かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
JR奈良駅から各駅停車で京都へ
7月20日、大山崎探訪の日⇒★
集合はJR山崎駅、11時。
京都まで近鉄電車で行くほうが便利で早いのだが…混んでるよね。それに平日だし、車内はビジネスライクな雰囲気のはず(笑)。
そこへいくと、JR奈良線はのんびりしているにちがいない。せっかくの遊び心いっぱいの日にはこっちやな。とJRに決定。
まるで子どもの頃の遠足のように楽しみで、いつもつい早くなってしまうのだが、この日も、JR奈良駅8時57分発の快速電車に乗る予定で家を出た。
のんびり歩いて駅についたら、なんと、その前の、8時39発の普通電車がまだ止まっている! 久しぶりに京都まで各駅停車の旅をすることになった。
やっぱり、窓から見える風景がいい!
高い建物がない、空が広い、緑の田園が広がる。






上の写真は、どのあたりで撮ったものか、今となってはわからないのだけれど、ああ、あのあたりを歩いてみたいなあと思いながら、車窓風景に見とれていた。城陽ぐらいまではのどかな田園が広がっていたと思う。
ちなみに、奈良ー京都間の駅は
奈良ー平城山-木津ー上狛ー棚倉ー玉水ー山城多賀ー山城青谷ー長池ー城陽ー新田ーJR小倉ー宇治ー黄檗ー木幡ー六地蔵ー桃山ーJR藤森ー稲荷ー東福寺ー京都の21駅
もちろん、普通電車は各駅停車。
快速電車の停車駅は奈良ー木津ー玉水ー城陽ー新田ーJR小倉ー宇治ー六地蔵ー東福寺ー京都
みやこ路快速になると、奈良ー木津ー玉水ー城陽ー宇治ー六地蔵ー東福寺ー京都と、停車駅は7つ
所要時間は上から、60分、48分、44分
ちょっと余裕があるなら、各駅停車もおすすめ~。全く違う雰囲気が味わえること必至(笑)。
久しぶりに、18きっぷの旅に出たくなったのだった。
集合はJR山崎駅、11時。
京都まで近鉄電車で行くほうが便利で早いのだが…混んでるよね。それに平日だし、車内はビジネスライクな雰囲気のはず(笑)。
そこへいくと、JR奈良線はのんびりしているにちがいない。せっかくの遊び心いっぱいの日にはこっちやな。とJRに決定。
まるで子どもの頃の遠足のように楽しみで、いつもつい早くなってしまうのだが、この日も、JR奈良駅8時57分発の快速電車に乗る予定で家を出た。
のんびり歩いて駅についたら、なんと、その前の、8時39発の普通電車がまだ止まっている! 久しぶりに京都まで各駅停車の旅をすることになった。
やっぱり、窓から見える風景がいい!
高い建物がない、空が広い、緑の田園が広がる。






上の写真は、どのあたりで撮ったものか、今となってはわからないのだけれど、ああ、あのあたりを歩いてみたいなあと思いながら、車窓風景に見とれていた。城陽ぐらいまではのどかな田園が広がっていたと思う。
ちなみに、奈良ー京都間の駅は
奈良ー平城山-木津ー上狛ー棚倉ー玉水ー山城多賀ー山城青谷ー長池ー城陽ー新田ーJR小倉ー宇治ー黄檗ー木幡ー六地蔵ー桃山ーJR藤森ー稲荷ー東福寺ー京都の21駅
もちろん、普通電車は各駅停車。
快速電車の停車駅は奈良ー木津ー玉水ー城陽ー新田ーJR小倉ー宇治ー六地蔵ー東福寺ー京都
みやこ路快速になると、奈良ー木津ー玉水ー城陽ー宇治ー六地蔵ー東福寺ー京都と、停車駅は7つ
所要時間は上から、60分、48分、44分
ちょっと余裕があるなら、各駅停車もおすすめ~。全く違う雰囲気が味わえること必至(笑)。
久しぶりに、18きっぷの旅に出たくなったのだった。
13
大仏鉄道の映像?
昨日、大仏鉄道について書いたところ(⇒★)
鉄道マニアのYさんから



娘からは

笑。
それを言うなら、こっちのほうかも、と思ったのが、Mさんからお聞きした話。
以前、何年ぐらい前なのかは聞き逃したのだが、大仏鉄道の映像がテレビで流れたことがあったのだとか。
10カット40秒の映像だそうで、Mさんがそれをスケッチされた?

