かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
長谷寺駅から龍王山
10月30日、桜井市ウォーキングフェスティバルに参加しました。
5㎞、10㎞、16㎞、18㎞、20㎞、32㎞、史跡案内、体験・みかん狩りまで、幅広いコース設定があるのですが、ワタクシは歩きたかった18㎞に申し込んでありました。
←コース(クリックで拡大)
長谷寺駅から笠荒神へ上り、そこから龍王山へ、下山して上つ道を三輪の芝運動公園まで。
ざっとご紹介しますね。
ただ、中間地点に達するまでに雨が降り出し、カメラはリュックにしまったので、後半部の写真はあまりないのですが^^;
↓長谷寺駅前で。8時30分から受付。9時から出発式

↓長谷のまちなかを行くウォーカーたち

長谷路さんのご主人が店先にいらっしゃったので「ご無沙汰してまーす」「おお、久しぶりやな。なんや今日は」

立ち話をしていたら、だいぶ後方グループに^^;
↓初瀬ダムあたりの上り道。勾配はだんだん急になっていく

↓初瀬ダム

初瀬ダムまほろば湖近くで立っていらっしゃったスタッフの方。

桜井ウォーキングフェスティバルは、こういうボランティアスタッフの力が大きい。
各ポイントに立たれ、道案内や声かけのありがたいこと。「もうちょっとやで」「がんばって」の声が励みになりました。お疲れさまでした~
中間地点まであと一息。雨脚が強くなる。
↓いちばん楽しみだった龍王山からの眺めは視界ゼロ。トホホのホ。
リベンジに燃えるかぎろひでした。同行者モトム。

全行程のなかで、龍王山からの下り道がいちばんの難路でした。
「おめでとう」の声と完歩賞をいただきました。

この頃にはどしゃぶり。
先輩が仕切る“うどん・フランクフルト”のブースへ。
フランクフルトをおまけに付けてくれました。
おいしかった~

先輩「この会にずっと関わっているけど、こんな天気はじめてよ」
うっ、はじめて参加した雨女のせい? 誰や~^^;
「今年の実行委員長が雨男のせいよ」
誰のことかと思ったら、なんとワタクシが「団長さん」と呼ぶ先輩のご主人なのでした。
疲れも忘れて大笑い、しばしこちらでゆっくりさせていただきました。
皆様たいへんお疲れさまでした。お世話くださったスタッフの皆様に感謝です。ありがとうございました。
※同じコースに参加されて、出発前に挨拶することができたkozaさんの記事→こちら
※お会いできなくて残念だった、なむさいじょうさんの記事→こちら
※コース途中、笠の天満神社では秋祭りの真っ最中。興味深い神事を見学することができました。改めてご紹介したいと思います。
5㎞、10㎞、16㎞、18㎞、20㎞、32㎞、史跡案内、体験・みかん狩りまで、幅広いコース設定があるのですが、ワタクシは歩きたかった18㎞に申し込んでありました。

長谷寺駅から笠荒神へ上り、そこから龍王山へ、下山して上つ道を三輪の芝運動公園まで。
ざっとご紹介しますね。
ただ、中間地点に達するまでに雨が降り出し、カメラはリュックにしまったので、後半部の写真はあまりないのですが^^;
↓長谷寺駅前で。8時30分から受付。9時から出発式

↓長谷のまちなかを行くウォーカーたち

長谷路さんのご主人が店先にいらっしゃったので「ご無沙汰してまーす」「おお、久しぶりやな。なんや今日は」

立ち話をしていたら、だいぶ後方グループに^^;
↓初瀬ダムあたりの上り道。勾配はだんだん急になっていく

↓初瀬ダム

初瀬ダムまほろば湖近くで立っていらっしゃったスタッフの方。

桜井ウォーキングフェスティバルは、こういうボランティアスタッフの力が大きい。
各ポイントに立たれ、道案内や声かけのありがたいこと。「もうちょっとやで」「がんばって」の声が励みになりました。お疲れさまでした~
中間地点まであと一息。雨脚が強くなる。
↓いちばん楽しみだった龍王山からの眺めは視界ゼロ。トホホのホ。
リベンジに燃えるかぎろひでした。同行者モトム。

全行程のなかで、龍王山からの下り道がいちばんの難路でした。
「おめでとう」の声と完歩賞をいただきました。

この頃にはどしゃぶり。
先輩が仕切る“うどん・フランクフルト”のブースへ。
フランクフルトをおまけに付けてくれました。
おいしかった~

先輩「この会にずっと関わっているけど、こんな天気はじめてよ」
うっ、はじめて参加した雨女のせい? 誰や~^^;
「今年の実行委員長が雨男のせいよ」
誰のことかと思ったら、なんとワタクシが「団長さん」と呼ぶ先輩のご主人なのでした。
疲れも忘れて大笑い、しばしこちらでゆっくりさせていただきました。
皆様たいへんお疲れさまでした。お世話くださったスタッフの皆様に感謝です。ありがとうございました。
※同じコースに参加されて、出発前に挨拶することができたkozaさんの記事→こちら
※お会いできなくて残念だった、なむさいじょうさんの記事→こちら
※コース途中、笠の天満神社では秋祭りの真っ最中。興味深い神事を見学することができました。改めてご紹介したいと思います。
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30
焼きモンブラン
10月27日、奈良ロイヤルホテルでH総支配人さんにお会いしたところ「おいしいお菓子、できたんですよ。ぜひ召し上がってみてください」。
試行錯誤を重ねて、このほど登場したばかりの自信作なのだそうです。
恐縮しながらも、うれしくご馳走にあいなりました♪
新作の「焼きモンブラン」

