卒業後も音信不通だったし)、まさか、奈良で今こうして一緒に歩いているなんて…不思議~。

先輩、団長さん、お世話になりました。ありがとうございました。

-- 続きを読む --

Posted on 2012/01/25 Wed. 23:20 [edit]

category: かぎろひの大和路

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25

2012年賀状から 

1月22日にお年玉付年賀はがきの当選番号が決定しましたね。
いかがでしたか。


←ワタクシのいただいた年賀状です。

数年前までは、夫のほうが多かったのですが、今年は明らかにワタクシのほうが分厚くて、「負けたな」と夫は素直に敗北宣言していました(競争しているわけではないのですけどね、ほほっicon22

一応、当選番号のチェックをして、それから、いただいた年賀状を1枚1枚読み直してみました。

読者の皆様に年賀状は出せていないのですが、それでもたくさんの方からいただき、恐縮するばかり。ありがとうございました。

ほとんどの方とは面識はありませんが、心のこもったひとことに大いに元気づけられたり、涙が出そうになったりするものもあります。

そのなかからご紹介したいと思います。

●東京都 Hさん
『かぎろひの大和路』は、命ある限り購読するつもりです。
無理をせず、でも待っている人がいることを忘れず、末永く取材してください。



●茨城県 Mさん
春になると「歌姫の里」を歩いてみたいと思います。
あの女(ひと)に出会うような、そんな期待があります。
いつまでも青年のような淡い気持ちが奈良を想うたびに湧きおきます。



●愛知県 Mさん
今年も奈良を歩きます。
五條ー御所方面がとても気に入っています。
久々に十津川方面も行ってみようと考えています。
もちろん室生の里も! 室生の春が好きです。



●東京都 Sさん
『かぎろひの大和路』何よりのクリスマスプレゼントです。
丸山三内へ行き、その年に吉野ヶ里へ行き、翌年茅部遺跡へ出かけました。
ほんとうにお元気でありがとうございました。安心しました。
ゆっくりと拝読させていただきます。とっても心ひかれる内容がいっぱいで愛読書の枠です。感謝。



●東京都 Mさん
たまにバックナンバーを取り出して読んでいます。
何回読んでも面白いです。


●愛知県 Kさん
今年も時間を見つけて、歴史の旅に出たいと思っています。


●愛知県 Iさん
「かぎろひ」いつもありがとうございます。
忘れた頃に届く! うれしいことですよ~。
皆様のご苦労を想いながら、お正月に読んでいます。


●静岡県 Yさん
もう一度、奈良へ行きたかったです。


●兵庫県 Iさん
楽しみにしていました『かぎろひの大和路』28号、楽しく読ませていただいています。
小生も奈良を訪ねるのは非常に楽しいものです。
しかし、年とともに行動がにぶく、以前のように訪ねることができず。
先日、久しぶりに秋篠寺その周辺を回ってきました。


●奈良県北葛城郡 Yさん
何度訪れても、御誌のお陰で新しい発見ができます。
歳とともに、誌上散策もまた楽しみのひとつです。
スタッフ皆様の卓越した熱意に感謝しております。



●秋田県 Hさん
二年目の定期検診も無事合格。
まだまだ? 光輝高齢者として脳内のプラチナコイルと仲良く生きられそうです。
今年も奈良へと心はうずく私。
いくら遅くでも結構、素敵な「かぎろひ」お待ち申します。
秋田に“おいであれ”
PC不慣れな私、帰省した息子が「お気に入り」に入れておいてくれたのを発見。
馬鹿の一つ覚えの婆さん、さっそく操作。
“出た、出た”なつかしい風景とていねいな説明が。
私も一緒に旅しているみたい。嬉しいです。



皆様、どうもありがとうございました。
うれしくて、うれしくて、何よりの励みになります。
今年はもう少し早めに発行できるように頑張りたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

