かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
大鳥居と彼岸花
9月29日も、桜井方面行き。
取材も終わり近くになると、急速にあわただしさを増します。
三輪山麓にも彼岸花はあちこちにいっぱい咲いていたのですが、もう撮っている余裕がありません。
でも、この風景には思わず立ち止まってしまいました。
↓「みんな、あの鳥居まで行進だよ!」「オー!!」
赤い帽子のこどもたちの声が聞こえたような

時間を気にしながら、レンズを交換したりして。

ひととき、大鳥居と彼岸花を楽しみました。

↓それから、もう一回、思わず足を止めたのはこんな光景

す、涼しい~
ツユクサの群生。
キビシイ陽ざしのなか、彼岸花を見続けてきた目に、なんというクールシャワー。
一気に汗がひくような気がしましたね。

取材も終わり近くになると、急速にあわただしさを増します。
三輪山麓にも彼岸花はあちこちにいっぱい咲いていたのですが、もう撮っている余裕がありません。
でも、この風景には思わず立ち止まってしまいました。
↓「みんな、あの鳥居まで行進だよ!」「オー!!」
赤い帽子のこどもたちの声が聞こえたような


時間を気にしながら、レンズを交換したりして。

ひととき、大鳥居と彼岸花を楽しみました。

↓それから、もう一回、思わず足を止めたのはこんな光景

す、涼しい~

キビシイ陽ざしのなか、彼岸花を見続けてきた目に、なんというクールシャワー。
一気に汗がひくような気がしましたね。

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30
多武峰麓から大神神社
9月27日、談山神社一の鳥居近くにある西内酒造さんから、彼岸花を愛でながら撮りながら多武峰街道を下る。
午後2時頃だったか。
陽ざしは厳しいものの、空はあくまで青く、風はもうすっかり秋めいて。
どうしても、そのまま桜井駅まで戻る気にはならず、足は自然に逆方向へ。
やがて、北に三輪山(写真左)、東に外鎌山(とがまやま)の秀麗な姿が見えてきたら、直角に北へ曲がる(ここがいわゆる「山の辺の道」の南端か)。

近鉄電車の踏切を越え、お地蔵さんに手を合わせたりしながら、なおも北へ。

まもなく、初瀬川(大和川)へ行きつく。
しばらく河川敷の散歩を楽しんでから橋を渡る。
橋の上で、西(二上山)と東(外鎌山)を見て、深呼吸。うーん、いい気持ち。

さらに北へ。

稲穂の向こうになだらかな山容、その裾に軒を並べる民家。平和な大和路を象徴するような、きっと昔からの姿だ(中央あたりに三輪山がのぞく)。
稲田を縁取る彼岸花の赤

静かで穏やかな里の秋風景を満喫して、久しぶりに海柘榴市(つばいち)観音堂→金屋石仏(写真左)


その途中、大神神社末社八阪神社への標識があったので、行ってみることに。ここは初めて。
彼岸花の咲く坂道を上ると鳥居があり、急な階段が続いていた。

↓鮮やかな朱塗り!

←三社をまつる(クリックで拡大)
そこから、磯城瑞籬宮跡の碑を左手に見ながら行く。ここも彼岸花がいっぱい。
もうひとつの、小林秀雄「山邊道」の碑

平等寺を経て、大神神社、着。ここで、エネルギー切れ。

おっと、記事も、時間切れ~^^; 急ぎすぎたようで<(_ _)>
これから、桜井方面へ出発しまーす。
午後2時頃だったか。
陽ざしは厳しいものの、空はあくまで青く、風はもうすっかり秋めいて。
どうしても、そのまま桜井駅まで戻る気にはならず、足は自然に逆方向へ。
やがて、北に三輪山(写真左)、東に外鎌山(とがまやま)の秀麗な姿が見えてきたら、直角に北へ曲がる(ここがいわゆる「山の辺の道」の南端か)。

近鉄電車の踏切を越え、お地蔵さんに手を合わせたりしながら、なおも北へ。

まもなく、初瀬川(大和川)へ行きつく。
しばらく河川敷の散歩を楽しんでから橋を渡る。
橋の上で、西(二上山)と東(外鎌山)を見て、深呼吸。うーん、いい気持ち。

さらに北へ。

稲穂の向こうになだらかな山容、その裾に軒を並べる民家。平和な大和路を象徴するような、きっと昔からの姿だ(中央あたりに三輪山がのぞく)。
稲田を縁取る彼岸花の赤

静かで穏やかな里の秋風景を満喫して、久しぶりに海柘榴市(つばいち)観音堂→金屋石仏(写真左)


その途中、大神神社末社八阪神社への標識があったので、行ってみることに。ここは初めて。
彼岸花の咲く坂道を上ると鳥居があり、急な階段が続いていた。

↓鮮やかな朱塗り!


そこから、磯城瑞籬宮跡の碑を左手に見ながら行く。ここも彼岸花がいっぱい。
もうひとつの、小林秀雄「山邊道」の碑

平等寺を経て、大神神社、着。ここで、エネルギー切れ。

おっと、記事も、時間切れ~^^; 急ぎすぎたようで<(_ _)>
これから、桜井方面へ出発しまーす。
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29
多武峰麓の彼岸花
『かぎろひの大和路』で毎号連載している「蔵めぐり」、今回は多武峰(とうのみね)街道にある西内酒造さん〈桜井市〉を取り上げます。
何度もお訪ねしているし、お酒にも親しんでいるし、そうそう、冬には蔵見学もさせていただいたので、改めて取材しないまま書いていたのですが、おっと、誌上に載せるラベルをいただくのを忘れていることに気がつきました。
抜けるような青空を見ながら、本日、ららら~♪と出かけてきました。
↓西内酒造さん。屋内から外を見ると彼岸花が!