聞いてイメージしたお菓子とはずいぶん違うような…。
しっとりした食感、香ばしい栗の味わい、うーん、これは初体験のおいしさかも。
蜜漬けにした渋皮付きの栗と、それを包む焼き栗ペーストの生地。
深まる秋の風情も感じられて、シアワセ~な気持ちになりました。

←後ろ姿はちょっとキュート^^
洋菓子のような、和菓子のような味わい。
ホテルではコーヒーといただきましたが、お煎茶にもお抹茶にも合いそうな感じ。
それを確かめたくて、いやいや、ほんとのところはもうちょっと食べたくて、お土産に(ほぼ自分用^^;)買ってしまいました。
シックな箱に5個入り
日本茶でいただきました。やはり合います、ね。

甘さをおさえた上品な味わいは、ふふ、吟醸酒やワインにも合うのではないかなあ、とチラリと脳裏をかすめたのでした。
これも試さなくちゃ。あっ、んじゃ、また買いに走らないとっ!!
※「焼きモンブラン」は1つ250円
箱入り(5個)1300円
※奈良ロイヤルホテル
〒630-8001
奈良市法華寺町254-1
TEL.0742-34-1131 FAX.0742-34-3231
http://www.nara-royal.co.jp/
試行錯誤を重ねて、このほど登場したばかりの自信作なのだそうです。
恐縮しながらも、うれしくご馳走にあいなりました♪
新作の「焼きモンブラン」

聞いてイメージしたお菓子とはずいぶん違うような…。
しっとりした食感、香ばしい栗の味わい、うーん、これは初体験のおいしさかも。
蜜漬けにした渋皮付きの栗と、それを包む焼き栗ペーストの生地。
深まる秋の風情も感じられて、シアワセ~な気持ちになりました。

←後ろ姿はちょっとキュート^^
洋菓子のような、和菓子のような味わい。
ホテルではコーヒーといただきましたが、お煎茶にもお抹茶にも合いそうな感じ。
それを確かめたくて、いやいや、ほんとのところはもうちょっと食べたくて、お土産に(ほぼ自分用^^;)買ってしまいました。
シックな箱に5個入り

日本茶でいただきました。やはり合います、ね。


甘さをおさえた上品な味わいは、ふふ、吟醸酒やワインにも合うのではないかなあ、とチラリと脳裏をかすめたのでした。
これも試さなくちゃ。あっ、んじゃ、また買いに走らないとっ!!
※「焼きモンブラン」は1つ250円
箱入り(5個)1300円
※奈良ロイヤルホテル
〒630-8001
奈良市法華寺町254-1
TEL.0742-34-1131 FAX.0742-34-3231
http://www.nara-royal.co.jp/
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28
大門青空市

地元奈良阪の新鮮野菜が100円、そして人気の古本市、あの「大門玉手箱」も参加されます。
野菜は売り切れ次第終了ですが、大門玉手箱は16時まで。
↑は、地元の商店街「手貝通り商進会」が初めて試みるおもてなしイベントです。
奈良市内31商店街で組織する「奈良市商店街振興会」が、今年、創立35周年を迎えたのを機に、「手貝通り商進会」でも何かしようと発奮して企画されました。
↓さる10月7日に行われた、奈良市商店街振興会の創立35周年・法人化20周年記念式典(写真は挨拶される正木会長)

ワタクシも写真班で参加していたのですが、このとき、「手貝通り商進会」の方からこのイベントのことを聞き「取材に来てよ」と言われていたのです。
ワタクシ、そのイベントの内容はともかく(すいません)、「わぁ、転害門の前のあそこでですかぁ!」。
転害門前広場ということだけで、かなりテンション上がってしまいました。
この国宝の門の前でこのようなイベントが行われるなんて、前代未聞ではありませんか!?
地元商店街ということで、東大寺さんから特別に許可がおりたのだそうです。
というわけで、本日、手貝通り商進会の辻村理事長さんのところへお話を聞きに行ってまいりました。
このあたり、かつては奈良と京都を結ぶ街道としてたいへん賑わったといいます。
今は車の激しい往来があるばかりで人通りは少なく「疲弊するいっぽう…」(理事長)だけれど、もう一度賑わいを呼び戻したいという商店街の皆さんの気持ちがこのイベントにはこめられています。
その昔は、旅館があり店が並び、酢の醸造所などもあったそうです。
確かにさみしい通りではありますが、ゆっくり歩いてみると、往時の面影も感じられて、押上町(おしあげちょう)あたりへとゆっくりと上る坂道の風情など、ワタクシはひそかに好きですね。
↓転害門(2010年4月21日撮影)

