かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
雨中の御所取材
7月29日、引き続いての御所(ごせ)取材。
前日までとうってかわりの雨天。
「雨女」卒業したはずやってんけど、また逆戻り?と思いつつ出発。
しかし、この日は「雨また楽し」の心境♪

実は、お待たせ~、おニューの傘の初出番となったものでね
ワタクシにしてはちょっと上等、ちょっと明るめの、「なんであるアイデアル」(古っ、わかります?)
この日は4人にお話を聞いて、ほぼ1日の取材が終わった。
御所市内でいつもちょっと困るのが食事処や喫茶店が少ないこと。
いちばんよく利用するのが、近鉄御所駅近く、24号線沿いの「柿の葉ずしヤマト」直営の和風レストラン「夢窓庵(むそうあん)」。
ついこの前まで友人(幼なじみ)が店長をしていたこともあり、ワタクシにとっては親近感のわくありがたいお店。
お昼にはこんな特別メニューが1000円で。

雨脚が強まり、ちょっとゆっくりくつろぐことに。
お茶をいれにきてくれた女性と、「前のH店長、幼なじみなんですよ~」などとおしゃべり。
食後、雨が小降りになるまでコーヒーでも飲もうかな、ここってコーヒーあったっけ? と思ってメニューに手を伸ばしかけたとたん、コーヒーが出てきたのにはほんとにビックリ。

だって食事↑にはコーヒーなんて、ついてないはずだもの。
えっ
と驚いていると、どうやら、前店長と友達ということで、サービスしてくれたものらしい。
そんなつもりは毛頭なかったので、恐縮、恐縮。
と同時に、このお店の行き届いた“こころ”のようなものを感じたのだった。
どうもありがとうございました。
夕刻、取材を終えて帰ろうとした頃、雨は上がり、葛城・金剛の山々はこんなふうだった。

JR御所駅のホームで(誰もいなかったので)、本日の収穫~

「風の森」は東川酒店で。
「行者米」は杉村商店オリジナル。
貴重な冊子は、お借りしてきたもの(必ず返却にあがりますのでm(_ _)m)。
「風の森」は、帰宅後ひと風呂浴びて、夕食に一献(なんかオッサンみたい^^;)
「行者米(ぎょうじゃまい)」や「御所柿(ごしょがき)」については、またおいおい紹介していきま~す。
これまでに忘れた傘、数知れず。
で、この日は忘れないようにかなり意識的に注意していた。
無事に持ち帰ることができてホッ。
ところがっ、大事な手帳が行方不明。
自分の足取りを思い出してみるのだが、う~ん…
もしかしたら家に忘れたのかもと探してみるも、見あたらず(>_<)
お~い、手帳よ、どこなの~?
※ここまで書いたところで、携帯に着信あり。
「手帳忘れてませんか?」
昨日いちばん先に取材させていただいた、NPO法人ごせまちネットワーク・創のKさんからだった。
手帳が見つかったのは嬉しいけれど、ああ恥ずかしい
同じ地へ長らく通っていると、顔見知りが増えて訪れる楽しさも広がるが、そのいっぽうでワタクシ自身のそそっかしさや厚かましさも露見するようで…^^;
この日、貴重な資料をお借りしたのが、実は電話をかけてきてくださったKさん。
「これお借りできません?」と厚かましくお願いしたワタクシ。
1冊しかないので…とおっしゃりながらも、お貸しくださったのだった。
Kさん、いろいろとお世話になったうえに、さらにご迷惑をおかけして申しわけございません。
ありがとうございました。
前日までとうってかわりの雨天。
「雨女」卒業したはずやってんけど、また逆戻り?と思いつつ出発。
しかし、この日は「雨また楽し」の心境♪

実は、お待たせ~、おニューの傘の初出番となったものでね

ワタクシにしてはちょっと上等、ちょっと明るめの、「なんであるアイデアル」(古っ、わかります?)
この日は4人にお話を聞いて、ほぼ1日の取材が終わった。
御所市内でいつもちょっと困るのが食事処や喫茶店が少ないこと。
いちばんよく利用するのが、近鉄御所駅近く、24号線沿いの「柿の葉ずしヤマト」直営の和風レストラン「夢窓庵(むそうあん)」。
ついこの前まで友人(幼なじみ)が店長をしていたこともあり、ワタクシにとっては親近感のわくありがたいお店。
お昼にはこんな特別メニューが1000円で。

雨脚が強まり、ちょっとゆっくりくつろぐことに。
お茶をいれにきてくれた女性と、「前のH店長、幼なじみなんですよ~」などとおしゃべり。
食後、雨が小降りになるまでコーヒーでも飲もうかな、ここってコーヒーあったっけ? と思ってメニューに手を伸ばしかけたとたん、コーヒーが出てきたのにはほんとにビックリ。

だって食事↑にはコーヒーなんて、ついてないはずだもの。
えっ

そんなつもりは毛頭なかったので、恐縮、恐縮。
と同時に、このお店の行き届いた“こころ”のようなものを感じたのだった。
どうもありがとうございました。
夕刻、取材を終えて帰ろうとした頃、雨は上がり、葛城・金剛の山々はこんなふうだった。