←主要銘柄「談山正宗」のラベルをいただきました。
帰りは、彼岸花を撮りまくりながら♪
今年はもう無理かなあと思っていたのですが、間に合ってうれしい!
↓わぁ、こんな風景見たら、テンション


おお、そこに見えるのに、まっすぐ行けなかったので、ぐるっと回って

↓腰を下ろすと、見えるのはこんな風景

↓色づいた稲穂と彼岸花の見事なコラボ

↓偶然撮れていた蝶たち

夢中になっていたら、時間がかなり経過。
予定が縮小されたのでした^^;
何度もお訪ねしているし、お酒にも親しんでいるし、そうそう、冬には蔵見学もさせていただいたので、改めて取材しないまま書いていたのですが、おっと、誌上に載せるラベルをいただくのを忘れていることに気がつきました。
抜けるような青空を見ながら、本日、ららら~♪と出かけてきました。
↓西内酒造さん。屋内から外を見ると彼岸花が!


帰りは、彼岸花を撮りまくりながら♪
今年はもう無理かなあと思っていたのですが、間に合ってうれしい!
↓わぁ、こんな風景見たら、テンション



おお、そこに見えるのに、まっすぐ行けなかったので、ぐるっと回って


↓腰を下ろすと、見えるのはこんな風景

↓色づいた稲穂と彼岸花の見事なコラボ

↓偶然撮れていた蝶たち

夢中になっていたら、時間がかなり経過。
予定が縮小されたのでした^^;
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27
ハマチ一匹
巷は連休でも、仕事をしていたりします。
ま、平日、遊んでいることもあるのですが。
などと、言っていられる時期ではなくなりました。
『かぎろひの大和路』の編集作業が大詰めに入っています。
とはいえ、まだ発行のメドがついていないのですがm(_ _)m
取材ももう少し残しているし^^;
そんなとき、夫が大きなハマチを一匹買い込んできました。
↓わぁ、おっきい。ビール瓶と背比べ。

でもでも、どうすんの? 2人で食べ切れないよぉ。
冷蔵庫に入らなかったので、すぐにさばき始めて…
半分をお刺身に、半分は付け焼き用に、頭はかぶと焼きにするのだそうです。

ものの数分で、さばきましたから、お見事! というしかないかぁ。
夕食にお刺身をいただきましたが、食べきれません(-_-;)
モッタイナイやん、と思っていたら、「味噌漬け」にしてみようか。いや、塩焼きやな。
よろしく~
ま、平日、遊んでいることもあるのですが。
などと、言っていられる時期ではなくなりました。
『かぎろひの大和路』の編集作業が大詰めに入っています。
とはいえ、まだ発行のメドがついていないのですがm(_ _)m
取材ももう少し残しているし^^;
そんなとき、夫が大きなハマチを一匹買い込んできました。
↓わぁ、おっきい。ビール瓶と背比べ。

でもでも、どうすんの? 2人で食べ切れないよぉ。
冷蔵庫に入らなかったので、すぐにさばき始めて…
半分をお刺身に、半分は付け焼き用に、頭はかぶと焼きにするのだそうです。

ものの数分で、さばきましたから、お見事! というしかないかぁ。
夕食にお刺身をいただきましたが、食べきれません(-_-;)
モッタイナイやん、と思っていたら、「味噌漬け」にしてみようか。いや、塩焼きやな。
よろしく~
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25
年に1度の記念日
9月23日、6時から始まる宴へ、余裕をもって出発。「先、行くね~」と夫に声をかけて、いそいそと。おっ、夫婦でお出かけ? へへ、珍しくね。でも、一緒に出発しないのがうち流。別行動でぇ。
ワタクシは、佐保川にかかる橋で足をとめる。今や夕日が沈むばかり。わおっ、とコンデジを取り出したときはすでに陽は生駒山に落ちた後。日没のスピードの速いことといったら。
東の空は↓

実は、この日、ワタクシの誕生日会(1週間遅れの)。
ええトシして、誕生日会もないのだけれど、そこは、ま、宴会大好き家族。
誕生日をダシに呑もう会、かな。
東京在勤の娘も交えて、久しぶりの家族団らんというのも、ハハとしてはうれしい限り。
プレゼントもやっぱりお酒かんけい、なのだった^^;
相談をしたわけでもなさそうなのに、娘らからワインとグラス。

普段、ワインはあまり飲まないので、特別感あり。
グラスがちょいと変わっていて、「木glass(きぐらす)」千年シリーズだとか。
↓しおりの説明から
*千年シリーズ
今から約1,000年~3,000年前、洪水や地殻変動によって土砂に埋もれた樹木が現代になって掘り起こされたもの。腐敗せず、木の性質を保ったまま発掘されたものは数種類しかなく、北海道では、ヤチダモ、ハルニレが多い。その大地によって自然に染められた色は、決して人工着色では出せない渋く深い色合いをもっています。別名「神代(じんだい)」とも言われている。
淳工房
北海道旭川市
http://www.asahikawacraft.com/koubou/jun_kobo.html

なんて素敵なの!
いよいよお酒がうまくなる季節、さらにすすみそうなグラスやわぁ。
1つで十分なのに、娘「一応ペアにしといたわ」
「お、オレのもあるのか」と喜ぶ夫。
あっ、もしもし、だんなさま、あの、ワタクシ、誕生日なんですが!?
夫が1通の封筒を差し出した。
あら、お小遣いでもくれるのかしら、と思いきや。
封を切ると、
「誕生日を祝す。物なく句を贈るのみ」
句をご紹介~
いずくにか 聲のみ冴える 人の秋
塔跡に 史語らずて 濡れ落葉
朝湯して 動かぬ雲の 秋迎え
平城山の峰冴えざえと 秋わたる
輪奐の秋に対峙す 落ち紅葉
俳句のプレゼントというのも、一興かぁ(-_-;)
←ケーキは、
Sourire d' Ange(スーリール・ダンジュ)製を用意してくれていた。おいしい!
洋菓子とバームクーヘンのお店
奈良市小西町23 花小路ビル1F
tel.0742-23-8850 fax.0742-23-8850
open 10:30~19:30

