かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
正倉院展公開講座と西山厚先生
「正倉院展」期間中、奈良国立博物館では下記の公開講座が予定されている。
11月 3日(火・祝)「正倉院木工品と木彫の成立」
鈴木喜博学芸部上席研究員
11月 7日(土)「光明皇后の楽毅論について」
西山厚学芸部長
奈良国立博物館 講堂
13:30~15:00 ※13時より講堂入口で入場券が配布される。
場所 定員 196名(先着順)
聴講無料
西山厚先生のお話は、ワタクシもこれまで数回拝聴したことがあるが、わかりやすくて楽しい! 今やひっぱりだこのよう。
先生のお名前を聞くたびに、かれこれ10年ほども前のことを思い出してしまう。
その頃、奈良国立博物館では「親と子の文化財教室」という毎年の連続企画があった。
小学校高学年から中学生を対象に、月1回の講座を開き、年に2回程度の現地講座もあった。
学校の勉強は全くみてやらなかったが(少し反省)、ワタクシ自身の興味には娘を誘導したかもしれない。娘は小学校5年生のときから参加していた。
子どものためのとはいえ(だから?)、なかなかおもしろい講座であった。
子ども向けに話すのに、先生方は苦労されたかもしれないが、大人にとってもむしろありがたかった。付き添いの大人が熱心だったようにも思う。
中学生になると、さすがに親不要となる。娘は休むこともなく一人でも楽しそうに出かけていった。
どうやらお目当ては西山先生のようだった。
その頃、娘に教えてもらったこんな話。
あんな、奈良国立博物館新館入口の「奈良国立博物館」っていう文字あるやろ。あれ、聖武天皇の字やねんて。天皇さんが書かはった文章(『雑集』)の中から1文字ずつ抜き出して並べたもんやって。

話は続く。
西山先生が文字を探してはったとき、どうしても1文字がなかなか見つけられへんかったんを、息子さんが探し当てはったんやって。私らと同い年みたいやわ。
というような話だった。どの文字かも教えてもらったと思うのだが、これは忘れてしまった。
先生は、息子さんと同じくらいの年齢の子どもたちを前にして、そんな話をする気になったのかもしれない。ただし、これは10年も前の中学生の話なので、まちがっていたらゴメンナサイ。
その後、講座を修了してからだったか、娘あてに1通の手紙が届いた。
西山先生からだった。
先生の丁寧な自筆の文章と、書かれた本(仏教関係の雑誌だったかな)も同封されていた。
ちらっと見せてもらったところ、あなたの書いてくれた感想が非常にうれしかったのでお手紙を書きました、というようなことだったと思う。
博物館のエライ先生が、多忙の合間を縫ってわざわざ中学生に丁寧な手紙と本を送ってきてくれたことに驚き感動したのはむしろ親のほうだったかもしれない。
娘に、感想って何を書いたの? と聞いてもノーコメント。
お返事を書いたら? という親のアドバイスにも首を縦に振らなかった。
あれから10年。
娘は日本史とはあまり関係のない学科に進み奈良を離れたが、奈良好き、お寺好き、になったのは、西山先生の影響も大きいのかもしれないなあ、と思う今日この頃である。
今頃になって恐縮ですが、西山先生ありがとうございました。
下の写真は、お水取りの講演をされる西山先生。
11月 3日(火・祝)「正倉院木工品と木彫の成立」
鈴木喜博学芸部上席研究員
11月 7日(土)「光明皇后の楽毅論について」
西山厚学芸部長
奈良国立博物館 講堂
13:30~15:00 ※13時より講堂入口で入場券が配布される。
場所 定員 196名(先着順)
聴講無料
西山厚先生のお話は、ワタクシもこれまで数回拝聴したことがあるが、わかりやすくて楽しい! 今やひっぱりだこのよう。
先生のお名前を聞くたびに、かれこれ10年ほども前のことを思い出してしまう。
その頃、奈良国立博物館では「親と子の文化財教室」という毎年の連続企画があった。
小学校高学年から中学生を対象に、月1回の講座を開き、年に2回程度の現地講座もあった。
学校の勉強は全くみてやらなかったが(少し反省)、ワタクシ自身の興味には娘を誘導したかもしれない。娘は小学校5年生のときから参加していた。
子どものためのとはいえ(だから?)、なかなかおもしろい講座であった。
子ども向けに話すのに、先生方は苦労されたかもしれないが、大人にとってもむしろありがたかった。付き添いの大人が熱心だったようにも思う。
中学生になると、さすがに親不要となる。娘は休むこともなく一人でも楽しそうに出かけていった。
どうやらお目当ては西山先生のようだった。
その頃、娘に教えてもらったこんな話。
あんな、奈良国立博物館新館入口の「奈良国立博物館」っていう文字あるやろ。あれ、聖武天皇の字やねんて。天皇さんが書かはった文章(『雑集』)の中から1文字ずつ抜き出して並べたもんやって。

話は続く。
西山先生が文字を探してはったとき、どうしても1文字がなかなか見つけられへんかったんを、息子さんが探し当てはったんやって。私らと同い年みたいやわ。
というような話だった。どの文字かも教えてもらったと思うのだが、これは忘れてしまった。
先生は、息子さんと同じくらいの年齢の子どもたちを前にして、そんな話をする気になったのかもしれない。ただし、これは10年も前の中学生の話なので、まちがっていたらゴメンナサイ。
その後、講座を修了してからだったか、娘あてに1通の手紙が届いた。
西山先生からだった。
先生の丁寧な自筆の文章と、書かれた本(仏教関係の雑誌だったかな)も同封されていた。
ちらっと見せてもらったところ、あなたの書いてくれた感想が非常にうれしかったのでお手紙を書きました、というようなことだったと思う。
博物館のエライ先生が、多忙の合間を縫ってわざわざ中学生に丁寧な手紙と本を送ってきてくれたことに驚き感動したのはむしろ親のほうだったかもしれない。
娘に、感想って何を書いたの? と聞いてもノーコメント。
お返事を書いたら? という親のアドバイスにも首を縦に振らなかった。
あれから10年。
娘は日本史とはあまり関係のない学科に進み奈良を離れたが、奈良好き、お寺好き、になったのは、西山先生の影響も大きいのかもしれないなあ、と思う今日この頃である。
今頃になって恐縮ですが、西山先生ありがとうございました。
下の写真は、お水取りの講演をされる西山先生。

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