JR御所駅のホームで(誰もいなかったので)、本日の収穫~

「風の森」は東川酒店で。
「行者米」は杉村商店オリジナル。
貴重な冊子は、お借りしてきたもの(必ず返却にあがりますのでm(_ _)m)。
「風の森」は、帰宅後ひと風呂浴びて、夕食に一献(なんかオッサンみたい^^;)
「行者米(ぎょうじゃまい)」や「御所柿(ごしょがき)」については、またおいおい紹介していきま~す。
これまでに忘れた傘、数知れず。
で、この日は忘れないようにかなり意識的に注意していた。
無事に持ち帰ることができてホッ。
ところがっ、大事な手帳が行方不明。
自分の足取りを思い出してみるのだが、う~ん…
もしかしたら家に忘れたのかもと探してみるも、見あたらず(>_<)
お~い、手帳よ、どこなの~?
※ここまで書いたところで、携帯に着信あり。
「手帳忘れてませんか?」
昨日いちばん先に取材させていただいた、NPO法人ごせまちネットワーク・創のKさんからだった。
手帳が見つかったのは嬉しいけれど、ああ恥ずかしい

同じ地へ長らく通っていると、顔見知りが増えて訪れる楽しさも広がるが、そのいっぽうでワタクシ自身のそそっかしさや厚かましさも露見するようで…^^;
この日、貴重な資料をお借りしたのが、実は電話をかけてきてくださったKさん。
「これお借りできません?」と厚かましくお願いしたワタクシ。
1冊しかないので…とおっしゃりながらも、お貸しくださったのだった。
Kさん、いろいろとお世話になったうえに、さらにご迷惑をおかけして申しわけございません。
ありがとうございました。
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30
鷺池畔の百日紅

ちょうど今頃、サルスベリが見頃じゃないかなあ、と浮見堂のある鷺池(さぎいけ)まで行ってみた。
予想どおり

強烈な真夏の光を浴びて、なお高らかに歌うような咲きっぷり。
透明感のあるショッキングピンクが青空によく似合う。
元気、もろたで~



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28
満願寺 地蔵石仏
御所(ごせ)市、孝安天皇陵のある玉出(たまで)丘陵の南の裾を西から見る。

近づいてみると丘陵に沿うように道がついており「満願寺参道」とある。
南へ歩くと、すぐ先で道は90度東を向くが、どこまでも丘陵に沿っているものと見える。
道なりに上り坂をたどると、やがて墓地へと導かれ、「満願寺」があった。
墓地の上方にお寺があり、さらにその上は…どうやら孝安天皇陵のよう。
なぁるほど、天皇陵から見えていた大きな甍は、満願寺のだったのか!
墓地の中に佇んでいた地蔵石仏(右はお顔のアップ)。


お墓参りをされる方以外には、あまり気づかれることもないのだろうが、長らく生き抜いてきたお方のみがもつ味わい深い風貌!
『御所市史』に「満願寺地蔵石仏」と登場しているのがこの方だろう。
室町時代の永禄7年(1564)の銘があるという。
『かぎろひの大和路』表紙候補その②
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南へ歩くと、すぐ先で道は90度東を向くが、どこまでも丘陵に沿っているものと見える。
道なりに上り坂をたどると、やがて墓地へと導かれ、「満願寺」があった。

なぁるほど、天皇陵から見えていた大きな甍は、満願寺のだったのか!
墓地の中に佇んでいた地蔵石仏(右はお顔のアップ)。


お墓参りをされる方以外には、あまり気づかれることもないのだろうが、長らく生き抜いてきたお方のみがもつ味わい深い風貌!
『御所市史』に「満願寺地蔵石仏」と登場しているのがこの方だろう。
室町時代の永禄7年(1564)の銘があるという。
『かぎろひの大和路』表紙候補その②
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27
生根神社 だいがく祭
先日来の取材で、全国的に有名な大型献灯行事のルーツが、鴨都波(かもつば)神社のススキ提灯にあるのではないかということがわかった。
秋田市の「竿灯」や富山県魚津市のタテモンなどと並んで、大阪市西成区の「ダイガク」の名もあったがワタクシ、大阪に大型献灯行事があることも知らず、「ダイガク」も初耳!
どんな行事なのだろうと興味はわいたが、調べようともせずそれきりになっていた。
ところが先日、「ぶらり」の白雪さんからのコメントで、7月24日、25日に、大阪西成区の生根(いくね)神社で「だいがく祭」のあることを知った。
白雪さんのレポートを楽しみにしていようと思っていたら
休みの日まで大阪には行きたくないです。
ごもっとも。
あきらめていたのだが、高野山麓の実家から奈良へ戻る24日、南海高野線で途中下車したら簡単に行けるやん、と気づいた
郷里の友達5人とランチしてたらふく食べて(飲んでませんよ)エネルギーを十分補給してから、ひとり焼けつくような大阪市西成区玉出に降り立った。
生根神社はまちのど真ん中に鎮座。

狭い境内に入ると、そびえていたのがこれ(1基。念のため)。

7段、8・10・12×5の78張の赤い提灯がぶら下がり、上に傘のようなものが2つ、さらにとんがり帽子(などと言っていいのか^^;)がついている。
神社の屋根よりも高く

