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かぎろひNOW

悠久の奈良大和路を一歩ずつ  風景、もの、人…との出会いを楽しみながら

信長と光秀 

歴史上の謎とされている「本能寺の変」。
福知山光秀ミュージアムが「本能寺の変 原因説50 総選挙」を行ったことをtetsudaさんのブログ「どっぷり! 奈良漬」で知った。⇒
総選挙は終了、結果、「暴君討伐説(信長非道説)」が1位だったという⇒

大河ドラマ「麒麟がくる」でははたしてどのように描かれるのか。原作がないということだから、脚本家のみぞ知る? 史実は変えられないにしても、これまでのような解釈ではないような気がして楽しみだ。
 

久しぶりに、『安土往還記』(辻邦生著)を読んだ。
ワタクシが初めて読んだのは20代の頃、新潮文庫で。

2006文庫本
↑ン十年を経て、カバーはボロボロになってはがれ、中身も焼けている状態^^;
文字も小さいなあ。これってトシのせい?


それで、今回は「辻邦生歴史小説集成」で読んだ。

2006辻邦生歴史小説集成
↑全12巻の、第1巻に入っている。
(布貼りの装丁が手にやさしく、文字も大きく行間もいい感じでとても読みやすかった。)


2006第一巻

そう、辻邦生の初めての歴史小説だ。雑誌『展望』(1968年1月号ー2月号)に載った後、筑摩書房から単行本として刊行されている。


語り手は、宣教師とともに日本にやってきたジェノバ生まれの船乗り。この異国人の目をとおして織田信長の人間像を浮かび上がらせている。実弟を殺し、町々を焼き払ったばかりか、比叡山をも焼き打ちし、女も子どもも容赦しなかった信長。慈悲のかけらもなく、残虐非道の限りを尽くしたかに見える。

重臣からも、その残忍さは度を超えている、人間のものではないと畏怖される信長を観察し、理解を深めていく異国人。自己の体面にかまわず、ひたすら事の道理を求め、一貫してぶれない信長が見えてくる。

うまく説明できないので、新潮文庫の巻末に載せられた饗庭孝男氏の解説を借りよう。

…語り手のジェノバ生れの船員が大殿をみる視点は、事の理非をあきらかにし、道理をつらぬく大殿のなかに、イタリア・ルネッサンスの政治の暗闘を生きぬいた人間たちの、果断な意志と重ね合されている。そう考えてみると、大殿は単に日本の歴史の中に生きた人物というだけではなく、世界の歴史における十六世紀の政治家のなかに数えられ、よりひろい歴史の展望のなかに置かれていることが理解される。


異国の語り手はまた、織田信長は明智光秀と羽柴秀吉に対して、同じ孤独者としての愛情と共感を覚えていたのかもしれない、とみる。

果断と冷厳さに関しては、この二人は共通したところを持っていたのだ。たとえ羽柴殿が賑やかな宴席を好み、華美な調度を愛好するのに対し、明智殿は明窓浄机を前にして沈思し読書するのを好むという違いはあるにしても、二人に共通したこの将軍としての素質は、大殿に高く評価されていたのだーそしてそれこそは「事が成る」ための必要物を、何の感情もまじえずに見うる眼であり、それを実現しうる行動力にほかならなかった。

明智殿はその冷徹な理知のゆえに、大殿にまさるとも劣らぬ戦略の過酷さをあえて遂行しえたが、同時に、佐久間殿のような武将の温厚さ、手ぬるさに対して必ずしも大殿と同じ考えであったとは思われない。むしろ同情的であったかもしれない。戦略家として多少の批判は、もちろん彼に対して抱いていたであろうが、反面、その人間的な弱さを愛していたのではなかったであろうか。


本能寺の変へと光秀を駆り立てたものも、憎しみや怨恨、野望とは見ていない。

「…疲れはて、気力も尽きはてたのだ。だが、おれを見つめている一つの眼がある。それはどんな闇のなかでも冷たく鋭くおれを見つめている。それは憎悪の眼であろうか。怨恨の眼であろうか。そうではない。憎悪でも、怨恨でも、軽蔑でもない。それは共感の眼なのだ。ひそかに深い共感をこめて、おれを高みへと駆りたてる眼なのだ。この眼がおれを見ているかぎり、おれはさらに孤独な虚空へのぼりつめなければならぬ。…」

だが、もう休まなければならないのだ。あの眼から逃れなければならないのだ。共感をこめて、高みへと誘うあの眼から逃れたいのだ。あの眼が消えさえすれば、おれは深い眠りのなかに入れるのだ。あの眼さえ消えれば…。そうだ、あの鋭いなつかしい眼は、おれの半身よ、消えなければならないのだ。