東の空は↓

実は、この日、ワタクシの誕生日会(1週間遅れの)。
ええトシして、誕生日会もないのだけれど、そこは、ま、宴会大好き家族。
誕生日をダシに呑もう会、かな。
東京在勤の娘も交えて、久しぶりの家族団らんというのも、ハハとしてはうれしい限り。

相談をしたわけでもなさそうなのに、娘らからワインとグラス。

普段、ワインはあまり飲まないので、特別感あり。
グラスがちょいと変わっていて、「木glass(きぐらす)」千年シリーズだとか。
↓しおりの説明から
*千年シリーズ
今から約1,000年~3,000年前、洪水や地殻変動によって土砂に埋もれた樹木が現代になって掘り起こされたもの。腐敗せず、木の性質を保ったまま発掘されたものは数種類しかなく、北海道では、ヤチダモ、ハルニレが多い。その大地によって自然に染められた色は、決して人工着色では出せない渋く深い色合いをもっています。別名「神代(じんだい)」とも言われている。
淳工房
北海道旭川市
http://www.asahikawacraft.com/koubou/jun_kobo.html

なんて素敵なの!
いよいよお酒がうまくなる季節、さらにすすみそうなグラスやわぁ。
1つで十分なのに、娘「一応ペアにしといたわ」
「お、オレのもあるのか」と喜ぶ夫。
あっ、もしもし、だんなさま、あの、ワタクシ、誕生日なんですが!?
夫が1通の封筒を差し出した。
あら、お小遣いでもくれるのかしら、と思いきや。

「誕生日を祝す。物なく句を贈るのみ」
句をご紹介~
いずくにか 聲のみ冴える 人の秋
塔跡に 史語らずて 濡れ落葉
朝湯して 動かぬ雲の 秋迎え
平城山の峰冴えざえと 秋わたる
輪奐の秋に対峙す 落ち紅葉
俳句のプレゼントというのも、一興かぁ(-_-;)

Sourire d' Ange(スーリール・ダンジュ)製を用意してくれていた。おいしい!
洋菓子とバームクーヘンのお店
奈良市小西町23 花小路ビル1F
tel.0742-23-8850 fax.0742-23-8850
open 10:30~19:30
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25
2つの国津神社
ホケノ山古墳(桜井市)の現地説明会が行われたのは2000年のこと。あれから、もう10年以上にもなるのですね。最古級(3世紀中頃)の前方後円墳ということもあり、たくさんの人がつめかけました。はい、あの長蛇の列の中にワタクシもおりました^^;
画文帯神獣鏡や刀剣類、銅鏃や鉄鏃などの出土品展示は、古墳脇にある国津神社境内で。ワタクシが国津神社の存在を知ったのはこのときです。

三輪山麓、最古とも言われる前方後円墳のすぐ近くにあり、そして箸墓古墳と檜原神社を結ぶ線上にあるこの神社はもうそれだけでいわくありそうなものを感じました。
↓国津神社(箸中)の場所
大きな地図で見る
それからは、ここを通るたびにお参りしてきましたが、人っ子1人見かけたことがありません(突撃取材ができない)。
今回、『かぎろひの大和路』纏向~三輪の特集にあたって、この時とばかり、お話を聞いてきました。
8月23日、取材に応じてくださったのは、箸中区長(氏子総代)の澤さん(←写真向かって右)、歴史に詳しい的場先生(宮座三老さん、もと学校の先生)。
的場先生は資料をたくさん用意してくださっていて、とても丁寧な説明を聞くことができました。
長机を2つ並べ、的場先生「はい、次はこの資料を見てくださいね。ポイントだけ読ませていただきます」「これは『和州祭礼記』という本をコピーしたものです。本の名前、書いておいてください。著者は…」
たっぷり2時間、授業を受けているような感じで、ホホ、学生時代に戻ったよう。緊張しながらも何だかウキウキ楽しいひとときでした^^
いろいろなことを教えていただいたのですが、ここでは、国津神社が実は2つあって、それが記紀神話にそっくりなかたちで鎮座しているという話をご紹介したいと思います。
←国津神社の御祭神は6柱
隣村の芝(古くは岩田村)にも国津神社があるというので驚きました(知らなかった~^^;)。
そう、芝と言えば、8月28日、檜原神社のお祭りに一緒に集い直会を行う間柄です→その記事
神様ももともとは檜原の地に一緒にお祀りしてあったのを、箸中村と岩田村に分けたとも伝わっているそうです。
芝(岩田村)の国津神社の御祭神は3神(『古事記』の記述によりました)
多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)(別名:奥津島比賣命=おきつしまひめのみこと)
市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)(別名:狭依毘賣命=さよりびめのみこと)
多岐都比賣命(たきつひめのみこと)
そして、天照大神(あまてらすおおみかみ)を合祀しています。
箸中の国津神社が男神なのに対して、こちらは全員、女神さまです。
記紀に親しんでいらっしゃる方なら、神様の名前を聞いたとたん、ピンとくるのでは。
はい、天照大神と須佐之男命(すさのおのみこと)姉弟が、高天原の天安河をはさんで、宇気比(うけひ、『日本書紀』では「誓約」)したときに生まれた神々なのです(詳しくは『古事記』『日本書紀』をお読みくださーい
)
※うけひ:ある条件を設定し、その成否によって、願いが叶うかどうか、吉か凶か、運命を占う。(物語要素事典)
2つの国津神社は、神山・三輪山の奥から流れてくる巻向川をはさむようにして鎮座。天安河の対岸で宇気比した姉弟神の話とそっくり、というわけなのです。
国津神社(箸中)=須佐之男命
国津神社(芝)=天照大神
巻向川=天安河
的場先生の授業が終わってから(ありがとうございましたm(_ _)m)、実地検証に行ってみました。
あ、その前に、まずは地図をご覧ください。

