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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

相撲発祥の地② 土俵開きに錦戸親方 

9月14日、相撲神社カタヤケシの地へ行った後、団長さんが連れて行ってくれた所は、芝運動公園内にある真新しい土俵でした(向こうに三輪山)。




もともとあった土俵は老朽化して10年ほど前から使えなくなっていました。それを桜井市体育協会の役員さんらが中心になって復活させたばかり。

予算もなく、労力はほとんどボランティア。わが先輩、団長さんを見ていても感じるのですが、熱意がつくりあげた土俵、だと言えそうです。


8月20日の土俵開きには、錦戸親方(元関脇・水戸泉)ら力士が来られて、小学生の練習会などもあったとか。

わぁ、知っていたら駆けつけたものを。残念。



8月20日って、朝から脇本遺跡の現地説明会へ行った日やわ。午後からの開催だったらしいから、じゅうぶん間に合ったな。それなら、長谷寺方面へ歩かずに三輪へ向かったはず。あ、電車に帽子も忘れなかったぞ。

などと残念がってもあとのまつり^^;


体育協会事務局で、当日の写真を見せていただきました。
「何枚かお借りできますか」と言うと、「全部どうぞ。そこからいいの選んでください」

カメラのSDカード、幸い4Gのを入れてあったので、全部コピーしていただきました。
「あの、ブログとかに載せてもいいですか」
「どうぞ、どうぞ、何枚でも」
「桜井市体育協会さんにお借りしたと書きますね」
「いやいや、書かなくてもいいですよ」

と、惜しげもなくどこまでも大らか。

この日は、メディア取材もほとんどなかったそうで、せっかくの大ニュースが埋もれてしまったかたち。
貴重な写真がモッタイナイので、ここで、ざっとご紹介させていただくことにしましょう。ただ、ワタクシ、その場にいなかったので、リアルな説明ができません。想像をふくらませてご覧くださいね!


↓挨拶される錦戸親方




↓塩とお酒で土俵を清めます。




↓錦戸親方が塩をまきます。



おおっ、水戸泉関のあの豪快な塩まきがなつかしいですね!
この日もどっとわいたそうですが、子どもたちは?? だったとか(笑)


↓力士を見習って、小学生たちも続きます。




↓取り組み



↓さぁ、いよいよ小学生たちが挑戦です。
女の子もいますよ。




↓記念撮影。思い出に残るでしょうね。




この土俵ができたことで、相撲発祥の地の振興に拍車がかかりそうです。

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Posted on 2011/09/20 Tue. 13:11 [edit]

category: 相撲

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相撲発祥の地① カタヤケシ 

9月9日、巻向駅(桜井線=万葉まほろば線)で待ち時間があったので、近くに住む先輩に電話してみた。
纏向から三輪あたりの取材を続けていることを話すと「相撲発祥の地を忘れたらアカンでぇ!」

うっ、忘れとった^^;


「相撲発祥の地」とは、垂仁天皇の御代に、當麻蹴速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)が天覧相撲をとったという『日本書紀』の記述に由来する。

←『日本書紀』垂仁天皇7年7月7日(日本古典文学大系[岩波書店]より)(クリックで拡大)


垂仁天皇は纏向珠城宮(まきむくのたまきのみや)、その子の景行天皇は纏向日代宮(まきむくのひしろのみや)。

現在の巻向駅から東の高台あたりに都がおかれていたとされる。


9月14日、先輩夫婦が“相撲発祥の地”をドライブで案内してくれるという。
先輩(奥様)とワタクシは学生時代、同じ下宿アパートにいた。ご夫婦はその頃からの公認カップル。
ご主人は当時、応援団の団長さんで、特別の風格があり、気安く声をかけられるような存在ではなかった(が、ひそかに「団長さん」と親しげに呼んでいた。ン十年前の話)。

この団長さんが、お忙しい合間をぬって案内してくださるというので、ワタクシ、恐縮しまくっていると、
「女性のために仕事(自営)を休むなんてほんとに珍しいこと。だから遠慮しなくていいのよ」と奥様。


というわけで、どっぷりとお世話になることに。
お昼をごちそうになってから、日本初の展覧相撲が行われたという「カタヤケシ」の地へ向かった。


見晴らしバツグン。下方に横たわるのは景行天皇陵。




↓相撲神社の鳥居




←鳥居のすぐ脇に「祭神野見宿禰公」の石碑。

しかし、ただ空き地が広がるだけで、神社って?

薄暗い木陰にある小さな祠が、それのようだ。






←傍らにあった説明板(クリックで拡大)。

最後から2行目、カタケヤシ→カタヤケシ、校正ミスですね。
すいません、仕事柄つい気になって^^;




↓土俵?




↓近づいてみると、そこだけ草が生えてなくて、土俵のおもかげ、あるある!




←桜井ライオンズクラブによるこんな看板も掲げられていた(クリックで拡大)。
平成9年、このとき、土俵を復興させる話も進んでいたというが頓挫、今に至っている。



それにしても「カタヤケシ」って不思議な名前ですよね。
『日本書紀』には一切出てこないし、展覧相撲の場所も具体的に書いているわけではない。小字の名前だという。

ずっと以前、かれこれ20数年も前になるが、郷土史家の方に、カタヤケシ=片屋家司だと教わったことを思い出した(というか、旧かぎろい誌に書いてあった^^;)。

念のため広辞苑をひいてみると
方屋(かたや):相撲場の4本柱の内。土俵上。力士が土俵上に入ることを方屋入り、というとある。

歴史学者の樋口清之先生も、カタヤケシが相撲発祥の地であることを確認してくださったということを、郷土史家の方はおっしゃっていた。

↓カタヤケシから見る二上山




今や、この地に土俵復興は(桜井市民の?)悲願ともなっている。
少なくとも、我が先輩、団長さんの「ライフワーク」なのだ(ということをこの日知った)。

『かぎろひの大和路』誌上で、どれくらいのスペースがとれるかわからないが、「相撲発祥の地」はブログテーマの1つとして追っかけていきたいと思う。

先輩、団長さん、ついていきまーす。


※『日本書紀』に出てくる「腰折田」について、「葛城の郷」のリンネさんがレポートされています。→腰折田


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Posted on 2011/09/17 Sat. 23:13 [edit]

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