外から見ると、空に向かって伸びていくよう! 約20mあるという。

近づいてみると

男の子たちが元気いっぱい。
太鼓を叩いたり、「だいがく」をグルグル回したり。
やっぱり、男の子はこうでなくちゃね!
大阪府指定文化財。
漢字で書くと「台楽」または「台額」なのだそう。
雨乞い神事に用いられたというから、かなりの歴史はあるのだろう。
う~んと、「だいがく祭」ってこれのこと?
夜はどないかなるの?
またもや予習せずにやってきてしまったワタクシ、それらしい人をつかまえて突撃インタビュー^^;
昔(40年ほど前?)はこれが現役でお祭りの主役だったが、「だんだん男達に力がなくなったので」(そうおっしゃったんですよ)、これは固定してここで見ていただき(7月24日、25日のみ公開)、今はちょっと小ぶりの「だいがく」でお祭りしています、とのこと。
近くの公園がその舞台だと教えていただき、行ってみると。

ワォー、3種類の「だいがく」が準備されていた。
青空に映えて、なんとも元気色!
男用(中央)、ギャル用、子ども用だそうで。
見ていると、どこかかわいい感じが。

夜になって、提灯にいっせいに電気が入ると格別の華やかさになるという。
太鼓の音、だいがく音頭に合わせて、数十人で担ぎ上げ練り歩くらしい。
残念ながら、夜までいる元気がなくて、レポートできずm(_ _)m
「一回帰ってまたおいで」
「はい、今度は夜を目ざしてきます」
とは言ったものの…
25日もやっているはずだけれど…
あの暑い大阪のまちなかへ出かける勇気は出なかった。
もっとワタクシ自身のパワーをためてからでないと、このお祭りを楽しめないような気もする。
なぜか、素朴なススキ提灯がまた見たくなった。
いただいたうちわ。

※生根神社
大阪市西成区玉出西2丁目1-10
写真は境内の隅の小さな社。
三輪明神がおまつりされていてうれしくなった♪
南海高野線「岸里玉出(きしのさとたまで)駅」で下車。帰りは地下鉄四つ橋線「玉出駅」から難波へ。

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秋田市の「竿灯」や富山県魚津市のタテモンなどと並んで、大阪市西成区の「ダイガク」の名もあったがワタクシ、大阪に大型献灯行事があることも知らず、「ダイガク」も初耳!
どんな行事なのだろうと興味はわいたが、調べようともせずそれきりになっていた。
ところが先日、「ぶらり」の白雪さんからのコメントで、7月24日、25日に、大阪西成区の生根(いくね)神社で「だいがく祭」のあることを知った。
白雪さんのレポートを楽しみにしていようと思っていたら
休みの日まで大阪には行きたくないです。
ごもっとも。
あきらめていたのだが、高野山麓の実家から奈良へ戻る24日、南海高野線で途中下車したら簡単に行けるやん、と気づいた

郷里の友達5人とランチしてたらふく食べて(飲んでませんよ)エネルギーを十分補給してから、ひとり焼けつくような大阪市西成区玉出に降り立った。
生根神社はまちのど真ん中に鎮座。

狭い境内に入ると、そびえていたのがこれ(1基。念のため)。

7段、8・10・12×5の78張の赤い提灯がぶら下がり、上に傘のようなものが2つ、さらにとんがり帽子(などと言っていいのか^^;)がついている。
神社の屋根よりも高く

外から見ると、空に向かって伸びていくよう! 約20mあるという。

近づいてみると

男の子たちが元気いっぱい。
太鼓を叩いたり、「だいがく」をグルグル回したり。
やっぱり、男の子はこうでなくちゃね!

漢字で書くと「台楽」または「台額」なのだそう。
雨乞い神事に用いられたというから、かなりの歴史はあるのだろう。
う~んと、「だいがく祭」ってこれのこと?
夜はどないかなるの?
またもや予習せずにやってきてしまったワタクシ、それらしい人をつかまえて突撃インタビュー^^;
昔(40年ほど前?)はこれが現役でお祭りの主役だったが、「だんだん男達に力がなくなったので」(そうおっしゃったんですよ)、これは固定してここで見ていただき(7月24日、25日のみ公開)、今はちょっと小ぶりの「だいがく」でお祭りしています、とのこと。
近くの公園がその舞台だと教えていただき、行ってみると。

ワォー、3種類の「だいがく」が準備されていた。
青空に映えて、なんとも元気色!
男用(中央)、ギャル用、子ども用だそうで。
見ていると、どこかかわいい感じが。

夜になって、提灯にいっせいに電気が入ると格別の華やかさになるという。
太鼓の音、だいがく音頭に合わせて、数十人で担ぎ上げ練り歩くらしい。
残念ながら、夜までいる元気がなくて、レポートできずm(_ _)m
「一回帰ってまたおいで」
「はい、今度は夜を目ざしてきます」
とは言ったものの…
25日もやっているはずだけれど…
あの暑い大阪のまちなかへ出かける勇気は出なかった。
もっとワタクシ自身のパワーをためてからでないと、このお祭りを楽しめないような気もする。
なぜか、素朴なススキ提灯がまた見たくなった。
いただいたうちわ。


大阪市西成区玉出西2丁目1-10
写真は境内の隅の小さな社。
三輪明神がおまつりされていてうれしくなった♪
南海高野線「岸里玉出(きしのさとたまで)駅」で下車。帰りは地下鉄四つ橋線「玉出駅」から難波へ。