課題は多いようですが、国宝の門の前で行われるイベントなんてそうそうあるもんじゃあありませんよね。時は「正倉院展」まっただ中。
全国区へ発展するイベントになる可能性を秘めているのではないでしょうか。
「きたまち」には最近、個性的な店が増え、魅力発信される方もたくさんいらっしゃいます。期待したいと思います。
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26
西大寺駅から新大宮
スロー発行の『かぎろひの大和路』、さらに遅れています。いつも以上にお待たせすると思います。申しわけありません。
目下、ラストスパート状態に入ってはいるのですが、なぜか別件仕事が続いていて、集中できない状況です。
今のところ、かぎろひ誌の編集作業と並行するようなかたちで進めてはいるのですが、締切間際の2日間ぐらいは別件のほうにかかりきりになるというような感じです。
休日返上で仕事三昧の毎日です。
ところがここにきてとても気になることがあります。
実は、この30日に、桜井市ウォーキングフェスティバルで18㎞の部にエントリーしています。
もともと、いささか不安があったのに、最近はとんと歩いていないので、かなり心配になってきたのです。
かぎろひさんはいつも歩いているから、とよく言われるのですが、いったん取材が終わり編集作業のみになると、とんでもない生活に。数日間1歩も外へ出ないということもある、ほぼひきこもり状態と申しましょうか…
が、30日の18㎞を思うと、さすがに不安がつのってきました。
こころなしか、筋肉も弱くなっているような^^;
で、今日は、所要で西大寺へ行った帰り、新大宮まで歩くことにしました。
秋の空を見上げながらポクポクふわふわ歩いてまいりました。
空に焦点をあてた写真をいくつか。
←水上池
↓ウワナベ(右)、コナベ

24号線へ出ると。
車はびゅんびゅん走っているのに、西を向くと、わぁ、すすきのはら。向こうは生駒山。

↓一条高校の上(左)にも、奈良ロイヤルホテルの上にも秋の空が広がっていました。

奈良の魅力って、空が広いことだとよく言われますね。まさにそれを実感したひとときの散歩となりました。
こんな空の下を歩いていると、焦っていた気持ちもすっかり開放されて、わーい。って、いいんだか、わるいんだか…(^_^;)
↓おなじみの佐保川までたどりつくと

わぁもうこんなに紅葉しているんや。
やっぱりちょっと焦るのでした。
今日はいいこといっぱいあったし(ナイショ)、がんばりまーす。
目下、ラストスパート状態に入ってはいるのですが、なぜか別件仕事が続いていて、集中できない状況です。
今のところ、かぎろひ誌の編集作業と並行するようなかたちで進めてはいるのですが、締切間際の2日間ぐらいは別件のほうにかかりきりになるというような感じです。
休日返上で仕事三昧の毎日です。
ところがここにきてとても気になることがあります。
実は、この30日に、桜井市ウォーキングフェスティバルで18㎞の部にエントリーしています。
もともと、いささか不安があったのに、最近はとんと歩いていないので、かなり心配になってきたのです。
かぎろひさんはいつも歩いているから、とよく言われるのですが、いったん取材が終わり編集作業のみになると、とんでもない生活に。数日間1歩も外へ出ないということもある、ほぼひきこもり状態と申しましょうか…
が、30日の18㎞を思うと、さすがに不安がつのってきました。
こころなしか、筋肉も弱くなっているような^^;
で、今日は、所要で西大寺へ行った帰り、新大宮まで歩くことにしました。
秋の空を見上げながらポクポクふわふわ歩いてまいりました。
空に焦点をあてた写真をいくつか。

↓ウワナベ(右)、コナベ

24号線へ出ると。
車はびゅんびゅん走っているのに、西を向くと、わぁ、すすきのはら。向こうは生駒山。

↓一条高校の上(左)にも、奈良ロイヤルホテルの上にも秋の空が広がっていました。

奈良の魅力って、空が広いことだとよく言われますね。まさにそれを実感したひとときの散歩となりました。
こんな空の下を歩いていると、焦っていた気持ちもすっかり開放されて、わーい。って、いいんだか、わるいんだか…(^_^;)
↓おなじみの佐保川までたどりつくと

わぁもうこんなに紅葉しているんや。
やっぱりちょっと焦るのでした。
今日はいいこといっぱいあったし(ナイショ)、がんばりまーす。
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24
桧原御休処

