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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

完全版『若き日と文学と』と『星の王子さま』 

辻邦生没後20年ということで刊行が続いていることは以前書いた。⇒


うれしいけれど、亡くなった人が新たに書くことはないので、まあそう急いではいない。重複して持っているものもあるし、書棚のスペースが限界ということも大きい。


そんなとき、辻邦生つながりのYさんからメッセージが届いた。

1908メッセンジャー


丁寧にも目次の写真まで添付されていた。見ると、どうやら、以前の倍以上のページがあるもよう。
早速ゲット!

1908若き日と文学と2冊

↑右は昭和49年(1974)初版のもの。ワタクシが持っているのは昭和53年発行4版を重ねている。

今回の完全版は「ぼくたちを作ってきたもの」が加えられていて、ちょうど2倍のページ数だ。

ねっ、こうして比べてみても歴然でしょ。

1908厚さ


追加の目次だけ紹介。

Ⅱ ぼくたちを作ってきたもの
トーマス・マンについての対話
長編小説の主題と技法
『星の王子さま』とぼくたち
ぼくたちの原風景
文学が誘う欧州旅行

このうち、「トーマス・マンについての対話」と「長編小説の主題と技法」は、『灰色の石に座りて』に収録。

1908灰色の石に坐りて


「『星の王子さま』とぼくたち」「ぼくたちの原風景」「文学が誘う欧州旅行」は持っていないので、ほんとうにこれは買いだった。
これまで、辻さんが『星の王子さま』について書かれているのを読んだことがないと思うので、どちらかというと北杜夫さんのテリトリーかな。

ン十年前、社会人になった年に出会った女性と少し親しくなったとき、自己紹介のようにプレゼントされたのが『星の王子さま』だった。本の扉に、いただいた年月日とFN嬢から、と記されてある。年月が経つとこんなメモもうれしいね(彼女とは長らく会ってないけれど年賀状のやりとりがあるので近況はわかる)。

1908星の王子さま

↑中央がン十年前にいただいたもの。右は、かじったフランス語で読んでみようかと思ったがそのままになった原書^^;


「『星の王子さま』とぼくたち」から抜粋

辻 …また逆に人間は虚無とか非合理とか恐怖とかそういうものを克服して、現代の文明空間をつくり上げてきたわけだ。ところがその結果、文明社会の中で人間はーあるいは『星の王子さま』に結びつけていえばおとなはといってもいいけれどー自分の幸福を完全に見失っている。
たとえば『星の王子さま』に出てくる実業屋のように、五億の星を一生懸命数えて、忙しい忙しいと言っている人や、スイッチ・マンのエピソードに出てくる急いでどこかにゆき、ある一つの場所にいることが好きじゃない人間とか、そういう状態に陥っている現代人にとって、黙々と歩いていく人たち、ほんとうに人間が本源的に必要な、たとえば泉の水とか、暑い日の木かげとか、そういうものを求めて歩いていく人たちの動き方、そういう人たちの持っている生活空間の重さとかは、もはや理解できないものになっているような感じがする。この作品の中ではそんなに生々しく語られていないだけに、非常に胸に迫るようなある強さを持って……。

北 いちばんいい例だが、のどが渇かない丸薬を売っている商人で、一週間に五十三分得になるんだというと、五十三分あったら、ぼくはゆっくり泉の方に歩いていくんだけどなあ、と。



『星の王子さま』からも抜粋

…新しくできた友達の話をするとき、おとなの人は、かんじんかなめなことをききません。〈どんな声の人?〉とか、〈どんな遊びがすき?〉とか、〈チョウの採集をする人?〉とかいうようなことは、てんできかずに、〈その人、いくつ?〉とか、〈きょうだいはなん人いますか〉とか、〈目方はどのくらい?〉とか、〈おとうさんは、どのくらいお金をとっていますか〉というようなことを、きくのです。そして、やっと、どんな人か、わかったつもりになるのです。