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25
玉手集落と玉手丘上陵
奈良大和路を歩いて出合う魅力は数え切れないが、集落の美しさもその1つだと思う。
戦禍を逃れ、また自然災害も少なかったおかげで、各地に歴史を感じさせる趣深い集落が残る。
高野山麓の実家への行き帰り、JR和歌山線がここを通るたびに、思わず車窓に額をくっつけて見入ってしまう集落がある。
あっという間に過ぎ去ってしまっても、家並みの美しさ、重厚な民家群が目の底に残る。
行ってみたい…
先日やっと念願を果たすことができた。

JR和歌山線玉手(たまで)駅から東へすぐ。
写真は線路の南側から集落(南方)を見たところ。
集落側から和歌山線を見ると。

自分が乗っているのではないかと探していたりして…^^;
いよいよ集落へ。失礼しま~す。

想像以上の重厚さ。家屋の大きさに目を見張る。
1軒、2軒だけがというのではなく、集落全体がこんな豪壮さ。
集落をウロウロしたけれど、誰にも会わなかったので、何も聞けず。
物音すら聞こえてこない。
これだけ大きい家屋だから外へ音が漏れないのか、ここにも過疎化の波が及んでいるのか…
そして、この集落の背後に見えるお山が、孝安天皇陵に比定されている玉手丘上陵(たまでのおかのえのみささぎ)。

御陵へ至る道からふり返って見る玉手集落。

整備された林の道を上って行くと、御陵に達する。

孝安天皇陵から見る金剛・葛城の山。

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戦禍を逃れ、また自然災害も少なかったおかげで、各地に歴史を感じさせる趣深い集落が残る。
高野山麓の実家への行き帰り、JR和歌山線がここを通るたびに、思わず車窓に額をくっつけて見入ってしまう集落がある。
あっという間に過ぎ去ってしまっても、家並みの美しさ、重厚な民家群が目の底に残る。
行ってみたい…
先日やっと念願を果たすことができた。

JR和歌山線玉手(たまで)駅から東へすぐ。
写真は線路の南側から集落(南方)を見たところ。
集落側から和歌山線を見ると。

自分が乗っているのではないかと探していたりして…^^;
いよいよ集落へ。失礼しま~す。

想像以上の重厚さ。家屋の大きさに目を見張る。
1軒、2軒だけがというのではなく、集落全体がこんな豪壮さ。
集落をウロウロしたけれど、誰にも会わなかったので、何も聞けず。
物音すら聞こえてこない。
これだけ大きい家屋だから外へ音が漏れないのか、ここにも過疎化の波が及んでいるのか…
そして、この集落の背後に見えるお山が、孝安天皇陵に比定されている玉手丘上陵(たまでのおかのえのみささぎ)。

御陵へ至る道からふり返って見る玉手集落。

整備された林の道を上って行くと、御陵に達する。

孝安天皇陵から見る金剛・葛城の山。

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24
大口峠のお地蔵さん
さる6月24日、室(むろ)宮山古墳からJR和歌山線掖上(わきがみ)駅まで歩いた時のこと。
條ウル神古墳を後に、東へ歩くと三叉路に出た。
一応、次は日本武尊白鳥陵を目指していたので、この看板はいい位置に立っているのだと思う。
しか~し、右手に上り道が続いている(左手は下り)。
これはどこへ行くの?
何があるの?
気になる、気になる。
そこに上り道があれば上ってみるのが、かぎろひ流(下り道はさほど魅力を感じないのだけれど^^;)。
で、とりあえず上ってみることに。
そうすると、な~んだ、車の往来の激しい車道に出た。
どうやら国道309号線。
大阪から水越峠を越えて吉野へと続く道路のようだ。
こんな所までコミュニティバスが来ているのか、「大口峠」のバス停があった。
バス停の向こうに見える階段、あの上には何が?
ほんとにナントカは高い所が好きなようで…。
導かれるように上る^^;
と、おお、こんな所に!
地蔵堂。
格子の間からのぞいてみる。
真っ暗。
ドキドキしながらフラッシュ撮影。

ああほんとに、ビックリ
目の前に、ど~んと、まるまるとした大きな石地蔵さんが現れるんだもの!
とにかく小細工なしのシンプルな大らかさ。
お顔の横の蜘蛛の巣がちょっと気になるけど、「そんなことまるで気にしていないよ」とお地蔵さんはおっしゃっているようだった。
地蔵堂の前から道路を撮る。
ドライバーの皆さん!
大口峠の頂上で、大きなお地蔵様が安全を見守ってくれていますよ!
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一応、次は日本武尊白鳥陵を目指していたので、この看板はいい位置に立っているのだと思う。
しか~し、右手に上り道が続いている(左手は下り)。
これはどこへ行くの?
何があるの?
気になる、気になる。
そこに上り道があれば上ってみるのが、かぎろひ流(下り道はさほど魅力を感じないのだけれど^^;)。

そうすると、な~んだ、車の往来の激しい車道に出た。
どうやら国道309号線。
大阪から水越峠を越えて吉野へと続く道路のようだ。
こんな所までコミュニティバスが来ているのか、「大口峠」のバス停があった。
バス停の向こうに見える階段、あの上には何が?
ほんとにナントカは高い所が好きなようで…。
導かれるように上る^^;
と、おお、こんな所に!
地蔵堂。
格子の間からのぞいてみる。
真っ暗。
ドキドキしながらフラッシュ撮影。