山の辺の道を歩いた人なら、みんな知っているのではありませんか、このお店。
ワタクシも、何人かと歩いたときは、必ずといっていいくらい、立ち寄っています。
桧原神社のすぐのところにある、そうあそこです。
「桧原御休処」っていうそのまんまの名前なんや、とこのほど初めて知りました。

桧原神社のしめ縄の横に見える瓦屋根がそうです。
自然と一体化したこの開放感がいいですね。

休日ともなると、たくさんの人でいっぱいになります。
写真は9月29日(木)の午前中。
この日、朝が早く、あんパン1つしか食べてこなかったワタクシ、空腹を感じて早めの昼食をとることにしました。
いつもは飲み物をいただいて休憩するだけなので、ご飯ものは初めて。
↓にゅうめんセット

炊き込みご飯と自家製野菜の煮物などがついていました。
何のてらいもなく素朴な味わいですが、やはり本場のそうめんはおいしいですね。
今年春、ここで、にゅうめん大好きな娘が食べようかどうしようか迷い迷って結局、同行のみんなに合わせて飲み物にしたことを思い出して、ふふ、ニヤリ。
娘よ、代わりにハハが食べたからね。


季節によっていろいろ替わります。
ビールや日本酒もあり。三輪の地酒、今西酒造の「みむろ杉」というのもうれしいな。
あ、まさかワタクシは飲んでませんよ。
でも、暮れなずむ頃にこんなところで夕日を見ながら飲むのはいいだろうなとは思いましたけどね^^;
お店はいつ頃からあるのですか、と聞いてみたら、今の女店主、池田さんのご両親が始められたのだそうです。
最初は、お店というよりも、山の辺の道を歩く人に休憩してもらうだけの場所だったとか。それが、リクエストに応えるようなかたちで、メニューができていったらしい。
「私はまだ子どもで、たしかファンタグレープが発売になった頃」のこと、なんですと。
っていつなん? 「ファンタグレープ発売」で検索してみたら1958年ということがわかりました。
ご両親が歳をとってお店に出られなくなって、娘さんがお勤めをやめてバトンタッチされたとお聞きしました。
桧原御休処でおなかも心も満たされて、さあ、大神神社までもう少し歩きましょう。
※桧原御休処
〒633-0001
桜井市三輪桧原1330
TEL0744-43-7633
http://www.geocities.jp/ribaraoyasumidokoro/
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23
奈良市観光センター模様替え
10月21日、久しぶりに奈良市観光センターへ入ってビックリ。

広々とした空間にさまがわりしていました。

奈良特産品などの展示ケースが取っ払われて、たくさんの人にゆったりしていただけるようになっています。
以前は陳列だけでここで買うことはできませんでしたから、こちらのほうが気が利いていると思いまーす。
奈良で発行されている出版物は多種置かれています。
『かぎろひの大和路』もよろしく~。バックナンバー(14号から)がお求めいただけます。

と、↑を見て、ん? 欠本があるかも、と今、気づきました。15~17、19、24が無い!(撮ったときに確認せえよ)。切らしていたら、すみませーん。
ハッ、早く仕上げてしまわないと! やぶ蛇やった^^;
目下、最終作業中です(と言いたいところなのですが、別件仕事に追われていて手がつけられない状態です)。
28号、もうしばらくお待ちくださいますように<(_ _)>

広々とした空間にさまがわりしていました。

奈良特産品などの展示ケースが取っ払われて、たくさんの人にゆったりしていただけるようになっています。
以前は陳列だけでここで買うことはできませんでしたから、こちらのほうが気が利いていると思いまーす。
奈良で発行されている出版物は多種置かれています。
『かぎろひの大和路』もよろしく~。バックナンバー(14号から)がお求めいただけます。

と、↑を見て、ん? 欠本があるかも、と今、気づきました。15~17、19、24が無い!(撮ったときに確認せえよ)。切らしていたら、すみませーん。
ハッ、早く仕上げてしまわないと! やぶ蛇やった^^;
目下、最終作業中です(と言いたいところなのですが、別件仕事に追われていて手がつけられない状態です)。
28号、もうしばらくお待ちくださいますように<(_ _)>
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22
国津神社の大黒天
10月8日、桜井市箸中にある国津神社の秋祭宵宮で、長時間にわたって取材させていただいた翌日、この地に住まわれている方からお電話を頂戴しました。ワタクシの連絡先を知っていそうな方にお尋ねされて、わざわざご連絡くださったのです。参考になるかもしれない資料をお見せしたいというありがたいお言葉でした。
最終取材の10月12日、その方のお宅にもお邪魔しました。
こちらのお家の前は何度も歩いていて、どしりとした風格ある旧家のたたずまいを見るのも楽しみの1つだったので、中に入れるのが何だかうれしい♪
紹介せずにはいられない写真があり、でもご迷惑がかかるといけないので、あえてお名前は伏せさせていただきます。まあ、地元の人ならすぐにわかると思いますけど(笑)
昔は蔵が6つあったというお屋敷。
お話をうかがった応接間だけが手を入れられて現代風。昔は女中部屋だったとか。