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Posted on 2020/06/30 Tue. 11:09 [edit]

category: 辻邦生

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〈自然〉と〈人生〉と 

完全復活を確信。お酒もうまい(笑)

久しぶりに、風を切って自転車を走らせた。1か月近くも引きこもっていたせいか、冷たい風を受けるのもうれしい。
肺炎のときは、胸いっぱいに空気を吸うことさえできなかった。

ペダルを踏めるシアワセを感じながら、昨日(2月1日)、奈良公園バスターミナルレクチャホールで毎月第一土曜日に開かれている、保山耕一さんの作品上映会へ行った。

すばらしい内容については鹿鳴人さんのブログをどうぞ⇒


鹿鳴人さんも書かれているが、「龍王ヶ淵」(宇陀市)の雪の映像と音楽に魅了された。
その後の保山さんの話にも感銘。

200201保山さん


「こんな雪の日、寒さの中で1日撮影して大丈夫ですか」と、身体を心配される方からよく言われるのだとか。
保山さんは
「こんな雪の中で撮影できている!という喜びが大きいんです」と言われた。真夏に汗をかきながら、暑いけれど、それもうれしいことだと。

おそらく、死の淵をのぞいたからこそ、わき上がる思いなのだろう。
比較できるはずもないが、病の後の風の冷たさにシアワセを感じた者として、ほんの少し共感できた、と言っていいかなあ。

そうして、あの映像はやはり保山さんにしか撮れないものだと改めて思うのだった。


白けたり無感動だったりするのは、実は、この一回きりの、有限な、貴重な〈生〉というものがまったく意識から欠落し、忘却させられているためではないのか。一度生死の境をさ迷って危うく一命をとりとめた人は〈生〉の有難さをしみじみと噛みしめる。砂漠で渇きに苦しんだ人は、水のうまさを身にしみて知っている。飢えた人は一碗の米に涙する。そこには〈白け〉も〈無感動〉も入りこむ余地がない。生きていることの不思議さ、有難さが、身体の奥から、疑いない確実なものとして湧き上る。水があること、米があること、空気があることの有難さが身のうちを貫いてゆく。

私は、この単純な〈生〉の事実がすべての基準であると確信できた。これが人間であることの根源の座標軸であり、これだけは狂わしてはならず、見失ってはならない、と思った。ちょうど物を落とせば、地面に落下するように、〈生〉の不思議さ、有難さをつねにいきいきと感じてゆくことーそれがどんな高級で複雑な生活をしていても、はっきりと見えていないと、その生活は狂ってくる。現代はこうした自明な〈生〉の座標軸をたえず見失わせるように働きかける。たとえば冬の寒さを感じさせない全館暖房式の生活がそうである。天候を感じさせない地下の商店街がそうである。季節に無関係に並んでいるパックされた野菜や果物がそうである。たしかにそれは一見快適な生を約束するように見える。しかし〈生〉の根源の座標軸を見失わせるという意味では、それは快適どころか、むしろ〈生〉の敵対物といわなくてはならない。

私が自然のなかに戻ることに今までにない喜びを感じるようになったのは、それがこうした〈生〉の根源の座標軸をくっきりと描いてみせてくれるからなのだ。つまり冬には凍りつく空気のなかで薪の火を燃やすこと、葉の落ちつくした森を、白い息を吐き吐き歩くこと、また春の山道にふきのとうを捜し、それを自分の手で料理すること、夏の峠を汗みずくになって越えること、眩しい入道雲を仰ぐこと、芒の穂の光る秋の高原に風が渡るのを感じること、鳥たちが礫のように空に群れ飛ぶのを見ることーこうしたことは、いわば渇いた人が水のおいしさをごくごく味わうように、魂の渇きのなかに、一種の甘美な味わいとなって流れ込んでくるものなのだ。

『風と樹木と鳥の声』より「〈自然〉と〈人生〉と」辻邦生

200202風邪と樹木と鳥の声
〈エッセイ・おとなの時間〉昭和61.4.20発行〈新潮社〉




Posted on 2020/02/02 Sun. 21:36 [edit]

category: 辻邦生

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02

9月17日産経新聞夕刊にさだまさしさん 

今朝、さだまさしさんと保山耕一さん、そして辻邦生についてブログを書いた。⇒

とはいえ、さだまさしさんのCDは5月にリリースされているし、保山さんが春日大社でさださんの奉納演奏を撮られたのは2月のこと。情報としては新しくないよね。

が、今日9月17日、産経新聞の夕刊に奉納演奏のことが載っていたのでビックリ。

190917夕刊さだまさし

↑クリックで拡大

保山さんのことが書かれていないので、やや物足りないが、「上」とあるので、「下」には載る? 明日の夕刊?