最後は(➉)
汽車と客車は途中で止まり、左図のように人が映ります。その時初めて「当時の機関車は力が弱いのですね。客が降りて押して上がるんですね」という音声が入りました。
という説明があります。
40年前、ワタクシが取材したときも、そのような話を耳にしました。
乗客が多いと途中の上り坂で汽車が止まってしまう。で、客が降りて汽車を押したというんです。客が少ないと、今日は押さなくてもいいぞって喜んだとか。歩くほうがよほど速いし疲れないと利用しない人も多かったようですよ。
私の父は、「役に立たない陸(おか)蒸気」といってバカにしていました。
昨日触れた、狭川明俊師も、
汽車の速度が遅い。機関車が2両ついているときはまだいいのですが、1両だと途中で止まってしまうんですよ。
しかし、人が汽車を推すなんて、そんな話はウソちゃうか、だんだん誇張されて、まことしやかに伝わっているだけでは、と異を唱える人がいるのも事実。
もし、この映像が残っているとすれば、事実であることが証明されることになるよね。
Mさんは、テレビで観たとき、ABCと記憶しているので、朝日放送に確認したところ、違うと言われ、どうやら、アメリカのABCらしいということがわかったそうだ。
その映像フィルムはいずこに?
鉄道マニアのYさんから



娘からは

笑。
それを言うなら、こっちのほうかも、と思ったのが、Mさんからお聞きした話。
以前、何年ぐらい前なのかは聞き逃したのだが、大仏鉄道の映像がテレビで流れたことがあったのだとか。
10カット40秒の映像だそうで、Mさんがそれをスケッチされた?

最後は(➉)
汽車と客車は途中で止まり、左図のように人が映ります。その時初めて「当時の機関車は力が弱いのですね。客が降りて押して上がるんですね」という音声が入りました。
という説明があります。
40年前、ワタクシが取材したときも、そのような話を耳にしました。
乗客が多いと途中の上り坂で汽車が止まってしまう。で、客が降りて汽車を押したというんです。客が少ないと、今日は押さなくてもいいぞって喜んだとか。歩くほうがよほど速いし疲れないと利用しない人も多かったようですよ。
私の父は、「役に立たない陸(おか)蒸気」といってバカにしていました。
昨日触れた、狭川明俊師も、
汽車の速度が遅い。機関車が2両ついているときはまだいいのですが、1両だと途中で止まってしまうんですよ。
しかし、人が汽車を推すなんて、そんな話はウソちゃうか、だんだん誇張されて、まことしやかに伝わっているだけでは、と異を唱える人がいるのも事実。
もし、この映像が残っているとすれば、事実であることが証明されることになるよね。
Mさんは、テレビで観たとき、ABCと記憶しているので、朝日放送に確認したところ、違うと言われ、どうやら、アメリカのABCらしいということがわかったそうだ。
その映像フィルムはいずこに?
11
まぼろしの大仏鉄道 その後
かれこれ40年近く前、かぎろひ誌の前身「奈良ーかぎろいの大和路」にシリーズ掲載していた「まぼろしの大仏鉄道」について、先日、Mさんという方からお電話がありビックリ。
大仏鉄道というのは、明治31年から40年まで、加茂駅と大仏駅~奈良間を走っていた線(大仏~奈良は明治32年開通)。現在、大仏駅跡は記念公園となり、廃線跡遺構巡りハイキングも人気だと聞く。奈良市も木津川市もマップを作り大いにPRしているので、ご存じの方も多いはず。
奈良市⇒★
木津川市⇒★
取材して回っていた40年前は、実際に大仏鉄道に乗った人がご存命の時代。おもにそれらの方々を探し出してお話を聞いたのだった。有名な方では、東大寺の前管長、狭川普門師のおじいさまにあたる明俊師がご健在でお話を聞くことができたのも貴重だったなあ。当時94歳だったが、カクシャクとしていらっしゃった。大仏鉄道が開通したとき、師は8歳。10歳で東大寺へ。年2回、帰省を許されたとき、実家の狭川村(奈良市下狭川町)へ、大仏駅から利用したとのことだった。
そのほかにも、法蓮町や加茂町の何人かにお話を聞くことができた。
当時、この記事は結構、反響があって、お手紙をいただいたり、『鉄道ファン』を送ってくださったり、そうそう、中学生の男子2人が訪ねてきてくれたことがあったっけ。