Posted on 2012/01/24 Tue. 01:52 [edit]

category: かぎろひの大和路

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24

正暦寺から天理駅ハイキング 

1月9日、正暦寺で催された「菩提酛清酒祭」が終わってから、恒例の1人ハイキング♪

これまでは、北(奈良市街)へのルートを辿ってばかりだったので、南へ、天理駅をめざすことに。いわゆる「山の辺の道」の北コースと一部重なりますか、ね。

まず、地図からご覧ください。


大きな地図で見る

Aが正暦寺、Bが天理駅です。

直線距離では、弘仁寺がそのほぼ中間に位置していますが、歩いた感じでは、2:8ぐらいで弘仁寺から天理駅が長~く感じられました。

全体の印象としては、起伏あり、景色さまざま、道もいろいろ。

では、ざあっと歩いた順番にご紹介しましょう。

↓山中に似つかわしくないほどの堂々とした弘仁寺本堂。「十三まいり」で知られますね。

弘仁寺


西口へ出ると続く石段(裏参道)

弘仁寺階段


不安な気持ちで薄暗い石段をを下ると、のどかな里風景が広がってホッ。

弘仁寺から


それからしばらく自動車道を行きますが、やがて白川ダムへたどりつきます。
東の山並みと水面を見つめて深呼吸。わぁ、ええとこや。休憩~。
のんびりと釣り糸を垂れている人もいましたよ。



白川池にサヨナラをして(↓写真左)、名阪国道の下をくぐります。

名阪を

古墳群があるようです。


↓コース中、いちばん雰囲気のあるあたり。

白川池から



時間の都合もあり、石上神宮へは寄らず、そのままアーケードの商店街を抜けて天理駅へ。

この日は朝、窪之庄のバス停から正暦寺まで歩いたから、これも含めると、徒歩約10㎞ほどでしょうか。

Posted on 2012/01/22 Sun. 00:37 [edit]

category: ハイキング

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正暦寺 菩提酛清酒祭2012 

奈良は清酒発祥の地。

それまでの濁り酒(どぶろく)にかわり、室町時代に初めて清酒(澄み酒)がつくられたのが、奈良市東部山間にある、ここ正暦寺(しょうりゃくじ)だと言われています。

奈良の蔵元と奈良県工業技術センターの努力によって、当時の製法による酒母(菩提酛)づくりが成功したのは1999年のことでした。

もう13年になるのですね…。

現在は↓10社の蔵元さんによって醸されています。

菩提もと樽2012


「菩提酛清酒」は奈良を代表するお酒として、知名度も上がり、その濃醇なうまさは人気上昇中。

それを示すかのように、試飲販売コーナーでは、全てのお酒がそろっていませんでした。
完売で、蔵にもないのだそうです。

菩提もと試飲即売2012


一応全部試飲させていただいて、1本ゲットしました。


あ、これは1月9日、正暦寺で催された菩提酛清酒祭でのことです。

数年前から、お祭りのようなことになっていますが、実は菩提酛酒母仕込みの二度目の工程の日なんですね。
蔵元さんたちはすでに1月5日にお米を洗ったり、それをタンクに入れたりする作業をされていて、この日はそのお米を蒸したり、それを取り出して冷却したりします。


よく知ってるね、って?
へへ、一応全行程の体験をしましたからねっicon22 ってエラソーに^^;

当日は一緒に体験したKさんの姿もあり、「あれからもう何年になる?」「6年ぐらい?」「いやいや、もっとなるんちがう? ○○にいたときやから…」などと、思わず人生を振り返ったり…

ちょっと大げさでしたかね。7年前のようですよ、Kさん。ひえっ、んじゃ体験者による飲み会ももう7年続いているということやわ…^^;


大きな釜でお米が蒸されていくと、甘酸っぱいいい香りが漂って~♪

蒸し上がると、麻布の上で冷まします。冷却された米は、麹を入れたそやし水(乳酸酸性溶液)に入れられます。
そうして10日間ほど発酵、熟成されるというわけです。あっ、今日は20日ですから、そろそろ酒母が各蔵に分配される頃ですね。