門を入ったところには“嫁入り籠”が!
おおばあさまがこれでお嫁入りされたとか。

300年前の擬宝珠が歴史博物館から戻ったばかりという話も出るなど、一気に時代旅行ができそうな感じになりました。
資料をコピーしてくださっていたり、お預かりしてきたものもあります。
長期間にわたって桜井市内の取材を続けてきましたが、お会いした方々の共通した印象を一口で言うと、“おおらかさ”でしょうか。コセコセした感じがまるでなくて、皆さんおおらかに親切でした。
三輪山に守られ、古代から変わらない風景のなかではぐくまれてきた豊かな心がDNAとして脈々とこの地の人々に伝えられているのではないかと思ったりしました。

お借りしてきた資料は記事を書くのに参考になりましたが、それとは別に興味深い記録を見つけました。
社務所に掲げられていた写真です(2011年8月23日撮影)

このカッコイイ風貌、ご存じの方も多いかと思いますが、松尾寺の「大黒天」(重要文化財)ですよね。
この像、もとは国津神社のものだったというのです。松尾寺に寄贈されたことが書かれていました。
「大黒天縁起」というのもあるようです。
しかしながら、いつの話?
「大黒天縁起」はいずこに?
大黒天像とともに松尾寺へ贈られた?
わからないこと、知りたいことがいっぱい。
お借りした資料は昭和58年(1983)に、何かを見て書写された感じなので、原本を見ないことには確かなことは言えませんね。
そういえば、国津神社の境内には「大黒天社」もあったぞ。
追っかけるテーマがまた1つ増えた気がしています。
こちらのお宅にもまたお聞きするつもりですが、何かご存じの方がいらっしゃっいましたら、ご一報お待ちしております!!
おっと、目の前の仕事、いそがなくっちゃ^^;
最終取材の10月12日、その方のお宅にもお邪魔しました。
こちらのお家の前は何度も歩いていて、どしりとした風格ある旧家のたたずまいを見るのも楽しみの1つだったので、中に入れるのが何だかうれしい♪
紹介せずにはいられない写真があり、でもご迷惑がかかるといけないので、あえてお名前は伏せさせていただきます。まあ、地元の人ならすぐにわかると思いますけど(笑)
昔は蔵が6つあったというお屋敷。
お話をうかがった応接間だけが手を入れられて現代風。昔は女中部屋だったとか。

門を入ったところには“嫁入り籠”が!
おおばあさまがこれでお嫁入りされたとか。

300年前の擬宝珠が歴史博物館から戻ったばかりという話も出るなど、一気に時代旅行ができそうな感じになりました。
資料をコピーしてくださっていたり、お預かりしてきたものもあります。
長期間にわたって桜井市内の取材を続けてきましたが、お会いした方々の共通した印象を一口で言うと、“おおらかさ”でしょうか。コセコセした感じがまるでなくて、皆さんおおらかに親切でした。
三輪山に守られ、古代から変わらない風景のなかではぐくまれてきた豊かな心がDNAとして脈々とこの地の人々に伝えられているのではないかと思ったりしました。

お借りしてきた資料は記事を書くのに参考になりましたが、それとは別に興味深い記録を見つけました。
社務所に掲げられていた写真です(2011年8月23日撮影)

このカッコイイ風貌、ご存じの方も多いかと思いますが、松尾寺の「大黒天」(重要文化財)ですよね。
この像、もとは国津神社のものだったというのです。松尾寺に寄贈されたことが書かれていました。
「大黒天縁起」というのもあるようです。
しかしながら、いつの話?
「大黒天縁起」はいずこに?
大黒天像とともに松尾寺へ贈られた?
わからないこと、知りたいことがいっぱい。
お借りした資料は昭和58年(1983)に、何かを見て書写された感じなので、原本を見ないことには確かなことは言えませんね。
そういえば、国津神社の境内には「大黒天社」もあったぞ。
追っかけるテーマがまた1つ増えた気がしています。
こちらのお宅にもまたお聞きするつもりですが、何かご存じの方がいらっしゃっいましたら、ご一報お待ちしております!!
おっと、目の前の仕事、いそがなくっちゃ^^;
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21
国津神社の秋祭 宵宮② 宮座神事
国津神社(桜井市箸中)には昔からの宮座組織が今もなお健在だ。地域の全ての人が加入しているのではなく、代々限られた座筋の家のみで運営されている。
国津神社の場合は、左座と右座の2つ。左座は主分講(しゅぶんこう)、右座は敬神講(けいしんこう)と言う。前者は神道に関わる座、後者は寺院に関係しており、仏(ぶつ)と呼ばれていた。
両座とも約20軒で構成。2座は別々の組織で、普段はそれぞれに動いているが、秋祭は両座の十人衆が拝殿に集う。