ああほんとに、ビックリ

目の前に、ど~んと、まるまるとした大きな石地蔵さんが現れるんだもの!
とにかく小細工なしのシンプルな大らかさ。
お顔の横の蜘蛛の巣がちょっと気になるけど、「そんなことまるで気にしていないよ」とお地蔵さんはおっしゃっているようだった。

ドライバーの皆さん!
大口峠の頂上で、大きなお地蔵様が安全を見守ってくれていますよ!
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22
ススキ提灯 総括
総括、なぁんて大層なタイトルをつけたものの、他の地域をきちんと取材しているわけでもないので大した報告もできないけれど、鴨都波(かもつば)神社の松本宮司さんにお聞きしたこと、いただいた資料なども併せて、ここでワタクシなりにまとめておきたい。
ススキ提灯は、おもに葛城山、金剛山の麓で見られる高張提灯だが、地域によって提灯の数が微妙に違う。
鴨都波神社では、提灯の数が上から2・4・4の10張だった。

何年か前に行った「葛城一言主神社」のものも同様で2・4・4。
ところが、もう少し北西にある笛吹神社では、2・4・6の12張だという。
これについては「きっすいの奈良人」のメグさんが報告されている。
ネットで見ていると、葛木御歳(かつらぎみとし)神社の場合は、3つの大字から奉納されるススキ提灯が一様でないみたい。
神社のホームページから写真を拝借m(_ _)m
ねっ、中央と左は12張だけれど、右は10張!
ということは、同じ神社の氏子であっても地域によって違うということよね。
う~ん、おもしろい
じゃあ、高鴨神社はどうなん?
ここは、2・4とシンプルだが、上には燈籠がつく華やかさ
「寿々伎提灯」と書くらしい。
宮司さんの話では、戸毛(とうげ)の春日神社なども、2・4の2段6張とのことだ。
五條市へいくと「スズキ提灯」と濁音になる。
最近はあまり見られなくなったが、稲刈りが終わった後、脱穀した藁を積み上げておく、その藁のことを、このあたりでは「ススキ」と言うのだそう(五條では「スズキ」か)。
左の写真は先日、明日香村で見かけたもの。
これはカーブミラーに稲藁を巻き付けたオチャメなものだったので、思わず撮ってしまったが、まあこんな感じで、本物はもっと高く積み上げられて風格がある。
稲藁積みの形状を提灯に表したものかとナットクしていたら、鴨都波神社のススキ提灯は稲穂そのものの形を表していると伝えられているそうだ。
ススキ提灯が進化して、秋田市の竿燈や大阪市西成区のダイガク、富山県魚津市のタテモン、三重県桑名市の石取祭などのような大型の献灯行事になったのではないかと、奈良県民俗博物館の鹿谷勲さんはみていらっしゃる(鹿谷勲「鴨の宮のススキ提灯」)。
葛城地域の歴史の深さを物語る一端がここにもあるようで…。
無形民俗文化財としての「御所の献灯行事」の説明は、次のように締めくくっている。
鴨都波神社の氏子で毎年行われているススキ提灯の奉納は、全国的に見られるこうした献灯行事に連なるものである。県内で類似のものとしては、五條市域のスズキ提灯、北葛城郡一帯の十二灯、十二振、斑鳩町のダイガクなどが知られるが、それらの中でも最も規模の大きなものであるとともに、奈良盆地南部における祭礼形態を示す代表的な行事として貴重である。

実はお祭りの当日、御所まちを歩いていて、氏子でもススキ提灯を奉納しない例外的な町内のあることを知った。
担ぎ手がいないとか町内の諸事情などで提灯奉納を休んでいる所はあるが、それとは別に、ススキ提灯を奉納する習わしのない町内が、御所まちのど真ん中にあったことに驚いた。
お祭りの日の様子などは面識のある人に聞きやすいかなと、「鷹長」「風の森」を醸す油長酒造さんをお訪ねしてみた。西御所の中ほど、中本町(なかほんまち)にある。
ところが、中本町はずっと昔からススキ提灯とは無関係だというのだ(ただしお祭りには各自治会にお酒をふるまわれている)。
「中本町はススキ提灯を奉納しない」という事実がわかっただけで、何とも言えないのだが、もしかしたら、ススキ提灯は農業に関わるお祭りなので、早い時期から商業に携わってきた町にはそのような風習はないのでは、とふと思った。
中本町以外に提灯奉納しないまちがあるのかどうかなどは、また機会があれば聞いてみたい。
ああっ、総括になってない!
まだまだ謎はいっぱい、興味は尽きないわ~(^_^;)
どなたか、卒論のテーマとして、どないですか。

ススキ提灯は、おもに葛城山、金剛山の麓で見られる高張提灯だが、地域によって提灯の数が微妙に違う。
鴨都波神社では、提灯の数が上から2・4・4の10張だった。

何年か前に行った「葛城一言主神社」のものも同様で2・4・4。
ところが、もう少し北西にある笛吹神社では、2・4・6の12張だという。
これについては「きっすいの奈良人」のメグさんが報告されている。
ネットで見ていると、葛木御歳(かつらぎみとし)神社の場合は、3つの大字から奉納されるススキ提灯が一様でないみたい。
神社のホームページから写真を拝借m(_ _)m