お米は菩提山町で育てられたヒノヒカリ、精白60%、お寺の湧き水、そして、正暦寺乳酸菌、正暦寺菩提酛酵母。もちろん純米。

菩提もと2012



作業を見学しながら、お祭りのほうもしっかり楽しませていただきました。

餅つき大会
正暦寺餅つき


きなこ餅、おいし~
きなこ餅


菩提酛汁(粕汁)。あったまる~
菩提もと汁


ほこほこになったところで、本堂へお参りに行きました。

長い間、じっと手を合わせているお二人に胸をつかれました。

正暦寺本堂



冬枯れの季節のなかで、南天の赤い実って元気がもらえますね。

南天


最後に醸造祈願。無事においしいお酒ができますように。

醸造祈願

※昨年は行けなかったのですが、一昨年の様子はこちら



-- 続きを読む --

Posted on 2012/01/20 Fri. 16:55 [edit]

category:

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20

冬の日の般若寺 



1月18日、般若寺へ納品に行きました。

車だとさほどわからないかもしれませんが、自転車で行くと、このお寺がかなり高所に位置しているのを実感します。

何しろ1度に200冊ほど持っていくので(たぶん自転車ではこれが限界^^;)、できるだけ楽な道を選びたい。これまでに、いろいろなルートを試してみましたが、鴻ノ池経由がいちばん早くて楽という結論に達しました。

それでも、自転車を押さねばならない急坂が2か所。
最終の、奈良阪への上り道は、短いけれど急勾配で、ハァハァあえぎながら…。


けれども、お寺へつくと、しんどかったことはすっかり忘れてしまうから不思議。
石仏たちの慈顔に癒され、みるみる元気を取り戻すのです。
というよりは、もっと元気になっているカナ。坂道でかいた汗が爽快感と達成感に変わっているという単純さ!!


「耳をすませば、あなたのペダルを踏む音、聞こえたよ」「ちょっと遅かったやん」



大好きなお寺に『かぎろひの大和路』を置いていただける幸せを感じます。

で、役得で申しわけないのですが、ちょっとゆっくりさせていただきます。
「すいませーん、写真とかも撮らせていただいていいですかぁ」
「どうぞ、どうぞ」

冬の日のこの頃は、お寺全体がのんびーりした雰囲気にあふれています。
ユンボを操るご住職とか、そばで夫人がお庭を整えていらっしゃったりするのもこの時期ならではでしょうね。


ふと、真新しい歌碑がたくさん立っていることに気づきました。

←おっ玉骨や。
先日行った五條市の藤岡家住宅がこの方の生家でした。

昨年から、般若寺を詠んだ句碑(や歌碑)を立てているそうで現在、その数は19。

子規や鴎外もありました。



ちなみに、子規のは、
般若寺のつり鐘細し秋の風

中に、ご住職が詠まれた句もあるとか。
「わぁ、どれですかぁ」
「そんなん恥ずかしくて言えません」と住職夫人。

でも、ワタクシ、すぐに当てましたけどねicon22

般若寺へ行かれたら、句(歌)碑めぐりをして、一句ひねってみては。
触発されて名句が詠めるかも。

では、ワタクシも一句……
……アカン…出えへん…^^;
失礼しましたっ。


境内には、以前よりもベンチがたくさん用意されていました。
せっかく坂道登ってわざわざ来てくださる皆様に、どうぞ心ゆくまでゆっくりしていってください、というお寺さんの気持ちが感じられました。


※般若寺さんには、『かぎろひの大和路』下記の号を置いていただいています。
 9号(東大寺 創建前後と大仏造立)
10号 秋篠、押熊の里
11号 女人高野 室生寺
14号 西大寺から菅原の里
15号 大神神社と山の辺の道
16号 東大寺転害門から般若寺
17号 天武の皇子たち(2) 忍壁皇子とその弟妹
18号 郡山城跡と城下町 弥生時代から近世まで
19号 平群 古代豪族の跡をたどる
21号 元興寺界隈 奈良町(ならまち)
22号 唐古・鍵遺跡と三古社(田原本 たわらもと)
23号 飛鳥めぐり② 桧隈の里
24号 山の辺の道② 柳本古墳支群
25号 五條 歴史の交差点
26号 秋篠川 西岸に甍連ねる巨刹
27号 葛城の道② 伝承と史実のはざま
28号 三輪山と纏向遺跡 卑弥呼をたずねて