神様からみて左側(拝殿向かって右側)に左座(主分講)の十人衆、反対側に右座(敬神講)の十人衆が座る。神官さんや巫女さんが座る位置は毎年、左座と右座を交代。今年は右座にお座りだった。
十人衆というのは、年長者の10人を指す。最年長者が一老で、年齢順に二老、三老…と続く。
秋祭宵宮の10月8日、神事は5時30分から始まったのだが、早い時間から、それぞれの当家(とうや)さんが荷物を持って来られ準備を始めていた。
当家さんは、お世話役のような係で、毎年順番に交代していく。
↓前年に撮った写真を見ながら神饌の準備などを進めていらっしゃったのは、敬神講の当家、中森さん。4老の息子さんとか。

拝殿には女性は上れないことになっている。
息子さんがいらっしゃる場合はいいのだが、主分講の当家、中田さんは娘さんばかり。奥様と娘さんは外で準備を進め、拝殿では、7老さん自らが作業をされていた。↓

そうそう、ワタクシも一応女性なので、お祭りを仕切る責任者の方から申し訳なさそうに「拝殿に上って取材はしていただけないのです」と言われていた。もちろん、女性でなくても、拝殿に上がらせてもらうつもりなど、毛頭なかったのだが。
夕刻になると、十人衆の皆様が集まってこられた。
「あっ!」
「おっ! 取材にきてくれたんか、そうかそうか」と声をかけてくださったのは、奈良県三輪素麺工業協働組合の前理事長、植田さん。ワタクシ、ずいぶん前から存じ上げていて、いろいろお世話になった方。なんと、主分講の1老さんだった。
1老さんは、十人衆の中でもいちばんエライ方で、1老の声で一連の神事が執り行われていく、まあ神様に次ぐ存在と言っていいのカナ。
そこへいらっしゃったのが、このほど初めて十人衆入りしたとおっしゃる的場さん。十老さん、さすがにお若い。
↓あ、1老さんと10老さん、ツーショットの写真を撮らせてください。ブログに載せていいですか。
旧知の間柄という親しさもあって矢継ぎ早に承諾を得る^^;

昔は、紋付きの羽織袴姿で参集したとか。
主分講の当家さんに、ご苦労などをお聞きした。
直会(なおらい)は仕出し料理でとなり、昔ほどの大変さはなくなったとはいえ、ずいぶん神経を使われたようだった。
↓たとえば、必ず用意しなければいけない枝豆。
この日のために何度も植えたが、タイミングよくいかなかったとか。結局、ネットで取り寄せたのだという。
ちぎり豆1人宛10~15さやと、右は枝つき3本。

枝付きは、大きな釜で、うまく茹で上げるのが大変だったとおっしゃっていた。
この3本の枝豆は「当家渡し」(当家引き継ぎの行事)に必要なもので、1老、次の当家、今の当家の分という意味があるそうだ。
拝殿に、両座の十人衆が着座すると、宵宮祭が始まる。神官による祝詞奏上、巫女による神楽舞奉納、全員での大祓詞の唱和などが行われていた。
暗くなるにつれて、次々と家族連れなどがお参りにくる。
そのたびに巫女さんが鈴でお祓いをする。

その間、十人衆はお茶を飲みながら歓談。
ワタクシが外から写真を撮ったりしていると、奥に座っていらっしゃる1老さんが、なんと手招きしているではないの。どうも、上がっておいで、とかおっしゃっている、ようなのだ。
ま、まさか。
ワタクシは、ダメダメですよ、という身振りを返しつつ、あ~、とんでもないことやわと、一旦は身を隠す。
しばらくして、そおっと、拝殿のほうをのぞくと、今度は大きな声で「ここへ上がって来!」。
まいったなぁ。こう見えても一応女性ですよ、そんなことできるわけないっしょ
とひたすら固辞していると、他の十人衆の方が「1老さんがおっしゃったらいいのです。1老さんの発言は絶対なんですから! どうぞ上がってください!!」
ひえっ。
それでも、女性はダメだという掟に背いてばちが当たってもヤだしね。ねえ。
困って当家さん母娘に助けを求めると「私らはダメですけど、報道ということでいいんじゃないですか」
他の十人衆の方も「女はアカン言うても、巫女さんもいてはるし、大丈夫、大丈夫」
思いがけない展開になって、もうここまできたら、逃げることができなくなってしまった。
が、1人でも反対の方がいらっしゃったらやめようと、皆さんのお顔を見て「上がらせていただいてもよろしいですか」
皆さんニコニコしてうなずいてくださったので、よしっ、失礼しまーす。
結果的には、上がらせてもらったのはとても貴重な機会で、拝殿から見る景色は外から見ているのとはずいぶん違っていた。
↓左座エリアから右座をのぞむ。目の当たりに、巫女さん。