芝の国津神社。「九日」と書いてありました。

箸中の国津神社に比べると、ささやかな感じです。この近くは何度も通っているのですが、気がつきませんでした。
↓巻向川を入れて、両社を撮ってみました。

写真左が、芝の国津(九日)神社。右手のこんもりした樹叢のところ。
左に三輪山が見えますね。
道路(橋)は国道169号線。その下を巻向川が流れています。
↑右の写真は、巻向川を入れて撮った国津神社(箸中)。
正面が神社です。
芝の九日神社から箸中の国津神社へ向かって、巻向川沿いに歩いてみました。

左手、民家の後ろに見える森が、箸中の国津神社です。
古代からの神話が脈々と今に生きて、やっぱりこのあたりは神秘的ですね。
神社に残る言い伝えは、長らく口承のままでしたが、記録の大事さを感じた的場英雄さん(的場先生のお父様)が昭和54年に冊子にまとめられました(『桜井市箸中の氏神 國津神社の沿革に就いて』)。
その最後の部分をご紹介します。
…両村の國津神社は上古より祀られていたことがわかります。
箸中の御祭神天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の御子神邇邇藝命(ににぎのみこと)が、日嗣の御子として豊葦原の水穂國、即ちわが国にお降りになり、神勅のままに我が国を御統治になり、其の他の御祭神の子孫は国造、直、連、県主となって我が国全土にわたり、それぞれの地域をお治めになっております。
このことは、まさしく地主の元締のお集まりのところとして「地主の森」と言われたものとうかがわれます。
五柱の神々の外に須佐之男命を加えてお祀り申し上げている箸中の里は、我が国男性の代表の集まりともみられ「地主の森」こそは今様に申せば日本男子のルーツだとも言えるでしょう。
これに対し、一方の芝村(旧岩田村)こそ天照大神と御子三女神を祀り、日本女性の代表つまり日本女性のルーツとも言うべきでしょうか。
画文帯神獣鏡や刀剣類、銅鏃や鉄鏃などの出土品展示は、古墳脇にある国津神社境内で。ワタクシが国津神社の存在を知ったのはこのときです。

三輪山麓、最古とも言われる前方後円墳のすぐ近くにあり、そして箸墓古墳と檜原神社を結ぶ線上にあるこの神社はもうそれだけでいわくありそうなものを感じました。
↓国津神社(箸中)の場所
大きな地図で見る
それからは、ここを通るたびにお参りしてきましたが、人っ子1人見かけたことがありません(突撃取材ができない)。
今回、『かぎろひの大和路』纏向~三輪の特集にあたって、この時とばかり、お話を聞いてきました。


長机を2つ並べ、的場先生「はい、次はこの資料を見てくださいね。ポイントだけ読ませていただきます」「これは『和州祭礼記』という本をコピーしたものです。本の名前、書いておいてください。著者は…」
たっぷり2時間、授業を受けているような感じで、ホホ、学生時代に戻ったよう。緊張しながらも何だかウキウキ楽しいひとときでした^^
いろいろなことを教えていただいたのですが、ここでは、国津神社が実は2つあって、それが記紀神話にそっくりなかたちで鎮座しているという話をご紹介したいと思います。

隣村の芝(古くは岩田村)にも国津神社があるというので驚きました(知らなかった~^^;)。
そう、芝と言えば、8月28日、檜原神社のお祭りに一緒に集い直会を行う間柄です→その記事
神様ももともとは檜原の地に一緒にお祀りしてあったのを、箸中村と岩田村に分けたとも伝わっているそうです。
芝(岩田村)の国津神社の御祭神は3神(『古事記』の記述によりました)
多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)(別名:奥津島比賣命=おきつしまひめのみこと)
市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)(別名:狭依毘賣命=さよりびめのみこと)
多岐都比賣命(たきつひめのみこと)
そして、天照大神(あまてらすおおみかみ)を合祀しています。
箸中の国津神社が男神なのに対して、こちらは全員、女神さまです。
記紀に親しんでいらっしゃる方なら、神様の名前を聞いたとたん、ピンとくるのでは。
はい、天照大神と須佐之男命(すさのおのみこと)姉弟が、高天原の天安河をはさんで、宇気比(うけひ、『日本書紀』では「誓約」)したときに生まれた神々なのです(詳しくは『古事記』『日本書紀』をお読みくださーい

※うけひ:ある条件を設定し、その成否によって、願いが叶うかどうか、吉か凶か、運命を占う。(物語要素事典)
2つの国津神社は、神山・三輪山の奥から流れてくる巻向川をはさむようにして鎮座。天安河の対岸で宇気比した姉弟神の話とそっくり、というわけなのです。
国津神社(箸中)=須佐之男命
国津神社(芝)=天照大神
巻向川=天安河
的場先生の授業が終わってから(ありがとうございましたm(_ _)m)、実地検証に行ってみました。
あ、その前に、まずは地図をご覧ください。