ワタクシにとってはあまりにもタイムリーだったのと、実は今日誕生日なので、ちょっとうれしくて、「かぎろひNOW」史上初の同日2回更新(笑)


Posted on 2019/09/17 Tue. 19:58 [edit]

category: 辻邦生

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さだまさしと保山耕一、そして辻邦生 

若い頃、奈良に憧れながら、住むことなど考えてもいなかった頃、さだまさしにハマっていた。
コンサートに出かけ、ソロアルバム(LPレコード)は、出るたびに購入。
もちろん、今も大事にしているよ。

40年前?レコード

「帰去来」「夢供養」「風見鶏」「私花集」「印象派」
リリース年は遠すぎてすぐには言えないけれど、順番は間違えていないと思う。あの頃の、模索していた日々と重なる。
今でも全部歌えるんじゃないかなあ。あっ、高音は無理(笑)。


軽井沢プリンスホテルで開かれたコンサートにも行ったのだった。

40年前?

↑↓マイアルバムから

1909回顧軽井沢2


これって何年ごろだったのかなあとネット検索してみると、素敵な裏話がひっかかったよ。⇒

あの長~い「親父の一番長い日」の初演だったことは記憶している。
オーケストラの指揮は山本直純さんだと思っていたら、岩城宏之さんだったので、ん? と思ったのだけれど、そういうことがあったのね。

さだまさしはオープニングの野外コンサートに出演。ホテルのお庭の芝生に座って、かぶりつきで聴いたように思う。そんなに人も多くなかったし、今では考えられないかも。
夜は夜とて室内での新日本フィルのコンサートを楽しんだ。軽井沢で数日を優雅に過ごしたのだけれど…

このとき、ワタクシはフリーター。というか、アルバイトもやめて全く仕事をしていなかった^^;
軽井沢の夢がさめると、経済事情が逼迫しているやん! 若いときって、独り身って、なんて呑気だったのだろう(笑)


この後、たまたま朝日新聞に小さく出ていた求人広告に呼ばれるように、思い切って奈良へ。
さださんの歌も、背中を押してくれたような気がする。

奈良へ来てからは、大好きな風景のなかを歩きながら、さださんのファンであることに変わりはなかったが、もうコンサートに行かなくてもなんだか満たされていたような…


今年5月、久しぶりにさださんのCDを買った。

1905新日本風土記Ⅱ


さだまさし 新自分風土記Ⅱ~まほろば篇~

1905新日本風土記Ⅱ裏

↑生産限定盤DVDが付いている!


そう、映像作家、保山耕一さんが撮られたDVDを観たいと思ったから。
深夜の春日大社での奉納演奏については、さださんが雑誌「図書」で書かれている。鹿鳴人さんのブログでどうぞ⇒


さだまさしさんの歌、保山耕一さんの映像、そして辻邦生さんの小説。
表現手法は違っているが、そこには同じものが流れていると思わずにはいられない。

以前にもこのブログで書いたけれど、聴くほどに、観るほどに、読むほどに、感じる。

保山耕一と辻邦生⇒(2017.6.21)
辻邦生とさだまさし⇒(2018.7.31)



この7月から「奈良公園バスターミナル」の2階レクチャーホールで始まった(毎月第1土曜日)保山さんの上映会。
9月7日にも行くことができた。
ホールに入ると、さださんの「セロ弾きのゴーシュ」が流れていて、ワタクシにとっては何だか不思議な感じ。

書家、桃蹊さんが春日大社に奉納する「映像詩、かすがの煌めき」、桃蹊さんの書と松本太郎さんの尺八とのパフォーマンスなど、今回も充実したひとときを味わうことができた。

190907舞台


保山さんの映像はもちろんだが、企画演出、いつも渾身の力を注ぎ、どうしたらお客さんが喜んでくれるだろうと一生懸命考えて実行されていることがひしひしと伝わってくる。そのたびに、ワタクシ自身がいつも全力姿勢ではないことを思い知らされ、そうしてがんばろうという元気がわいてくるのだ。


実は前回に引き続き、「かぎろひ歴史探訪」のチラシを会場で配布しますよと、おっしゃってくださって。配布するばかりではなく、まさかの舞台の上から、保山さんじきじきのPRも。

190907保山さん

こちらは、恐縮するばかり。ありがとうございました。
もちろん、「かぎろひ歴史探訪」だけではなく、配布チラシのすべてについて、説明されたのだった。

小さなことにも限りなくやさしい目を向ける保山さん。だから、1時間も延びてしまったりする。
申しわけなさを感じつつ、でも保山ファンは共有できる時間が長いことを喜んでいるはずだから、いいのかな。お疲れが出ませんように。


次回は10月5日

第4回 奈良、時の雫

すでに受付は終了。案内が遅くなってごめんなさい。

保山さんの映像が流れる、さだまさしコンサートへ行きたいなぁ。

Posted on 2019/09/17 Tue. 07:52 [edit]

category: 辻邦生

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17

完全版『若き日と文学と』と『星の王子さま』 

辻邦生没後20年ということで刊行が続いていることは以前書いた。⇒


うれしいけれど、亡くなった人が新たに書くことはないので、まあそう急いではいない。重複して持っているものもあるし、書棚のスペースが限界ということも大きい。


そんなとき、辻邦生つながりのYさんからメッセージが届いた。

1908メッセンジャー


丁寧にも目次の写真まで添付されていた。見ると、どうやら、以前の倍以上のページがあるもよう。
早速ゲット!