ということは、同じ神社の氏子であっても地域によって違うということよね。
う~ん、おもしろい

じゃあ、高鴨神社はどうなん?
ここは、2・4とシンプルだが、上には燈籠がつく華やかさ

「寿々伎提灯」と書くらしい。
宮司さんの話では、戸毛(とうげ)の春日神社なども、2・4の2段6張とのことだ。
五條市へいくと「スズキ提灯」と濁音になる。

左の写真は先日、明日香村で見かけたもの。
これはカーブミラーに稲藁を巻き付けたオチャメなものだったので、思わず撮ってしまったが、まあこんな感じで、本物はもっと高く積み上げられて風格がある。
稲藁積みの形状を提灯に表したものかとナットクしていたら、鴨都波神社のススキ提灯は稲穂そのものの形を表していると伝えられているそうだ。
ススキ提灯が進化して、秋田市の竿燈や大阪市西成区のダイガク、富山県魚津市のタテモン、三重県桑名市の石取祭などのような大型の献灯行事になったのではないかと、奈良県民俗博物館の鹿谷勲さんはみていらっしゃる(鹿谷勲「鴨の宮のススキ提灯」)。
葛城地域の歴史の深さを物語る一端がここにもあるようで…。
無形民俗文化財としての「御所の献灯行事」の説明は、次のように締めくくっている。
鴨都波神社の氏子で毎年行われているススキ提灯の奉納は、全国的に見られるこうした献灯行事に連なるものである。県内で類似のものとしては、五條市域のスズキ提灯、北葛城郡一帯の十二灯、十二振、斑鳩町のダイガクなどが知られるが、それらの中でも最も規模の大きなものであるとともに、奈良盆地南部における祭礼形態を示す代表的な行事として貴重である。

実はお祭りの当日、御所まちを歩いていて、氏子でもススキ提灯を奉納しない例外的な町内のあることを知った。
担ぎ手がいないとか町内の諸事情などで提灯奉納を休んでいる所はあるが、それとは別に、ススキ提灯を奉納する習わしのない町内が、御所まちのど真ん中にあったことに驚いた。
お祭りの日の様子などは面識のある人に聞きやすいかなと、「鷹長」「風の森」を醸す油長酒造さんをお訪ねしてみた。西御所の中ほど、中本町(なかほんまち)にある。
ところが、中本町はずっと昔からススキ提灯とは無関係だというのだ(ただしお祭りには各自治会にお酒をふるまわれている)。
「中本町はススキ提灯を奉納しない」という事実がわかっただけで、何とも言えないのだが、もしかしたら、ススキ提灯は農業に関わるお祭りなので、早い時期から商業に携わってきた町にはそのような風習はないのでは、とふと思った。
中本町以外に提灯奉納しないまちがあるのかどうかなどは、また機会があれば聞いてみたい。
ああっ、総括になってない!
まだまだ謎はいっぱい、興味は尽きないわ~(^_^;)
どなたか、卒論のテーマとして、どないですか。

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21
御所の水まんじゅう

車でサーッと風の森まで行ったemirinさんにはすでに先を越されている…
食べたい…
7月16日、「鴨都波(かもつば)神社のススキ提灯奉納行事」のとき、線路脇にある小さなお店を発見。
地元の人から、あそこの水まんじゅうはおいしいと聞き及んでいた、そのお店だった。
あまりにも目立たないので、その前に1度通っているのに、見落としていた^^;
吉村朝日堂


「欲しいんですけど、お祭りが終わるまで持って歩くのは無理ですよね」と言うと、
「帰りまで、お預かりしときましょか?」
「ええっ、いいんですか。遅くなりますけど…」
いつもなら夕方の閉店だけれど、さすがにお祭りの日だけは夜遅くまで開けているという。
ようやく「水まんじゅう」ゲット!

つるんとした食感、のどごしの良さ、ササのほのかな香り…暑い夏にはサイコー(^_^)v
この時期に欠かせない御所の名物なのだ。
お祭りの後、店に立ち寄る人も多いようだった。
この「水まんじゅう」、8月頃まで販売しているが、発売日は毎年6月16日と決まっているのだという。
6月16日は「太神宮さん」の日。
どうやら御所まちの人にとっては特別な日らしい。
7月16日の盛大な夏祭りの日こそ、各家で何か特別なごちそうを作る風習があるのではないだろうか(だったら書く内容もふくらむな)と思い、何人かに聞いてみたが「別に何もしませんよ」とのお答え^^;
「でも、6月16日の太神宮さんの日には、ごちそう作りますよ!」と皆さん口をそろえておっしゃった。
観光行事には全く挙がってこないが、このような暮らしに溶け込んだお祭りがあったのね!
各家では、伝統の「柿の葉ずし」を作り、浴衣もこの日から着る習わしだとか。
この太神宮さんの日から「水まんじゅう」は売り出されるとのこと。
まちの人はそれを知っていて、待ってましたと求める。
もしかしたら昔は、各家で「水まんじゅう」も作っていたのかもしれない、ね。
時代とともに失われつつあるようなこういった風習が今も、古いまちなみにはちゃんと活きているのがうれしい。
すでに1か月前に終わった行事とあっては、次号の『かぎろひの大和路』誌上に載せることは無理だけれど、いつかこの日に御所のまちを訪れてみたい。
まちの中にある「太神宮」さん。
お伊勢さん信仰のようだ。