芝の国津神社。「九日」と書いてありました。

箸中の国津神社に比べると、ささやかな感じです。この近くは何度も通っているのですが、気がつきませんでした。
↓巻向川を入れて、両社を撮ってみました。

写真左が、芝の国津(九日)神社。右手のこんもりした樹叢のところ。
左に三輪山が見えますね。
道路(橋)は国道169号線。その下を巻向川が流れています。
↑右の写真は、巻向川を入れて撮った国津神社(箸中)。
正面が神社です。
芝の九日神社から箸中の国津神社へ向かって、巻向川沿いに歩いてみました。

左手、民家の後ろに見える森が、箸中の国津神社です。
古代からの神話が脈々と今に生きて、やっぱりこのあたりは神秘的ですね。
神社に残る言い伝えは、長らく口承のままでしたが、記録の大事さを感じた的場英雄さん(的場先生のお父様)が昭和54年に冊子にまとめられました(『桜井市箸中の氏神 國津神社の沿革に就いて』)。
その最後の部分をご紹介します。
…両村の國津神社は上古より祀られていたことがわかります。
箸中の御祭神天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)の御子神邇邇藝命(ににぎのみこと)が、日嗣の御子として豊葦原の水穂國、即ちわが国にお降りになり、神勅のままに我が国を御統治になり、其の他の御祭神の子孫は国造、直、連、県主となって我が国全土にわたり、それぞれの地域をお治めになっております。
このことは、まさしく地主の元締のお集まりのところとして「地主の森」と言われたものとうかがわれます。
五柱の神々の外に須佐之男命を加えてお祀り申し上げている箸中の里は、我が国男性の代表の集まりともみられ「地主の森」こそは今様に申せば日本男子のルーツだとも言えるでしょう。
これに対し、一方の芝村(旧岩田村)こそ天照大神と御子三女神を祀り、日本女性の代表つまり日本女性のルーツとも言うべきでしょうか。
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23
バス「かぎろひ号」3たび
所有するバス「かぎろひ号」で、纏向から三輪へ行ってみました(^_-)
↓箸墓古墳のそばを通り

↓三輪山を見ながら初瀬川沿いへ

↓初瀬方面へも走らせてみましょう

「かぎろひの里」までは行けませんでしたが、なかなか爽快なバスの旅。
大宇陀へは乗車希望してくださっている皆さんとご一緒に行きたいと思います。今回は、試運転ということで…

いちばん行きたかったのが、橘寺です。
って、ちょっと前フリ、長すぎですね。失礼しました。
実は、お気に入りのバス「かぎろひ号」1回、2回とひとり撮影会をしたものの、不満が残りました。
というのは、バスがあまりにも小さいので(高さ1.5cm、長さ7cm)、バスに焦点を当てると、背景がかすんでしまうのですね。
背景をぼかして、そのものを際だたせるのは時によって魅力的だと思いますが、この場合は、ワタクシとしましては、奈良の風景のなかを走る「かぎろひ号」であってほしいのでアリマス。
そんなとき、贈り主の、バロックおじさんから下記のようなメールが届きました
ブログでのバスの旅、素敵ですね。可愛がって頂きありがとうございます。
こんなに反響が大きいとは思いませんでした。みなさん「メルヘン」を感じていらっしゃるのかもしれませんね。嬉しいです。
模型の世界でもここまで小さいと背景をしっかり写して、なおかつ模型に焦点を合わせるのは難しいようです。バスをアップにすると、どうしても背景はぼけてしまいます。
リアルにバスが走っている情景を写す手法にこんなやり方があります。
「あらかじめ撮った写真を背景に使う」
今までにかぎろひさんが撮影された写真をバスの背景に置いて自然光のもとで撮るとけっこうリアルになるかもしれません。もちろん直射日光ではなく。
キャビネくらいのサイズで良いと思いますが、できればあまり光沢が無い方が良いでしょう。
ただ相手が「模型」ですので、背景は絵の方がしっくりくるかもしれません。
おお、なるほど~。ガッテンガッテン。
2回目を撮ったすぐにメールをいただいていて、早く試してみたくてしかたがなかったのですが、なかなか時間がとれません。
そんなとき今度は、ブログ「ちょっと奈良へ行ってきます」のなむさいじょうさんが、橘寺のポスター(近鉄)をアップされました。→橘寺のポスターと飛鳥光の回廊
ワタクシはいつも北東あたりから棚田越しにお寺を撮ることが多いのですが、それは西側から撮ったものでした。多武峰の山を背景に、まっすぐお寺へと続く白い道が印象的な写真です。
思わずコメントを入れたところ、なむさいじょうさんからの返信は下記のようなものでした。
大宇陀行き「かぎろひ号」をポスターに入れたいですね。(笑)
多武峰とその先の音羽山を越えれば、大宇陀ですから。
手のひらに載せて、ポスターの前で撮る!
これも、バロックおじさんと同じ方法ですよね。
試してみたい気持ちはどんどんふくらむものの、なかなか実行できない日が続きました。
そうこうしているうちに、「日々彩々Ⅱ」のemirinさんがポスターと同じアングルで撮影されました。→橘寺‥あのポスターは‥
よっしゃ、撮るとすればこの写真を使わせていただこう、などと勝手な妄想はふくらむばかり。
↓事後承諾で申しわけありませんが、なむさいじょうさんとemirinさんのブログから拝借した写真を並べてみました。


この前の連休中、3たびのひとり撮影会を決行することに。
しかーし、難題ですな。
だって、この道を走らせようとすると…バスが横向きでは不自然ではありませんか。
うんとこしょ。ちょっと倒れそうになりながら(笑)

橘寺へ向かいまーす。


バロックおじさん、なむさいじょうさん、アドバイスをありがとうございました。
また、emirinさん、なむさいじょうさん、無断で写真をお借りしてしまい申しわけありませんm(_ _)m
まだ、大満足しているわけではありません。
バロックおじさんのおっしゃる「絵」なども試してみたいものです。
あ、それから、何かまたアドバイスや効果的な方法などありましたら、今後の参考にさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
↓箸墓古墳のそばを通り