Posted on 2012/01/19 Thu. 13:08 [edit]

category: 大和の寺社

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第5回 ならまち演芸 

奈良市商店街振興会のお客様感謝イベント、人気シリーズの「ならまち演芸」が下記のとおり開催されます。

毎回、申し込みが殺到して抽選になるほどの人気なのですが…、ココダケの話…今回は出足が鈍そうなので、申し込んだら皆いけるのでは、と。

あっ、でもこれはあくまでも、ワタクシのダイロッカンってやつなので、もしもはずれるようなことがあったら、ごめんやしておくれやす…_(._.)_


←ポスター



◆日時:平成24年2月17日(金)
◆場所:ならまちセンター

●1部/開場12:00~ 開演12:30
●2部/開場15:30~ 開演16:00




■出演

露の新治(落語)
露の雅(落語)
豊来屋板里(太神楽曲芸)
暁照夫・光夫(音曲漫才)
幸助・福助(漫才)


入場無料のうえ、景品があたる抽選会などもあり、楽しめると思います。


お申し込みについては、奈良市商店街振興会のHPでどうぞ。

商店街備え付けのハガキ、普通の往復ハガキでも申し込めますが、今回はメールでもOKとなっています。

ご住所、ご氏名、年齢、性別、お電話番号と、
ご希望の時間帯(1部、2部、希望なし)、人数(2名までOK)、
を書いて、下記メールアドレスへお送りください。

Eメール naramachiengei@gmail.com

応募締め切りは、1月27日(金)必着となっています。


毎回、ほんとうに楽しくて、会場全体が爆笑につつまれます。

昨年、第4回の様子です。↓



そうそう、フレッシュな女性落語家、露の眞さんとの出会いもこのときでした。
当ブログ記事


ワタクシ、1部、2部とも写真班で入ります。

今、思い出しても笑えるエピソード、ちょっと聞いてくださいますか。

えっと、何回目かの「ならまち演芸」のときの話。
スタッフとして開場前からホールへ入るのですが、まだ誰もいないガランとした会場の、1つの座席に、ワタクシのリュックを置いておきました。
リュックにはカメラ一式と一脚など。

それが一瞬、離れた間に、リュックが忽然と消えてなくなったのです。
誰もいないのに、なんで? どこへ? 

←左はワタクシの一脚。
袋は、娘の幼稚園グッズを作った時の余り布を利用したものですが、紐を通すところまではできなかったので、ギュッと縛ってあります^^; 

一脚をリュックに入れると、ちょっと顔を出すんですよね。

これ、一脚に見えません?



どうやら、楽器とかバチとか? 出演者の持ち物に間違われたらしいのです。
出演者のお一人が勘違いされて、ワタクシのリュックは楽屋裏へ運ばれていたのでした。

「ならまち演芸」が催されるたび、狐につままれたようなあの瞬間の気持ちと、謎が解けて大笑いしたことなどを思い出して、やっぱり今でもクスリと笑ってしまうのです。

Posted on 2012/01/18 Wed. 00:48 [edit]

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念仏寺 陀々堂の鬼はしり 

五條市大津町にある念仏寺「陀々堂の鬼はしり」は、「題目立(だいもくたて)」(奈良市上深川)、「春日若宮おん祭の神事芸能」(奈良市春日野町)、「十津川の大踊り」(十津川村)に次いで、奈良県では4番目に国の重要無形民俗文化財に指定されています。

ちなみに奈良県内では現在、6つが国の重要無形民俗文化財の指定を受けていて、以上のほかには奈良豆比古(ならずひこ)神社の「翁舞(おきなまい)」(奈良市奈良阪町)、吉野の樽丸(たるまる)製作技術。


「陀々堂の鬼はしり」は、母の実家にも近そうなので毎年、意識するのですが、夜の9時からということになると、ちょっとひるんでしまい、なかなか行く機会がありませんでした。