↓拝殿の天井に吊ってある提灯は、十人衆がこの日持ってきたもの。各自、自分の提灯を持っているのだ。

このたび十人衆入りすることが決まったばかりの的場さんは「提灯をつくる間もなくて…」
↓神饌。「撮っていいですか」。外からでは奥のほうがわからなかったのだ。

皆さんの写真も撮らせていただく。
↓1老の植田一隆さん、2老の的場一起さん、3老の、過日いろいろ教えていただいた的場好之さん

お参りの人が途絶えた8時頃、巫女さんは役目を終えて帰られ、それから直会が始まる。
すっかり遅くなりそうだったので、直会が始まる前に、ワタクシも失礼することに。
「1老さんの家に泊めてもらったらええやないの」という声も聞こえていたりして…^^;
人情の厚さを感じた1日。
昼間とちがって夜風は冷たかったけれど、心にポッと温かいものを感じながら暗い道を急いだのだった。
※国津神社に関する当ブログ記事→2つの国津神社 秋祭宵宮祭①
国津神社の場合は、左座と右座の2つ。左座は主分講(しゅぶんこう)、右座は敬神講(けいしんこう)と言う。前者は神道に関わる座、後者は寺院に関係しており、仏(ぶつ)と呼ばれていた。
両座とも約20軒で構成。2座は別々の組織で、普段はそれぞれに動いているが、秋祭は両座の十人衆が拝殿に集う。

神様からみて左側(拝殿向かって右側)に左座(主分講)の十人衆、反対側に右座(敬神講)の十人衆が座る。神官さんや巫女さんが座る位置は毎年、左座と右座を交代。今年は右座にお座りだった。
十人衆というのは、年長者の10人を指す。最年長者が一老で、年齢順に二老、三老…と続く。
秋祭宵宮の10月8日、神事は5時30分から始まったのだが、早い時間から、それぞれの当家(とうや)さんが荷物を持って来られ準備を始めていた。
当家さんは、お世話役のような係で、毎年順番に交代していく。
↓前年に撮った写真を見ながら神饌の準備などを進めていらっしゃったのは、敬神講の当家、中森さん。4老の息子さんとか。

拝殿には女性は上れないことになっている。
息子さんがいらっしゃる場合はいいのだが、主分講の当家、中田さんは娘さんばかり。奥様と娘さんは外で準備を進め、拝殿では、7老さん自らが作業をされていた。↓

そうそう、ワタクシも一応女性なので、お祭りを仕切る責任者の方から申し訳なさそうに「拝殿に上って取材はしていただけないのです」と言われていた。もちろん、女性でなくても、拝殿に上がらせてもらうつもりなど、毛頭なかったのだが。
夕刻になると、十人衆の皆様が集まってこられた。
「あっ!」
「おっ! 取材にきてくれたんか、そうかそうか」と声をかけてくださったのは、奈良県三輪素麺工業協働組合の前理事長、植田さん。ワタクシ、ずいぶん前から存じ上げていて、いろいろお世話になった方。なんと、主分講の1老さんだった。
1老さんは、十人衆の中でもいちばんエライ方で、1老の声で一連の神事が執り行われていく、まあ神様に次ぐ存在と言っていいのカナ。
そこへいらっしゃったのが、このほど初めて十人衆入りしたとおっしゃる的場さん。十老さん、さすがにお若い。
↓あ、1老さんと10老さん、ツーショットの写真を撮らせてください。ブログに載せていいですか。
旧知の間柄という親しさもあって矢継ぎ早に承諾を得る^^;

昔は、紋付きの羽織袴姿で参集したとか。
主分講の当家さんに、ご苦労などをお聞きした。
直会(なおらい)は仕出し料理でとなり、昔ほどの大変さはなくなったとはいえ、ずいぶん神経を使われたようだった。
↓たとえば、必ず用意しなければいけない枝豆。
この日のために何度も植えたが、タイミングよくいかなかったとか。結局、ネットで取り寄せたのだという。
ちぎり豆1人宛10~15さやと、右は枝つき3本。

枝付きは、大きな釜で、うまく茹で上げるのが大変だったとおっしゃっていた。
この3本の枝豆は「当家渡し」(当家引き継ぎの行事)に必要なもので、1老、次の当家、今の当家の分という意味があるそうだ。
拝殿に、両座の十人衆が着座すると、宵宮祭が始まる。神官による祝詞奏上、巫女による神楽舞奉納、全員での大祓詞の唱和などが行われていた。
暗くなるにつれて、次々と家族連れなどがお参りにくる。
そのたびに巫女さんが鈴でお祓いをする。

その間、十人衆はお茶を飲みながら歓談。
ワタクシが外から写真を撮ったりしていると、奥に座っていらっしゃる1老さんが、なんと手招きしているではないの。どうも、上がっておいで、とかおっしゃっている、ようなのだ。
ま、まさか。
ワタクシは、ダメダメですよ、という身振りを返しつつ、あ~、とんでもないことやわと、一旦は身を隠す。
しばらくして、そおっと、拝殿のほうをのぞくと、今度は大きな声で「ここへ上がって来!」。
まいったなぁ。こう見えても一応女性ですよ、そんなことできるわけないっしょ