↓三輪山を見ながら初瀬川沿いへ

↓初瀬方面へも走らせてみましょう

「かぎろひの里」までは行けませんでしたが、なかなか爽快なバスの旅。
大宇陀へは乗車希望してくださっている皆さんとご一緒に行きたいと思います。今回は、試運転ということで…

いちばん行きたかったのが、橘寺です。
って、ちょっと前フリ、長すぎですね。失礼しました。
実は、お気に入りのバス「かぎろひ号」1回、2回とひとり撮影会をしたものの、不満が残りました。
というのは、バスがあまりにも小さいので(高さ1.5cm、長さ7cm)、バスに焦点を当てると、背景がかすんでしまうのですね。
背景をぼかして、そのものを際だたせるのは時によって魅力的だと思いますが、この場合は、ワタクシとしましては、奈良の風景のなかを走る「かぎろひ号」であってほしいのでアリマス。
そんなとき、贈り主の、バロックおじさんから下記のようなメールが届きました

ブログでのバスの旅、素敵ですね。可愛がって頂きありがとうございます。
こんなに反響が大きいとは思いませんでした。みなさん「メルヘン」を感じていらっしゃるのかもしれませんね。嬉しいです。
模型の世界でもここまで小さいと背景をしっかり写して、なおかつ模型に焦点を合わせるのは難しいようです。バスをアップにすると、どうしても背景はぼけてしまいます。
リアルにバスが走っている情景を写す手法にこんなやり方があります。
「あらかじめ撮った写真を背景に使う」
今までにかぎろひさんが撮影された写真をバスの背景に置いて自然光のもとで撮るとけっこうリアルになるかもしれません。もちろん直射日光ではなく。
キャビネくらいのサイズで良いと思いますが、できればあまり光沢が無い方が良いでしょう。
ただ相手が「模型」ですので、背景は絵の方がしっくりくるかもしれません。
おお、なるほど~。ガッテンガッテン。
2回目を撮ったすぐにメールをいただいていて、早く試してみたくてしかたがなかったのですが、なかなか時間がとれません。
そんなとき今度は、ブログ「ちょっと奈良へ行ってきます」のなむさいじょうさんが、橘寺のポスター(近鉄)をアップされました。→橘寺のポスターと飛鳥光の回廊
ワタクシはいつも北東あたりから棚田越しにお寺を撮ることが多いのですが、それは西側から撮ったものでした。多武峰の山を背景に、まっすぐお寺へと続く白い道が印象的な写真です。
思わずコメントを入れたところ、なむさいじょうさんからの返信は下記のようなものでした。
大宇陀行き「かぎろひ号」をポスターに入れたいですね。(笑)
多武峰とその先の音羽山を越えれば、大宇陀ですから。
手のひらに載せて、ポスターの前で撮る!
これも、バロックおじさんと同じ方法ですよね。
試してみたい気持ちはどんどんふくらむものの、なかなか実行できない日が続きました。
そうこうしているうちに、「日々彩々Ⅱ」のemirinさんがポスターと同じアングルで撮影されました。→橘寺‥あのポスターは‥
よっしゃ、撮るとすればこの写真を使わせていただこう、などと勝手な妄想はふくらむばかり。
↓事後承諾で申しわけありませんが、なむさいじょうさんとemirinさんのブログから拝借した写真を並べてみました。


この前の連休中、3たびのひとり撮影会を決行することに。
しかーし、難題ですな。
だって、この道を走らせようとすると…バスが横向きでは不自然ではありませんか。
うんとこしょ。ちょっと倒れそうになりながら(笑)

橘寺へ向かいまーす。


バロックおじさん、なむさいじょうさん、アドバイスをありがとうございました。
また、emirinさん、なむさいじょうさん、無断で写真をお借りしてしまい申しわけありませんm(_ _)m
まだ、大満足しているわけではありません。
バロックおじさんのおっしゃる「絵」なども試してみたいものです。
あ、それから、何かまたアドバイスや効果的な方法などありましたら、今後の参考にさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
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相撲発祥の地② 土俵開きに錦戸親方
9月14日、相撲神社カタヤケシの地へ行った後、団長さんが連れて行ってくれた所は、芝運動公園内にある真新しい土俵でした(向こうに三輪山)。

もともとあった土俵は老朽化して10年ほど前から使えなくなっていました。それを桜井市体育協会の役員さんらが中心になって復活させたばかり。
予算もなく、労力はほとんどボランティア。わが先輩、団長さんを見ていても感じるのですが、熱意がつくりあげた土俵、だと言えそうです。
8月20日の土俵開きには、錦戸親方(元関脇・水戸泉)ら力士が来られて、小学生の練習会などもあったとか。

わぁ、知っていたら駆けつけたものを。残念。
8月20日って、朝から脇本遺跡の現地説明会へ行った日やわ。午後からの開催だったらしいから、じゅうぶん間に合ったな。それなら、長谷寺方面へ歩かずに三輪へ向かったはず。あ、電車に帽子も忘れなかったぞ。
などと残念がってもあとのまつり^^;
体育協会事務局で、当日の写真を見せていただきました。
「何枚かお借りできますか」と言うと、「全部どうぞ。そこからいいの選んでください」
カメラのSDカード、幸い4Gのを入れてあったので、全部コピーしていただきました。
「あの、ブログとかに載せてもいいですか」
「どうぞ、どうぞ、何枚でも」
「桜井市体育協会さんにお借りしたと書きますね」
「いやいや、書かなくてもいいですよ」
と、惜しげもなくどこまでも大らか。
この日は、メディア取材もほとんどなかったそうで、せっかくの大ニュースが埋もれてしまったかたち。
貴重な写真がモッタイナイので、ここで、ざっとご紹介させていただくことにしましょう。ただ、ワタクシ、その場にいなかったので、リアルな説明ができません。想像をふくらませてご覧くださいね!
↓挨拶される錦戸親方