1908若き日と文学と2冊

↑右は昭和49年(1974)初版のもの。ワタクシが持っているのは昭和53年発行4版を重ねている。

今回の完全版は「ぼくたちを作ってきたもの」が加えられていて、ちょうど2倍のページ数だ。

ねっ、こうして比べてみても歴然でしょ。

1908厚さ


追加の目次だけ紹介。

Ⅱ ぼくたちを作ってきたもの
トーマス・マンについての対話
長編小説の主題と技法
『星の王子さま』とぼくたち
ぼくたちの原風景
文学が誘う欧州旅行

このうち、「トーマス・マンについての対話」と「長編小説の主題と技法」は、『灰色の石に座りて』に収録。

1908灰色の石に坐りて


「『星の王子さま』とぼくたち」「ぼくたちの原風景」「文学が誘う欧州旅行」は持っていないので、ほんとうにこれは買いだった。
これまで、辻さんが『星の王子さま』について書かれているのを読んだことがないと思うので、どちらかというと北杜夫さんのテリトリーかな。

ン十年前、社会人になった年に出会った女性と少し親しくなったとき、自己紹介のようにプレゼントされたのが『星の王子さま』だった。本の扉に、いただいた年月日とFN嬢から、と記されてある。年月が経つとこんなメモもうれしいね(彼女とは長らく会ってないけれど年賀状のやりとりがあるので近況はわかる)。

1908星の王子さま

↑中央がン十年前にいただいたもの。右は、かじったフランス語で読んでみようかと思ったがそのままになった原書^^;


「『星の王子さま』とぼくたち」から抜粋

辻 …また逆に人間は虚無とか非合理とか恐怖とかそういうものを克服して、現代の文明空間をつくり上げてきたわけだ。ところがその結果、文明社会の中で人間はーあるいは『星の王子さま』に結びつけていえばおとなはといってもいいけれどー自分の幸福を完全に見失っている。
たとえば『星の王子さま』に出てくる実業屋のように、五億の星を一生懸命数えて、忙しい忙しいと言っている人や、スイッチ・マンのエピソードに出てくる急いでどこかにゆき、ある一つの場所にいることが好きじゃない人間とか、そういう状態に陥っている現代人にとって、黙々と歩いていく人たち、ほんとうに人間が本源的に必要な、たとえば泉の水とか、暑い日の木かげとか、そういうものを求めて歩いていく人たちの動き方、そういう人たちの持っている生活空間の重さとかは、もはや理解できないものになっているような感じがする。この作品の中ではそんなに生々しく語られていないだけに、非常に胸に迫るようなある強さを持って……。

北 いちばんいい例だが、のどが渇かない丸薬を売っている商人で、一週間に五十三分得になるんだというと、五十三分あったら、ぼくはゆっくり泉の方に歩いていくんだけどなあ、と。



『星の王子さま』からも抜粋

…新しくできた友達の話をするとき、おとなの人は、かんじんかなめなことをききません。〈どんな声の人?〉とか、〈どんな遊びがすき?〉とか、〈チョウの採集をする人?〉とかいうようなことは、てんできかずに、〈その人、いくつ?〉とか、〈きょうだいはなん人いますか〉とか、〈目方はどのくらい?〉とか、〈おとうさんは、どのくらいお金をとっていますか〉というようなことを、きくのです。そして、やっと、どんな人か、わかったつもりになるのです。

この頃の岩波少年文庫はB6版で薄いし軽い。机から離れて寝転がって、久しぶりに読み直していたら

…ぼくは、この本を、寝そべったりなんかして、読んでもらいたくないからです。

という箇所に出合って、思わず起き上がり、ご、ごめんなさい。


涙の国って、ほんとにふしぎなところですね。


「…心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」


『星の王子さま』を読み返したのはほんとうにン十年ぶりなのだけれど、実は忘れたことがない。
というのも、最初のページに出てくるこれ。

1908星の王子さま絵

象をこなしているウワバミの絵。おとなは〈ぼうし〉だろって言うあれ。


ワタクシはこの山を見るたびに思い浮かべてしまうのだ。

1908畝傍山


↑甘樫丘から見る畝傍山

Posted on 2019/08/20 Tue. 10:25 [edit]

category: 辻邦生

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