この頃の岩波少年文庫はB6版で薄いし軽い。机から離れて寝転がって、久しぶりに読み直していたら

…ぼくは、この本を、寝そべったりなんかして、読んでもらいたくないからです。

という箇所に出合って、思わず起き上がり、ご、ごめんなさい。


涙の国って、ほんとにふしぎなところですね。


「…心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」


『星の王子さま』を読み返したのはほんとうにン十年ぶりなのだけれど、実は忘れたことがない。
というのも、最初のページに出てくるこれ。

1908星の王子さま絵

象をこなしているウワバミの絵。おとなは〈ぼうし〉だろって言うあれ。


ワタクシはこの山を見るたびに思い浮かべてしまうのだ。

1908畝傍山


↑甘樫丘から見る畝傍山

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Posted on 2019/08/20 Tue. 10:25 [edit]

category: 辻邦生

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20

辻邦生 没後20年 

今日7月29日は辻邦生さんの命日。亡くなられてもう20年にもなるとは。

節目の年ということで、昨年末あたりから記念刊行が続いている。
まずは、『地中海幻想の旅から』(中公文庫)2018.12.25
Yさんに教えてもらってゲット!

190729地中海幻想の旅から

でも、亡くなった人が新たに書くわけはないので、もちろん再刊だ。と言っても出版社は違う。
1990年5月、レグルス文庫で。

190729レグルス


この本は持っていないのだが、中公文庫の目次を見ると、何だか懐かしい。読んでいる!
書棚を確認してみたら、あった、あった。

190729エッセー集

1961~1977年までのエッセー集にほとんどがおさめられていた。
もっとも、初出は新聞や雑誌なのだが。


そうそう、レグルス文庫にはこんな本も。

190729外国文学の楽しみ


それから、6月に「辻邦生 永遠のアルカディアへ」が刊行された。⇒

190729永遠のアルカディアへ


あと、7月になって2冊刊行されているのだが、買おうか迷い中。
書棚のスペースがないし、これも持っている本のどこかに出ているに違いない。とは思うものの、やっぱり欲しい。。。


『物語の海へー辻邦生自作を語る』(中央公論新社)

190729物語の海へ



『若き日と文学と』(中公文庫)

190729若き日と文学と


これは以前発行された本を持っているのだが

190730若き日と文学と


この7月に発行されたものは
ロングセラーを増補、全対談を網羅した完全版
と謳っていて、どうやらページが増えているらしいのだ。

以前の本は1970年7月発行。ワタクシはまだ辻邦生を知らない頃のもので、後日、小学校のバザーで見つけた。100円。
定価が390円となっていてビックリ。それから約50年。文庫本が1200円! 


『地中海幻想の旅から』の抜粋。

「もの」のうえに親密な眼をそそぐというのは、それとはまったく異なった次元のことで、いわば「もの」の「かけがえのなさ」「入れ替え不能な性格」に触れることだ。それは「もの」を単なる「もの」として見ることではない。もしそうなら机は机であるし、椅子は椅子でしかない。そうではなくて、その「かけがえのなさ」は「もの」の奥にのぞいている様々な表情にあるのだ。
 たとえば私の机は古く、がたがきている。機能からみれば、それは完全でないかもしれない。しかし考えてみれば「この机」のうえで私の半生がつくられたといっていい。私が思い悩んだとき、この机の木目は私の焦慮を見守っていたはずである。そこには目に見えない地底の落葉のように積みかさなった思い出の層が焼きついている。それはただ「この机」が持っている宿命的な事実だ。それは私が生れて、ここにあるのと同じく、どうすることもできないのだ。なるほどその選択は偶然の結果にすぎなかったかもしれない。しかしそれなら私たちの生もどうして偶然でないことがあろう。問題はこの偶然を必然に転じた私たちの軸のとり方にある。私たちの生がかかる厳しさと深さを取り戻すならば、「この机」にあっても同じ事情が考えられなければならない。
「もの」がその「かけがえのなさ」「入れ替え不能な性格」を帯びはじめるのは、私たちが日常の無関心と多忙の外に出て、こうした自分の生の「かけがえのなさ」に戻るときだ。…
                                                          (森の中の思索から)

Posted on 2019/07/29 Mon. 21:22 [edit]

category: 辻邦生

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29

辻邦生 永遠のアルカディアへ 

予約していた本が届いた。

190613永遠のアルカディア


辻氏の資料を保管する学習院大学史料館では2015年から毎夏辻邦生展を開催している。
2015:西行花伝
2016:春の戴冠・嵯峨野明月記
2017:夏の砦⇒ブログ内
2018:背教者ユリアヌス