↑彼らは現在、50歳を過ぎているよね(笑)。どうされているのかな?
その後、平成6年(1994)に発行された『加茂町史』に、

↑贈呈されて知った
なんとワタクシの記事の一部が出典を明記して掲載されるということに。

つい先日、お電話をくださったMさんは、加茂の図書館でこの記事を見てうれしかったので、とのこと。こちらの電話番号をつきとめるまでご苦労されたようだったが、この日、実は電話の後すぐに、ご自分の調査された資料を持って来てくださったのだった。
Mさんは、大仏鉄道について独自に調べられていて、研究歴も40年とか50年とか。
加茂町史に載っているのは、加茂町のKさんに聞いた話の部分。
「汽車は小さな部屋が10個ほどつながっているような感じやったなあ。一室に5人ぐらい。座席は板や。隣の部屋へは、降りんことには移られへん。入口は左右にあって、これはどちらからでも乗り降りできたみたいや。ほんまにマッチ箱みたいやった」
加茂の人は大仏鉄道を走る汽車をマッチ箱と呼んでいた、という下り。
Mさんが調べ上げた当時の汽車のかたちと一致するとのこと。
そしてMさんは、加茂町史にこの汽車のイラストを入れてほしいなあと言われた。

今も熱く大仏鉄道を追っかけられているMさんに圧倒されるばかり。ワタクシはもう今は昔の状態で、ちょっと申し訳ない気持ちがしている。
とはいえ、40年前に調べていた頃の資料はワタクシも一式、大事にしている。久しぶりに見ていたら、時間が経つのが早い(笑)

上記の中学生のかわいいお手紙も見つかったので、紹介

大仏鉄道というのは、明治31年から40年まで、加茂駅と大仏駅~奈良間を走っていた線(大仏~奈良は明治32年開通)。現在、大仏駅跡は記念公園となり、廃線跡遺構巡りハイキングも人気だと聞く。奈良市も木津川市もマップを作り大いにPRしているので、ご存じの方も多いはず。
奈良市⇒★
木津川市⇒★
取材して回っていた40年前は、実際に大仏鉄道に乗った人がご存命の時代。おもにそれらの方々を探し出してお話を聞いたのだった。有名な方では、東大寺の前管長、狭川普門師のおじいさまにあたる明俊師がご健在でお話を聞くことができたのも貴重だったなあ。当時94歳だったが、カクシャクとしていらっしゃった。大仏鉄道が開通したとき、師は8歳。10歳で東大寺へ。年2回、帰省を許されたとき、実家の狭川村(奈良市下狭川町)へ、大仏駅から利用したとのことだった。
そのほかにも、法蓮町や加茂町の何人かにお話を聞くことができた。
当時、この記事は結構、反響があって、お手紙をいただいたり、『鉄道ファン』を送ってくださったり、そうそう、中学生の男子2人が訪ねてきてくれたことがあったっけ。

↑彼らは現在、50歳を過ぎているよね(笑)。どうされているのかな?
その後、平成6年(1994)に発行された『加茂町史』に、

↑贈呈されて知った
なんとワタクシの記事の一部が出典を明記して掲載されるということに。

つい先日、お電話をくださったMさんは、加茂の図書館でこの記事を見てうれしかったので、とのこと。こちらの電話番号をつきとめるまでご苦労されたようだったが、この日、実は電話の後すぐに、ご自分の調査された資料を持って来てくださったのだった。
Mさんは、大仏鉄道について独自に調べられていて、研究歴も40年とか50年とか。
加茂町史に載っているのは、加茂町のKさんに聞いた話の部分。
「汽車は小さな部屋が10個ほどつながっているような感じやったなあ。一室に5人ぐらい。座席は板や。隣の部屋へは、降りんことには移られへん。入口は左右にあって、これはどちらからでも乗り降りできたみたいや。ほんまにマッチ箱みたいやった」
加茂の人は大仏鉄道を走る汽車をマッチ箱と呼んでいた、という下り。
Mさんが調べ上げた当時の汽車のかたちと一致するとのこと。
そしてMさんは、加茂町史にこの汽車のイラストを入れてほしいなあと言われた。