↓塩とお酒で土俵を清めます。

↓錦戸親方が塩をまきます。

おおっ、水戸泉関のあの豪快な塩まきがなつかしいですね!
この日もどっとわいたそうですが、子どもたちは?? だったとか(笑)
↓力士を見習って、小学生たちも続きます。

↓取り組み

↓さぁ、いよいよ小学生たちが挑戦です。
女の子もいますよ。

↓記念撮影。思い出に残るでしょうね。

この土俵ができたことで、相撲発祥の地の振興に拍車がかかりそうです。

もともとあった土俵は老朽化して10年ほど前から使えなくなっていました。それを桜井市体育協会の役員さんらが中心になって復活させたばかり。
予算もなく、労力はほとんどボランティア。わが先輩、団長さんを見ていても感じるのですが、熱意がつくりあげた土俵、だと言えそうです。


わぁ、知っていたら駆けつけたものを。残念。
8月20日って、朝から脇本遺跡の現地説明会へ行った日やわ。午後からの開催だったらしいから、じゅうぶん間に合ったな。それなら、長谷寺方面へ歩かずに三輪へ向かったはず。あ、電車に帽子も忘れなかったぞ。
などと残念がってもあとのまつり^^;
体育協会事務局で、当日の写真を見せていただきました。
「何枚かお借りできますか」と言うと、「全部どうぞ。そこからいいの選んでください」
カメラのSDカード、幸い4Gのを入れてあったので、全部コピーしていただきました。
「あの、ブログとかに載せてもいいですか」
「どうぞ、どうぞ、何枚でも」
「桜井市体育協会さんにお借りしたと書きますね」
「いやいや、書かなくてもいいですよ」
と、惜しげもなくどこまでも大らか。
この日は、メディア取材もほとんどなかったそうで、せっかくの大ニュースが埋もれてしまったかたち。
貴重な写真がモッタイナイので、ここで、ざっとご紹介させていただくことにしましょう。ただ、ワタクシ、その場にいなかったので、リアルな説明ができません。想像をふくらませてご覧くださいね!
↓挨拶される錦戸親方

↓塩とお酒で土俵を清めます。

↓錦戸親方が塩をまきます。

おおっ、水戸泉関のあの豪快な塩まきがなつかしいですね!
この日もどっとわいたそうですが、子どもたちは?? だったとか(笑)
↓力士を見習って、小学生たちも続きます。

↓取り組み

↓さぁ、いよいよ小学生たちが挑戦です。
女の子もいますよ。

↓記念撮影。思い出に残るでしょうね。

この土俵ができたことで、相撲発祥の地の振興に拍車がかかりそうです。
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卑弥呼五色そうめん

「三輪そうめん山本」さんの新商品でした。
9月とはいえ、残暑きびしいこの頃、まだまだ冷やそうめんを食べたーい。
というわけで、「卑弥呼五色」をいただくことにしました。
とても美しくてうっとり。まさに芸術品ですね。

『魏志倭人伝』には卑弥呼が魏の国王から金印を授けられたことが載っています。
新商品開発にあたっては、古代史専門家の指導を仰ぎながら、金印に付けられていた5色の紐、卑弥呼が広めた陰陽五行など、イメージをふくらませていったそうです。
日本の伝統色なども考慮に入れたやさしい色合いが心にグッときます。
5色を紹介しますね。
緑…抹茶
赤…梅
黄…玉子
紫…紫山の芋
そして、いつもの白。
1人だったので、全部は食べられないとは思ったのですが、写真の効果を考えてエイッ。
そうめんは、水につけて保存しておいてもふやけたりしませんしね。
たっぷりのお湯で茹でましたよ。

今回は、色別に盛りつけたかったので、そうめんの端っこを糸で括って茹でました。
茹でると、色がもっと淡くやさしくなりました^^
色を混ぜても美しいでしょうね。次回はそれでやってみましょう。
アイディア次第で、食卓の演出にも一役かいそう。
※卑弥呼五色そうめん
550円(税込み577円)
三輪そうめん山本
http://www.miwayama.co.jp/
「卑弥呼五色」のサイトには、商品だけではなく、纏向遺跡の説明などもあり充実しています。
本社は、遺跡のまっただなか、箸墓古墳の西100mに立地。
出土物展示コーナーもありますよ。
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19
相撲発祥の地① カタヤケシ
9月9日、巻向駅(桜井線=万葉まほろば線)で待ち時間があったので、近くに住む先輩に電話してみた。
纏向から三輪あたりの取材を続けていることを話すと「相撲発祥の地を忘れたらアカンでぇ!」
うっ、忘れとった^^;
「相撲発祥の地」とは、垂仁天皇の御代に、當麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が天覧相撲をとったという『日本書紀』の記述に由来する。

↑『日本書紀』垂仁天皇7年7月7日(日本古典文学大系[岩波書店]より)
垂仁天皇は纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)、その子の景行天皇は纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。
現在の巻向駅から東の高台あたりに都がおかれていたとされる。
9月14日、先輩夫婦が“相撲発祥の地”をドライブで案内してくれるという。
先輩(奥様)とワタクシは学生時代、同じ下宿アパートにいた。ご夫婦はその頃からの公認カップル。
ご主人は当時、応援団の団長さんで、特別の風格があり、気安く声をかけられるような存在ではなかった(が、ひそかに「団長さん」と親しげに呼んでいた。ン十年前の話)。
この団長さんが、お忙しい合間をぬって案内してくださるというので、ワタクシ、恐縮しまくっていると、
「女性のために仕事(自営)を休むなんてほんとに珍しいこと。だから遠慮しなくていいのよ」と奥様。
というわけで、どっぷりとお世話になることに。
お昼をごちそうになってから、日本初の展覧相撲が行われたという「カタヤケシ」の地へ向かった。
見晴らしバツグン。下方に横たわるのは景行天皇陵。