記念冊子に掲載されたものに、新たな書きおろしを加えて編集されたもの。今年は亡くなられて20年(!)ということで、出版されたようだ。

旧制高等学校時代に書いていたという日記から、未発表の俳句や短歌、詩などが紹介されていたり、未完の(構想だけ?)『浮舟』について触れられている箇所もあり、興味深い。


本が到着してすぐに、学習院大学史料館からはがきが届いた。

190613はがき

ワタクシは行けそうもなくて残念だけど、紹介しておきたい。


講演会 没後20年 辻邦生を語る
 
2019年6月29日(土)13:30~16:45(13:00開場)
第一部 13:30~15:00 
「二つの磁場からー名前で語る人と語らない人」
講師:拝戸雅彦氏(キュレーター・美術史家)

第二部 15:15~16:45
「辻邦生ー天性の小説家」
講師:松浦寿輝氏(作家・詩人・批評家)

開催場所:学習院創立百周年記念会館 正堂

※入場無料・事前申込不要
当日、会場にて辻邦生資料の特別展示コーナーあり

〔主催〕学習院大学史料館  〔協力〕中央公論新社、毎日新聞社


Posted on 2019/06/13 Thu. 19:36 [edit]

category: 辻邦生

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13

老いてゆく喜び 

むかし、敬老の日は9月15日と決まっていた。
ワタクシの誕生日が9月17日。小学生の頃、下校途中に道草をくいながら「トシとったら敬老の日と一緒にお祝いしてもらえるからええやん」って言ったのは誰だったのだろう。
そのとき、ワタクシ自身には思いもよらないことで、老いた自分を想像もできなかった。今となってはそんな言葉を口にした友の、先見の明に拍手をおくらないわけにはいかない。
ン十年経って、今年は誕生日=敬老の日(笑)

ラインライフを始めた今年は娘たち(わが家の女子グループ)からお祝いの言葉が届いた。

ライン
ライン2


「老いてゆく喜び」(『辻邦生が見た20世紀末』から)

いまは長寿時代となって、人々が大いに長い人生をたのしむようになった。べつに、ただ長生きするのがいいのではなく、人生を人間に与えられた宝として受けとる。一口にいえば、生きることが喜びであると積極的に考える。
もちろん病気もある。思うようにまかせぬ環境もある。老人がすべて幸福であるといえない。
だが基本的には、一日一日を静かに生き、一日のもたらしてくれる喜びを深く味わうことーそれが長寿時代の根本の生き方であるように思えてならない。
(1998.9.25)

1809辻邦生が見た

Posted on 2018/09/17 Mon. 20:57 [edit]

category: 辻邦生

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17

辻邦生とさだまさし 

バロックおじさんが贈ってくださった、さだまさしさんの『やばい老人になろう』を読んだ。

180730やばい老人


さだ氏が挙げる「やばい老人」の条件は3つ。
その1 「知識が豊富」
その2 「どんな痛みも共有してくれる」
その3 「何かひとつスゴイものを持っている」

「やばい老人」になるには、ハードルが高すぎやん。
そうして、この本に登場する「やばい老人」も、やっぱりそうそうたる顔ぶれなのだ。
宮崎康平、山本健吉、安岡章太郎、井伏鱒二、遠藤周作、小沢昭一、森敦…

さださんと大物作家たちとの関わり、エピソードを楽しく読んだ。
そして、辻邦生さんがいないことに、軽い落胆。

さださんと辻さんって、無関係なのでは、って? 

いえいえ、ワタクシのなかでは強烈に結びついているのである。

20代の頃、辻邦生を読み、いっぽうで、さだまさしの歌を聴いていた。
私のなかで別々に好きだった2人が、ある日突然、接点をもつ。

新聞の片隅に出ていた小冊子「波」(新潮?)の目次にハッ!!
辻邦生さんが「〈さだまさし〉って何」という一文を寄稿していたのだ。大急ぎで取り寄せる。

180730波

↑1980年ですって。40年ほど前や^^;


この瞬間から、私の好きなものが一直線に並んだ。というか、これまで無意識だったけれど、自分の好みとか傾向は、どこに向かっても同じなんだなあということがわかった。うれしかった。