「吉村朝日堂」の場所
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ススキ提灯奉納行事

7月16日、「鴨都波(かもつば)神社の夏祭り」レポート②
葛城川沿いに神社へと向かうススキ提灯の列。
夕闇のなか、その向こうに葛城・金剛のシルエットが浮かぶ。
ゆらゆらと進んで行く灯りの列は、ふっと今を忘れさせるほど神秘的。
折しも月が♪
うっと~り

と、その時、花火が上がった!
ハッと我に返る。
タイヘン。走る


下見の段階で描いていたワタクシの一連のストーリーは、川の対岸から提灯の列を撮る、というところまではバッチリだった。
すばやく撮り終えると、提灯ルートからはずれて路地を抜け、もう一つ西側の橋から行列と花火を撮り、その後、提灯の列よりも先に神社へ入って待つ、というのがワタクシの筋書き。
↓
現実は…というと、うっとりと見過ぎてタイミングをはずしたうえに、対岸を走り過ぎて、路地を見失い、提灯列の最後尾につくという顛末^^;
↓
狭い道、人の波、ええいままよ、もう流れにまかせて進むしかない。
↓
やっと境内に入ったら、すでに前のほうのススキ提灯奉納は終わっているもよう。
ぎっしりと人垣ができていて、入り込むスキを探すのにひと苦労。

次から次へと繰り広げられるススキ提灯を使った演技に目を見張る。
あの重たいススキ提灯を持って境内をぐるりと全力疾走、片手持ち~、顔乗せ~、ぐるぐる回転…
ウッソー、うわっ、はらはらっ、

そのうちに見ているほうもテンション上がる、上がる

片手でお見事! 腕乗せも

顎? 額? 大丈夫かなあ

走るっ

倒すっ

って、これはワザではなくて、勢いあまって転倒。
観衆どよめく。
よっ、われらが竹田衆の出番や!

少しでもご縁ができると(→★)、応援にも力が入る。
がんばって~

あ、これから毎年、ススキ提灯を1つずつ、町ごとに取材していこうかな。
まちの歴史、話題、パフォーマンスの主、練習…
ウッ、全部終えるのに、30年かかる…(-_-;)
無理っす。
ススキ提灯が全部奉納された後の、鴨の宮若衆会の演技はさらに迫力のあるものだった。
提灯のキャッチボール(?)みたいなのがあったり、ススキ提灯を横に倒してぐるぐる回すのがあったり。
度肝を抜かれっぱなし。

それから、派手なパフォーマンスに目を奪われがちだけれど、これがなければおそらく盛り上がりは半減のはず。
ススキ提灯奉納の間ずっと切れ目なく、勇ましい太鼓演奏を披露された鴨若鼓(かもじゃっこ)の皆さんにも拍手~

9時過ぎ、全てを見終わってから、御所駅へ急ぐ。
まちなかを歩いていくと、あちこちから賑やかな声が聞こえてくる。
地べたの敷物にすわって談笑するご婦人たち。
おそらく、無事に大役を果たした男衆が帰還したら、さらに盛り上がるのだろう。
1年に1度、この夜ばかりは、夜更けまで宴が繰り広げられると聞く。
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鴨都波神社の夏祭り本番!
7月16日、お天気を心配しながら、昼過ぎに御所(ごせ)入り。
まずは神社へ参拝。
ちょうどお囃子隊(?)が出発される時に行き合わせてラッキー

午後1時。
こんな真っ昼間から着々とお祭りは進んでいるのね。
太鼓、笛、鉦を鳴らしながら、まちまちを巡っていくのだという。

いやがうえにも盛り上がるねっ。
行ってらっしゃ~い。
さてと、ワタクシはどこから写真撮ろうかなと、下見、下見。
出会った人にも教えてもらう。
「ススキ提灯はあの橋を渡りますから、こっちの橋から構えると、花火を入れて撮れますよ」
ふむふむ。
ということは、提灯と同じ道じゃなくて、途中からこの路地を入るのね、っと一応歩いてみる。
構想は万全のはずだったのだが…^^;
ワタクシが早く御所入りしたもうひとつの目的は、各町に掲げられた提灯を見て回ること。

各町それぞれの文字、異なる風景のなかでススキ提灯は1つ1つ味わいが違うのではないかと思ったのだ♪
ところが。
上の2つを撮ってから、どこを歩いても提灯は見あたらない。
頭上では雷がごろごろ、雲行きがあやしい。
もしかしたら?
案の定、濡れては大変なので、組み立てた提灯をしまった後だったのだ。
しまった^^;

御所のまちなみは散歩するだけでも楽しいけれど、雷こわいし、今にも降りそう。
市立図書館へ飛び込む。
どうしようと思っていたところへ、ナラ咲くブロガー「きっすいの奈良人」のメグさんから連絡あり、合流することに。
ほんとに何なんでしょうね。初めてお話しするのに、もう以前からよく知っているような気がしてしまうのは。ブログ友達おそるべし。
おしゃべりの後、再びまちなかへ。
お天気はまだ不安定な感じで、提灯も出ていない。
「ススキ提灯マップ」(鴨都波神社のHPからダウンロード)で、いちばん北にある「竹田」のまちへ行ってみると、今や提灯を立てようというところ。
「ちょっと手伝って~。提灯持ってて~」
ええっ、フツーこんなか弱き女性に声かけるぅ?
どうやら、屈強な若人のいない土地らしい。
「女人禁制じゃないんですかぁ」
「そんなこと、ないない。ちょっと持ってよ」
メグさんかなり奮闘。
ワタクシまずは写真(ゴメン)!