ひえっ。
それでも、女性はダメだという掟に背いてばちが当たってもヤだしね。ねえ。
困って当家さん母娘に助けを求めると「私らはダメですけど、報道ということでいいんじゃないですか」
他の十人衆の方も「女はアカン言うても、巫女さんもいてはるし、大丈夫、大丈夫」
思いがけない展開になって、もうここまできたら、逃げることができなくなってしまった。
が、1人でも反対の方がいらっしゃったらやめようと、皆さんのお顔を見て「上がらせていただいてもよろしいですか」
皆さんニコニコしてうなずいてくださったので、よしっ、失礼しまーす。
結果的には、上がらせてもらったのはとても貴重な機会で、拝殿から見る景色は外から見ているのとはずいぶん違っていた。
↓左座エリアから右座をのぞむ。目の当たりに、巫女さん。

↓拝殿の天井に吊ってある提灯は、十人衆がこの日持ってきたもの。各自、自分の提灯を持っているのだ。

このたび十人衆入りすることが決まったばかりの的場さんは「提灯をつくる間もなくて…」
↓神饌。「撮っていいですか」。外からでは奥のほうがわからなかったのだ。

皆さんの写真も撮らせていただく。
↓1老の植田一隆さん、2老の的場一起さん、3老の、過日いろいろ教えていただいた的場好之さん

お参りの人が途絶えた8時頃、巫女さんは役目を終えて帰られ、それから直会が始まる。
すっかり遅くなりそうだったので、直会が始まる前に、ワタクシも失礼することに。
「1老さんの家に泊めてもらったらええやないの」という声も聞こえていたりして…^^;
人情の厚さを感じた1日。
昼間とちがって夜風は冷たかったけれど、心にポッと温かいものを感じながら暗い道を急いだのだった。
※国津神社に関する当ブログ記事→2つの国津神社 秋祭宵宮祭①
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国津神社の秋祭 宵宮①
10月8日、国津神社(桜井市箸中)の秋祭宵宮の日に訪ねた。
この日はいつもと雰囲気がちがい、華やかなお祭りムードが漂っていた。

わぁ、拝殿が開いているのも初めて!

大神神社から神官さんや巫女さんもいらっしゃり、境内にはハッピ姿の人たちが。

↓おはらいを受けて

↓お神輿は神社を出発していった。
集落のあちこちを練り歩く。

もともと、国津神社の秋祭りには若者たちの手で神輿が担ぎ出されていたという。ずいぶん重いものらしい。
やがて担ぎ手がいなくなり、現在は使われることなく保存されたままだが(↓写真中央)、この日は開け放たれていた。

↓精緻な彫刻がほどこされたりっぱな神輿に目を見張った。

※次回は、国津神社の宮座神事の様子をお届けします。
この日はいつもと雰囲気がちがい、華やかなお祭りムードが漂っていた。

わぁ、拝殿が開いているのも初めて!

大神神社から神官さんや巫女さんもいらっしゃり、境内にはハッピ姿の人たちが。

↓おはらいを受けて

↓お神輿は神社を出発していった。
集落のあちこちを練り歩く。

もともと、国津神社の秋祭りには若者たちの手で神輿が担ぎ出されていたという。ずいぶん重いものらしい。
やがて担ぎ手がいなくなり、現在は使われることなく保存されたままだが(↓写真中央)、この日は開け放たれていた。

↓精緻な彫刻がほどこされたりっぱな神輿に目を見張った。

※次回は、国津神社の宮座神事の様子をお届けします。
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続 川端康成歌碑

トレーシングペーパーって、昔の編集作業には必須だった。
紙焼きの写真にかぶせて、トリミングを指示したり、天地何㎝に縮小とか書いて印刷所へ。
あるいは、地図の上に乗せてなぞったりもした。
今は昔の話であるなぁ^^;
こんなものを大事に置いてあったとは知らなんだ。
もう必要ないわね。
と、念のため、中身を確認してみると。
トレーシングペーパーではなくて、巻かれた和紙が入っていた。
↓広げてみると、おお、ビックリ!! 一瞬、鳥肌がたった。
あの川端康成歌碑の拓本が入っていたのだ。

最近、何度もこの歌碑の前を歩き、たたずみ、ブログに書き、ついには川端コレクション展のご縁にまでつながった。ワタクシ自身も、いろいろと思いめぐらす日々が続いていただけに、ほんとうに驚いた。→ブログ内関連記事
しかし、恥ずかしながら、この歌碑拓本の存在を忘れていたし、誰からいただいたものなのか、どうしても思い出せないのだ(すみませんm(_ _)m)。
たぶん30年ほども前のことだろうと思う。
覚えていないということは、当時、若かりし頃のワタクシ、これをいただいてもさほど感動しなかったということやね。今なら、大感激すると思うのに!
長らく押入で眠っていた康成の歌碑拓本が今このタイミングで現れたことに、何か不思議ものを感じずにはおられない。
↓歌碑

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