この一文が、『さだまさし 時のほとりで』(1980年 新潮文庫)の解説として載る。

180730時のほとりで

タイトルは「さだまさし幻想」に変わっていた。内容は同じ。

180730幻想


一部を紹介してみたい。
…明治以後の日本で、生みだすことのできなかった何かが、この詩人=作曲家=歌手によって作りだされているーそんな思いが私の胸に溢れた。『私花集』『夢供養』『風見鶏』『帰去来』とLPをつぎつぎと聴き、この新しい時代の声をもっと早く知らなかったことを残念に思ったのである。

明治百年でようやくこんな人が生まれる時代になったのか、という思いで、私は『魔法使いの弟子』や『パンプキン・パイとシナモン・ティ』や『天文学者になればよかった』を聴いた。それは日本の歌のなかで聞いたことのないような澄んだ笑い声であった。

ユーモアとひと口に言う。だが、この朗らかな笑いは、人生を肯定した力強い意志がないと生まれない。いままでの笑いはくすぐりか、皮肉か、おどけであった。からりとした、吹っ切れた、男らしい笑いではなかった。しかし、さだまさしの笑いはようやく日本に人間らしい落ち着きと優しさが戻っていることを示す本当のユーモアだった。

もちろん彼の本領は、真の意味の抒情である。

私がさだまさしに新しい時代を感じたのは、「スクランブル交差点」や「快速電車の赤い色」などの風俗性が自在に詩になっている(『檸檬』等)点と、その反対に万葉や古今の語彙が現代的コンテクストのなかに平然と取り入れられている(『飛梅』『まほろば』)点である。既成の概念・用法から語彙を自由に解放して、自らの詩的表現に大胆に駆使すること(それも決して現代めかそうとかアルカイックになろうとするのではない)は、ある詩的達成なしに不可能である。



辻邦生の著書『銀杏散りやまず』(新潮社)

180730銀杏

こんなくだりがある。

「さだまさしの『生生流転』の歌詞はいいね。フランスにいっていたあいだにいくつかレコードが出ていたみたいだ」

「鳥は空で生まれて 魚は海に生まれたのなら
時間と呼ばれる 長い長い河の中で
きっとわたしは生まれた
生きるという奇蹟を 思い切り信じて過ごしたい
喜びと悲しみと憎しみと愛と死を
つまずき乍らでいいから いつくしむ人になりたい」

ああ あたりまえに生きたい ささやかでいいから
ああ とても優しくなりたい 素直に生きてゆきたい」

私はいつもこの詩人兼作曲家に限りないやさしさとひたすらな生への真摯さを感じて、それが何よりも先に身に沁みてくる。さだまさしの詩を読んでいると、すべてを棄てて文学に打ち込んできた自分が、ひどく傲慢だったような気持になってくる。もっと周囲の人に素直に、やさしくなるべきではなかったか、という悔恨をともなった反省が生れてくる。
このときも鍋の湯気に包まれながら、季節はずれの寒気団の覆う日本列島の秋をふと感じ、私は、久々にさだまさしの歌を聴いてみたいと思った。



この長編の最後にも

その時またあの歌が聞えてきた。
「おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください」
あの夜、ひたすら散りつづけた雉子神社の大銀杏は、すでにすっかり葉を落として、細い梢の枝を夜空に網目のように拡げていた。神殿には灯がとぼり、初詣の客を待つ新鮮な気分が漂っていた。
私はそのときすでに『銀杏散りやまず』を書き出していたのであった。



『銀杏散りやまず』と言えば、さだまさしにも同じタイトルの歌が。偶然? じゃないよね。
年代を調べてみると
辻邦生『銀杏散りやまず』は1982年(昭和57年)から翌1983年雑誌『新潮』(4月号〜12月号)に発表。1989年9月単行本発行
さだまさしの『銀杏散りやまず』はアルバム『さよなら にっぽん』に収録。1995年10月25日発表。

調べていたら、書いてあった!辻邦生の同名小説『銀杏散りやまず』がタイトルの由来。



辻邦生に『のちの思いに』(1999)という著書があり、さだまさしには『のちのおもひに』というライブアルバム(1994)がある。

のちの思いに

これはまあ、立原道造の詩を意識していることは明らか。
このあたりも2人の共通点を感じるところ。ワタクシも、この言葉を聞くと多感な頃を思い出してキュッとなる。

のちのおもひに  立原道造                

 夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
 水引草に風が立ち
 草ひばりのうたひやまない
 しづまりかへつた午さがりの林道を
 ………

Posted on 2018/07/31 Tue. 07:26 [edit]

category: 辻邦生

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