今回も、夜は無理だけど、お寺の雰囲気だけでも味わっておきたい、準備なんかも進んでいるかもしれないし、というような気持ちで足を伸ばしたのです。







↓念仏寺。正面に見えているのが陀々堂




堂々たる茅葺きのお堂で、雰囲気ありますね。
何か神秘的な物語が始まりそうな気配があって、魅了されました。




お堂の拝観だけで、来た甲斐があったと思ったのですが、なんと「昼の鬼はしり」や「子ども鬼はしり」が行われるというのです(下調べ不足でしたかね^^;)。

←お堂前に貼られていた次第。




あ、さっきすれ違ったお坊様たちは、大般若経転読を終えられたところだったのですね。




鬼はしりは室町時代から続けられている行事で、今年で527回目だそうです。

↓昼の鬼はしりは、松明に火がついていません。




↓赤鬼はお父さん、青鬼はお母さん、茶鬼は子どもだそうで。



松明は1m20㎝と、東大寺修二会のように大きなものではありませんが、重さは60㎏!
鬼はこれを担いで堂内を3周します。

“鬼が駆け巡る”、とか“走り回る”といった表現をしている観光ガイドブックを見ますが、走り回るというイメージではありませんね。
そりゃ、持っているのが60㎏の松明ですからね、軽々走れるわけがありません。
ドシッ、ノシッと力強く歩き回る、という感じでしょうか。

あくまでも、昼の鬼はしりを見た印象ですが。

「はしり」というのは東大寺修二会と共通した意味あいがあるようです。

実忠和尚が笠置の山中で天上界に至り、地上でも同じような悔過法要を行うことにしましたが、天上界の1年は地上の400年に相当するところから、時間を埋めるために走って走って行をする、というあれですね。
というような説明がありました。

「鬼はしり」、正式には「阿弥陀悔過」。ご本尊の阿弥陀如来様に、過去の罪を懺悔して幸福を祈る法会とのこと。二月堂の「十一面悔過」と似ていますよねえ。
「陀々堂」も「“だったん”が行われる堂」というところからきた名称だそうです。


ちょっと調べていると、念仏寺は平安時代末期に東大寺領になっていたことがあるようです。
あるいはそんなことも二月堂修二会と関係しているのかなあとふと思ったりしました。
現在は真言宗無住寺院。


↓子ども鬼はしり。すべて子どもたちが主役です。




鬼の所作も堂々と。境内を埋め尽くした観衆から拍手がわきました。
次の時代への継承も大丈夫なようですね。




終了後は“福餅まき”がありました。
↓福餅を拾おうとする人たち。



↓まかれようとするお餅たち。




おっと、撮っている場合ではないっ。カメラをリュックにしまい、さぁ、拾うぞ!
最初はあまり飛んでこなかったのですが、頭に当たったり、いきなりドッと落ちてきたり。
結構、熱くなったかも。

数字の書いてあるお餅は景品があたるらしい。
うわっ、5等をゲット!
わぁ~と喜んでいたら、そばにいたおばさま「特等」ですって。
「いいことありますよ、今年は」

ポーズを決めてくれました。ブログアップ了承済みです。が、ブログ? って感じでした。ま、いいか。
じゃん。おめでとうございます~







というわけで、陀々堂の鬼はしりは、とても興味深く楽しかったのですが、消化不良という感じです。
夜本番の「鬼はしり」を見たくてたまらなくなりました。

←ポスターから。








実は、叔母の家が陀々堂とは吉野川を隔てた対岸にあることがわかりまして…^^;

いえね、叔母の家には何度も行っているのですが、陀々堂がこんなに近いことを知らなかったのです。
ひえぇ。ビックリです。
もちろん、この日、叔母の家を訪ね、来年の宿泊予約をしてまいりました~

来年は夜の鬼はしりを見て、そして、いつか五條特集②をするようなことがあったら、鬼はしりを支える皆様を取材させていただきたいと思います。松明もじっくり見てみたい。
などと、興味はつのるばかり。

どうかそのときは、よろしくお願いします。


念仏寺陀々堂の場所


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Posted on 2012/01/16 Mon. 21:43 [edit]

category: 五條市

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