かぎろひNOW
悠久の奈良大和路を一歩ずつ 風景、もの、人…との出会いを楽しみながら
大文字送り火などイベント中止
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荒池畔の柳
先日、「銀座の柳」の話をアップしたとき⇒★
柳はどこにもない、と書いたのですが、あれ、道路の東側にはあったんちゃうかなと、気になっていました。確認しようと思いつつ、ついでがないとねぇ(;^_^A
7月11日、奈良国立博物館で始まった「聖地 南山城」展へ行く前に立ち寄ってみました。
柳、やっぱり、ありましたー。

柳ロードだったとは。

結構、老木とみられる柳も

シダレヤナギは9本ありました。「銀座の柳」二世かどうかは?ですが。

柳はどこにもない、と書いたのですが、あれ、道路の東側にはあったんちゃうかなと、気になっていました。確認しようと思いつつ、ついでがないとねぇ(;^_^A
7月11日、奈良国立博物館で始まった「聖地 南山城」展へ行く前に立ち寄ってみました。
柳、やっぱり、ありましたー。

柳ロードだったとは。

結構、老木とみられる柳も

シダレヤナギは9本ありました。「銀座の柳」二世かどうかは?ですが。

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銀座の柳
先日、奈良八重桜の会「復曲能実行委員会」でのこと。
復曲は、金春流にお願いしていることもあって、いつしか銀座金春通りの話になった。たまたまいらっしゃっていたOさんが市長をされているときに、銀座の柳をもらい受けて荒池畔に植えたことなどを話された。
そういえば、荒池にそんな説明板があったことを思い出して「立派な石碑が建ってますよね。金春通りのことも書かれていたと思います」などと言ってしまったのだが、なんだか気になって、6月28日、文章講座の後、現地へ行ってみた。

記憶のええ加減さを思い知った(;^_^A
上の写真で、立派な石碑は荒池の由来を書いたもので、銀座の柳二世のことは、その右手後ろにある、小さな説明版だったのだ。ワタクシにとっては「金春通り」があることや、銀座の柳のほうがインパクトが強かったのに違いない。いつのまにか、立派な石碑に書かれてあったと思い込んでいたようで。
文字も薄くなりつつある、銀座の柳二世の説明板

しかも、最後にたった3行だったとは。
そうして、今は、柳の姿はどこにもない。

ネット検索してみると「銀座の柳」年表がヒット⇒★
この中の
1968年(昭和43) 銀座通りの改修工事及び柳の衰弱が著しいため柳は撤去される。
銀座通りの大改修により、残った柳は日野市の苗圃や日本各地に「銀座の柳」として移植される。
1984年(昭和59)に、銀座の柳が苗圃に3本だけ残っていることを知った、銀座の有志が枝を持ち帰り、接ぎ木して、二世柳を復活させ、全国に寄贈した。
1984年のことカナ? 奈良に移植されたのは。
ここまで来たついでにといってはなんやけど、ワタクシ的にはおそらく修理前最後になりそうな興福寺五重塔。

7月から工事が本格化するもよう。
復曲は、金春流にお願いしていることもあって、いつしか銀座金春通りの話になった。たまたまいらっしゃっていたOさんが市長をされているときに、銀座の柳をもらい受けて荒池畔に植えたことなどを話された。
そういえば、荒池にそんな説明板があったことを思い出して「立派な石碑が建ってますよね。金春通りのことも書かれていたと思います」などと言ってしまったのだが、なんだか気になって、6月28日、文章講座の後、現地へ行ってみた。

記憶のええ加減さを思い知った(;^_^A
上の写真で、立派な石碑は荒池の由来を書いたもので、銀座の柳二世のことは、その右手後ろにある、小さな説明版だったのだ。ワタクシにとっては「金春通り」があることや、銀座の柳のほうがインパクトが強かったのに違いない。いつのまにか、立派な石碑に書かれてあったと思い込んでいたようで。
文字も薄くなりつつある、銀座の柳二世の説明板

しかも、最後にたった3行だったとは。
そうして、今は、柳の姿はどこにもない。

ネット検索してみると「銀座の柳」年表がヒット⇒★
この中の
1968年(昭和43) 銀座通りの改修工事及び柳の衰弱が著しいため柳は撤去される。
銀座通りの大改修により、残った柳は日野市の苗圃や日本各地に「銀座の柳」として移植される。
1984年(昭和59)に、銀座の柳が苗圃に3本だけ残っていることを知った、銀座の有志が枝を持ち帰り、接ぎ木して、二世柳を復活させ、全国に寄贈した。
1984年のことカナ? 奈良に移植されたのは。
ここまで来たついでにといってはなんやけど、ワタクシ的にはおそらく修理前最後になりそうな興福寺五重塔。

7月から工事が本格化するもよう。
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春日大社参道のムクロジ2023
ここを通るたびに、気になる木。

ムクロジの木の中から竹が生えていることで有名です。
2年前、7本の竹を確認したのですが⇒★
5月12日のこと、あっ、まだ茶色い上着を付けたままのニューフェイス発見。今年生まれた子のようですね。

↑左から2本目
写真では全部で7本のように見えますが…1本増えたとしたら8本のはず…、重なっているのかなあ。
竹が増えて喜んでいいのかどうか複雑な気持ちですが、ムクロジおじさんは大らかに迎え入れているようにも感じられます。
春日大社のサイトにこんなふうに書かれています。⇒★
奈良博への曲がり道には、ムクロジの大木があり、幹が空洞になっているところから竹が伸びています。 子供を抱く母のような優しい姿です。