↓相撲神社の鳥居

鳥居のすぐ脇に「祭神野見宿禰公」の石碑。

しかし、ただ空き地が広がるだけで、神社って?
薄暗い木陰にある小さな祠が、それのようだ。

傍らにあった説明板

最後から2行目、カタケヤシ→カタヤケシ、校正ミスですね。
すいません、仕事柄つい気になって^^;
↓土俵?

近づいてみると、そこだけ草が生えてなくて、土俵のおもかげ、あるある!

桜井ライオンズクラブによるこんな看板も掲げられていた。

平成9年、このとき、土俵を復興させる話も進んでいたというが頓挫、今に至っている。
それにしても「カタヤケシ」って不思議な名前ですよね。
『日本書紀』には一切出てこないし、展覧相撲の場所も具体的に書いているわけではない。小字の名前だという。
ずっと以前、かれこれ20数年も前になるが、郷土史家の方に、カタヤケシ=片屋家司だと教わったことを思い出した(というか、旧かぎろい誌に書いてあった^^;)。
念のため広辞苑をひいてみると
方屋(かたや):相撲場の4本柱の内。土俵上。力士が土俵上に入ることを方屋入り、というとある。
歴史学者の樋口清之先生も、カタヤケシが相撲発祥の地であることを確認してくださったということを、郷土史家の方はおっしゃっていた。
↓カタヤケシから見る二上山

今や、この地に土俵復興は(桜井市民の?)悲願ともなっている。
少なくとも、我が先輩、団長さんの「ライフワーク」なのだ(ということをこの日知った)。
『かぎろひの大和路』誌上で、どれくらいのスペースがとれるかわからないが、「相撲発祥の地」はブログテーマの1つとして追っかけていきたいと思う。
先輩、団長さん、ついていきまーす。
※『日本書紀』に出てくる「腰折田」について、「葛城の郷」のリンネさんがレポートされています。→腰折田
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纏向から三輪あたりの取材を続けていることを話すと「相撲発祥の地を忘れたらアカンでぇ!」
うっ、忘れとった^^;
「相撲発祥の地」とは、垂仁天皇の御代に、當麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が天覧相撲をとったという『日本書紀』の記述に由来する。

↑『日本書紀』垂仁天皇7年7月7日(日本古典文学大系[岩波書店]より)
垂仁天皇は纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)、その子の景行天皇は纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。
現在の巻向駅から東の高台あたりに都がおかれていたとされる。
9月14日、先輩夫婦が“相撲発祥の地”をドライブで案内してくれるという。
先輩(奥様)とワタクシは学生時代、同じ下宿アパートにいた。ご夫婦はその頃からの公認カップル。
ご主人は当時、応援団の団長さんで、特別の風格があり、気安く声をかけられるような存在ではなかった(が、ひそかに「団長さん」と親しげに呼んでいた。ン十年前の話)。
この団長さんが、お忙しい合間をぬって案内してくださるというので、ワタクシ、恐縮しまくっていると、
「女性のために仕事(自営)を休むなんてほんとに珍しいこと。だから遠慮しなくていいのよ」と奥様。
というわけで、どっぷりとお世話になることに。
お昼をごちそうになってから、日本初の展覧相撲が行われたという「カタヤケシ」の地へ向かった。
見晴らしバツグン。下方に横たわるのは景行天皇陵。

↓相撲神社の鳥居

鳥居のすぐ脇に「祭神野見宿禰公」の石碑。

しかし、ただ空き地が広がるだけで、神社って?
薄暗い木陰にある小さな祠が、それのようだ。

傍らにあった説明板

最後から2行目、カタケヤシ→カタヤケシ、校正ミスですね。
すいません、仕事柄つい気になって^^;
↓土俵?

近づいてみると、そこだけ草が生えてなくて、土俵のおもかげ、あるある!

桜井ライオンズクラブによるこんな看板も掲げられていた。

平成9年、このとき、土俵を復興させる話も進んでいたというが頓挫、今に至っている。
それにしても「カタヤケシ」って不思議な名前ですよね。
『日本書紀』には一切出てこないし、展覧相撲の場所も具体的に書いているわけではない。小字の名前だという。
ずっと以前、かれこれ20数年も前になるが、郷土史家の方に、カタヤケシ=片屋家司だと教わったことを思い出した(というか、旧かぎろい誌に書いてあった^^;)。
念のため広辞苑をひいてみると
方屋(かたや):相撲場の4本柱の内。土俵上。力士が土俵上に入ることを方屋入り、というとある。
歴史学者の樋口清之先生も、カタヤケシが相撲発祥の地であることを確認してくださったということを、郷土史家の方はおっしゃっていた。
↓カタヤケシから見る二上山

今や、この地に土俵復興は(桜井市民の?)悲願ともなっている。
少なくとも、我が先輩、団長さんの「ライフワーク」なのだ(ということをこの日知った)。
『かぎろひの大和路』誌上で、どれくらいのスペースがとれるかわからないが、「相撲発祥の地」はブログテーマの1つとして追っかけていきたいと思う。
先輩、団長さん、ついていきまーす。
※『日本書紀』に出てくる「腰折田」について、「葛城の郷」のリンネさんがレポートされています。→腰折田
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