今も熱く大仏鉄道を追っかけられているMさんに圧倒されるばかり。ワタクシはもう今は昔の状態で、ちょっと申し訳ない気持ちがしている。
とはいえ、40年前に調べていた頃の資料はワタクシも一式、大事にしている。久しぶりに見ていたら、時間が経つのが早い(笑)

上記の中学生のかわいいお手紙も見つかったので、紹介

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奈良から私市まで
「星のブランコ」のある大阪府交野市は、奈良県(生駒市)と隣接している。

距離的には近いのだけれど

↑クリックで少し拡大
電車で行こうとすると、ぐるっと大回りするような感じで、しかも乗り継ぎ必至。
いくつかルートは考えられるが、12月6日乗った路線を紹介してみたい。初めてのルートなのでちょっとどきどきしながら早めに出発。
奈良⇒(近鉄京都線急行)⇒新田辺駅(下車、乗り換え)⇒JR学研都市線京田辺駅⇒河内岩船駅(下車、乗り変え)⇒京阪河内森駅⇒私市駅
新田辺駅でJRに乗り換えようとしたら、えっ、歩くん? この駅まではJRと並行して走っていると思っていたら、ちょっと離れていたのね(笑)。こんなことなら、新祝園で乗り換えたらよかったなー(先ほど調べてみたら、運賃もそのほうが安かった)。
※さらに、JR奈良駅から木津経由で行った場合を調べてみると、近鉄を利用するより安い。微妙に違うのね。もっと事前調査せないかんね^^; オモシロイ(笑)
近鉄奈良駅ー新田辺経由ー私市 810円 1時間20分(45分)
近鉄奈良駅ー新祝園経由ー私市 790円 1時間20分(55分)
JR奈良駅ー河内磐船ー私市 750円 1時間15分(53分)
↑右は所要時間(乗車時間)
JR京田辺駅へは5分くらい歩く。途中振り返って

京田辺駅から

JR学研都市線(片町線)に乗るが、結構ローカルで、電車がなかなか来ないうえに、途中の駅でもかなり停車。でも、時間的に余裕があったので、のどかな風景を楽しむことができた。
河内岩船駅でおりて、京阪河内森駅へ。ゆるやかな坂を上って、ここも5分ぐらい歩く。

河内森駅からはひと駅で終点私市。

交野のまちは魅かれる所が多くて何度でも行きたいなあと思うのだが、ちょっと不便なので二の足を踏むのよね。
生駒あたりから電車が通じていれば助かるのになあ。
で、思い出した。3年前、京阪交野線のことを書いたとき(⇒★)、鉄道に詳しい大和の和尚さんからコメントをいただいたのだった。
そのまま紹介
京阪交野線を行く
大和の和尚です。鉄ネタですのでコメントを。
この京阪交野線は昔「信貴生駒電鉄」だった事を御存知でしょうか?
「信貴生駒電鉄」は王寺~生駒~枚方東口(現在の京阪枚方市駅)まで計画しており、王寺~生駒間と枚方東口~私市間を開業し、私市~生駒間が未成路線となりました。
王寺~生駒間は近鉄に吸収合併、枚方東口~私市間は交野電気鉄道(現京阪)へ譲渡され、現在の路線「近鉄生駒線」「京阪交野線」となってます。
昭和10年頃に発行された「京阪電車沿線名勝案内図」には「ひらかたひがしぐち」から分岐して「信貴生駒電車」とし、「むらの-こうづ-かたの-いわふね-かわちもり-きさいち」と駅があります。
現在の京阪交野線と比べると、「宮之阪」「星ケ丘」がなく「いわふね」があります。「いわふね」は省線(現JR)との乗換駅であったのであろうか。
いずれにしても、もし私市~生駒間が開業していれば、現在の人の流れが変わっていたかも知れません。
かぎろひさん、この未成線が出来ていれば生駒経由で帰れたかも・・・。
URL | 大和の和尚 #1B17l5wo | 2019/07/03 19:49 | edit
ワタクシも今の気持ちと同じ返信で笑えます。
和の和尚さん おはようございます。コメントありがとうございます。
そんな計画があったとは! たしかに、生駒ー私市は距離的にはさほど遠くないので、構想も自然な感じがしますね。生駒山地に連なる丘陵地を越えるルート設定や工事が大変だろうなとは素人ながら想像できますが。
ああ、それが開通していれば、交野方面へ足しげく通ったのに、と残念です。今はちょっと回り道過ぎますよね。
富雄からバスを利用して、くろんど池や私市へ、ハイキングがてら行ってみようと思っているところです。
URL | かぎろひ #QyAQ.u3g | 2019/07/04 07:04 | edit