ムクロジの木の中から竹が生えていることで有名です。
2年前、7本の竹を確認したのですが⇒★
5月12日のこと、あっ、まだ茶色い上着を付けたままのニューフェイス発見。今年生まれた子のようですね。

↑左から2本目
写真では全部で7本のように見えますが…1本増えたとしたら8本のはず…、重なっているのかなあ。
竹が増えて喜んでいいのかどうか複雑な気持ちですが、ムクロジおじさんは大らかに迎え入れているようにも感じられます。
春日大社のサイトにこんなふうに書かれています。⇒★
奈良博への曲がり道には、ムクロジの大木があり、幹が空洞になっているところから竹が伸びています。 子供を抱く母のような優しい姿です。

06
薪御能2023
「奈良八重桜の会」が復曲能プロジェクトをスタートさせてから、観能の機会が増えまして。だけではなく、思いがけないご縁がつながる不思議を実感しています。
昨年、居酒屋で偶然話をすることになった女性が、お能に深く関わっていらっしゃる方だったり、八尾へお能を観に行ったとき、ばったり会場でお会いした旧知のYさんが、謡をされていることを知ったり。時間がちょっとずれていたら会うこともなく、知ることもなかったのにと思うと、奇跡的ですよね。呼び寄せているかな?(笑)
そうして、今年の「薪御能」のチケットが舞い込むに及んで、ほんとうに驚くばかり。
詳しくは聞いてないのですが、どうも、『かぎろひの大和路』の東京の読者の方が関わっていらっしゃるとか?
ドキリ。かぎろひ誌発行のめどがまだたっておらず、お恥ずかしいやら申し訳ないやら。
どうもありがとうございます。
今年の「薪御能」は5月19日、20に行われました。
1日目は所用があったのでもともと2日目を予定していたのですが、19日が大雨だったせいもあるのでしょうか、20日の参加者がかなり多かったようです。
春日大社若宮拝舎での御社上(みやしろあが)りの儀は11時開始、10時開場

早めにと10時前に行ったのに、すでに長蛇の列

こんな感じで拝見しました。

座敷だったので、長時間正座は無理やし、自分の脚ながらもてあましました(笑)。普段のだらしない暮らしを反省(;^_^A

両日のプログラム

↑クリックで拡大
演能は撮影禁止なので写真はないのですが、雰囲気だけでも。
興福寺般若の芝(南大門跡)では午後5時30分から始まりました。
途中の休憩に撮ったもの


東の席に座ったのですが、最初は西日がきつくてまぶしい、暑い! けれども、日が落ちると、急に寒くなり、薄手のカーディガンでは役に立たずガチガチ震えるほど。5月中旬の夜ってこんなに寒かったんですね。昼と夜の温度差をまざまざ。
それでも、とっぷり暗くなると、薪の炎があかあかと燃え、風が吹くと梢がざわめき、紙垂が揺れるなかで演じられるお能は迫力満点。笛の甲高い音が夜空に吸い込まれてゆき、大鼓や小鼓がますます抒情を盛り上げていきました。
自然のなかで演じられる能の魅力を改めて感じたことでした。
ありがとうございました。
※薪御能⇒★
昨年、居酒屋で偶然話をすることになった女性が、お能に深く関わっていらっしゃる方だったり、八尾へお能を観に行ったとき、ばったり会場でお会いした旧知のYさんが、謡をされていることを知ったり。時間がちょっとずれていたら会うこともなく、知ることもなかったのにと思うと、奇跡的ですよね。呼び寄せているかな?(笑)
そうして、今年の「薪御能」のチケットが舞い込むに及んで、ほんとうに驚くばかり。
詳しくは聞いてないのですが、どうも、『かぎろひの大和路』の東京の読者の方が関わっていらっしゃるとか?
ドキリ。かぎろひ誌発行のめどがまだたっておらず、お恥ずかしいやら申し訳ないやら。
どうもありがとうございます。
今年の「薪御能」は5月19日、20に行われました。
1日目は所用があったのでもともと2日目を予定していたのですが、19日が大雨だったせいもあるのでしょうか、20日の参加者がかなり多かったようです。
春日大社若宮拝舎での御社上(みやしろあが)りの儀は11時開始、10時開場

早めにと10時前に行ったのに、すでに長蛇の列

こんな感じで拝見しました。

座敷だったので、長時間正座は無理やし、自分の脚ながらもてあましました(笑)。普段のだらしない暮らしを反省(;^_^A

両日のプログラム

↑クリックで拡大
演能は撮影禁止なので写真はないのですが、雰囲気だけでも。
興福寺般若の芝(南大門跡)では午後5時30分から始まりました。
途中の休憩に撮ったもの


東の席に座ったのですが、最初は西日がきつくてまぶしい、暑い! けれども、日が落ちると、急に寒くなり、薄手のカーディガンでは役に立たずガチガチ震えるほど。5月中旬の夜ってこんなに寒かったんですね。昼と夜の温度差をまざまざ。
それでも、とっぷり暗くなると、薪の炎があかあかと燃え、風が吹くと梢がざわめき、紙垂が揺れるなかで演じられるお能は迫力満点。笛の甲高い音が夜空に吸い込まれてゆき、大鼓や小鼓がますます抒情を盛り上げていきました。
自然のなかで演じられる能の魅力を改めて感じたことでした。
ありがとうございました。
※薪御能⇒★
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