提灯は真下で見るとかなり迫力あり。

おかげで貴重な経験が。
ススキ提灯の重さっていったいどれくらいあるの?
持ち上げようとしてみる。ビクともしない。
次に、渾身の力を振り絞って持ち上げると、浮いた、浮いた!
う~ん、私の体力からみると、20㎏はない…カナ(20㎏もゼッタイ持ち上げられへんもん)。
記念写真撮って~という声が出て、はい、「並んでくださ~い」。

作業後、「出発式にどうぞ」と言われて、ついていくと、そこはちょっと高みになった所で、厳島神社が鎮座していた。
境内に立っていた説明板を読むと、なんと推古天皇の御子、竹田皇子が住まわれていた土地で、地名はそこからきているのだという。
どこへ行っても、深い歴史が今につながっているのを感じる。大和ならでは!
さて、出発式にのぞんだ我々も御神酒をいただいて、いざ出陣。

各地からススキ提灯が葛城公園に集結する。
メグさんとはここでサヨナラ。
お疲れさまでした~
葛城山を背景に進むススキ提灯の列

葛城川沿いに進む提灯は幻想的

つづき(神社での奉納行事)は次回に。
まずは神社へ参拝。
ちょうどお囃子隊(?)が出発される時に行き合わせてラッキー

午後1時。
こんな真っ昼間から着々とお祭りは進んでいるのね。
太鼓、笛、鉦を鳴らしながら、まちまちを巡っていくのだという。

いやがうえにも盛り上がるねっ。
行ってらっしゃ~い。
さてと、ワタクシはどこから写真撮ろうかなと、下見、下見。
出会った人にも教えてもらう。
「ススキ提灯はあの橋を渡りますから、こっちの橋から構えると、花火を入れて撮れますよ」
ふむふむ。
ということは、提灯と同じ道じゃなくて、途中からこの路地を入るのね、っと一応歩いてみる。
構想は万全のはずだったのだが…^^;
ワタクシが早く御所入りしたもうひとつの目的は、各町に掲げられた提灯を見て回ること。

各町それぞれの文字、異なる風景のなかでススキ提灯は1つ1つ味わいが違うのではないかと思ったのだ♪
ところが。
上の2つを撮ってから、どこを歩いても提灯は見あたらない。
頭上では雷がごろごろ、雲行きがあやしい。
もしかしたら?
案の定、濡れては大変なので、組み立てた提灯をしまった後だったのだ。
しまった^^;

御所のまちなみは散歩するだけでも楽しいけれど、雷こわいし、今にも降りそう。
市立図書館へ飛び込む。
どうしようと思っていたところへ、ナラ咲くブロガー「きっすいの奈良人」のメグさんから連絡あり、合流することに。
ほんとに何なんでしょうね。初めてお話しするのに、もう以前からよく知っているような気がしてしまうのは。ブログ友達おそるべし。
おしゃべりの後、再びまちなかへ。
お天気はまだ不安定な感じで、提灯も出ていない。
「ススキ提灯マップ」(鴨都波神社のHPからダウンロード)で、いちばん北にある「竹田」のまちへ行ってみると、今や提灯を立てようというところ。
「ちょっと手伝って~。提灯持ってて~」
ええっ、フツーこんなか弱き女性に声かけるぅ?
どうやら、屈強な若人のいない土地らしい。
「女人禁制じゃないんですかぁ」
「そんなこと、ないない。ちょっと持ってよ」
メグさんかなり奮闘。
ワタクシまずは写真(ゴメン)!

提灯は真下で見るとかなり迫力あり。

おかげで貴重な経験が。
ススキ提灯の重さっていったいどれくらいあるの?
持ち上げようとしてみる。ビクともしない。
次に、渾身の力を振り絞って持ち上げると、浮いた、浮いた!
う~ん、私の体力からみると、20㎏はない…カナ(20㎏もゼッタイ持ち上げられへんもん)。
記念写真撮って~という声が出て、はい、「並んでくださ~い」。

作業後、「出発式にどうぞ」と言われて、ついていくと、そこはちょっと高みになった所で、厳島神社が鎮座していた。
境内に立っていた説明板を読むと、なんと推古天皇の御子、竹田皇子が住まわれていた土地で、地名はそこからきているのだという。
どこへ行っても、深い歴史が今につながっているのを感じる。大和ならでは!
さて、出発式にのぞんだ我々も御神酒をいただいて、いざ出陣。

各地からススキ提灯が葛城公園に集結する。
メグさんとはここでサヨナラ。
お疲れさまでした~
葛城山を背景に進むススキ提灯の列

葛城川沿いに進む提灯は幻想的

つづき(神社での奉納行事)は次回に。
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