距離的には近いのだけれど

↑クリックで少し拡大
電車で行こうとすると、ぐるっと大回りするような感じで、しかも乗り継ぎ必至。
いくつかルートは考えられるが、12月6日乗った路線を紹介してみたい。初めてのルートなのでちょっとどきどきしながら早めに出発。
奈良⇒(近鉄京都線急行)⇒新田辺駅(下車、乗り換え)⇒JR学研都市線京田辺駅⇒河内岩船駅(下車、乗り変え)⇒京阪河内森駅⇒私市駅
新田辺駅でJRに乗り換えようとしたら、えっ、歩くん? この駅まではJRと並行して走っていると思っていたら、ちょっと離れていたのね(笑)。こんなことなら、新祝園で乗り換えたらよかったなー(先ほど調べてみたら、運賃もそのほうが安かった)。
※さらに、JR奈良駅から木津経由で行った場合を調べてみると、近鉄を利用するより安い。微妙に違うのね。もっと事前調査せないかんね^^; オモシロイ(笑)
近鉄奈良駅ー新田辺経由ー私市 810円 1時間20分(45分)
近鉄奈良駅ー新祝園経由ー私市 790円 1時間20分(55分)
JR奈良駅ー河内磐船ー私市 750円 1時間15分(53分)
↑右は所要時間(乗車時間)
JR京田辺駅へは5分くらい歩く。途中振り返って

京田辺駅から

JR学研都市線(片町線)に乗るが、結構ローカルで、電車がなかなか来ないうえに、途中の駅でもかなり停車。でも、時間的に余裕があったので、のどかな風景を楽しむことができた。
河内岩船駅でおりて、京阪河内森駅へ。ゆるやかな坂を上って、ここも5分ぐらい歩く。

河内森駅からはひと駅で終点私市。

交野のまちは魅かれる所が多くて何度でも行きたいなあと思うのだが、ちょっと不便なので二の足を踏むのよね。
生駒あたりから電車が通じていれば助かるのになあ。
で、思い出した。3年前、京阪交野線のことを書いたとき(⇒★)、鉄道に詳しい大和の和尚さんからコメントをいただいたのだった。
そのまま紹介
京阪交野線を行く
大和の和尚です。鉄ネタですのでコメントを。
この京阪交野線は昔「信貴生駒電鉄」だった事を御存知でしょうか?
「信貴生駒電鉄」は王寺~生駒~枚方東口(現在の京阪枚方市駅)まで計画しており、王寺~生駒間と枚方東口~私市間を開業し、私市~生駒間が未成路線となりました。
王寺~生駒間は近鉄に吸収合併、枚方東口~私市間は交野電気鉄道(現京阪)へ譲渡され、現在の路線「近鉄生駒線」「京阪交野線」となってます。
昭和10年頃に発行された「京阪電車沿線名勝案内図」には「ひらかたひがしぐち」から分岐して「信貴生駒電車」とし、「むらの-こうづ-かたの-いわふね-かわちもり-きさいち」と駅があります。
現在の京阪交野線と比べると、「宮之阪」「星ケ丘」がなく「いわふね」があります。「いわふね」は省線(現JR)との乗換駅であったのであろうか。
いずれにしても、もし私市~生駒間が開業していれば、現在の人の流れが変わっていたかも知れません。
かぎろひさん、この未成線が出来ていれば生駒経由で帰れたかも・・・。
URL | 大和の和尚 #1B17l5wo | 2019/07/03 19:49 | edit
ワタクシも今の気持ちと同じ返信で笑えます。
和の和尚さん おはようございます。コメントありがとうございます。
そんな計画があったとは! たしかに、生駒ー私市は距離的にはさほど遠くないので、構想も自然な感じがしますね。生駒山地に連なる丘陵地を越えるルート設定や工事が大変だろうなとは素人ながら想像できますが。
ああ、それが開通していれば、交野方面へ足しげく通ったのに、と残念です。今はちょっと回り道過ぎますよね。
富雄からバスを利用して、くろんど池や私市へ、ハイキングがてら行ってみようと思っているところです。
URL | かぎろひ #QyAQ.u3g | 2019/07/04 07:04 | edit
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志摩旅② 特急しまかぜ
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